クドリャフカ
2026-06-12 01:31:41
6773文字
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寺川がトガシくんのマネージャーになる話⑦



 12月。今シーズンを最高の形で終え、ようやく世間の熱狂も落ち着き始めた頃である。世の中はもうすっかり年末風情が漂い、どこもかしこもなんだか忙しない。

そんな師走の、ある夜。
トガシはリビングのコタツで蜜柑を食べながら、刃牙道(寺川の漫画)を読んでゴロゴロしていた。

「──ちょっ寺川先輩ッ!!」
「ああ゙ー? なに?」
「烈海王が死んだんですがッ!!!!」

とあるページを開いていたトガシが、衝撃のあまり叫ぶ。

「これ、ガチで死んだやつですか!? あとで生きてたってパターンじゃなくて!? こういうのって、だいたい一回死んだみたいになってても実は生きてるとかあるじゃないですかッ!!」
「うるさっ」

コタツに入ったままジタバタ騒ぐトガシに、寺川が心底迷惑そうな顔をする。暇なトガシと違い、彼は現在とんでもなく忙しいのだ。

「だって、あの烈海王ですよ!? あの烈海王が!!普通ここで死にますか!?」
「烈海王は君の一体なんなんだよ」
「だって、烈海王って中国四千年の達人じゃないですか。すげー強くて、負けることもあるけど、なんか脚とか喰われてたけど……でも、それでもいつも自分で立ち上がって更に強くなってたじゃないですか。そんな烈海王が……こんな……最期、立ち上がれずに……っ」

そう声を詰まらせながら烈海王について熱弁するトガシに対し、正当な刃牙読者寺川は無慈悲に言い放った。

「死んだよ、君の烈海王は」
「そんなっ……

トガシは言葉を失い、信じられないという顔で再びページに視線を落とした。烈海王は現代に蘇ったクローン宮本武蔵との壮絶な激闘の末、死亡したのだった。それはあまりにも突然で、容赦のない終わり方であった。こんなことってあるかよ。トガシはクッション代わりにしていたIKEAのサメをぎゅっと抱き締めて放心していた。そうやってしばらく烈海王の死に打ちひしがれてメソメソしていると、ふいに傍のスマホが震えた。のろのろ顔を上げて見てみると、小宮からメッセージが届いていた。年末年始に大分の実家へ帰省するので、一緒に遊びに来ないかというお誘いである。年明けに彼と交わしたあの約束は、どうやらまだ生きていたらしい。

トガシは少し考えてからむくりと頭だけ持ち上げ、コタツの向かい側を見やる。寺川は先ほどからノートパソコンで黙々と作業をしている最中だった。来年から何かと環境が変わるので、その諸々の手続きや事前準備の作業に追われているのだ。

 ──そしてその作業の格好たるや、本当に酷い。寺川は鰯弍時代のジャージにドテラを羽織り、分厚い眼鏡を掛け、おでこには冷えピタを貼っていた。髪のセットはおろか、前髪をマイメロちゃんのクリップで雑に留めている始末。とどのつまりバカの格好である。完全集中している寺川は自然とこうなるのだ。ちなみにトガシは、寺川が脱ぎ散らかしたマーティ・シュプリームのパーカーを適当に拾って着ていた。これは今では相当なプレミアがついてるのだが、そんなことなど微塵も存じ上げないトガシは蜜柑をちゃむちゃむ食べて遠慮なく汁を飛ばしていた。

「寺川先輩」
「うるさいなぁもうっ、今度はなに? 烈海王なら死んだあと異世界転生して元気にやってるよ」
「えっ、烈海王が異世界転生っ!? ……じゃなくて、年末年始って俺の予定空いてますか? 小宮くんに大分の実家に遊びに来ないかって誘われてて」

すると寺川は画面から視線を外すことなく、間髪入れずに答えた。

「ダメでーす」
「なんでですか」
「ダメなもんはダメ。年末はデカい仕事入ってんの」
「聞いてないんですが」
「今言ったからね」
…………

トガシが黙ってコタツの中で足蹴にすると、寺川も軽く蹴り返してきた。

「ていうか、小宮選手もダメなはずだよ」
「え……?」

なんか嫌な予感がする。

「だってトガシくんと小宮選手、年末のM-1に出演決まってるから」
「小宮くんとM-1!?」

トガシは抱えていたサメを放り捨て、慌ててがばっと身を起こした。もはや烈海王どころではなかった。

「小宮くんと漫才なんて無理ですよ!?」
「演者なわけないだろ」

寺川は呆れたように続けた。

「ほら、あのアレ、くじ引いてネタ順決めるヤツ」
「あ」
「二人でそのくじ係ね」
「そ、そんな大役を……!」

トガシは再びもそもそとコタツに沈んだ。寺川はようやくパソコンから目を離して、お茶を一口啜り虎谷のういろをもちもち頬張っていた。

「しっかし“一年の計は元旦にあり”とは、よく言ったもんだよねェ。正月におみくじ係してたトガシくんが、年末にまたくじの係するんだからさァ〜」
…………

寺川が愉快そうにケラケラ笑う。
完全に他人事の顔である。

「あ。あと、ついでに大晦日も仕事な」
「まだあるんですか」
「紅白」
…………は?」
「審査員決まってるからね。これも小宮選手とセットで」
「はァッ!? 紅白って、明らかについでってレベルじゃないだろ!!」
「けん玉チャレンジあるから」
「けっ、けん玉!?!?」
「落としたら日本中から叩かれるから。頑張ってね」
「ヒッ」

 ──そんなわけで、トガシと小宮の年末年始は、当人たちも知らぬうちに国民的番組の予定で埋め尽くされていたのだった。今年の日本陸上に続き、アジア大会でもめざましい結果を残した彼らは、いつの間にか“今年の顔”と呼ぶに相応しい存在となっていたのである。

そんなわけでトガシは慌てて小宮へ電話を掛けた。案の定と言うべきか、どうやら彼もまた寝耳に水であるらしかった。

『え?……M-1……? 紅白……けん玉…………???』

電話越しの困惑がすんごい。

『ご、ごめんトガシくん……僕、会社の人から何も聞いてなくて……っ』
「大丈夫だよ小宮くん、俺もついさっき知ったとこだから」
『そ、そうなんだ……
「うん……
…………
…………

電話越しに二人は暫し黙った。
あまりの情報量に、思考が停止しかけていたのである。

…………年末、帰れそうにないかな』
「だよね……

ぽつりと呟く小宮に、トガシも苦笑した。
結局、小宮の実家へ遊びに行くのは年末年始の仕事が一段落してから、ということで落ち着いたのだった。




 ──そんなわけで、大晦日の夜。

 紅白の生放送を終えたトガシは、とんでもない疲労でぐったり沈んでいた。6時間に及ぶ長丁場。しかも生放送中は、とにかく神経が削られることの連続だった。アイドルグループの歌唱中は延々とペンライトを振らされ続け、よくわからないアーティストのよくわからないパフォーマンスに感想を求められ、挙げ句の果てにけん玉までやらされたのだ。疲労と心労はもう桁違いである。年越しの空気を味わう余裕などもちろん無く、気付いた頃にはあっさり年は明けていたのだった。

そうして今は、寺川の車の中である。
トガシは助手席に体を預け、暖房の暖かさにうとうとしながらナビのテレビをぼんやり眺めたいた。ちょうど初詣で有名な神社の様子を中継していて、画面いっぱいに人でごった返している。

「正月は神様も大忙しですね」

窓におでこをくっつけたままトガシが呟く。
外との温度差でガラスはうっすら曇っていて、吐いた息が白く重なる。

「まぁ年中暇よりかマシだよねェ〜」

寺川がハンドルを握ったままへらりと笑う。
かくいうこの男も、元旦からは実家の神社で神職の務めに入るのだという。年末までマネージャーの仕事に追われ、今朝などは夜も明けないうちから働き出し、紅白の打ち合わせだのリハーサルだのにも同行していたのに。そのうえ年が明けてもまだ働くというのだから、神様もなかなか人使いが荒い。

……寺川さん、眠くなりませんか?」
「気合いだね。ヤニとエナドリでぶっ倒れるまで働くんだよ」

ミラー越しに、寺川がニィッと不気味に笑う。連日の疲れも相まってか、目が据わっていてちょっと怖かった。やがてトガシの実家近くの駐車場で車が止まる。

「はい到着〜。トガシくん、風邪ひかないようにね」
「寺川先輩こそ」
「はいはい」
 
 そうやって寺川と連れ立って実家に帰ったのは、深夜二時を過ぎた頃だった。本来なら寺川はそのまま神社へ帰るつもりだったのだけれど。その予定を聞いたトガシの母が、日頃から散々お世話になっているのだから、せめて紅白が終わったら家に泊まって朝飯くらい食べていきなさいと言い出したのだ。寺川は「いやいや〜悪いですよ〜」と例によってヘラヘラ笑ってかわそうとしていたが、結局は母に問答無用で押し切られていた。トガシの母は、トガシの母なだけあってそういうところがあるのだ。

実家の玄関を開けると、ちょっと懐かしいストーブの匂いが鼻先を掠める。廊下の灯りは落ちているので、両親はとっくに寝ているのだろう。座敷の部屋と襖を隔てた客間には来客用の布団がきちんと用意されていたけれど、もはやトガシも寺川もそれを敷く元気すら残っていなかった。彼らはそのまま座敷のコタツへもそもそ潜り込んでいた。

「先輩、風呂」
「トガシくん先入りなよ」
「先輩からどうぞ」
「無理」
「河童の神様に怒られますよ」
「神様だって今日くらい風呂キャンしてるよ」
「神様が?」
「正月は大忙しだからね」
「神様かわいそう」
「ね」

コタツに寝転びながら二人でだらだらくだらないことを話して笑い合う。疲れ過ぎて変なテンションだったのだ。そしてそんなテンションも長くは続かず、気付けば気絶するみたいに寺川とトガシは仲良く寝落ちしていたのだった。


 ──そうして、元旦。

 コタツで雑魚寝したせいか、朝起きたらやたらと身体の節々が痛かった。頭はぽやぽやしているし、寝癖もひどい。そんな有様のまま寺川とトガシは揃って居間へと顔を出し、両親へ新年の挨拶をする。トガシの父は新聞を畳みながら、「はいはい、おめでとう」と朗らかに笑って二人にお年玉を寄越した。パンどろぼうのポチ袋だった。ちなみに昨年はパヘットスンスンである。成人した息子とその先輩に渡すには随分ふざけたチョイスであるが、中身はミチミチに詰まっているので文句は言えない。これにはさすがの寺川も慌てて返そうとしていたけれど、トガシの父はそれを飄々と笑うだけで受け取りはしなかった。トガシの父は、トガシの父なだけあってそういうところがあるのだ。

そうして居間のテーブルにつき、みんなでおせちと雑煮をつつく。寺川を招待していたからか、おせちはいつもより明らかに豪華だった。伊達巻は見たことないくらい分厚くて、黒豆は艶々に輝いており、なんか見たことない大きな海老まで入っている。トガシの母は、やはりトガシの母なだけあってそういうところがあるのだった。




 一月三日。トガシは小宮を誘って走りに出ていた。目的地は寺川の神社である。せっかくなので一緒に初詣に行こう、ということになったのだ。

二人並んで、懐かしい河川敷沿いの道を走る。
遠くでは夕方のサイレンが鳴っていた。吹き抜ける風に揺れる土手の雑草。『この先凸凹あり』と書かれた路面表示。京王線の高架橋。あの頃、何度も二人で見た景色である。ちょっぴりエモい。小宮も走りながら辺りを見渡して、どこか懐かしそうに口元を綻ばしていた。

そうして長い道を抜ける頃には、すっかり夕焼けが垂れ込めていた。陽が落ちたせいか、寺川神社の参拝客も随分と疎らだった。二人は人並みに揉まれることなく石段をのんびり上がっていく。その途中で、小宮がぽつりと呟いた。

「──あの頃さ」
「うん?」
「あの頃……、トガシくんに走りの練習見てもらったあとに、日が暮れるまでここで階段ダッシュしてたんだ」
「そんなことまでしてたの? なんだか小宮くんらしいね」
「うん。それで、怪我をしたことがあって……その時に神社のお兄さんが助けてくれたんだ。今思うと、やっぱり寺川さんだった気がするんだよね」
「いやぁ〜、それはないでしょ〜〜」
「そうかなぁ……
「そうだよ、河童とかだよきっと」
「河童……?」

トガシは寺川の好感度が上がるのを、何が何でも許さない男である。


 やがて石段を上りきる。鳥居の手前でトガシが立ち止まり、自然な仕草でひとつ礼をする。それを見て、小宮も慌てて真似をし頭を下げた。

西の空がゆっくり藍色へ変わる頃だった。境内には篝火が灯っていて、どことなく懐かしいような煙の匂いが漂っている。寺川の姿は見当たらなかったので、二人は先に参拝を済ませることにした。手水舎へ寄り、トガシはこれまた迷いのない手つきで柄杓を取り、左手、右手と順に清める。持ち替えて口をすすぎ、最後に柄杓を立てて水を流す。その一連の所作は驚くほど自然で、静かだった。こういう時のトガシの仕草は、本当に慎み深くて美しいと小宮は思う。上手く言葉にできないけれど、スタート前にトラックに向かって静かに一礼するあの時と、とてもよく似ている気がする。昔からトガシには、そういうどこか神聖さみたいな不思議な静かさがあるのだ。

そんなことを思い出しながら、小宮もトガシを真似て手水を取る。けれども、柄杓を持ち替えるところで、右だか左だかよくわからなくなってしまった。手順も曖昧にもたもたしてしまう。陸上以外のことに関しては、小宮はてんで鈍臭い男なのである。なんとか柄杓を戻して顔を上げると、トガシが少し離れたところで待っていた。何も言わないし、もちろん小宮を笑ったりもしない。そのことに少しだけほっとする。子どもの時からそうだった。自分が失敗しても、トガシは笑わない。それが昔も今も小宮には嬉しかった。
 
 参拝を終え、トガシは慣れた足取りで境内の奥へと進んだ。その後ろを小宮もおっかなびっくりついて歩く。するとちょうど、寺川の姿が見えた。狩衣姿のまま母屋の縁側に腰を下ろし、ダルそうにスマホをいじっている。トガシたちに気が付くと、へらりと笑いこちらに向かってひらひら手を振った。

「あけおめ〜」
「お疲れさまです」

相変わらず気の抜けた正月の挨拶に、トガシがそっけなく返す。その横で、小宮が少し躊躇いがちに一歩前へ出た。

「あ、あの、寺川さん」
「ん?」
「あ、あけましておめでとうございます……その……こと、今年もよろしくお願いします……

そう言って小宮はちょっぴり緊張した面持ちで、ぺこりと頭を下げた。あまりにも律儀で、健気で、見ているこちらが気恥ずかしくなるほどである。おそらくきっと、昔助けてくれた“神社の優しいお兄さん”とやらを思い出補正で重ねているのだろう。それを見て、トガシは内心チッと舌打ちをする。トガシは寺川の好感度が上がるのを何が何でも許さない男である。

「うんうん、あけおめ〜」

そう言って寺川は小宮に向けてニッコリ優しく笑った。仕事やトガシを通じて関わるうち、寺川も小宮という男の人となりは多少なりとも理解するに至っている。思っていたようないけすかないタイプではないし、むしろクソバカアンポンタンの暴君トガシなんかよりよほど素直で、よほど話の通じる相手だとさえ思っている。


……とはいえ。

「まぁ、よろしくしないけどね?」

それはそれ、これはこれである。
寺川は笑顔のまま間髪入れず言い放った。小宮は思わず固まっていた。

…………え?」
「よろしくしないよ」
「え、あの……ど、どうして……?」
「だって俺トガシくん側だし。小宮選手はライバルなわけじゃん?ライバルとよろしくする理由なくない? むしろ足の骨の二、三本折れてくれた方がこっちとしては助かるよねェ〜」
「わ…………っ」

寺川節である。可哀想に、小宮はなんだかすっかり混乱してしまい、ちいかわみたいに怯えてしまった。

「オイ、小宮くんいじめんなよ」

見かねたトガシが思わず口を挟む。

「え〜? いじめてないって。むしろ正当なライバル宣言じゃん?」
「言い方ってものがあるだろ」
「え? なぁにトガシくん、俺が小宮選手を応援しててもいいの?」
「え? や、そういうわけじゃ……
「アハハッ、な〜んだ!本当はトガシくんだって小宮選手にバキバキに骨折ってほしいって思ってんじゃん♡」
「ひ、ひどい……っ」
「思ってないから!!小宮くん、この人の言うこと真に受けなくていいから!!」
「アハハハッ」

大人げないにも程がある。
かくして、寺川の好感度が上がることはなかったのだった。