茜屋(せんや)サナ
2026-06-15 19:36:20
13166文字
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Zodiac Pisces 境界線上の死操術師

死操術師(ネクロマンサー)が生死を問うお話。

プロローグ

  まず、わたしの仕事から説明せねばなるまい。
  必要なのは、何をおいてもまず、屍体だ。
(『屍者の帝国』 伊藤計劃×円城塔)


 「法(ほう)屍学(しがく)」という学門がある。
 「法医学(ほういがく)」に非常に近い学門ではあるが、研究対象となるものは「魔力を宿した遺留物」のみで、修得には魔力を感知出来る才能を必要最低限度、要する。
 とある後ろ暗いイメージのある魔術系統と密接的な関係にある学門である。そのため、好き好んで専攻する者は非常に少ないが、修得して然るべき資格を取れば、先行きは安定している分野でもある。
 法屍学博士は大抵、こう俗称される。

 ――死操術師(ネクロマンサー)と。

***

――元々、『ネクロマンシー』が『死体占い』を指す単語だということを、公巷の人は知らないし、専門外の魔術師だって忘れている。
 ネクロマンシーのそもそもの目的は、占いの目的で死者を蘇らせること。物質界(アッシャー)の縛りから解き放たれた死者の霊魂は過去・現在・未来のあらゆる事象を知ることが出来る、と原初のネクロマンサーたちは考えたわけ。謂わば、降霊術そのものだったということね。
 ……なのに、黒屍病やら大戦で山ほどこさえられた屍体の処理やら、魔法狩りの最中でいつの間にかネクロマンシーとは『屍体や死霊を操り時として人を呪い殺す術』であり、その使役者は占い師などではなく、『死を操る術師』だと定義されるようになり、いつの間にか占いは医学と死後の世界の橋渡しをする学門、となってしまったわけさ。
 ……兄さん、ここまでで質問は?」
「無い。ガキの頃からずーっとお前に聞かされて耳に瘤が出来上がってるくらいだっての」
 冷たいリノリウム張りの床に、処置台がある。処置台の上には、一体の屍体が安置され、これから司法解剖されるのを待っている。
処置台の前に手術着の上から使い捨てのガウンとビニールエプロンを着て立つのは、少年のような青年だ。マスクと処置帽を被り、手袋は三重にして、指先から足の爪先までを隈無く覆っている。そのため、丸い大きな暗紫色の双眸しか窺えない。背丈は成人男性の標準に届くか届かないかくらい。目方はというと、その細い体躯では軽いだろう、という程度。
 処置室とは別の、大きなガラスを隔てた向かい側の部屋にいるのは、手術着の青年に「兄さん」と呼ばれた男性だ。皮張りの長椅子に腰掛け、ガラスの向こう側にいる弟を柘榴石色の両目でじっと見つめている。
「だーよねぇ。ガーネット兄さんならイヤってほど知ってるもんね、こんな初歩の初歩。いやさぁ、アークス医大のお医者センセに今日絡まれて不愉快な思いしちゃって。ただの外科医なんだけど、プライドだけはヒマラーヤン山脈みたいに高いヒトでさぁ」
 愚痴るデイヴィッドの口調は軽い。言うほど気にしてはいないらしい。
「それじゃ、仕事を始めようか」
 デイヴィッドは眼下にある、酷く腐敗した死体に向き直る。既に分かっている問題の答えを尋ねられたかのような、退屈な声で言った。
「まあ、結果は見えている気がするけどね」



1章 死操術師(ネクロマンサー)のお仕事

  無罪の証明とは有罪を証明することであり、不在の証明は有在の証明をすることである。
  無は有を定義することで証明する。ならば死は生を解剖し、分析し、検証することに他ならない。

アンブローズ・フェン・ワンドハンター アークス医大の講義にて


 異世界ローレローランスの北西に位置する国、ウェールランド連合王国の首都アークスで殺人事件が起きた。靄にけぶる街角はにわかに騒がしい。
「当直の検屍官のヤツ、現場見るなり逃げ出しやがった」
 ウェールランド警察本庁刑事課のダビド・ロッドフォード警部は苦虫を嚙み潰した。いかめしい顔がしかめられ、更にいかつくなっている。
国の法律で、検視が終わるまでは刑事は事件現場に立ち入ってはならない。死体を外側や表面から解剖せずに、病死か変死かを検査する検屍官がいない以上、これから先の捜査ができない状態だった。
「どういうことですか」
 ウェールランド警察本庁刑事課の巡査であるヴァン・ノッティンガムが首を傾げる。最近配属されたばかりの年若い、ダビド警部の部下だ。
「どうもこうも、そのままよ。来て現場見るや否や『自分には無理です〜!』って走って逃げやがった」
「ええ〜」
「他の奴らが聞いたところによると、魔力がどうとか密度がヤバすぎてムリ~とか喚いていたらしい。なんだか、中途半端に霊感(カン)がいいらしいな。それが裏目に出たんだろう」
 溜め息を吐いた警部はやれやれと首を竦める。どうしたものか、と嘆いていると、コートの胸ポケットにしまっていた携帯端末から着信音が鳴った。すぐに電話を取り、相手と話をする。いくらかの短い受け答えで用件は済んだらしく、電話はすぐに切られた。
「喜べ、ヴァン。逃げた奴の上司が代わりを寄越してきた」
 にや、とダビドは口角を上げて笑う。さっきまで不愉快な表情をしていたのに、なんだか愉快そうだ。
「代わり?」
「おう。検屍官の持ってた計器が魔力を感知したもんで、それを受けて別の検屍官を派遣するとよ。請け負ったのは魔術界隈だけの頼み事を聞く玄人集団だ。つまり、余程の現場ってこったよ」
 少し前までのしかめっ面から一転して、ダビドは精気が漲(みなぎ)った表情になる。殺人現場で不謹慎だが、まるで喜んでいるようにも見えた。この道数十年の刑事だ。「余程の現場」に挑み甲斐を感じでいるのだろう。
 それを見たヴァンは面倒臭いのはゴメンだな、と胸の内で思った。
「あのぉ、魔術界隈とか玄人と言いますと?」
 困惑する若手にダビド警部は告げる。
「《裏ゾディアック》だ」
……はい?」
「あぁん?」
 ヴァンの疑問の声に、ダビドは疑問を持った。
「オメーさん、まさか《裏ゾディアック》知らねえとか言わないよな?」
 片目を眇(すが)める大先輩の迫力に呑まれながらも、彼は小さくすみません、と謝った。
 馬鹿野郎、と叫びたいのを堪えて、ダビドは叫びを溜め息に転化する。ハラスメントと訴えられるので、若手をまとも叱れない現代と自分の若い時代のギャップに何とも言えない感情がこみ上げてきた。それを飲み下し、説明する。
「《ゾディアック総合魔術結社》は知っているよな?」
「はい、知ってます。ウチの国有数の魔法の会社ですよね。便利な道具作ったり、サービスを提供したりしてる」
「それは知ってて何よりだ」
 それさえ知らないと言われたらどうしようかと思ったぞ、というセリフは呑み込んだ警部であった。ちなみに、彼ら魔術師が言うには、「魔法」ではなく「魔術」であるらしい。
「で、その《ゾディアック社》の裏の部門が《裏ゾディアック》と呼ばれる。裏というからには、表沙汰にできねーことや魔術絡みの深い部分を請け負ってる。構成員は基本的に表側の名簿には載らない。一般人が関わり合うことはよっぽどの困りごとがない限り、基本的にないだろうな」
「あの、すみません。そんなディープな人たちをなんで警部が知っているんですか? 表側にいないのに矛盾しません?」
 訳が分からないと目を白黒させるヴァンに、ダビドはこともなげに言う。
「公然の秘密だからだ。この国じゃ、社会人やってある程度の時間経ったか関心があれば知っていることだぞ」
「え? 僕知らないです」
「もちっと人生経験積むことだな」
 暗にしっかりしろ、とダビドは告げる。ヴァンの前の配属先だった生活安全課は何を教えていたのかと呆れてしまう。
「で、オレたち刑事も『ディープな人たち』だ。蛇の道は蛇の理屈で互いにあれこれを持ちつ持たれつでやってるって訳だ」
「はあ。そうなんですか」
 気の抜けた返事にダビドは先行きが不安になった。嗚呼、前任の相棒が恋しい。
 そんなことを思っていると、一台の車両が到着した。黒い小型乗用車から二人の検屍官が降りてくる。
 一人は小柄な青年。もう一人は背の高い女性だ。
「はいはい、オハヨーゴザイマス。まさかと思うけど、誰も中に入ってないよね?」
 黒いコートを着た青年が気だるげに言う。暗い紫色の双眸は朝靄の中でも霞まない色彩を放った。寝起きなのか、半目になってしきりにまばたきをしている。逆立った黒髪にやや幼い顔立ち、細い体躯と物々しい殺人現場には似つかわしくない風貌だ。
 けれども、往年の警部は彼こそがこの場に相応しい人物だと知っている。
「おう、オメーかデイヴィッド」
「あれ、ダビド警部じゃん。おはよ」
 デイヴィッドはどうでも良さそうに軽く手を振る。親子ほど年の離れた二人は長年の知り合いだった。
「オメーさんが来たなら百人力だ。同時に、でけえ事件(ヤマ)ってこったな」
「ええ? まだ現場に入ってもないのに何言ってんの」
 あからさまに呆れる若い検屍官にヴァンは慄いた。
こいつ、警部にタメ口を利いている。信じられない。自分が同じことをしようものなら間違いなく睨まれている。
「おはようございます。警部」
 デイヴィッドの横に立つ背の高い女性が会釈する。同時にデイヴィッドの後頭部を掴み、自分に倣って頭を下げさせた。
 肩のあたりで揃えた淡い金髪に、怜悧な瞳。整った容貌とは裏腹に、紺スーツに包まれたうら若き肉体は鍛えられている。恐らく、瘦せっぽちのデイヴィッドなど容易に担いでしまうに違いない。そう思わせる迫力、佇まいを持った女性だ。
「おはよう、コネリーさん。朝から済まないがよろしく頼む」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
 社会人らしく女性はしっかりと挨拶を返した。
 すると女性とヴァンの目が合った。面識のない人物と判断した彼女は自己紹介をする。
「これはご挨拶が遅れました。このたび依頼を受けました《裏ゾディアック社》降霊部司法課第十三室副室長のレミエル・イアル・コネリーと申します。よろしくお願い致します」
 ミドルネームの「イアル」は伯爵位を表す称号だった。一般人の自分より位のある頭を下げられ、彼もつられて頭を下げる。
「えっと、最近配属になりました、ウェールランド警察本庁刑事課巡査のヴァン・ノッティンガムです。よろしくお願いします」
「ああ、見たことないカオだね」
 デイヴィッドは無遠慮にヴァンの顔を覗き込む。まるで不審者を見るような目つきだ。初対面にしてはあまりな態度にヴァンはむっとする。するとすかさず、レミエルの手が爬虫類のかぎ爪を思わせるような開き方をして、デイヴィッドの後頭部を掴み、また頭を下げさせる。
「こちらは当方の室長、デイヴィッド・フェン・ワンドハンターと申します。ご無礼を致しまして、平にご容赦願います」
「死操術師(ネクロマンサー)で、検屍官で、投錨官(アンカー)の資格もあるから何かと便利だよ。ヨロシク。」
 頭を下げさせられたままの状態でデイヴィッドは言った。
「あんた、いい加減にしなさい」
 レミエルの怒りの態度にも、地を這うような低い恐ろしい声にもデイヴィッドは動じない。ひらひらと軽薄に片手を振る。
 舐められているとしか思えない態度を取られたヴァンだが、彼の関心は違うところにあった。
「ネクロマンサー!? 何で死体漁り(ハゲタカ)がこんなところに」
 ハゲタカの一言に検屍官二人の表情が固くなる。
「ちょっと警部。素人入れたの? 何これ。マッケンジー巡査長は?」
 レミエルのアイアンクローの拘束を解かれ、デイヴィッドは失言者を指さし、斜に見遣る。レミエルの藍色の目も氷点下の冷たさを湛えていた。
「異動だ。お袋さんの持病が悪化したらしい」
 ダビドの返答に青年は溜め息を吐く。
「だから紹介状書いてあげようかって言ったのに。聞かないねえ」
「お袋さんはエレジスト教会の信徒だ。分かってやれ」
「医学の方が効くと思うけどね」
 肩を竦めるデイヴィッド。
「ま、いーや。始めるから、状況確認とか聞き込みとかしておいて。あと、そこの新人クンにハゲタカ呼ばわりはどうダメか仕込んでおいてね、警部」
 デイヴィッドはヴァンをひと睨みし、ダビド警部にも視線を送る。検屍官らは仕事道具が入った鞄を持って、事件現場の一軒家に向かった。
……ヴァン。『ハゲタカ』が死操術師に対する蔑称なのは知ってるな?」
 上司のもの言いたげな視線に新人は目を合わせない。アスファルトの灰色を見つめるが上司の突き刺さるような視線を無視できないと観念して、ゆっくりと顔を上げる。
「すみません」
「臨場(りんじょう)してくれた検屍官に対して敬意を欠く侮辱的な行為だぞ。二度とするな。お前は警察官だ。公務中であるにも関わらず、先入観や偏見で蔑称を口にするのは許されていない。分かるな。」
「はい」
 警部のとび色の目がヴァンの所在なさげに彷徨う視線を掴む。
「以後、二度と口にしないように。彼らにきちんと謝罪しろ。以上」
「はい!」
 頭を下げた部下を一瞥すると、ダビドは彼と周辺聞き込みに向かった。


 時を少し戻すと、検屍官と刑事らは事件現場の一軒家に足を踏み入れようとしていた。だが、ドアの手前で、デイヴィッドは足を止めた。
……おやまあ」
「臭うわね。それだもの、逃げ出すわ」
 青年は薄ら笑いを浮かべ、女性は嫌そうな顔をした。
 ドアはまだ閉ざされたままだ。臭いと言われても刑事二人の鼻には何も感じられないだろう。ヴァンならばこの人たちは何を言っているのだろうと思ったに違いない。
 デイヴィッドは気負うことなくドアを開けて中に入る。レミエルもそれに続く。
 遺体発見からさほど時間は経っていないのか、特に物理的な腐臭はない。リビングに入ると、被害者と思しき人影が横になって倒れている。
 デイヴィッドが計器を見ると、魔力を検知している。それは別段、分かりきったことなのでどうでもいい。問題は魔力の濃さだ。一般邸宅にはそぐわない密度の魔力が残留している。どろりと濃い、魔術師だけが魔力に感じる腐臭に似た臭いが漂う。検屍官が逃げた理由はこれだろう。
 けれどもまず、二人は科学に則った検屍手順を行う。事件現場を写真に撮り、黙祷を捧げてから遺体に触る。
 被害者である男性には外傷の痕跡が見当たらない。顔や手足、衣服の下を見ても切り傷は認められない。
床には血痕の一滴もない。現場検証は警察が行うので、必要以上に薬品を使って現場を汚すわけにはいかないので、ここは目視で済ませる。レミエルはペンライトで注意深くリビングを照らすが、やはり血痕はない。
首に絞められた痕である作(さく)条(じょう)痕(こん)もない。
では窒息はどうか。遺体の口を調べるも口内に泡状のものはない。簡易試験紙を入れても反応はない。毒物の線もないようだ。
「解剖はするけど……やっぱり呪殺だ」
 デイヴィッドは次の準備に入る。
「この魔力の濃さならそうでしょうね」
 レミエルも準備に入る。鞄から取り出したのはかなり大きい紙だ。
「さて、ならば誰に呪われたのか」
 二人が広げた紙には魔法陣が書かれ、サイズは人ひとりを覆えるほどだ。それを被害者の上に掛ける。もう一枚の紙を取り出し、今度は被害者の傍らに置く。
 科学的な検視はここまで。ここからは魔術による検屍だ。魔力残留が著しい場合、通常検視から検屍へ変更する。すなわち、降霊術を行い、被害者の魂を降ろして交霊し、何があったのかを聞き出す。この降霊術を行う場合は投錨官(アンカー)と呼ばれる者が付く決まりになっていた。
 死んだばかりの霊魂は非常に荒ぶっていることが多い。闘病の末に亡くなった場合は自分がゆっくりと死に向かう過程を理解しているので、さほど荒くはない。だが、突然死した者は違う。何故自分が急に死んだのかを理解していないので、発狂している。生きているのに急に死という断崖へ突き落とされたのだから、当然のことだ。その状態の荒れ狂う魂に何があったのかを訊くのは残酷で乱暴な行為だ。せめて静かに眠らせておくのが慈悲だと言える。
 だが、それでは事態は解決しない。故に降霊術で喚び出し、何があったのか問うのだ。
 この降霊術を行う場合、荒ぶる死者の霊に引きずられて、術師の魂魄が死後の世界に持っていかれることがある。それを防ぐために補助し、付き添う魔術師を付ける。この付き添う魔術師を「付き添い投錨官」と呼ぶ。名の由来は字のごとく、荒波に魂が浚われないよう錨となって現世に留まることからきている。万が一のことがあれば、こちら側に引き揚げるのも役目だ。付き添い投錨官なしでの降霊及び交霊は有資格者でも違法となっている。
 今回降霊を担当するのはデイヴィッドで、付き添い投錨官はレミエルだ。
 デイヴィッドはもう一枚の魔法陣の真ん中に立ち、レミエルはその斜め左後ろに立つ。彼は息を吸って、吐く。魔術に限らず、全ての動作の基本は呼吸だ。これから行う降霊は身体に大きな負担が掛かるので、しっかりと基本を整えなければならない。
 侵入(インベイジョン)。
降下(ディセンダント)。
昇華(エレヴェイション)。
没入(ダイヴ・イン)。 
降霊するとき、ひとによって様々だが自分の状態をこのように言い表す。細部は違うが、総じて「此処」ではない「彼岸」への移動を指している。物質界(アッシャー)のくびきから解き放たれ、形成界(イェツィラー)と呼ばれる高次元に至った死者の魂を見つけ、交信することを求める。
デイヴィッドは死者の霊魂と交信し、降霊する才能があった。魂に刻まれた才能は祝福でもあり、呪いでもある。霊魂を身体に降ろす霊媒能力が高い為に、常に精神に自衛のまじないを掛けておかねばならないし、一定期間内に身を清めて雑霊を寄せ付けないようにする必要もある。もしも彼が女性に生まれていた場合、今以上に能力が高すぎて魔力を封じて一生を生きなければならなかったほどだ。
だが、ワンドハンター家に生まれ、魔術の才を持たない場合は隔離庭園で一生を送ることになる。ワンドハンター家に生まれた因果だけで十分に呪物になってしまうので、一家他の者への呪いを防ぐ安全の為にもそこで暮らす。一般人にはなれない。
どの道、無事平穏な暮らしはない。
更には、デイヴィッドは死操魔術――あらゆる「死」にまつわる事象を観測、解析、操作する――に特化しすぎており、他の魔術への適性が低かった。ワンドハンター家の古今東西あらゆる魔術に適応する魔力脈よりも、彼の才能の方が上回ったのだ。
そのため、デイヴィッドは死操術師になったのである。
死操魔術は才能に大きく依存する上に過酷で、人材の消耗が激しく常に人手不足。才能があっても就業に至るレベルに達するには時間と労力が要り、更には才能に振り回されて自滅も多い分野と、敬遠される要素が、満載の魔術ジャンルだった。
それでもデイヴィッドはこれしかないと諦めて、この魔術を扱う。
「四月十二日七時十二分降霊開始」
 降霊担当の合図に従い、レミエルは端末を起動して、動画記録を回す。
「汝、彷徨える者よ。幽世に突き落とされし者よ。我が声に応えよ」
 デイヴィッドの声が低くなる。先ほどまでの軽妙な地声とは打って変わって、地獄の底から響くようなおどろおどろしいものだ。彼曰く、この方が死者が呼びかけに応えやすいとのことだ。電話で聞き取りやすいように声を整えるカンジ、と大したことではないことのように言っていたのをレミエルは思い出す。
 途端、朝なのに、夜になった。朝陽は閉ざされ、部屋に暗さが満ちる。誰もカーテンを閉めたわけではない。もちろん、昼夜が逆転したわけでもない。ただ、この世の理が少し、遡っただけだ。
空気の温度がぐっと下がる。壁に掛けられていた温度計は二十度から十度まで低下した。スーツの正面を撫でる冷気がいや増す。更に温度は下がって五度になる。じわじわと下がる温度に動じることなく、レミエルは目の前の補佐すべき相手の状況に気を配った。
形成界に魂を飛ばしているデイヴィッドは魔法陣越しに、被害者ことハワード・ショーメイカーの情報を読み取って彼を探す。物質の制約から解き放たれれば、何も難しいことではない。他の魔術師からは訳が分からないと呆れられるが。
霧の彼方にいるハワードは案の定、叫んでいた。起床してコーヒーを飲もうと準備している矢先に、いきなり目の前が真っ暗になったのだ。気絶したのかと思えば、それは違った。彼は前触れなく、いきなりこの世と別れる羽目になったのだ。
何の説明もなく、何の前兆もない。ある日突然、彼の未来は絶たれ、現在に終止符が打たれ、全ては過去となった。
こんな理不尽を受け入れられるかとハワードは叫ぶ。
「ahiaygvsjbvwuewionfvwklbsuiuuyyyyyy\\\aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!!」
けれども、叫びは、嘆きは人語の体を成していない。生きている人ではなくなり、ただ荒ぶる彼には悲嘆を人の言葉に整える余裕がない。ただ、狂乱のままに憤りが口のような空洞(・・・・・・・)からほとばしる。
 そう。彼は人体すら取っていなかった。ヒトガタをした白いスライムのようなカタチに変わっていた。知り合いも肉親も、外見だけで彼がハワード・ショーメイカーだと分からなくなっていた。両目のような穴と、口のような空洞を歪ませる彼に、デイヴィッドは近づく。
「ハワード・ショーメイカー」
 そう言うと、ハワードと呼ばれていた魂は振り返った。肉体から引き離された孤独な魂は、未だ肉体と繋がる魂を認めて――
「giakkkkkkkkkkkvvvvvbbbbbbbboooooooo!!!!!!」
 ――憎悪を込めて喚きながら突進してくる。
 なぜ。なぜ。なぜオマえは空ダがあルのka。ユルさレナい。ゆるサレteiiハずがnaい。コkoはタマsiイだけの馬ショ。それナのに。ソれなnoに!
 荒れ狂う魂にデイヴィッドは動じない。身体に叫びの波動を叩きつけられても、何の感慨も湧かない。強いて言うなら、波動を分析しながら、ハワードの状態を確かめている。それは放たれた音波を分析する潜水艦の技官のようだった。
「聞け。ハワード・ショーメイカー」
 突進してくるハワードとデイヴィッドの間に、不可視の壁が築かれる。ガラスの壁にぶつかったかのように、ハワードは弾かれた。
 死操術師は己と死者の間に境界線を引いたのだ。あちらこちらと交わらないようにする一線は、デイヴィッドの意思ひとつで引かれた。
 死者と交信しても交わらない、強い意思表示だ。物質が意味を持たない形成界ではイメージの強さが現象を起こし、確固たるものにする。
 怒り、嘆き、叫ぶままのハワードへデイヴィッドは精神を集中させる。恐慌する感情というノイズを除去し、亡くなる直前の情景を取り出す。
「ncausdfrneyyyyhhhnhnnnsaaakxcmnnnnnn!!!!!!!!」
 人生で最もショッキングな瞬間の再演にハワードは激怒する。神経を有する生き物であったのなら、分泌される興奮物質に耐えられないほどの憤激だった。
「静かにしろ」
 また地獄のごとき声でデイヴィッドはハワードに告げる。その声は乱れるハワードに重石としてのしかかる。圧力を感じたと言い換えてもいい。
……
 初めて、被害者の男は沈黙した。思考が発狂から空隙へと変わる。その一瞬をデイヴィッドは逃さない。素早くハワードの記憶へアクセスする。
 いつもと何も変わらない朝の風景。一人掛けの椅子に、食事兼仕事用のテーブル。冷蔵庫はいつもどおりに作動し、シンクもきれいに使われている。電気ポットに水を注ごうと、ウォーターサーバーに手を伸ばそうとした。そこで意識は途切れてしまった。
…………し、て」
 ハワードは呟く。
「どうして、おれは死んでしまったんだろう。なんで、死ななきゃいけなかったんだ……?」
 目のような穴から、水のような液体が零れ落ちる。魂だけなら、涙腺はないので涙は流さない。男は心で泣いていた。
――……――……
 デイヴィッドは視る。ハワードの情景に、魂に焼き付いた最期の情景に己の感覚を乗せる。元ある絵にトレーシングペーパを掛けるような感覚だ。非魔術師のハワードには見えなくて、魔術師である自分には視えるものを上書きしていく。
 物理法則に縛られた世界ではなく、在るがままの世界を視る。
 視えたのは、青黒い線。誰か第三者の魔力だ。魔力はシンクの穴から出てきた。配管の奥に、何かがある。それがハワードを呪って殺したのだ。
 急に、視界がブレる。
……は?」
 ジャックされた、と死操術師は直観した。誰かが、形成界にいる自分に干渉している。目の前のハワードと別の視界が交互に明滅して、酔いそうになる。身体の感覚がない形成界で酔うってなんだよ、とツッコミながらデイヴィッドは自分に干渉してくる何かを追い払おうとした。
「ハハハ。強(つ)~よっ」
 若い男の声が響く。片方の視界が反転して、人影を映す。青黒い髪に、下品なまでに喜悦の表情を浮かべた男だ。デイヴィッドはすぐにこの男が相容れぬ存在だと判断した。男の指が何かの印章を描こうとするが、デイヴィッドから干渉を断ち切った。
 目の前に、魂だけのハワードがいる。時間がない。
「ハワード」
「あんた、誰だ。おれはどうして死んだんだ? なあ、あんたまだ生きているんだろう? 連れてってくれ。おれも帰りたい。やりたいことも会いたい人もいるんだ!」
 魂だけの男は叫ぶ。彼は既に身体を持つ感覚も忘れている。目鼻や、口と思しい穴から液体を盛らずが、生前のつたない模倣に過ぎない。形成界をあと数分も漂えば記憶の名前も、自分が人間であったことも忘れてしまうことを、デイヴィッドは経験から知っていた。
 今は生前の名前で呼ばれ、デイヴィッドの意思力で存在を固定化されているに過ぎない。デイヴィッドが接続を絶った瞬間に、ハワード・ショーメイカーは形成界を構成する一粒の魂になってしまう。
 そして、生者であるデイヴィッドはいつまでも形成界に留まってはいられない。留まればデイヴィッドも自我を保てなくなる。それに、一定時間が経過すれば投錨官であるレミエルが彼を連れ戻すことになっている。この接触は長くは続かない。
 だから、デイヴィッドは言わねばならない。
「ハワード・ショーメイカー。あなたは何者かによって呪殺された。それが誰かは分からない。何故なのかも分からない」
 ハワードだった魂は失望に目穴を剥く。人のものではない叫びを上げてデイヴィッドを罵倒する。
「それでも僕は犯人を捕まえる。あなたの魂に安らぎを、あなたの人生に心からの敬意を」
 接続が切れ始める。限界だとデイヴィッドは察した。
 ハワードにとって弔いの言葉など、どれだけの意味もない。生きられなかった悔しさと哀しみと怒りを絶叫しながら、その魂はハワード・ショーメイカーだった輪郭をぼやけさせ、溶けて、小さくなって。最後は一片の魂になって、形成界の一部となった。
 もう、ハワード・ショーメイカーの魂はどこにも見いだせなかった。
 感傷を抱く間もなく、デイヴィッドは首の後ろを引っ張られる感覚に身を任せて、物質界へと浮上した。


「誰だったんだよ、お前」
 物質界に帰還するなり、デイヴィッドは呟いた。
「大丈夫?」
 降霊が終わったデイヴィッドを床に座らせ、レミエルは検証が終わったと端末で警部に知らせていた。
「なんかいたわ」
「なんかって何よ」
「変な奴」
 要領を得ない会話を訝しむレミエルに構わず、デイヴィッドは立ち上がる。
 魂のみを異次元へ送るという、特別に難しい魔術を終えたあとなので、疲弊が凄まじい。今すぐに気を失いたいのを我慢して、デイヴィッドはぜいぜいと荒い息を吐きながら、シンクへ向かう。
「ちょ、デイヴ……
「あった。これだな」
 手袋を嵌めた両手でシンクの排水溝を暴く。すると、髪が絡まったゴミのような物体が出てきた。鼻を突く魔力の異臭に二人は耐える。
「呪物? 今シンクいじるまで何の魔力も感じなかったのに」
「ここを物理的にいじられると解除される仕組みだったってコトでしょ。うーわ、臭い」
 レミエルが差し出す証拠物品入れの瓶にデイヴィッドは慎重に呪物を入れる。しっかりと蓋を閉め、封印テープを貼った。
「さっさと持ち帰って検査したいわね。こんなの持っていつまでも歩きたくないわ」
「賛成」
 鼻が曲がる、と悪態を吐きながら二人は次の作業に移ろうとした。その時だった。
 レミエルの端末がけたたましく鳴る。相手を確認して電話を取り、スピーカーにする。
『デイヴィッド! デイヴィッドいるか!?』
 相手はダビド警部だ。ひどく狼狽している。
「警部、これレミエルの端末だよ。僕が出るわけないでしょ」
 相手がひどくうろたえていたら、合わせずにあえて調子を外す。いつも通りの生意気な口調で死操術師は飄々と答えた。
『トンチやってる場合じゃねえ! また遺体が出た!』
「はぁ!? どういうこと?」
『角地の家で惨殺遺体だ! すぐ来い! 一体何がどうなってやがんだ!』
「知らないよ! すぐ行くからすぐにその家出てよ!」
『当たり前だ! 何十年刑事(デカ)やってると思ってる!』
 そう言うと、乱暴に電話は切れた。
 検屍官たちはすみやかに故ショーメイカー宅を後にして、次なる事件現場へ向かう。
 角地の住宅は、ひどく汚れていた。ハワードの死が、まだ静謐で、尊厳があったと思えるほどの有様だった。寝室の壁や天井、床にこれでもかと血がぶちまけられている。マスク越しでも凄惨な血臭に、幻臭を錯覚した。
 ベッド上で殺害されている老婆一人分とは思えない量の血だ。
「何よ、これ」
「ったく。自己顕示欲も大概にしろ、って感じだね」
 寝室のベッドヘッド側の壁に、大きく血文字が書き殴られている。
 汝が我が愛しのヨカナランか? と。
「ヨカナランって……
「『旧約聖文』に出てくる聖者だね。一目惚れした王女サローメに首刎ねられたって話。つーか、久しぶりに出てきたな」
 チッとデイヴィッドは舌打ちする。不愉快さで端正な顔が歪み、凄惨な迫力を醸し出した。
「呪殺された遺体に形成界での干渉者、『首切りサローメ』。なんの偶然だか」
 呟きながらもデイヴィッドは予感する。死操術師の行く手に、何事もないことはない、ということを。


***


 アークスシティの一角で、携帯端末が鳴った。
 柘榴石色の瞳の青年が、電話を取る。
「あいあい。どうしたの、ゲイリー兄さん」
 電話を取ったのはガーネット・フェン・ワンドハンター。デイヴィッドの三歳年上の兄だ。十三兄妹の第七子で五男になる。
 電話の向こうの相手はゲイリー・フェン・ワンドハンター。デイヴィッドの七歳年上の兄だ。十三兄妹の長子で長男になる。
『冒険課課長に依頼をしようと思ってね』
 穏やかだが油断ならない声が端末の向こうからする。ガーネットは絳い目を細めて注意深く聞く。
「オレに? 冒険課ではなく、課長のオレに、かい?」
 契約は言葉の連なりだ。修飾語の入る位置、句読点の場所、似通った言葉の定義の違い等々を詰めておかねば、あとからとんでもない契約を交わしたと分かっても破棄できない。
 兄弟間であっても魔術師である以上、油断できない。むしろ、魔術師の兄弟間だからこそ油断してはいけない。
『そう。ガーネット・フェン・ワンドハンターに依頼するよ。「アークスシティの闇を冒険してほしい」』
 兄の言葉を吟味し、剣呑な表情でガーネットは依頼を受諾した。
「承りました。《裏ゾディアック社》冒険課課長、ガーネット・フェン・ワンドハンターがアークスシティの闇を冒険します」
 晩春の黄昏に、赤い雲が不気味に流れていった。

〈続〉