kr0mm333
2026-06-12 23:19:08
3376文字
Public バチ
 

雨の中の憂鬱

以前あげた気もするんですが、記憶がないので上げることにしました。
現パロで宗とイマジナリー漣ママの話。
ママさんが病んでます。
タイトルはとある文豪の短編から。

 学校から帰宅して母の部屋に向かう。
 習慣であり惰性。母も自分も顔を合わせたいなどと思っていないが、家政婦に言われたからその通りにしているだけ。
 母は精神的な不調からずっと体調も崩していて家事など到底できず自室に篭りっきり。父とは寝室も生活空間も何もかもが違い、顔を合わせるのは食事だけ。その食事も父の帰宅の都合や母の体調で食卓を共にするのは月に数回あればいい方だった。
「ただいま」
 母の部屋のドアを開けて声をかける。いつもならそれで母との関わりは終わりのはずなのに、今日は少しだけ違った。
 宗也が帰宅した時は晴れていたのだが、急に降り出した雨が開け放たれた窓から降り込んで色褪せたフローリングを濡らしていた。
 母の部屋は父の書斎の二つ隣。南に面した明るい部屋で、ドアの正面には大きな窓がある。夏は暑いが、通院以外で外に出ることのない母にはその光があれば外に出なくても済むのだからいいだろう。
 大窓は光を取り込むにはいいが、強い雨や強い風を伴う雨の場合は降り込むこともあった。いつもならば雨が降り出した時点で母本人や家政婦が閉めるのだが、突然の雨で家政婦は洗濯物を取り入れるのに忙しそうにしていて、それを手伝っているのか弟二人が甲高い声で騒いでいるのも聞こえてきた。
 このまま床を濡らしたままにするわけにもいかず、大股で近づいて窓を閉める。制服を着たままだったために靴下が濡れ、思わず顔を顰めた。
 顔をベッドの方に向けると母はベッドの縁に腰掛けてぼんやりと雨に打たれるガラスを見つめている。雫を数えるのに集中しているのかと思うほど、その目は窓に釘付けだった。
「外を見てたのなら窓くらい閉めろよ」
 至極真っ当な意見だが、いつもの宗也なら絶対に言わないような言葉が出る。ただの注意であることは確かだが会話は一方通行、成立するとすれば弟達や家政婦などの第三者がいるときだけ。
 だから今日も宗也の独り言で終わる。そう思っていた時、母がポツリと呟いた。
「貴方もお父さんのようになるのかしら」
 昔、今よりもう少し母が強かった時に投げかけられた言葉。その時は理解できなかったが、成長した今ならばその言葉の意図はある程度理解できる。
 お父さんが父と祖父、どちらをを指すのかは知らないが自分は母にとっては父や祖父と同類という風にカテゴライズされているようだ。
 父、つまり母にとっての夫のようになるのであれば漣家の長男としてやらねばならないことをしているに他ならない。
 母にとってのお父さん、つまり祖父は家格を上げることに執心する野心家だったが自分がそうなるようなイメージはどうしても浮かばなかった。
 祖父は昭和の家長をそのまま体現したような人間だったし、祖母は祖父に逆らうことができないので三歩後ろを歩きながら意見もせず付き従っているだけ。その姿を見ていると、母と祖母は同じような育ち方をしたのだろうと容易に想像できた。
 裕福な家に生まれたことを他人は羨んだらしいが、母は幼い頃から呼ぶに相応しい生活を送ってきたらしい。学校が終われば習い事。放課後に遊びに行くこともできず、もしそうなったとしても自分の行きたい相手や場所は選べなかったということも聞かされてきた。窮屈な学生生活を送り、見合いとは名ばかりな結婚式の打ち合わせの顔合わせを済ませ、そして大学を出たらすぐに結婚。順風満帆な人生を送っているように見えるが、母の意思は何一つ考慮されない文字通りに人の敷いたレールの上を走るだけの人生。
 その生き方はどこか愛玩動物じみているように思うが、本人がそれをよしとするのならこちらから何か言うことはしない。
「そんなにこの家と父さんが嫌なら別れればいいのに」
 弟達と母の間には存在しない、無機質で無関心な母子として既に破綻した自分達の間にあるほぼ唯一の会話。
「この家を出れば自由になれるよ、母さん」
 例え恨み言を漏らしていようとも、何もしないのであればそれを受け入れているということに変わりはなく、本人に何かしようという意思がないのであれば言ったところで時間の無駄だ。
 悲劇のヒロインぶりたいのかそれとも同情してほしいのかはわからないが、自由などなかったと恨み言を漏らすばかりで何の行動も起こさない母には辟易していた。
 離婚するのであれば多少は揉めるかもしれないが、父は母の望み通りに別れてくれるだろうに。
 宗也自身は親が離婚するかしないかなど興味はないが、年齢的に選択権はあっても長男で家督を継ぐことがほぼ決定しているので残ることになるのは確実だろう。
 弟達はまだ小学生なので母の元に行くのが普通なのだろうが、きっと家に残ることになるはずだ。
 俯いていた母が、なにもかもを諦めた茫洋とした目で宗也を見上げる。
 そして小さく、だが力強い声でポツリと漏らした。
「だって、行くところがないもの」
 帰るところではなく、行くところがない。
 大方、父と結婚する際に祖父母から嫁ぎ先の人間になるのだから帰る場所はないと思えとでも言われたのだろう。
 働いたこともなく、なに不自由なく暮らしてきた母はこのまま父と夫婦を続けながら母として心をすり減らすことよりも自由になるほうが怖いのか。
 別れるとなれば望み通りの額とまではいかないだろうが決して安くないだけの金も持たせてくれるはずだろうし、離婚しないにしても療養という名目で別居するという手もある。世間体などを考えると父が選ぶのは別居だろうがそうであっても母はきっとこの家から、父からは自由になれないと思うに違いない。
「そう。じゃあ、もう行くよ」
 お大事に。
 心にもないセリフを残して部屋を出る。部屋の床は濡れたままだが、家政婦に頼めば問題ない。弟達も手伝うと言いそうだが、宿題か明日の予習をさせるという名目で自分の部屋に連れて行くことにすれば母と会わせずに済む。
 きっと、宗也と話したことで母はまた不調を来すはずだ。
 脱衣所の洗濯カゴに濡れた靴下を入れ、リビングにいる初老の女性に声をかける。
「××さん、すみません。母の部屋の床が濡れているので後をお願いしてもいいですか?」
 宗也が母の部屋と言ったことに驚きを隠せなかったようだが、すぐ表情を取り繕ってすぐに片付けると返答があった。
 いつも帰宅すると母の部屋に顔を出すよう促してくるが、それが親子愛を信じる無神経ではなく父からの指示だからだ。父よりもよほど家族のことを見ている人物で宗也と母の間にある溝にも気づいているので、仕事を増やすのは申し訳ないが頼めば処理してくれるだろう。
「母さんの部屋の床、さっきの雨で濡れたのか?」
「床拭き、俺達も手伝う!」
 宗也の予想通り、弟達は手伝いたがった。
「ダメだ。お前ら、もう宿題は済んだのか?」
「あ」
「俺は、あと本読みだけ」
 気まずそうに目を逸らしたのは伯理で、天理は当然とばかりに胸を張っている。
「なら、兄ちゃんの部屋で宿題だ。母さんの部屋は××さんが片付けてくれるから」
 いいな? と念押しすると弟達は顔を見合わせてからはぁいと渋々頷いた。
「さ、宿題持ってこいよ。父さんが帰ってくるまでに終わらせるぞ」
 父を出せば、二人はハッと顔を上げて自分の部屋に戻っていく。それから少しすると、荷物を持って宗也の部屋にやって来た。
「伯理はまずわかるところだけやってみろ。その間に天理の本読み聞くから」
 本読みカードと書かれた厚紙の表を受け取り、天理の朗読を聞いて項目にチェックを入れる。
「兄さん、わかんない」
「まだ始めて五分も経ってないぞ」
「伯理、ちゃんと問題読んでるのか?」
「読んでるよ!」
 騒ぎ始めた弟二人を宥めて宿題を再開させる。
 物音が聞こえて来たので母の部屋の片付けが終わったらしい。
「兄さん、ここ」
「計算が間違ってるぞ。何で三に三を足したら八になるんだよ」
「あ」
「宗也、二回目のとこにサインするの忘れてる」
「マジか。悪いな」
 算数の問題を教えながら頭の片隅で母のことを考える。自由がない、縛られていると嘆きながら動けない哀れなひと
 彼女はこれからも窓の向こうを眺めるだけの人生を送り続けるのだろう。