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個人サークル〈名医と名探偵〉
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馬子軸アンソロジー「背骨シリーズ」
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馬子の背骨を壊すものには
この世に神がいるのなら、私は地獄に落ちるだろう。
いないのならば、ただ――
【概要】
11月 文学フリマ東京43にて頒布予定のアンソロジー「馬子の背骨を壊すものには」のタイトル短編です。
先行して公開します。※一部内容が変更となる可能性があります。
ゲスト:さけはしろみ、笋、Littorio、山城まつり (敬称略)
ゲストからの短編各1本ずつ、主催はタイトル短編を含む3本を収録予定
目を瞬かせる。黒い封筒の中身、そこにあった地図が示した場所はウォータールー駅。より正確に言うならば、駅の付近にある黒い電話ボックスだ。
ドラマや映画で見るようなロンドンの街並みにある、赤い電話ボックスではなく
――
黒。直立した棺のようなそれに、浮城佐奈芽は恐る恐る近づく。時刻は丁度午後六時を過ぎて、日も落ち
――
周囲の明かりが煌々と輝き、その中でも沈黙を貫く公衆電話に
――
「!」
突如箱の中の電話が鳴る。合図があったら電話に出る、というのはこれのことか。彼女は意を決して電話ボックスへ入り、洒落たデザインの受話器を耳へ当てた。
「もしもし
……
」
「ハロー、ドクター。話すのはこれが初めてだな」
柔らかな男の声だった。はっきりした英語。クイーンズ・イングリッシュ。階級が高く、言葉の背後に豊かな知性がある。佐奈芽はそう思った。
「初めまして」言葉に僅かな棘が滲む。「あなたが
……
〈M〉ね」
「そうだね。一応、そういうことになっている。ところで、マティーニはお好きかな?」
「どういう意味かしら」
「何、堅苦しい質問じゃない。これから君に会ってもらう相手の話だ。ただ残念なことに、彼女は今
……
アルコールどころか、ろくに食事も取れない状態なんだがね」
佐奈芽は最悪の想定をする。相手は世界の裏側で暗躍する犯罪者たち。もしやその人物は彼らに捕まり、拷問でもされた人物か。すると電話越しの男は「ああいや、そうではない」と穏やかに否定した。思考を読まれた? 気味悪さに思わず顔を顰める。
「君の脚本を書いた人物だ」
「脚本
……
? ああ、私が盛大に失敗した」
「おや。横やりを入れてきたあの女さえいなければ
――
いや、止そう
……
そもそも君たちは愛憎入り混じり、己の心にさえ仮面をつけている。そんな状態で完全犯罪を遂行できたとは思い難い」
「どうして知ってるの」佐奈芽は思わず反射的に叫んでいた。「私は
……
あなたを知らない。今、初めて喋ってるはずでしょ」
「チェス盤の上に乗った駒がどこに置かれているか、プレイヤーは常に把握しているだろう?」
男は笑う。
「それが〈学芸員〉であっても、変わらないさ。どの職分であってもね」
電話ボックスの中に、黒いカーテンが降りる。地面から腰ほどの高さまで柵が伸びてきて、佐奈芽の方へ掴まれるように手すりが現れる。
「さあ、受話器を置いてくれ。君には、君にしかできない仕事がある」
言われるがままに受話器を置く。完全に受話器が引っ掛かり、佐奈芽の指が離れたのが合図だった。地面がゆっくりと下へ降りていく。視界は暗く、すぐさま闇に覆われる。遠くでぼんやりと光っているのは、今にも消えそうな蝋燭の火に似ていた。
「知りたい?」
掠れ声。声を出すのが億劫でそうなってしまったというよりも、死を座して待っている病人のような声だ。そう思いながら、声の方へ視線を向ける。
久々に袖を通したスーツ。紺色のスラックスと、アイボリーのパンプス。どこにでもいそうな会社員風の姿だが、彼女は麻酔科医だ。
「もちろん」
佐奈芽は暗い部屋の奥へそう言った。ヒールが鳴る。アヴェ・マリアのレコードが、ごく僅かな音量で流されていることに気づく。そして同時に、手術室で毎日耳にした規則正しい音にも。
古びたバイタルモニターが示す心電図は、実に頼りない。脈拍は遅く、呼吸数も少ない。幸い酸素飽和度は問題ないようだ。
眼前の病人は、どこか複雑な色合いをした瞳を佐奈芽へ向ける。照明が極限まで落とされ、ほとんど常夜灯のような明るさだからか? いや、違うだろう。眼前の馬子の瞳は、蝋燭の炎のように妖しくゆらめいている。文字通りに、虹彩に宿る光が時折ゆらめいていた。
「完全犯罪に失敗したら、死ぬって聞いていたわ」
「あんたには死なない脚本を渡したからね」病人は壁際のスイッチを指差す。「見えないでしょ。点けていいよ」
「お気遣いどうも」
佐奈芽は壁のスイッチを押す。遠慮がちな音と同時に、ゆっくりと部屋が明るくなる。温かみのあるシーリングライトが、狭い部屋を隅々まで照らした。
窓際に置かれたチェストの上に、少々古臭いレコード機とタイプライターがある。その手前にはリクライニングがきく入院患者用のベッドが置かれ、そこに細身の馬子が横たわっていた。顔はやつれ、目の下にはくまがはっきり刻まれている。腕から繋がる点滴を見れば、彼女が何と格闘していたのか、佐奈芽はすぐに認識できた。
「はじめまして、ドクター・浮城」
馬子はゆっくり身体を起こす。深く息を吐いて、吸う。佐奈芽は目の前の存在、その底知れない雰囲気に生唾を飲み込む。
「私はエルデー。エルデー・トゥモロー」そして黒い紙片を投げ飛ばす。「職分は〈脚本家〉」
「あなたが
……
私の脚本を?」
「そ。でもあんたは麻酔科医でしょ。それに今回、あんたは失敗してない。私の書く脚本は基本失敗しないからね」
エルデーは不敵に微笑む。佐奈芽は一歩エルデーの方へ近づき、「どういう意味?」思わずそう言っていた。
「どういう意味もないよ。私の書く脚本は、あんたの大切なものと引き換えに、願いを叶えるからね」
佐奈芽は目を見開く。教授の椅子。そして、あの人の
――
いや、止そう。首を横に振る。
「ああ。思い当たる節、あるんだ」エルデーはベッドに身体を預ける。「そうだろうね。そうじゃなかったら私はこの件を引き受けてない」
「どうして私を呼んだの?」
「わからない? あんた医者でしょ」
エルデーは点滴パックを指差した。
「これ。なんとかしてよ。できるでしょ」
「高くつくわよ」佐奈芽は少しだけエルデーを睨む。「私に専属ドクターをやらせようなんて」
「はは」
エルデーは掠れ声で微笑う。あからさまに佐奈芽を憐れんだような笑みに、佐奈芽は眉間の皺を深くした。
「もうあんたに価値ある肩書なんかないのに?」
佐奈芽は答えない。ただ重苦しい沈黙に、唇を結んでいる。
「怖い顔。冗談だよ」
エルデーは目を閉じる。指先が白んで、徐々に表情が苦しげなそれに変わっていく。佐奈芽はすぐに鞄を置き、ジャケットを脱いで、エルデーの側に置かれた薬剤カートを確認する。どういうルートで手に入れたのか分からない、医療用麻薬の類がいろいろ適当に置かれ、杜撰な管理がはっきりと見て取れた。
佐奈芽は考える。もし彼女のことをもっと早く知っていたら、救えただろうか。答えは決まっている。NOだ。エルデーはきっと救いの手を突っぱねるだろう。
この子は私に似ている。取れたはずの手を振り払い、ひとりで歩いていくのだ。死へ向かう一方通行の道のりを、決して戻らぬ向こう側まで。
無駄な感傷に浸っていることに気付き、佐奈芽は首を横に振る。まず必要なのは疼痛の管理と、この杜撰極まる処方をどうにかすることだ。腐っても麻酔科医としての己を奮い立たせ、佐奈芽はエルデーに向き直る。
「聞きたいことがあるわ」
「手短に」エルデーは額に汗を滲ませながら言った。「何?」
「あなたの主訴は?」
「は?」エルデーは困惑に目を見開く。「
……
お腹は、痛いけど
……
、主訴って
……
、」
「とにかく痛みをまず取りたいの? それとも
――
他に優先したいことがある?」
エルデーは唇を歪める。
「あんたやっぱ、あたしらなんかに関わるべきじゃなかったよ」
「いいから答える。自分で手短にって言ったんでしょ」
「
……
、強情だな
……
」エルデーは掛布団を握りこむ。そして徐々に増す痛みに耐えながら、「麻薬で意識飛んでもいい。
……
とりあえず、この痛みをどうにかして」
モルヒネを投与して一時間ほど経っただろうか。エルデーはうつらうつらしながら、夢と現実の境界面を彷徨っている。佐奈芽は針を再びレコードの円盤に乗せ、アヴェ・マリアをもう一度流す。
私たちは朝まで眠る。たとえ人々がどれほど残酷であろうとも。
神にその祈りが届くまで祈る。悲嘆にくれる子の言葉を聞けと言う。
『この世に神などいない』
ある者はそう吐き捨てた。
『神と崇められる何かはいても、そいつらは決して僕らを救いなどしない。ただぼんやり、痴呆老人のように僕らを眺めるだけだ』
エルデーは神を信じているのだろうか。そう思い、眠っているだろう彼女を見遣る。射貫くような鋭い視線が、佐奈芽の方をじっと見つめている。
「いいね、さすがはプロだ」
エルデーはそう言って右手を開いては握る。身体を這いまわるのは
――
何だ? 赤黒い茨が、タトゥーだと思われたそれは、せせら笑うように蠢く。
「これならまだいけそう」
「待って」佐奈芽はベッドから降りようとするエルデーを呼び止める。「何をする気?」
「何って。面白い事聞くんだね、佐奈芽」
エルデーは手品師のように良く動く指先で、文庫本ほどの大きさのノートを取り出す。
「次の脚本を書くんだよ」
視線は壁へ向いている。かの有名なフレスコ画、その図柄のポストカードが雑に画鋲で留められていた。この中に裏切り者がいる
――
弟子たちを前にそう言った、その場面を切り取った絵に。
エルデーは椅子に引っかけてあったロングカーディガンへ袖を通す。幸い点滴を引き抜くような乱暴はしていないようだったが、佐奈芽は胸の奥で燻る嫌な予感にエルデーを凝視した。
「ああそうだ。佐奈芽」
エルデーはドアノブに手を置いたまま、振り返らずに彼女を呼ぶ。
「マティーニは好き?」
「洋酒はあまり飲まないから、わからない」
「そっか。じゃあ
――
あとでいいパブ紹介してあげるよ」
諸注意
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本作品はフィクションです。実在の団体・名称とは一切関係ありません。
一部猟奇的な表現や犯罪に関する表現がありますが、これを助長する意図は持ちません。
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本作は医療従事者ではない人間が書いた、不十分な知見の医療描写を含みます。
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