尋木
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トラガスとプロジェクター

ささろ会社員パロディ 短編
会議前のひと悶着

伊折くん…簓の後輩

「簓さんってピアス空けてますよね」

 見積書の作成でモニターを睨んでいると、隣席の伊折に声をかけられた。いつの間にか距離を詰められており、耳元を観察されていたのに気づく。

「おー、空けとるよ」
「ずっと前から気付いてはいたんですけど、やっぱりかっこいいなって思って。その位置にあけてる人って珍しくないですか?」

 耳の穴のすぐ手前にある、小さな三角形の軟骨部分。トラガスと呼ばれるその位置に、簓はピアスホールを空けていた。仕事中なのでアクセサリー自体は着けていないが、耳には小さな窪みがあり、よく見ると穴が開いていることが分かる。

「ピアスあけてる人は大体耳たぶのとこやもんな。興味あるん?」
「簓さんと同じようにあけたら、俺ももっと成績取れたりしないかなって」
「成績?」
「ほら、あれですよ。願掛け的な」

 伊折の視線を追ってパソコンを見ると、営業部の訪問先リストと下期の目標設定についての画面が並んでいた。まだ出していなかったらしい。

「ピアスごときで成績なんか変わらへんよ」
「そう思います?」
「そんなんで成績取れるんやったら、営業部みんなあけとるわ」
「でも、同期で一番取りたいんですもん……簓さんみたいに」
「向上心があるのはええことやけどなぁ」

 目指すべき目標があるのは良いことだ。けれど、それを達成するのに神頼みというのはどうだろう。

「それにな、ここに穴あけんの結構痛いで」
「そうなんですか?」
「やってここ、軟骨やで。骨に穴あけて安定するまで、かなりかかったわ」

 骨に、穴をあける。
 伊折は血みどろの光景を想像して、「ヒィ」と背筋を震わせた。

「途中で膿んだりして腫れるし、ファーストピアスは入れっぱなしやないとあかんし、どちらにせよオススメはできひんなぁ」
「そもそも俺ら、仕事中はつけられませんもんね」
「そうそう、無理して開けんでええよ」
「分かりました、諦めます!」

 伊折は椅子にもたれ、大きく背伸びをした。気持ちいいくらいに諦めが早い。ただ単に、仕事の息抜きに雑談したかっただけかもしれない。

「ってかそれ、今日中に提出せなあかんよ。締切定時までやったやろ」

 ディスプレイを指さしながら言う。

「はい……。でも神頼みがダメになったので、目標はあんまり強気にいかないことにします」

 伊折は下期の目標数値を打ち込んだ。強気にいかないとしても、これは少し低すぎやしないか。

「ええんか、それで」
「だって……
「同期で一番になりたいんやろ?」
「う……

 これでは同期で一番どころか真ん中の順位に食い込めるかどうか。
 簓はデスクに置いていたメロンソーダを手に取り、残っていた液体を一気に飲み干した。

「神頼みより、隣におるナンバーワン営業マンの簓さんに頼ったらええやん。営業先への同行とか、提案資料の見直しとか、なんでも付き合うで」
「えっ、本当ですか⁉︎ でも簓さん、色々立て込んでて忙しいんじゃ……
「後輩教育も仕事のうちやって」
「さ、簓さぁん……
「さて、息抜きに自販機行ってくるわ。なんかいるか?」
「あっ、俺も行きます! ついでに、歩きながら相談してもいいですか」
「ええよ〜」

 *

――ってことがあったんやけど」

 簓と盧笙、ふたりきりの会議室にて。
 カゴに入ったケーブルをあれこれ確認しながら、簓は午前中の伊折との出来事を話していた。

「盧笙はどう思う?」
「なにが」
「ピアス。そういや盧笙はこれのこと、どう思ってるんかなーって気になってん」

 簓が耳の辺りを指差した。けれど盧笙は目の前のプロジェクターに夢中で、簓の方を全く見ていない。

「空いてるとかっこええなーとか思う?」
「別に」
「そっけない返答〜! あ、まだ画面直ってへんよ」
「やっぱあかんか……あーもう、お手上げやわ」

 盧笙は持っていた説明書を机に放り出し、椅子に項垂れてため息を吐いた。

「あかんな。完全に寿命や」
「盧笙でも直せへんかったら、誰がやってもダメやろなー」

 あと一時間後にここで行われる経営報告会議。取締役や役員が何名かやってくる予定なので、オオサカ支店はほんの少しの緊張感が漂っていた。
 そして簓が会議室の準備をしていたところ、最悪なことに、プロジェクターの調子が悪いことに気付いてしまった。何度再起動させても、コードを変えても、表示される映像におかしなノイズが入ってしまうのだ。

「新しいプロジェクター、まだ来てないんやもんなぁ」
「ちょうど頼んだとこやから、届くのは明日か明後日やな。稟議下りるん遅かったんや」
「あ〜、まじかぁ」

 先月あたりから、電源がついたりつかなかったり、投影された映像にノイズが入ったり入らなかったり。買い替えのために動いてはいたものの、大事な日に限って新しいものは届かず、せめて今日だけでも機嫌を直して欲しいところだ。

「こういうのって叩いたら直ったりするんちゃう?」

 簓が言う。

「んな壊れたブラウン管テレビみたいな……そもそもそれ、昭和の考えちゃうん」
「先人の知恵っていうか、まあ、試すだけ試そうや」

 簓は右手で手刀をつくり、プロジェクターめがけて振り下ろした。

「えいっ」

 プラスチックの側面がガッと音を立てただけで、結果何も変わらず。

「あかんか〜」
「あかんな。そんなんで直ったら苦労せんわ」

 むしろ、さらに悪くなる気すらする。

「どうしよ、もうすぐ人が集まってまう」
「もう一回電源落として、別なケーブルでやってみるか」
「もう何回も試したのに? んもー、勘弁してやぁ〜今日の会議が終わったら壊れてええから〜!」

 簓が縋り付くようにしてプロジェクターに語りかける。その行動は全くもって意味がない。

……簓が叩いてもあかんなら、励ましてみるか」
「何を?」
「プロジェクターを」
「は?」

 突拍子もない盧笙の提案に、簓は言葉を失った。盧笙はプロジェクターの前に屈み、手のひらで優しく撫でながら、いたって真剣な表情で言葉をかけ始める。

「お前はほんまに、いつもようやってくれとる。何年も俺らのために動いてくれてありがとうな」
「ぶふっ……!」

 しみじみと感謝を述べ始めた盧笙を見て、簓は吹き出しそうになる口元を塞いだ。というか、すでに吹き出してしまった。

「今日だけでええから、もうちょっとだけ頑張ってくれへんか……?会議が終わるまでの二時間だけでええんや。終わったらもう休んでええから、な?」

 し────ん……
 プロジェクターは静かなファン音を鳴らしたまま、ノイズの入った画面をひたすらに投映している。当たり前だ。
 その様子を見ながら、簓の心には共感性羞恥心的なものがそわりそわりと迫り上がってきた。モノに対して話しかけるなんて、自分も冗談でやっていたことであっても、真剣に思いを込めて語りかけているのを見るとこっちが居た堪れなくなってくる。声をかければ機械が言うことを聞くなんて、んなアホな。

「やっぱ動くわけないか……
「そらそうやって。もう諦めるしかないって」
「せやったら──」

 盧笙は立ち上がると、プロジェクターを手のひらで勢いよく叩いた。パシン!と、簓が叩いたよりもなかなかの強さだ。

「お前はここで終わるようなヤツやない!最後まで気張り!」

 先ほどプロジェクターに語りかけていた様子とはまた違い、今度は喝を入れ始めた。

「プロジェクター、お前の根性見せてみぃ!」
「いやいや暴力はあかんて」
「暴力やない、背中叩いてるだけや!」
「背中って!(笑)」

 笑いを堪えきれない簓がプロジェクターと盧笙の間に入ろうとした時、プロジェクターのファン音がヴンッと強く呻り、投影される映像からノイズが綺麗さっぱり消え、鮮明に切り替わった。

「あ、直った」
「えええええ!!うっそお!」
「ほら、言うたやろ!励ましたらええって」
「励ますっちゅうか、最終的には盧笙も叩いてたやん」
「思いが通じたんやって」
「んなアホな!」

 驚いているのか笑っているのか分からない簓をよそに、ふん、と得意げにしている盧笙がかわいい。
 言葉で機械が直ったのではなく、あくまで強めの衝撃を与えたことによる偶然でしかないが、とりあえず会議に間に合って良かった。簓は胸を撫で下ろす、が、ちょっと待てよ。
 お騒がせのヨボヨボプロジェクターのくせに、盧笙に優しい言葉をかけてもらえたり、背中(プロジェクターの背面)を叩いて気合いを入れてもらったりして、ずるくないか?

「さて、無事に会議の準備も終わったし、俺は経理に戻るで」
「ちょっとまって」

 簓が盧笙のカーディガンの裾を掴む。

「なに?」
「俺にも喝入れてや」
「え、嫌や」
「即答傷つく〜!俺、これからなかなかしんどい会議仕切らなあかんねん!せやから俺にも気合い入れて欲しい」
「お前にとってはそんなん慣れっこやろ。どうせ緊張もしいひんくせに」
「なんでやなんでや!プロジェクターには優しいして、なんで恋人の俺には塩対応なん?」
「わっ、伸びる伸びる!」
「おーねーがーいー!」

 簓は掴んだままのカーディガンを、ぐいっと自身の方に引き寄せ駄々をこねた。
 けれど、いくら会議室に二人きりとはいえ、廊下の向こうは人の往来があるのだから「恋人」であるのもほどほどにしなければならない。

「分かった分かった、分かったから静かにせえ」
「やった〜」

 呆れつつ、盧笙は簓に向かい合う。
 頑張れよ、という気持ちはずっと思っていることではある。簓が言っていた会議を仕切る役は自分には出来ないことだし、やりたいとも思わない。上がってしまったり、うまく進行出来ずに「ダメなやつ」と思われたくないからだ。
 面と向かって取締役達と話すだけでなく、会議室には何十人と集まり、さらにオンラインで繋がれた画面の向こうには、何百人という従業員にも見られている。そういう状況の中でも堂々と発言し、会議をうまく取りまとめ進行することは容易ではないのだ。
 そんなふうに考えると、人前に立つのが簓の得意なこととはいえ、尊敬の念を抱かずにはいられない。なにか力になれたら、とも思う。

「よっしゃ、ほんなら目ぇ瞑っとき」
「えっ、目?」
「気合い入れて欲しいんやろ? 全力でやったる」
「えっえっ」
「思いっきりいくからな。ほれ、はよ口閉じ」
「──ッ!」

 思いっきり振りかぶってみせると、背中を強く叩かれると予感した簓はぎゅうと目を瞑った。肩をすくませ、覚悟を決めて全身に力をいれる。
 しかし、盧笙は上に振り上げていた手をそっと下ろした。代わりに、簓の耳元に唇を近づける。

「頑張れよ」

 そう呟いて、トラガスの小さな窪みのあたりにキスを落とした。ちゅっと小さな音を立てて離れると、目をかっ開いた簓と目が合う。

「んなっ、な!」

 簓はわなわなと震え、耳元を押さえて後ずさる。

「なんやその高等テクニックは!どこで覚えてきたん!?」
「やる気出たか?」
「めっちゃ出た!!!!!」
「うるさいって」

 思い切り叫んだところで会議室の扉が開かれ、他部署の何名かが書類を置きに来た。恋人の時間は終わりだ。

「さて、俺は事務室戻るからな」
「おー……

 簓は真っ赤な顔をして、上がった体温をなかなか戻せずにいる。本当であればさっきの戯れのお返しに、思いっきり濃厚なキスをしてやりたい。
 社内で簓が盧笙を振り回すようなことがあっても、盧笙が簓に仕掛けることは滅多にないから、さっきの不意打ちはかなり、キた。

「せや、さっきの話やけど」

 廊下に出た盧笙が振り返る。

「休みの日はつけてて会社ではつけてへんの、オンオフがはっきりしとる感じがして、俺はええと思うで」

 自分の耳元を人差し指でトントンと示しながら言ったから、ピアスのことだとすぐに分かった。

「なんちゅうか、休みの時のお前は俺のもんやって、見た目で分かるっちゅうか……
「へ」
「いや、やっぱなんでもない。すまん、調子乗った」
「えっえっ」
「じゃ、頑張れよ」

 余計なことまで口にしてしまったと言いたげに、盧笙は恥ずかしそうに視線を逸らして行ってしまった。
 さっきの不意打ちのキスと言い、今のデレといい、今日の盧笙はサービスが過ぎる。早足で立ち去る盧笙を追いかけたかったが、背後から課長に呼び止められたせいでそれは叶わなかった。
 今日はなんとしてでも定時で上がって、盧笙にさっきの発言について詳しく問い詰めようと思う。