史加
2026-06-15 00:05:25
6950文字
Public 原神(ルカキリ)
 

嫉妬深いよりもたちが悪い

ルカキリ/嫉妬心でファルカを傷付けたくないフリンズと、そんなフリンズを純粋でかわいいと思っている狡猾な狼の話

※ワンドロお題「やきもち」お借りしました(+1h)



 くすんだ真鍮の台座にはめ込まれたブルートパーズが、フラッグシップのやわらかな照明を受けてにぶい光を放っている。ところどころに細かな擦過痕のついているそれは年代もので、璃月からスメール、フォンテーヌ、そしてナド・クライへと、人から人の手に渡り五十年以上の歴史を刻んできた一品だ。半月前に顔なじみの古物商が掘り出し物だと言ってみせてくれたそれを気に入り、わざわざ取り置きしておいてもらって、今日給金が入ったのでようやく手に入れることが出来た。普段ならそういった深い歴史を持つ宝石との出会いはフリンズを心躍らせるものだし、日中これを手にしたときにフリンズの心を満たしたのは確かな喜びだった。しかし夜を迎えた今、膨らんだはずの胸はまるでアサガオのようにしぼんでいる。
 はあ、とらしくもないため息をひとつ吐くと、憂い顔のフリンズを心配したのかデミアンが「先日店番を手伝っていただいたお礼です」と言ってスパークリングワインをフルートグラスに注ぎ、差し出してくれた。ありがたく受け取り、少し香りを楽しんでからひと口飲み込む。辛口のそれを飲んでもフリンズの気分が晴れる気配はない。理由はわかっていて、視線はまた手元のブローチへと落ちる。
「なあ、聞いてくれよ!」
 曇りの目立つ宝石の表面でも磨いてみたら少しは気が紛れるだろうかと思い、懐からシルクのハンカチーフを取り出したところで、若い男の声が聞こえた。最近フリンズがフラッグシップを訪れるときによく見かける男二人組だ。ボックス席で空のジョッキをいくつも並べ、周りを気にせず大声で話すものだから、いやでも話の内容が耳に届いてしまう。もっとも酔っ払いで賑わうフラッグシップではそんなもの日常茶飯事で、わざわざ気にする客もいないのだが、フリンズだけは別だった。
「今日も仕事でしぶしぶ接客をしなきゃいけなくて相手をしてただけなのに、彼女に「また女ばっかり相手にしてる!」ってねちねち言われてよぉ……オレはお前一筋だって言ってんのに全然信じてもらえなくてマジ疲れた」
「女の嫉妬は怖いって言うけど、お前の彼女さすがに重過ぎね? もういっそ別れたら?」
「はあ? 別れる訳ないだろ、確かにすげー嫉妬深いけどその分一途だし、顔かわいいし。……でもさすがにこうもしょっちゅう尻軽なんじゃないかって疑われると凹むし、まいるんだよなあ……オレってそんなに他の女にすぐなびきそうな最低な男の顔してるかあ……?」
「はははっ、お前は一途な良い男の顔してるって! だからこそそんな女……いや、あんまそういうのも悪いか。とにかく今日も飲もう! なっ!」
 付き合っている彼女が嫉妬深くて困っていると愚痴をこぼす男の肩を、友人であるもうひとりの男が叩いて追加の酒を注文する。彼らの話は毎回そんな内容で、第三者の立ち位置で聞いていると確かに交際し続けるほうがつらいのではないだろうかと、そう思うようなものだった。
 しかしフリンズには男の愚痴が、戒めのように聞こえていた。
……はあ。嫉妬、か」
 本日幾度目になるかわからないため息を吐き、酒場の喧騒に溶け消えるほど小さな声で呟いて、ブローチの表面を拭き始める。
 日中、フリンズはブローチを購入したあと、夜の約束の時間まで空いていたのでナシャタウンを見て回っていた。入ったばかりの給金はそれなりに使ってしまったので無駄な買い物は出来ないが、他の雑貨店や骨董屋を回り、新しく入荷した商品の中に目ぼしいものがないかをチェックして、取り置きを頼めるか交渉するというのも、収集を趣味とする者にとって有意義な時間の使い方だった。そうして時間を潰している最中、聞き覚えのある声を聞いた。
 ナシャタウンは入り組んだ街の構造をしていて、人目を避けられる路地がいくつも存在する。そこでは闇商人がこそこそと商品を運んでいたり、情報屋が盗み聞きをしていたり、男女が真っ昼間から逢瀬を繰り広げていたりと様々なのだが、フリンズの良く知る声はそんな路地のひとつから響いていた。思わずフリンズは気配を消して、中をそうっと覗き込むように様子を窺って、胸の奥がずきりと痛むのを感じた。
 そこには声の主であるファルカと、その背に庇われる女性、そしてファルカの前で委縮し膝をついて許しを請う商人らしき男の姿があった。話を聞く限りでは、どうやら商人の店に立ち寄った女性が商品の質の悪さを指摘し、それに憤った男が女性を無理矢理路地に連れ込んで手を上げようとしたのだという。女性の上げた悲鳴を聞き付けたファルカが駆け付け、男に制裁を加えたことで女性に怪我はなかったようだが、そうでなければ暴行事件となっていたところだった。
 モンドが誇る西風騎士団の大団長は男を叱り、次に同じような真似をすれば秘聞の館を通してヴォイニッチ商会に話を入れると脅しをかけた。男がこくこくと必死になって頷き去ったあと、気が抜けたのかへたりと座り込んでしまった女性に、ファルカは騎士らしく家まで送っていくことを提案した。だが、女性もナシャタウンで長く生活している人間だ。フリンズは彼女がいやらしい笑みを浮かべて、ファルカにしなだれかかるのを見た。おそらくファルカも女性のわざとらしい仕草で、彼女がそうやってわざと被害者となり、良心的な男が近寄ってくるのを狙うタイプの厄介な人間であると勘付いただろう。しかし彼は――女性の手を取り優しくエスコートして、彼女をどこかへと送っていった。
 そんな一部始終を目撃してしまったフリンズの心は、それからずっとどんよりと曇ったままだった。手元のブローチを拭き、宝石の表面の曇りを取り除いてみても、やっぱり気が紛れることはない。なぜあの女性にファルカは優しくしたのかと、率直に言えばファルカへの苛立ちを覚えている。
 だが、ファルカの行いが正しいものであることもフリンズは理解している。ファルカはただ弱者に手を差し延べ、演技かもしれないが暴行を加えられそうになって恐怖に震える女性に寄り添い、彼女の身の安全を優先しただけだ。騎士として誠実で正しく、彼の良心に基づく振る舞いをしただけに過ぎないのだとわかっているし、そんな彼の善性を素敵だとも、誇らしいものだとも思っている。だがそれはそれ、これはこれというように、フリンズはファルカが彼女に優しくしたことを――多忙の合間を縫って捻出した逢瀬の時間に己に触れる手で、あの薄汚い性根の女に触れたことを、面白く思っていなかった。
 ファルカにもきっと目論見はある。わかっている。だが、それでも面白くないものは面白くない。別にファルカのフリンズに対する想いを疑っているわけではないのだが、それでも気落ちしてしまう。素直にファルカに打ち明けてみればいいのかもしれないが、そこで脳裡を過ぎるのがあの男二人の会話だ。
 嫉妬深い、重たい恋人を相手にすると、どれほど相手のことが好きでも疲れてしまう。人間とはそういうものらしいという知見を得たフリンズは、この感情をファルカに知られるべきではないと判断した。
 ファルカも立場上多くの人の妬みを買った経験があるだろう。嫉妬心を向けられるのはあまり得意ではないかもしれないし、ファルカを疲れさせてしまうかもしれない。それはフリンズの本意ではないので、この胸を焼くつまらない炎のことは自分で処理すべきだ。ましてフリンズはランプのフェイで、蒼炎であるので、この程度の炎も上手く制御出来ないでどうするのか。旅人あたりが聞けば「それとこれも話が違うよ」と冷静に教えてくれたかもしれないが、あいにく救いの手は今この場にはなく、フリンズはままならない心をどうにか処理しようとして、上手くいかなくて、こうしてため息を吐くほかに出来ることがなかった。
 ともあれこれ以上はいけない。もうファルカとの約束の時間が迫っている。いつも通りの笑顔をつくろうとして顔を上げたところで、フラッグシップの扉が開き、馴染み深い風の流れる気配がした。
「悪い、フリンズ。遅くなっちまった」
「いえ、用事が早く片付いたので先に飲んでいただけで、時間通りですよ。お久しぶりです、ファルカさん」
「ああ、久しぶり。何飲んでるんだ?」
「スパークリングワインです。辛口で香りが良く、あなたも気に入る味だと思います」
「ほう、そいつはいいな。デミアン、同じものを一杯頼む!」
 フリンズの隣のチェアに腰掛けながらファルカが声を上げると、空のフルートグラスひとつとワインボトル一本がふたりの間に置かれる。どうせふたりで一本空けてしまうだろうと思われたらしい。
 フラッグシップは今日も大盛況で、次から次へと注文の声が飛び交い、ウェイターたちが忙しなく酒や料理を運んでいる。ならばあまりデミアンを呼びつけるのも迷惑かと思い、ファルカと顔を見合わせて。
……どうした? なんだか元気がないな」
 そう尋ねられて、フリンズは内心ぎくりとした。
 いつも通りの表情と声でファルカに応じたはずだし、今だって綺麗に笑えているはずなのに。表情筋の動かし方を間違えただろうかと思いながらフリンズはボトルを手に取り、ファルカのグラスに中身を注いでやる。
「そうでしょうか? むしろ今日は良いことがあったんです。半月前に取り置きをお願いしていた品を無事に買い取ることが出来まして、せっかくなので酒のつまみ代わりにあなたに話を聞いていただこうかと――
「フリンズ」
 しゅわしゅわと弾ける金色の液体がグラスを満たすのと、ファルカの手がフリンズの手首を掴むのはほぼ同時だった。
 橙色の光の中で、蒼いひとみが心配そうに細められる。
「何かあったのか? 人目が気になるなら、今日は部屋を取ってあるから奥に行こう」
 なぜ、こうも隠しごとが上手くいかないのか。
 フリンズはつい、嘆息してしまった。
 ファルカはときどき、心が読めているのではないかと思うほどの勘の鋭さを発揮する。それは宮廷で培った巧みな話術と紳士的な振る舞いで他者をそれとなく遠ざけ、探りを入れられても誤魔化すことに長けているフリンズでさえ舌を巻くほどの、おそろしいものだ。もっともフリンズがファルカに対して甘くなってしまっているというのもあるのだが、それにしたってまさか顔を合わせて数分と経たずに見抜かれることがあるだろうか。
 ……そんなに顔に出てしまっていただろうかと、なんだか情けない気持ちにもなって目を伏せる。それがファルカの目には憔悴しているように映ったのか、手首を握る手にわずかに力が込められた。
「俺が来たからもう大丈夫だ。とりあえず、部屋に行こう」
 まだ何も言っていないのに、フリンズを安心させようとそんなことを言ってくる。
 そのファルカの手の力強さと優しさに、白昼のことが脳裡を過ぎった。
 あの女性もこの手に触れたのか。
 そう思った瞬間、胸の奥で火花のように苛立ちがはじけて、ファルカの手を振りほどきそうになり――すんでのところで耐える。
 しかし動揺のすべてを隠し通すことは不可能だった。
……フリンズ?」
 拒絶に似た何かを向けられたことを、ファルカは肌で感じ取ったのだろう。驚いたように見開かれた蒼の目がフリンズを捉えたあと、凛々しい眉が下がり、少しだけ傷付いたような顔をする。その、ファルカの表情のほうがずっと胸に突き刺さって、フリンズは己のままならなさに狼狽えたくなった。
 思考回路がぐちゃぐちゃになって、理性が悲鳴を上げそうになる。だが自分はファルカを傷付けたい訳ではなく、胸に巣食った苛立ちを知られたくなかったのも彼に負担をかけたくなかったからだと思い出して、精一杯に頭を働かせる。
 このまま無理に誤魔化そうとするほうが、きっとファルカを傷付ける。だったら重たい恋人だと思われ、幻滅されるほうがマシなはずだ。
 息を一度ゆっくりと吸って吐き、フリンズはうつむいたまま唇を開いた。
……申し訳ありません、ファルカさん。僕は日中、ナシャタウンの路地であなたの姿を見かけました」
 懺悔をする罪人のような声が、酒と鉄のにおいの入り混じるフラッグシップの喧騒の中、ファルカの耳にだけ確かに届く。
「商人に危害を加えられそうになった女性をあなたが助けたところを見て……僕は、面白くないと、そう思ってしまったのです。あなたの行いがただしいものであることも、あなたがあなたの良心に従い行動したことも、すべて理解しています。理解しているのに、僕はあなたがあの女性に手を差し延べたことを……あの女性があなたの手に触れたことを、嫌だと思ってしまった」
「フリンズ……それは……
……嫉妬なんて、されても面倒なものでしょうに」
 不思議なもので、胸の奥に巣食いじりじりと燃え続けていた苛立ちは。言葉にして吐き出したことでなんだか落ち着いたようだった。
 代わりに込み上げてくる罪悪感はきちんと自力で飲み込み、二の轍を踏まぬよう省みるべきだろう。せっかくファルカを会う約束をしていたけれど、今日は解散して頭を冷やしたほうがいいかもしれない。そう思い、フリンズは席を立つ。
「本当にすみませんでした。この通り、あなたが心配するような何かが起こったわけではなく、僕の気持ちの問題ですので、どうかお気になさらないでください。今日は一緒にいても面白くない話をしてしまいそうですから僕は帰らせていただこうと、」
「嫌だ」
 まくし立てる途中でファルカがきっぱりと言い、フリンズの手首を握る手に力を込めてくる。
「俺の行動でお前が不快な思いをしたのは事実なんだろう? だったら俺はきちんとお前の気持ちを知りたいし、お前に一番優しくしてやりたい。お前が傷付いてるっていうのに、ひとりになんてしてやれるか」
……ファルカさん」
 真っ直ぐ見上げてくる双眸を前に、その愛を疑うことなんで出来るはずもないのに、意味のない苛立ちを募らせてしまったのはフリンズだ。
 だから自分が悪いのだと、そう伝えたくてもそれをゆるさぬほどの熱情が、蒼いまなざしに込められていた。
「俺のやったことは正しいことで、俺の良心に従った行為だと信じてくれたんだろう。その上で、それでもお前が嫌だと感じたのなら、それは俺が至らないせいだ。それにな、確かに嫉妬深い恋人のことを面倒だという男もいるが、やきもちを焼いてもらえるほうが嬉しい男だっているんだぞ」
……やきもち? そんなかわいらしい言葉で表現出来るようなものではないと思うのですが……
「いいや、かわいいもんだよ。お前が怒るのだって当然だ。だから帰るなんて言わないで、俺にお前の機嫌を取るチャンスをくれないか」
「ですが……
「ずっとお前に会えるのを楽しみにしていたんだ。だが、正直昼間のことは予想外で、俺も良かれと思って助けに入ってから嵌められたんだと気付いた……って言っても、結局お前に対しては言い訳にしかならんだろ。だからきちんと話をして、お前の望みを聞いて、お前を安心させてやりたい」
 たじろぐフリンズの様子と、ファルカの良く通る声に周囲の視線が集まるのを感じる。これ以上他者に注目されるのは居た堪れないし、なにより困ったことに、現金なことに、フリンズはファルカがそうやって真摯に愛を捧げてこようとする姿を前に、この上ないよろこびと幸福感を覚えてしまってしかたない。
 ……悪い遊びを覚えてしまいそうで良くないなと、フリンズは胸の中で嘆息した。さすがにはしたないし、あの女性と同格の生きものになるのは御免なのでそんな真似はしないが、これほどまでに恋人から誠実な言葉の数々を投げかけられてうれしく思わない者もいないだろう。
 浮かせた腰をチェアに下ろして、フリンズは己の手首を掴むファルカの手に、空いている自らの手を重ねる。
……わかりました。わかりましたから、子犬のような声を出さないでください。……それと、狼さんの牙を隠しきれていませんよ」
……バレたか」
「ええ。……あなたが僕の隠し事に気付くように、僕だってあなたの異変には気付きます。よくよく考えればやきもちなど焼かずとも、疑うまでもないことなのですよね……
 ぽつりと呟くと、ファルカはうれしそうに笑ってフリンズの手を握り返した。
 ――熱烈な言葉のひとつひとつに嘘はないが、思い返せば気付けることはいくつもある。
 たとえば、愚痴をこぼし合う男ふたりのいる席まで聞こえるくらい通るファルカの声。月に数度とはいえ、定期的にナシャタウンを訪れるフリンズ。馴染みの相手ではないとはいえナシャタウンで品を扱う商人と、被害者のふりをして善良な――たとえば誠実が服を着て歩いているライトキーパーのような人間を誘い込もうとする女。
 鋭く研いだ牙でいくつもの可能性を見越して周囲を牽制する狼に比べれば、フリンズが抱いた苛立ちはたしかに「やきもち」という言葉で括れるかわいらしいものなのかもしれなかった。