ぼ!
2026-06-12 20:04:14
6621文字
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🍭に口の中弄られる🌻

Xで呟いた内容をちょっと長くした内容です。ノリで書いてるので、ノリで読んで下さい。原作程度に暗い表現があります。

去る冬の一件があって以来、呪力や呪術の概念が明るみに出る事となり、世間は様変わりした。
しかし現行の法律は各所で発生した問題に対応するには限界があり、更に呪術界上層部の圧力もあって、日車は形だけの起訴前勾留を終え、不起訴となった。検察審査会への申し立てが却下された時、日車は何が何でも上層部が自分を取り込もうとしている事に閉口した。
烙印者の自分にできる事は何なのか自問した日車は散々迷い、結果高専所属の呪術師となった。

日車は元来、思考と身体がバラバラになり自身で収集がつかなくなることが苦手だった。厳存としてあった自身の感覚が揺らいでからは、それもよく分からなくなった。
任務に身を投じるのは丁度よかった。心が身体から遠く離れた場所にある事を気にしなくて良くなるからだ。

梅雨闇が全ての影を曖昧にし、籠る湿度が額に汗を生む。六月十五日──
日車が一級になり、三ヶ月が経とうとしていた。

薄鈍色の雲は昼過ぎに一層厚くなったかと思えば、溜め込んだ憂鬱を一気に吐き出した。
日車は窓を叩く雨を見て「頭痛がひどくなるな」と独りごちた。元々眠りの浅い彼であったが、数週間前から不眠の傾向が強くなっており、家入に処方されているいつもの眠前薬も意味を成していなかった。

待機室の半分を占めるL字の茶色いソファは固く、長く座っていると腰を痛める。
去年の戦闘での被害を免れた僅かな部分を残し、慌ただしく仮設的に建て替えられた東京高専は、未だ設備の整ってない部分が多い。冷房の効いていない部屋に一人。日車はささくれた自身の手を見つめた後、座面に浅く座り直した。カタカタと音を立てながら温い空気を送り出す扇風機だけが健気だ。
首を振るそれをなんとなく見つめていた彼は、扉の開く気配に視線を移す。

「もう三ヶ月か。早いもんだな」
資料を顔の前で扇いだ日下部は、だるそうに大股で部屋に入ってくると「暑すぎる」とジャケットを脱いだ。日車は向かって斜め左に座った日下部がYシャツの袖を捲り、ネクタイの先を胸ポケットに捩じ込むところまで見届けると「よろしく頼む」とできるだけ明瞭に発声した。つまらなさそうに片眉を上げた日下部が、口を引き結んだ日車の顔を見る。
「まぁそんな堅くなんなよ。いつも通りでいい」
日車には「いつも通り」が分からなかったが、軽く頷いてみせた。


料金所を通り過ぎた所で雨足は強くなった。車内はクーラーで冷えていたが、不快な湿度は留まっており、実際の温度より高く感じられた。
「一時間後には止む予報なんですが」運転している補助監督が、サイドミラーで後方を確認しながら車線変更をする。「ああ」と応えようとした日車は隣から視線を感じ、日下部の方へ顔を向けた。「止むだろ」と短く答えた彼と目が合う。精悍とした雰囲気のある眼差しに疲れが滲んでいた。それもそうだろう、と日車は思った。日下部は東京高専の学長代理に、シン・陰流の当主も務めながら、術師として現場仕事も兼任している。現に今日もこうして自分と共に任務に駆り出されている。日車は何か言うべきか迷って、結局何も言わなかった。日下部に対し、こういう時に気の利いた事を言えた試しがなかったので、それで良いと思った。
一瞬、ほんの僅かに眉を顰めた後、視線を前方に戻した日下部は、ジャケットの左ポケットから棒付きキャンディを取り出し、キャンディが溶けてベタついた包装紙を取り払うと、自身の口の中に放り込んだ。日車はその横顔を見て、理由はなく、ただ自然と「良い顔つきをしている男だな」と思った。

無言の車内に雨音が割って入る。

日車と日下部に、付き合いという付き合いはない。正確にはお互い何もないと思う事にしている。
任務の時以外、深く話し込んだ覚えもなければ、プライベートな事は特段知り得ない。
もし他の誰かに関係性を問われれば、同僚だと迷いなく言えるし、顔と名前と背格好、それから口調、それくらいしか思い浮かぶものはない。
しかし時折、長年知り合った仲のような雰囲気になる時があり、簡単なやり取りや視線の絡み合いが二人の間に妙な熱を走らせた。それは新宿の決戦前から起こっていて、そしてお互い口にはしないがそう思っている事を直感的に認識しあっていた。


一箇所目のサービスエリアを通り過ぎた辺りで雨が小降りになり、補助監督が「あ、トイレ寄ればよかったですよね」と思い出したように言った。彼女の目にも疲労が浮かんでいた。

日車と日下部は目的地付近で補助監督と分かれ、帳が下りるのを待った。呪霊の出没すると言う場所は浄水場跡地で、数ヶ月前から怪我人や自殺者の報告が上がっており、窓の踏査で呪霊の存在が確認された。水に関連した場所には呪霊が発生しやすい。
今回の祓除は商業施設の建設を計画している自治体からの依頼も重なっての事だった。

最後の被害は一週間前、十七歳の男性の三人グループで、全員死亡。浄水場跡地を視察しにきた建設関係者が、現場に残された夥しい血痕と遺体の一部を発見している。

状況を鑑みて一級相当の呪霊であると補助監督は二人に報告した。
呪霊が出現するのは逢魔が時で、一体のみ、大蛇に毛が生えたような風体をしているという。

「そろそろ時間だな」
腕時計を確認した日車はそのまま左手を胸の前に翳し、木槌──ガベルを出現させた。右手に持ち替え、その感覚を確かめる。
夏至も近く陽が伸びていて、空を覆った重たく暗い雲が赤橙の光に照らされる頃には時刻は十八時五〇分を回っていた。
日車を背にし、帯刀した日下部が右手を柄にかける。

風がやんだ。ひしめき合っている雑草達が、靡くのを止める。
辺りの空気が冷え込み、日車は金属がぶつかり合う様な耳鳴りを起こした。二人の十五メートル先、地面のコンクリートに亀裂が入り、大きくヒビ割れる。呪霊の気配が湧いた。
来るぞ」
日下部が言うと同時にヒビが盛り上がり、中からぬぼっと黒い塊が這い出てきた。
補助監督の報告書通り「毛が生えた大蛇のような呪霊」であった。大小様々、併せて十体以上いる点を除いては。呪霊は周囲を嗅ぎ分ける素振りで様々な方向へ頭を反らせていたが、日車と日下部を感知すると、身を捩らせ一斉に二人に迫った。
「多すぎるな」
日車は即座に重心を左に切り、呪霊に向かってガベルを投擲し、一体に風穴を開けた。体長が優に三メートルを超える個体が数体、牙を晒し猛進してくる。
どうしたものかと考えていた日車の後ろから日下部が素早く飛び出した。重心を低く保ち、構えの姿勢に入っている。
『─シン・陰流 抜刀』
斬撃が炸裂し、呪霊の腹が裂け、触れた者全てを穢すような紫色の体液が地面に撒き散らされる。

「日車!こんだけ湧いてりゃ本体がいる。囲まれたらシャレにならん。呪力の流れをみるしかねぇ!」 
手首を返し刀身の体液を払った日下部がコンクリートの裂け目へ向かって大きく右へ回り込む。
「ああ、わかった」日車は応えると、間髪入れず迫ってきた小さな個体を、ガベルで叩き落としていく。このままでは埒が明かないと、呪力の比重に目を凝らす。
瞬きの間、視界の隅に何かが横切ったのを日車は見逃さなかった。十メートル後方、気配の方へ目をやると、陽が落ち境目がぼやけた薄暗闇の中に、白い大蛇がとぐろを巻いていた。糊で貼り付けたようなぼうぼうとした体毛がぬめりとした鱗を斑に覆っている。忙しなく舌を出したり引っ込めたりしている呪霊は、でっぷりとした腹を引きずり、立てかけられた梯子に巻き付くと、それを紙のようにくしゃりと丸めてしまった。
「なるほど、わかりやすい」
日車は送電装置より幅のある巨体に向き直ると、右手にガベルを出現させた。
日車が自身を認識したと知覚した呪霊は、車でさえ簡単に飲み込めてしまいそうな大きな口を開け「タベタイ」と音を吐いた。甘えた子どもの声であった。 
日車は呪霊の鼻先に向けて獲物を抛ると、地面を蹴り出し一気に距離を詰めた。鼻っ面に攻撃を食らった呪霊が頭を振った隙を狙い、新たなガベルを作り出すと持ち手の部分を伸ばし、腰を捻って巨木の幹の様な腹にガベルを振り抜いた。
耳を劈くような悲鳴が響く。

「日車!」
黒い大蛇を相手取っていた日下部は、日車の交戦の様子に気がつき、声を上げた。相手を見とめると、呪力の流れを読み取り「そいつか、わかりやすいな」と呟いた。
助太刀しようにも本体以外の数が多すぎるため、襲ってくる個体をいなす事に手間を取られる。
アイツは無理をするところがある。この呪霊じゃ領域展開も無しだろう。力量を考えれば俺が心配することもないが、まだ一級になって三ヶ月。どうにも危なっかしいところがある。
日下部はその時何故か、去年の高専医務室を思い出していた。包帯に包まれた痛々しい傷。日車の虚ろな瞳が天井を見上げる様子─
「大丈夫だ、まかせろ」
一拍遅れて返ってきた日車の声が、日下部の頭の靄を散らす。
らしくない。日車はガキじゃない。今に集中しろ。
息を吸い、深く吐く。刀を前方に斬り上げる。
陽が完全に落ち、辺りは暗くなっており、日下部の祓った呪霊が塵となって、一つ闇に溶けていった。


呪霊の白い毛が、その横腹から溢れる体液を吸ってびちゃり、と音を立てる。
「硬いな」
日車は振り抜いた姿勢から身を翻し、ガベルを地面へ突き刺した。そのまま柄の部分を空へ伸ばし、腕と腹に力を込め、脚を高く振り上げた。棒高跳びの要領で自身の身体を宙に投げ出すと、今度は頭の部分を巨大化させたガベルを出現させ、重力に従って呪霊の頭に振り下ろした。

「祓った」と思ったのと「しまった」と思ったのは同時だった。
潰した呪霊の頭、その下半分からにょきにょきと新たな頭が生え、子どもの手の様な小さな蛇が日車の右脇腹に噛みついた。
鋭い牙が肉を裂く感覚に、日車は眩暈を起こす。
呪力を込めた左手で呪霊を引きちぎると、それは形を崩し、本体と一緒に砂塵と混じり合っていった。
日車はそのまま崩れ落ち、膝をついた。しめっぽいコンクリートがスラックスを濡らす。

大元が消えたことで他の個体も消え、日車が呪霊を祓った事に気がついた日下部は、日車の元へ駆け寄った。膝立ちになったままの日車に幾分焦り、声をかける。
「おい、日車」
日車は問題ない、と言ったつもりだった。だが、舌がもつれて言葉にならない。重く凝り固まる感覚が腹から手足に向かって広がっていく。地面についた膝に小石が食い込んで痛んだ。
「話せねーのか」
刀を鞘に戻し、近くへ歩み寄ってきた日下部に頭を向けようとするが上手くいかない。
日車は目の前にしゃがみ込んだ日下部の靴が砂埃で汚れているのを瞬きしないで見ていた。身体は麻痺している状態なのに思考は鈍っていない。呪霊は噛んだ対象の自由を奪い、まだ痛覚や触覚の残る身体を嬲り、取り込んでいたんだろうと日車は思い至った。痺れた舌がドクドクと脈を打って熱い。

頭を下げたまま、だらりと腕を放り出し、動かない日車の顎を日下部の指が掬う。
「意識はあるんだよな?」
日下部は少し充血した日車の目を見た。視線が合う。麻痺してるのか。
いつもは神経質そうに一文字にしている唇が半開きになっており、そこに残穢がチラついていた。
「なんだこれ」
日下部はちょっと肩を叩く様な気軽さで、日車の口内へ左の人差し指を突き入れた。
「なにをするんだ」日車は内心で驚き、声を上げた。舌が動かないことを理解していたが、無遠慮に口内に侵入してきた指に動揺を受ける。しかし抗議を示す術も無く「ぐぅ」と喉の奥を引き絞るだけとなった。
日下部はそのまま舌を弄ると、中指を添えて自身の方へ引き出した。
日車の舌の表面には蛇がのたくった様な黒い紋様が浮かび上がっていた。
「厄介なモン喰らったな」
なんでもない様に舌を押した日下部に日車は戸惑いを隠せなかった。呪術師の世界では受けた呪いの状態を見ることは、傷の具合を診る様なもので、他人の口の中を弄くり回すのも普通の事なのか?─そうかもしれない。腑に落ちるより早く、日下部が自身の口内を好き勝手にしているため、日車は無理矢理に自身を納得させた。

日下部は日車の舌の表面を一通りなぞったあと、側面を中指で押し上げ、舌の裏まで確認した。
日車は麻痺で膨らんだ感覚のあるそこに、胼胝のある日下部の指が触れるのをできるだけ無視した。
口の端から唾液が溢れる。
反射で飲み込もうとした唇の緩慢な動きは、日下部の指を柔らかくしゃぶった。
ちゅぽ、と音を立ててしまった事に日車は思わず赤面した。心配してくれている日下部に対し、不埒な行いをした気がして、自由の聞かない身体に力を入れ、わずかに頭を引いた。
「大人しくしてろ」
日下部は日車の後頭部に右手を沿えて引き戻した。舌を挟む人差し指と中指に力が込められる。蒸し暑い風が、ワックスで流しきれなかった日車の前髪を撫でる。
日下部のカサついた厚い手が項を辿るのを、日車は眉間に皺を寄せ必死に耐えた。

日下部にとってこの行為は本当になんでもない事で、日車が思っていた通り、傷を診るのと同等だった。解呪の条件はなんなのか、このまま放っておいても問題はないのかを確かめていた。
こいつ意外に舌が薄いんだな、と関係のない事を考えていた日下部は、日車の血色の程度を見るために舌から目線を上げ顔全体を見た。いつも張り詰めた、喪中の様な顔をした男がぎゅ、と目を瞑り耳まで赤くしている。切羽詰まった吐息が日下部の指にかかった。

なんかこれ、良くないな。日下部は両の眉を上げた。なんとなく胸の辺りがソワソワし、眉を上げたまま、日車から手を離した。
「すまん」
変な感じになっちまった。何かしら言ってからやればよかったか。日下部は自身の行動を振り返ったが「変な感じ」になった原因は日車ではなく、自分にある気がした。

「反転使えるか?傷が原因なら動ける様になるはずだ。それ以外なら抱えて高専に戻るぞ」
日下部は日車の左側に片膝をつき、中途半端に一時停止した格好の彼を、自身の方へ引き寄せた。
日車はドミノがぱたりと倒れる様に、そのまま日下部の胸に頭をつけた。
整髪料特有の匂いが汗と湿気に混じって、お互いの鼻をくすぐる。

日車と日下部は、高専ですれ違えば仕事の話をしたし、任務にも共同で数回出た事がある。新宿決戦前には少なからず寝食を共にした。だが、こんなに近づいたのは初めてだった。

日車は麻痺で凝った全身に、新しく血管を張り巡らせるイメージを重ねると、反転術式を回し始めた。
噛みつかれた右脇腹がジクジク痛む。泥にはまった足を持ち上げる様な気怠さだった。ただ、日下部に触れられた部分だけがやけにはっきりとした感覚をもっていた。
日下部は日車の身体を支えたまま、ジャケットの右ポケットからスマートフォンを取り出すと、数度画面をタップし、補助監督に電話をかけた。
「終わった。ただ日車が」言い終える前に日車の声がそれを遮った。
「すまない」反転術式を終えた彼は、日下部の腕の中に収まったまま、極力冷静にそう言った。


当初の予定より現場に近い地点で、日車と日下部は補助監督と合流した。黒い車が陰気な草むらに光を照らし、ヴーンと車体を震わせている。明かりにつられて顔の前に飛んできた小虫を、補助監督は煩わしそうに手で振り払っていた。彼女は日車を見るなり「日車さん!大丈夫ですか?」と走り寄ってきた。日車は片手を上げ「大丈夫だ、大事ない」とそれに応えると、後部座席に乗り込んだ。淡々としたやや取っ付き難い、いつもの──本人にその自覚はないが──日車寛見に戻っていた。
日下部はその姿を見て、先程の彼の様子を回想した。困った様に下がった眉、強く閉じた瞼に押さえられた睫毛、骨ばった特徴のある鼻筋に、薄い唇。そして紅潮した頬。そこまで思い浮かべた所で、日下部は強制的に思考を中断させた。何を考えてんだ?俺は。あれはただの確認で、アイツはただの同僚だ。今までも何もないし、これからも何もない。
悶々とした日下部に、先に車内へ乗り込んだ補助監督が窓を下げ「日下部さん、行きますよ」と声をかけた