小話倉庫(深上)
2026-06-12 21:31:10
3299文字
Public 悠アキ/haruwise
 

初夏の微熱(悠アキ/haruwise)

夏の準備を始める話。

 そこかしこから響く賑やかな声と、気分を上向きにさせる弾んだBGM、それから天井からフロア全体に注がれるまばゆい人工的な光。
 そんなルミナモールの一角に、夏を目前にして本気を出しました、と言わんばかりに大小様々なポップで彩られた水着売り場がある。女性客が夏のときめきを期待して物色している店内の片隅で、容姿が整った目立つ男女が真剣な顔を突き合わせている。
「これは?」
「君にはもう少し明るい色の方がいいんじゃないかな?」
「んー……じゃあ、これは?」
「布地面積が少なすぎる。できればこういうスカートがある方がいい」
「パレオね、パレオ……じゃあね〜〜〜、これっ!」
「背中が少し開き過ぎだと思うけれど」
「もーーーこれもダメ、あれもダメって! じゃあどれならいいの?」
「選んでいいのかい? そうだな……これとかどうだい?」
「このセパレートほとんどワンピースじゃん……普通の服と同じなんて嫌だよー。もっと水着って感じがいい!」
……そもそも君、去年新調した水着があるだろう。わざわざ新しく買わなくても良くないかな」
「今回はニコ達と遊びに行こうってなったの。去年と同じ水着じゃ味気ないでしょ」
 少女の水着を一緒に選んでいる様子は端から見ていると微笑ましいカップルなのだが、続いて彼女から出てきた言葉に周囲にいた客が手を止めてちらっと視線を向けたのが見えた。
「お兄ちゃんの許可が下りる可愛い水着なんて限られちゃうよ」
 彼女――ではなく妹がぽつりと漏らす言葉に、彼氏――ではなく兄は心底呆れたように眉を顰めた。
「そう思うなら、ついでだから一緒に買いに行こう、なんて言わなければ良かったのに」
「だって、お兄ちゃんたち車で出掛けるとか言うから。ルミナスクエアに送ってもらいたかったし、あわよくば出資を……
「こら。小遣いは各々の管理だろう。リンだって僕が欲しかったカプセルトイを見つけた時、手持ちがなくて一時的に借りようとしたら頑として出してくれなかったこと、しっかり記憶しているよ」
「根に持ってたかー、ちぇー」
 肩を竦めながら再び水着選びに集中し始めた少女は、熟考の末タイプの違う二つの水着を手に取った。そして今度は兄ではなく店の外に立って二人を見守っていたこちらに駆け寄ってきて、ずい、とその二着を見せつけてきた。
「あんたはどう? どっちがいいと思う?」
……リンちゃん、怖いもの知らずだねぇ」
 思わずひくりと口の端を引き攣らせてしまった悠真の目には、店内からこちらの動向をしっかり監視している兄がいる。周囲の目には「もしかしてこっちが彼氏? 兄公認なのかな?」という好奇心が滲んでいる。伊達眼鏡をかけてフードを被り、オフ用の変装をしているとはいえ、バレる時はバレる。だというのにリンは遠慮なく答えを求めてくる。
「だって、お兄ちゃんは欲しい言葉をくれないし」
「僕が好きな水着を答えたら、それはそれで炎上案件なんだけど……
「あんたが好きな、じゃなくて、私に似合うのはどっちか、だから問題ないでしょ」
 答えを濁す悠真を、リンは期待の眼差しで見つめてくる――いや、問題しかない。それは「対ホロウ六課の浅羽悠真」としてだけではなく、アキラとの関係にも大きく影響してしまうのだ。兄の意見を無視してこちらの回答が採用されるのも、少女に似合う水着を「浅羽悠真」が答えるのも大問題。今もまだ店内から注がれる視線を感じ取りながら、悠真は当たり障りのない笑顔を浮かべる。
「そういうのはやっぱり、リンちゃんが好きなものを選ぶべきじゃないかな? 僕たちの意見であんたが納得するとは思えないけど」
「んー……それもそっか。よし、絶対にお兄ちゃんを納得させる水着を選んでやるもんね」
 悠真の説得に応じて意気揚々と店内に戻ったリンは、アキラと二言三言言葉を交わしたかと思うと半ば強引に店の外に押し出した。うわ、とたたらを踏んでバランスを崩したアキラを、悠真は咄嗟に手を伸ばして支える。
「デートの邪魔してごめんね〜。あとは私一人で大丈夫!」
 ひらりと手を振って一人店内に戻っていく彼女の背中を見送る、悲しい男の影が二つ。ちらちらと未だ向けられる視線から逃れるように、悠真はアキラの手を引いて人の気配の少ないゾーンに向かう。
「はぁ……まったく、無理矢理連れてきたのはあっちなのに。自分勝手な妹だよ」
 少し速足になってしまったせいか、僅かに息を切らせながら悪態をつくアキラに苦笑する。彼らが見せてくれるこんな光景は悠真からすると日常茶飯時だ。夕飯の希望から今後調達するビデオの選別まで、彼らは本当によくコミュニケーションを取っている。時にお互い声を弾ませ、時に喧々諤々と言い合いをしている彼らのありのままを眺められる場所を許されているのは、正直気分がいい。
「さて、ようやく解放されたわけだけれど。どうしようか。予定通り、これからポート・エルピスに行くかい?」
 気遣うような眼差しを向けられて、ううん、と悠真は首を捻る。六分街を出発する時にリンに捕まってから今に至るまで、割と時間は経過している。夕暮れの海を眺めに行こう、と話していたが、今から向かっても灯台の光が照らす黒い海と、月明かりしか見えないだろう。
「いや、今日はもういいかな。代わりにアキラくん、ショッピングなんてどう?」
「ここで?」
「うん。リンちゃんみたいに水着を買うのもいいし……ええと、恋人との夏の予定を立てたいなぁ、とか」
 これからの話をしようとすると、どこか慣れないくすぐったさが心を掠める。誰かとこうして予定を合わせて出掛けるのも、これから訪れる未来の話をするのも悠真にとっては新鮮なことなのだ。誘い方はこれで合っているのだろうか、とアキラの様子を窺っていると、彼は相好を崩し、軽く折った人差し指を顎に当てた。
「いいね。それならまず、どこかカフェでも入って作戦会議をしようか」
 しっかり話し合う姿勢を見せてくれる彼にまた心が浮き足立つ。カフェに向かう道すがら肩を並べて歩きながら、さすがに手を絡めたら目立つかな、と遠慮していたが、向こうからそっと指先を絡めてきたのでますます気持ちが高揚する。
 恋人という立場になってから、アキラは積極的にスキンシップを取ろうとしている節がある。それは悠真としても願ってもないことなのだが、同時にこの淡白そうに見える彼にも手を繋ぎたいという欲があるのだと認識して勝手に顔が熱くなってしまう。
「悠真?」
 唇を引き結ぶ悠真に、訝しげな声がかかる。なんでも、とさり気なく聞こえるように返しながら、少しだけ握る力を強める。すると彼はレンズ越しでも曇らぬ柔らかい笑みを見せ、思わずどきりと心臓が跳ねた。
「あー……あの、さ」
「なんだい?」
「あの時僕がリンちゃんの水着を選んでたら、あんた、どっちに嫉妬してた?」
 胸の鼓動を誤魔化すように適当な話題を振る。だがそこそこ気になっていた疑問だ。採用された水着を選んだ悠真に嫉妬するのか、水着を選んでもらったリンに嫉妬するのか。
 すると彼は先ほどとは比べものにならない険しい表情を浮かべ、繋いだ方とは逆の手で、唇に手を当てて真剣に悩み始めた。
「とんでもない難問だな……少し考える時間をくれるかい?」
 それはもう苦しそうに答えるものだから、悠真は思わず吹き出してしまう。
「はは! 僕、あんたのそういうところ好きだなー」
「えぇ……? リンには面倒くさいって言われるのに……?」
「いやいや、好きだよ。ま、あんたなら全部好きなんだけど」
「全肯定されるとそれはそれで複雑だな」
 くだらない話をしている最中も、彼の熱が悠真の指から離れる様子はない。それがまるで自分への執着の表れのようで、悠真はふっと口元を緩めた。
 そういうところ、と先ほどと同じ言葉を相手に気付かれないように口の中で転がして、水着を選んでいたリンと似たり寄ったりな顔で熟考するアキラの手を「ほら、もう行くよ」と呆れた風を装ってぐいっと引いた。