流れザメ
2026-06-12 06:52:47
2502文字
Public ビマヨダ
 

とある大蛇の大誤算①

大蛇ヨダが拾ったビマを育てて食べるはずが、逆に(性的に)食べられちゃう話。になる予定。

 ドゥリーヨダナは暇を持て余していた。
 ドゥリーヨダナは齢千年を優に超える大蛇である。
 とある山を住処とし、自由気ままに生きてきた。
 何千回も脱皮を繰り返した身体は山肌を流れる川のごとく大きく、その身を覆う鱗は人の血を吸った黒曜石もかくやというほどに怪しく艶めいている。
 他の山の生き物たちと同じように、時に人に仇なし、時に共存しながら生きてきた。
 長い年月を経てもはや魔性の存在と化したドゥリーヨダナは、同族と子を成すことが出来ず、子孫を残すという生物としての使命から解放されて自堕落な毎日を過ごしていた。
 成すべきことも無く、ただ時間だけが無為に流れていく日々。
 そんなある日、山に一つの悲鳴が響き渡った。
 何事かとドゥリーヨダナが様子を見に行くと、林の中で妙齢の女が虎に睨まれていた。
 女は恐怖のあまり錯乱し、抱えていた赤子を放り出して一目散に山道を降りていく。
 残された赤子が地面の上で泣き声をあげていると、遠ざかる女の背を追いかけようとしていた虎が赤子の方を振り返った。
 逃げる大きな獲物よりも動かない小さな獲物を食べることにしたのだ。
 虎がのしのしと大きな四肢で土を踏みしながら赤子に近寄る。
 大きくあぎとを開き、その柔らかな肉に牙を突き立てようとしたその時、泣き喚く赤子の足が虎の顎下を蹴り上げた。
 虎の頭が大きく反り返る。
 予期せぬ反撃に情けない声を上げた虎は、飛び跳ねるようにして茂みに潜り込んで逃げていった。
 ドゥリーヨダナは赤い瞳を輝かせると、その巨木のような長い身体で赤子を取り囲んだ。
『これはなんと素晴らしい。まだ立てもしないうちから虎を追い払うなど、この赤子はきっと強く育つぞ』
 赤子を包んでいる布の端を器用に口の先に咥え、木々の間を這い進む。
 ドゥリーヨダナが向かった先は、山の中腹あたりにひっそりと空いている小さな洞窟だった。
『聖仙よ。偉大なるヴィヤーサ仙よ。どうかいま一度貴方の知恵をお貸しいただきたい』
 ドゥリーヨダナが口の隙間からシューシューと空気を吐き出して人ならざる声で呼び掛けると、奥の暗がりから一人の痩せこけた老人が姿を現した。
 老人はとても見窄らしい格好をしていた。
 真っ白に染まった髪と髭は伸び放題で、どこまでが髪でどこまでが髭か判別がつかない。
 纏う衣服はボロボロに破け、色褪せた布が辛うじて身体に巻き付ついているだけの状態だ。
 ほとんどの肉が削げ落ちた皮と骨ばかりの身体は頼りなく、ドゥリーヨダナが老人の背よりも大きなその顔でふぅと息を吹きかけるだけで、あっけなく倒れて死んでしまいそうな様子だった。
 自分など軽く丸呑みしまいそうな大蛇が洞窟の入り口を塞いでいるにも関わらず、老人は何事もないように落ち着き払っていた。
 幾重にも皺が刻まれた顔に恐れの色はなく、眼前の大蛇に向けられる眼差しは聞き分けのない孫に手を焼く祖父のそれによく似ていた。
「ドゥリーヨダナよ、此度は何用か」 
『実はさきほど人の子を拾ってな。これが虎をひと蹴りで追い払うほどの力に溢れた赤子で、是非とも喰らってその剛力をわし様の物としたい。しかし、どうせ喰らうならもっと大きくなってからのが腹も満たされるだろう?この赤子に備わる力も成長と共に増していくはずだ。だからこの赤子がどこまで大きく育つか、それを見ていただきたいのだ』
 ズイと顔を近づけてきたドゥリーヨダナから赤子を受け取り、ヴィヤーサ仙は未だ泣き続けているその子の顔をジッと見下ろした。
 聖仙とは過酷な苦行の末に悟りを開いた賢者である。
 彼らの身に備わった聖なる力は時に天上に住まう神々すら容易く凌駕する。
 俗世の欲を捨て、この山で何十年も苦行にいそしんでいたこの老人もまた、その力を有していた。
 全てを見通す瞳で赤子の正体を悟ったヴィヤーサ仙は、期待の込もった眼差しを向けてくるドゥリーヨダナに向かって首を横に振った。
「この赤子は風神ヴァーユの子だ。つまりはあの猿神ハヌマーンの弟にあたる。食べようものなら、内側から腹を裂かれて死んでしまうぞ」
 長い付き合いである山のヌシの身を案じ、ヴィヤーサ仙はそう助言をした。しかし強欲で傲慢なドゥリーヨダナは諦めない。
 あぎとを大きく開くと、長い二本の牙を光らせて苛烈に嗤った。
『風の神がなんだ。毎年吹く嵐がわし様のこの巨体を浮かせた事などただの一度も無いぞ。猿だって、これまで何千匹とこの腹におさめてきたわ。何も恐れる事など無い。この赤子も、その背丈がわし様の口よりも大きくなったその時に、丸呑みにして風神の力ごと取り込んでくれよう』
 洞窟内にドゥリーヨダナの笑い声が響く。
 生物には往々にして天敵が存在するものだが、ドゥリーヨダナにはそう呼べるものがいなかった。
 小さな蛇の頃は鷲や梟といった大型の鳥達がそうだったのだが、慎重な性格のドゥリーヨダナは彼らに見つからないように草木に隠れながら脱皮を繰り返し、数年の時を経て鳥よりも大きな身体になった。
 鳥の次は猿、猿の次は狼、狼の次は虎。そうやって長い年月を掛けて山のどの生物よりも大きくなったドゥリーヨダナは、いつの間にかこの山を統べるヌシとなっていた。
 ずっと長い間その身を脅かすものが存在しなかったドゥリーヨダナは、今やすっかり怖いもの知らずになってしまっていた。
 ドゥリーヨダナが一度言い出したら滅多なことでは考えを変えない性格である事を知っていたヴィヤーサ仙は、説得するのを諦めて赤子をドゥリーヨダナへと返した。 
「では、この子をビーマと名付け、毎日欠かさず食べ物を与えなさい。そうすれば大きく立派に育つ」
『ビーマ?』
「我々の言葉で『恐るべき男』という意味だ。きっと誰よりも強き男に育つだろう」
『おぉ、おぉ!それは良い!ビーマよ、わし様のためにうんと強くなるのだぞ』
 ドゥリーヨダナがお包みを咥えたまま上機嫌に身をくねらせる。
 何も知らぬ赤子ははたと泣き止み、そのに揺れに合わせて無邪気に笑い声を上げていた。