いつの日か、隣を……

フォルトゥナの街に佇むドレスショップ。
ショーウィンドウに飾られているブライダルシューズに、キリエは思わず目を奪われ――

ネロがキリエにブライダルシューズを贈るお話。

 ある日の午後。
 買い出し帰りに街を歩いているとき、ふとキリエがショーウィンドウの前で足を止めた。
 フォルトゥナの街に佇むドレスショップ。ウェディングドレスを着たマネキンの足元には、白いブライダルシューズが飾られていた。
 なめらかなサテン生地に包まれたシンプルなデザイン。低めのヒールで、つま先にはゴールドのリボンの飾りと小さなパールが輝いていた。
「綺麗……
 その控えめな華やかさに、キリエは思わず目を奪われる。
 少し先を歩いていたネロは、彼女がついてきていないことに気がつくと足を止めた。
「キリエ?」
 振り返ると、彼女はショーウィンドウの前に立っている。
 ネロは来た道を数歩戻り、その隣に並んだ。
「欲しいのか?」
 突然声をかけられ、驚いたキリエは思わず肩を跳ねさせた。
 そして、慌てた様子で首を横に振る。
「ううん! 違うの! その……素敵だなって、思っただけで……
 そうは言いつつ、ショーウィンドウから離れるのが名残惜しそうに、キリエは少し視線を落とす。
 その横顔を見つめながら、ネロは口を開いた。
「試着だけでもしてみるか? その靴、気になるんだろ?」
 ネロの問いに、キリエは思わず笑みをこぼしながら顔を上げる。だが、チラッと値札が見えた瞬間、すぐに首を横にぶんぶんと振った。
「大丈夫! 本当に、素敵だなって思って見ていただけなの! それに、子どもたちがお腹を空かして待っているだろうから、早く帰ってお昼ご飯の用意をしないと……!」
 そう言って、キリエはショーウィンドウに勢いよく背を向けると帰路を足早に歩き始めた。
 だが、数歩足を進めたところで立ち止まり、顔だけそっと振り向く。
 視線の先はショーウィンドウ——ブライダルシューズ。
 その前に立ち尽くしているネロと目が合った瞬間、キリエはハッと我に返り慌てて顔を背ける。
 そして、ほんの少し肩を落としながら、トボトボと帰路を歩き始めた。
 その寂しそうな背中を眺め、ネロは再びショーウィンドウに視線を向ける。
 ウェディングドレス。そして、その足元に飾られたブライダルシューズ。
 しばらく無言でそれらを見つめたあと、ネロはゆっくりと踵を返した。

***

 それから数週間が過ぎたある日のこと。
 キリエが温かいハーブティーを飲みながら、寝る前のひと時を過ごしているときだった。
「キリエ、ちょっといいか?」
 子どもたちを寝かしつけたネロが、リビングへやってくる。
 扉を静かに閉め、どこかそわそわとした様子で、ソファに腰を下ろしているキリエの正面に立った。
「? どうしたの?」
 キリエはマグカップをテーブルに置くと、ネロをそっと見上げた。
……これ」
 頬をほんのり染めながら、ネロは背中に隠し持っていた箱を差し出す。
 光沢のある白い化粧箱。キリエは不思議そうに首を傾げながら、それを両手で受け取った。
……開けてみて」
 優しく囁くように声をかけるネロ。
 キリエは静かに頷くと、箱をそっと開いた。
 中に掛けられていた薄葉紙をめくると——
「! これ……
 思わず息を呑む。
 中に入っていたのは、ショーウィンドウで見つめていたブライダルシューズだった。
 驚きのあまりキリエは言葉が出ず、目をまるくしてネロをじっと見つめた。
 彼女の様子を微笑ましく思い、ネロは小さく息を吐く。
「それ、気に入ってただろ?」
「ネロ……覚えててくれたの?」
「ああ。……届くまで、時間がかかったけどな」
 そう言って、ネロは少し照れくさそうに頭をかいた。
……でも、本当にいいの? こんなに高いもの……
 嬉しいけど、少しだけ申し訳なさも募る。
 キリエはブライダルシューズに視線を落としながら、そっと俯いた。
 そんな彼女に、ネロはその場に片膝をついて座ると優しく微笑みかける。
「気にするな。俺がキリエに似合いそうだなって思って、プレゼントしたかったんだ」
……もしかして、ここ最近、仕事ばかり入れていたのはこれのため……?」
 ふと、最近のネロのことを思い出すキリエ。
 彼女の言葉に、ネロは少し気まずそうに視線をそらした。
「ははっ……まあな」
 照れくさそうに笑うネロを見つめながら、キリエは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
 自分が何気なく見つめていただけのものを、ネロは覚えていてくれた。
 それだけではない。そのために仕事まで頑張ってくれていたのだ。
「ありがとう、ネロ……
 一筋の涙がそっと頬を伝う。
 胸がいっぱいになるのを感じながら、キリエは箱の中のブライダルシューズへそっと視線を落とした。
……履いてみてもいい?」
「ああ」
 ネロが指先で彼女の涙をそっと拭う。二人は見つめ合うと、互いに微笑んだ。
「本当に素敵……
 そう呟いたあと、キリエは足元のルームシューズをその場で脱いだ。そして、箱の中からブライダルシューズを取り出し、履いてみようと身を屈めた、そのときだった。
 ネロが突然、キリエの手からブライダルシューズを自らの手にそっと取る。
「え……
 驚くキリエをよそに、ネロは片膝をついたまま彼女の足元へ手を伸ばす。
 次の瞬間、キリエの足は純白のブライダルシューズに包まれていた。
「綺麗だよ、キリエ……
 キリエの足もとに視線を落としながら、ネロはそう囁く。
 そして、彼女の手を取ると、優しく引き上げるように一緒に立ち上がった。
 キリエはネロに手をひかれるまま、その場からゆっくりと歩き出す。
 サイズはぴったり。履き心地もよく、驚くほどに足に馴染んだ。
「どうだ?」
「うん……すごく歩きやすいわ」
 嬉しそうに微笑むキリエ。その様子を見て、ネロは安心したように息を吐いた。
「でも……これ、特別な靴よね……? こんなに高価で素敵なもの、なんだかもったいなくて……
 そう言って、足元へ視線を落とすキリエ。
 少しの沈黙のあと、ネロは彼女の手をぎゅっと優しく握った。
「その靴……
「?」
「いつか……俺の隣を歩くときに、履いてほしい」
「え……
 その言葉に、キリエは思わず目を見開く。
 握られた手から、わずかな熱が伝わってくる。
 ブライダルシューズ――それが何を意味するのか、二人は知っている。
 言葉にしなくても、わかっている――

「うん……
 頬が熱くなるのを感じながら、キリエは静かに頷く。
 ネロは繋いだ手を引き寄せるようにして、そっと彼女を抱きしめた。
 包み込むような温もりに、キリエもそっと身を寄せる。
 いつの日か本当にその靴を履いて、大切な人の隣を歩く未来を思い描きながら――