千代里
2026-06-11 23:01:17
12997文字
Public 君ふれ短編
 

君ふれ・クガネ編・27話


 私の心は張り裂けて、今にも胸は引き裂かれそうに痛むのに。
 どうして、あなたは幸せそうに笑っているの。
 
 ***
 
「ミィハ、壁よこせ!」
「相変わらず人使いの荒いやつだな!」
 リンクパール越しではなく、肉声で響く悪態。しかし、言葉とは裏腹に、すぐさまフェリキシーの目の前に薄水色の光が走る。
 光の軌跡が作り上げた不可視の障壁。精緻な魔法の出来栄えに感心する間もなく、ガンッと鈍い衝突音が響いた。
 フェリキシーの目の前に立ち塞がるのは、西方でも時折見かけるジズという魔物だ。
 蜥蜴と鳥を合いの子にしたような姿自体は見覚えのあるものだが、その凶暴性は西方の個体の比ではない。一度獲物を見かけようものなら、自身の縄張りから出て行こうとお構いなしに追いかけ続けてくる。
 ジズの獲物は、そ嘴についているハンマー状の突起だ。今もそれを、しつこく何度も障壁に叩きつけている。
 ガンガンと響くけたたましい大音声を聴いていると、ハンマーでかち割られる胡桃のような気分になるが、あいにくフェリキシーは胡桃のようにおとなしく割られるのを待つつもりはなかった。
 もとより、障壁に頼って逃げ切るつもりなどなかったのだから。
「ほんっと、ここの連中はしつけえんだからよ」
 チッと舌打ちを一つ。
 障壁が破壊され、嬉々として獲物に食らいつこうとしたジズによぎる、一瞬の油断。その隙に、フェリキシーは下から掬い取るようにして槍を跳ね上げた。
 嘴を叩きつけようと顔を振り上げていたジズの顎に穂先が掠るも、敵も易々と討ち取らせてはくれない。
 ギェーとけたたましい鳴き声と共に、引っかかった穂先ごと、嘴をフェリキシーに叩きつけようとして、
「トドメは君に任せる。早く、このやかましい魔物をなんとかしてくれ」
 ぐるりと、光の球体がジズを取り巻く。ジズが異変に気がつくも、時すでに遅し。球体から内側へと生まれた光線が幾重もジズを貫いていた。
 先ほどよりもはるかにやかましい絶叫が周囲にこだまする。
 威嚇と憤怒の声と共に、ジズは新たな敵――フェリキシーの後ろに控えていたミィハを睨んだ。
 まず、こちらを先に仕留めようと足を踏み出したジズ。
 だが、頭に血が上るあまり、ジズは自分が今まで相対していたものの存在をすっかり忘れてしまっていた。
「戦いの最中にシカト決めるとか、舐めてるにも程があるだろ」
 一直線に走ろうとしていたジズは、突如バランスを崩して前のめりに倒れる。
 なぜ。どうして。
 数秒遅れて、ジズは自分の下半身が妙に軽いことに気がつく。
 もしジズに振り返る余裕があれば不安定な二足歩行の均衡を保っていた己の尾が、槍の一閃と共に落ちていたことに気がついただろう。
 フェリキシーは、堂々とした足取りで倒れ伏したジズの上体を踏みつけた。
「これで、ようやく終いだな」
 ギェ、とジズは鳴く。
 最後の抵抗とばかりに頭を振りかぶった刹那。
 今まで何頭もの獲物を仕留めてきた嘴の奥、真っ赤な喉へと、槍が深々と突き刺さった。
 
 
 禁断の地・エウレカ。その中でも、アネモス帯と呼ばれる一帯にフェリキシーとミィハは滞在していた。
 エウレカには、他にも複数の区域が調査対象として挙げられているが、どの場所も総じてエーテルの乱れが著しく、一筋縄ではいかないという厄介な特性を持っていた。
 アネモス帯の中でも、エーテルそのものが大地の裂け目から噴き出しているような場所を何度か見掛けている。
 エールの乱れのせいか、気候すらも常識はずれで、燦々と降り注ぐ日差しに一息ついたかと思いきや、突如暴風が吹き荒れ、かと思いきや横殴りの雪に見舞われることもある。
 雷が幾重にも轟き、満足に眠れない夜もあった。
 一日の間に幾度も大きく天候が変わるので、調査をしている冒険者たちは、活動を開始する前に必ず天気予報士の元に殺到するというのがお決まりになっている。
 さいわい、エーテルの流れからある程度気候の変化は読み取れるようで、彼らの予報を元に支度をしていれば、気候は大きな障害とはならない。
 もっとも、それを知らずに道中で暴風雪に見舞われて凍え死ぬなどという、間抜けな結末を迎えている冒険者も全くいないわけではないが。
「長く居座るには、やりづれえ場所であるのは確かだな」
「その分、魔物が独自の進化をしている。僕たち人間より、彼らの方がはるかにこの地に順応していると言えるだろう」
 仕留めたばかりのジズを、魔法で浮かせて運んでいたミィハは、フェリキシーと共に木陰に身を隠して戦闘の余韻からようやく脱していた。
 アネモス帯は、その乱れた天候とは裏腹に、一帯の殆どが旺盛に茂った樹木で覆われている。おかげで、魔物たちから隠れて休憩をとる場所はいくらでもあった。
「おかげで、普通の魔物からじゃ手に入らねえ皮やら肝やらが取り放題なのは、ありがてえことだがな」
「それで、君はいつまでここにいるつもりなんだ」
 クガネから船でエウレカに向かうまで、予定より海が荒れたせいもあり、二日ほどの時間を要した。
 その上、到着した後に島の情報を先駆者たちから得るのに更に一日が経過している。
 その後も、入手した地図が正しいかの確認や、安全な逃走経路の検討など、慣れない環境での冒険ということもあり、二人は慎重に慎重を重ねて準備をしていた。本格的に活動を開始したのは、ここ数日のことである。
(普段の君ならば、適当に見切りをつけて行動をしていたんだろうが……ユキハネのことがあるからな)
 フェリキシーは良くも悪くも合理的であり、時に効率を重んじる人間だとミィハは知っている。
 そんな彼が、非効率であることを承知の上で、下調べを念入りに行なっているのは、万が一にもここで命を落とすわけにはいかないと思っているからだろう。
 ここで得た報酬をユキハネの実家が抱えた借金返済にあてる。それこそが、彼の最終的な目標なのだから
(もっとも、それを本人に言ったところで、真っ向から否定されているのは目に見えているがな)
 そんな事情を踏まえた上で、ミィハは「いつまでいるのか」と尋ねたのだが、返ってきたのは返事とは言い難い内容だった。
「聞いた話じゃ、この島には稀に、よそではなかなか見ないような巨大な魔物が出るんだとよ。そいつらは、体の一部ですら飛ぶような値段で取引されているって話だ」
「それを仕留めるまで帰らない、と言いたいのか」
「ああ。その手の大物は、仲間を殺されると出てくることも確認されている。だったら、俺たちが魔物どもを狩り続ける限り、どこかに必ず大物が現れるはずだ」
 フェリキシーの話す内容は、ミィハも聞いたことがあるので、眉唾物ではないだろう。
 この島の異常なエーテルのせいか、魔物の中でも突出した成長を見せる個体がいるらしく、彼らは総じて他の魔物よりもはるかに手強いとのことだった。
 あるいは、島が魔物の減少を察知して、特殊な個体を生み出しているという噂もあるが、この異常な環境なら、事実であってもそこまで驚く気持ちにもならない。
「それよりも、てめえはいいのかよ」
「何の話だ」
 先ほど仕留めたジズから嘴を外そうとしていた手を止め、フェリキシーはミィハを見やる。
「あのザックとかいう商人から頼まれてただろ。東アルデナード商会の番台に出会ったら、戻ってくるように話をしてくれないかって」
「そうだな。だが、その肝心のハンコック氏が他の地域に出かけていて、戻ってくるのにしばらくかかると言われている以上、無理に追いかけるよりは待っている方がいい」
 エウレカに出張しているため、現在クガネを不在にしている東アルデナード商会の重鎮――ハンコックは、エウレカの中でも。とびきり危険な区域に足を運んでいるらしい。
 そこは、調査の最前線と言われている場所であり、かの名高い英雄『光の戦士』が先陣を切っていると聞いている。
 ハンコックのことは、光の戦士が守ってくれているかもしれないが、のこのこと顔を出した名も無き冒険者二人を守るほど、英雄も余裕はないだろう。
 ミィハもフェリキシーも、己の力量を正しく把握している。アネモス帯の魔物とて、一歩間違えればあっさりと相手を死地に送るほどの脅威を持っている。そんな自分たちが最前線など行けるわけがない。
「だが、興味がないわけではない。ピューロス帯というところでは、温泉が見つかっているそうだ。どういった経緯でそんなものが湧き出したのか、興味はある」
「そういう物見遊山は後にしろ。湯に浸かりてえなら、クガネに戻ってからにするんだな」
「温泉に入ることには、僕はそこまで興味はない。ケイなら喜びそうだがな。それに、ユキハネも」
 ミィハがさりげなく付け足した一言。その言葉に、フェリキシーの手がぴたりと止まる。
……あいつは、もうこんな所には来ねえよ」
「それは、君が望んでいることだろう」
 ミィハが追い討ちのようにかけた言葉。しかし、フェリキシーから回答はない。
「それとも、君も不本意に感じているのか? 君自身が、ユキハネが冒険者を続ける必要はないと言ったのに」
「思わねえよ。そんな面倒くせえこと」
 屈んで作業をしているせいで、フェリキシーの顔は見えない。
 ミィハは彼が投げてよこした、剥ぎ取られた革を受け取る。先ほどまでの丁寧な作業と打って変わって、削ぎ落とし損ねた肉片が幾つか付着していた。
「それなら、もっと堂々と彼女を突き放したらどうだ。どっちつかずは、ケイの言葉を借りるわけではないが、卑怯な振る舞いに見える」
――――っ」
「君は、僕よりも悪役の演技をするのが上手いだろう。僕は、その意味では素人以下だったからな」
 かつて、ケイにわざと酷い言葉をぶつけて、彼と距離を置こうとしたことがあった。
 だが、肝心なときにミィハは彼の目すらまともに見ることができなかった。
 それに比べれば、フェリキシーは自分よりはるかに優れた役者だ。冒険者として、複数の顔を使い分けるのも慣れている。
 もっとも、ユキハネに普段見せていた面がフェリキシーのどの側面を映し出したものかは、本人のみが知ることである。
「お前みたいに、いちいち悪ぶる必要もねえ。あのガキは置いていく。……そいつが、俺にとっても一番マシだと思える結論なんだからよ」
「なら、ユキハネと顔も合わせずに借金だけ返して姿を消すつもりなのか?」
 ミィハの確認に、フェリキシーは言葉に詰まる。
 ムヒョウがフェリキシーに語った後悔が、不意にずしりと重みを増してのしかかってきたようだった。
 どれだけ瞳をこらしても、別れを告げた時のユキハネの顔が思い出せない。
 そのせいか、これまでユキハネが自分にどのような表情で接していたのかも、まるで濡れた紙がボロボロになって崩れていくように曖昧になっていく。
 誰かと別れるというのはそういうことだと、知っていたはずなのに。
 彼女の顔が思い出せないという、ただそれだけのことが、フェリキシーの足取りを重くする。
……顔ぐらいは出す。そうしねえと、あいつも納得しねえだろ」
「納得しないのは、ユキハネだけじゃないだろう。僕も、ケイだってそうだ」
 ――それに、君だってそうなんじゃないか。
 言外にそう言われた気がして、フェリキシーはわざと大きな舌打ちをした。
 
 ***
 
「あんたさんには世話になってるから、変わらずに取引をしたいんは山々なんだけどよ。実はちょっと、こちらにも事情というものが出てきちまってな。あんたさんに卸すわけにはいかなくなってしまったんだよ」
 ケイの前に座っている機織り職人の男は、にがりきった様子で頭を掻く。
 彼が取り繕った笑みを浮かべて応対しているのは、ケイの隣に座っている商人――ザックだ。
 これまで何度かケイの個人的な問題を助けてくれてはいるものの、ザックの本来の仕事は東方の織物を買い付けることにある。
 紅白絹の調査が行き詰まってきたこともあり、ザックは本来の仕事に立ち返り、馴染みの職人の元に買い付けに向かっていた。
 しかし、二人を迎えてくれた職人の返答は先の通りだった。
「値下げの件なら、周りの連中がどうだか知らないが、俺は今まで通りの値段で買い取りたいと思っている。それなら、あなた方の不利益にはならないんじゃないか?」
「もちろん、それは願ってもないことだ。どうにも、最近の西の商人連中は、前より財布の紐が固くていけねえ。これまでと同じ値段で取引してくれるって言うなら、今すぐにでも飛びつきたい」
「だったら、どうして俺には卸せないと?」
 ザックの飾らない率直な質問に、男は口籠る。
 それから暫くして、男は素早く周りに視線をやってから、二人を手招いた。
 何か内密な話をしたいのは、彼の顔を見ただけでわかる。ケイとザックは顔を見合わせ、男へと近寄った。
……実は、あんたさんと取引したら、うちとは今後一切取引しないって、大口の取引先が言ってきててな」
「大口の取引先って?」
「ホーネット商会ってところだ。背の高い、ちょっとおどおどした感じの姉さんが仕切ってるところだよ」
 彼の説明に、ケイとザックは揃って目を丸くする。
 伝承に残る紅白絹を手に入れるためなら、彼女たちは何でもすると言ってのけた。
 その行動の一つが、彼女らに敵意を向けたケイの身内の商売を邪魔すること、というわけだ。
「あちらさんとは、今までもうちで作ってる織物のうち五割は買い取ってもらってるからな。多少今回の件で売値は下がったが、取引先そのものが潰されるよりは余程いいってことなんだよ」
 悪いな、と頭を下げる職人に、ザックもすぐに言葉を返せずにいた。言葉に詰まるザックを気の毒そうな顔で見つめた職人は、さらに声を潜めて言う。
「あんたがた、あのホーネット商会に何かしたのか? あの商会には、あまり逆らわない方がいいと思うぞ。クガネでもあまりいい噂は聞かんからなぁ」
「それって、どういうこと?」
 かつての古巣である商会の名を不穏な切り口で語られて、ついケイが会話に口を挟む。
「金はあるし取引の契約も悪くはない。だが、あんたさんらみたいな個人で切り盛りしている商人に、脅迫まがいの真似をしてるみたいだって、俺たちの間じゃもっぱらの噂だ。販路を独占したいから小さいところを潰すってのは、何も西に限った話じゃないがね」
 職人が語る悪評に、ケイは眉間に力をこめてしまう。
 こんな形で悪評が広がるくらいなら、いっそのこと、かつての商会主であるカミラが消息を絶った際に、一緒に取り潰されていればよかったのにと思ってしまう。商会から逃げた自分にそんな資格はないとわかっていても、不快に感じる気持ち自体を封じることはできなかった。
 ホーネット商会の悪評を口にしつつも、職人は自分たちもそれに従う姿勢を見せている。矛盾した姿勢にも見えるが、利益を得るためならば仕方ないと割り切っているのだろう。
 職人は申し訳なさそうにしつつも、前言を撤回するような真似はしなかった。
……そういう理由なら仕方ないな。俺も無理強いはできない」
「悪いな、ザックさん。文句があるなら、東アルデナード商会のお偉方に言うといい。こっちが言うのも何だが、西の問題は西の人同士で解決した方がいいだろう」
 職人に言われるまでもなく、ザックは既に一手を打っている。エウレカに向かったケイの友人に、東アルデナード商会の番台への伝言は託してあった。
 後は、切れ者と噂の番台がどれほどその話に耳を傾けてくれるか、だ。
「じゃあ、取引きの話はこれで終いでいいとして。少し、雑談に付き合ってくれるか。茶飲み話までは禁じられていないんだろう?」
 ぴしりと整えていた姿勢をいくらか崩して、ザックはこれまで纏っていた商人としての気配を消す。
 代わりに、気さくな隣人のような笑顔と共に、他愛のない話を相手へと振っていく。最初こそ、最近のクガネの情勢や西方の噂話に興じていたが、ケイは彼が何をしようとしているのか、既に察していた。
 話が一区切りつき、良い具合に場の緊張がほどけた頃、ザックは目顔でケイに示唆を出す。前のめりになりすぎないように注意しながら、ケイは口火を切った。
「もし知っていたら、教えてほしい噂話があるんだけど。昔、ひんがしの国のどこかでお侍さんに献上された、綺麗な紅白の絹の話って聞いたことがある?」
「ああ、聞いたことがあるよ。勤勉な娘が恋人に手ひどく裏切られた後に作ったっていう、昔話だっけか。うちの婆さんだか、曾祖母さんだかが話してたな」
 オロシから聞いたお伽噺は、この職人の家にも伝わっていたようだ
 ならば、とケイは更に踏み切る。
「あの織物の作り方って、今も作っている人っているの? 俺、それらしい噂を聞いたんだよね。もし本当なら実際に見てみたいって思ってるんだけど」
 いかにも、既に紅白絹が実在するという情報が出回っているかのような口ぶりで尋ねる。もし、紅白絹の実在を知っているのならば、職人は何らかの反応を見せるはずだ。
 ケイが一縷の期待を込めて見つめていると、職人は予想外の反応を見せた。
「そんな噂、俺は聞いたこともないな。でも、もしそれが本当だとしても、興味本位で覗きに行くなんてやめた方がいいぞ」
「どうして?」
 ホーネット商会の話題が再び出てくるのだろうか、と危ぶむケイたちの推測は、続く職人の言葉であっさりと裏切られる。
「だって、あれは人を殺した女が織った布の話だろ。見に行くだけでも呪われそうなもんじゃないか」
 
 ***
 
 昔、とある田舎町に暮していた機織り職人の娘は、町で出会った男に恋をした。男も女を受け入れ、迎えに行くと約束を交わした。
 しかし、約束の日を過ぎても、男は女を迎えに行くことはなかった。
 業を煮やした女は、町へと繰り出した
 そして、彼女は男が自分とは異なる娘と式を挙げている姿を目撃した。
 そして、女は。
「オロシから聞いた話じゃ、その人は恋に破れた気持ちで糸を染めて紅白の絹織物を作ったって話だったけど……
「実際は、持っていた鋏で男を殺害して逃亡。その後で血に濡れた鋏と共に織り上げた布が、極上の代物だった……って、あの職人はそう言ってたな」
 波止場に続く道の途中、小さな茶屋の椅子に座り、ケイたちは先ほど聞いたばかりの話を辿り直していた。
 波止場の潮の香りを浴びながら団子を囓れるこの席は、本来ならば風通しのいい心地よい場所なのだろう。だが、聞いたばかりの血なまぐさい話のせいで、そこにあるはずのない血の臭いが鼻先を掠めているような気分が拭えなかった。
 もっとも、店内にいれば、より鬱々としていただろうから、外の席を選んだだけ、まだマシと言ったところだろうか。
「しかも、ただのお伽噺じゃなくて、実際にあった話のようだって言ってたよね。ということは、その女性が殺した誰かも、女性自身も、大昔ひんがしの国にいた誰かってことになる」
「紅白絹が現代に存在するにしても、職人としての技を子孫に引き継がせたって話だけなんじゃないかって思ってたんだが。こうなってくると、ただの一子相伝の妙技ってわけでもなさそうだ」
 深刻な顔つきのケイに、ザックはいつもと変わらぬ調子で、茶屋で注文したお茶と団子の入った盆を、ケイの近くへと滑らせる。
 たとえ冒険者として戦う力を身につけていても、ケイはザックと比べればまだまだ年若の少年だ。年長者であるザックの方が、深刻な顔つきから脱却するのは一足早かった。
 ザックに御礼を言って、ケイは甘い蜜のかかった団子を手に取る。少し前に食べた三色団子とは異なり、とろりとした甘さが血の臭いを少しだけ遠くに押しやってくれた。
「でも、誰かを殺した道具を使っただけで、どうして綺麗な布が織れたんだろう。血で濡れた鋏なんて、糸を汚すだけに見えるけど」
「ケイは、ひんがしの国に来るのは今回が初めてだって言ってたな。だったら、そう思うのも無理はないか」
「ザックには、見当がついてるの?」
 ザックは頷き返した。
「ひんがしの国には、付喪神っていう伝承がある。長く使っていた道具には、何らかの思いが宿って超常の力を得るっていう言い伝えだ。それと同じくらい、物には情念が籠もるっていう伝承も沢山ある」
 多くの人を斬った刀。持ち主たちの欲望を吸い取り続けた宝玉。沢山の花嫁を飾り続けた打ち掛け。
 それらの品々には、良くも悪くも持ち主達の記憶や思いが宿るものだとザックは語る。
「どういう理屈か分からないが、持ち主が不在になった後も、道具だけが動き回って悪事を働いたり、逆に人々を助けた……なんていう逸話もいくつかある。もしかしたら、紅白絹を織った女の鋏や、持ち主だった女自身にも、その手の摩訶不思議な力が宿っていたのかもしれない」
「ザックの話を聞く限り、寧ろその女職人さんの行動が鋏に念を憑かせたようにも聞こえるよ」
「そういう場合もあるだろうな。どっちにしろ、感情の内容はともかくとして、その手の強い想いが人並みから外れた大きな成果をあげるっていうのは、ひんがしの国では度々登場する話なんだよ。ただの噂や伝承じゃなくて、実際にあった事件としてな」
 ザックの説明を聞きながら、ケイは自分が持っている知識と彼の話す『ひんがし独自の物語』を照らし合わせる。
(ザックはこう言ってるけど、そんなことって本当に頻繁にあるものなのかな)
 一瞬疑念を抱くも、ケイはすぐに自ら己の疑念を打ち消した。
 何せ、ケイ自身、最早途絶えたはずの古代の魔法を現代に蘇らせた張本人である。普段は技の破壊力もあって軽率には使えずにいるが、エギと呼ばれる召喚獣を操る技は、現代の魔道士には失われた古代の秘技だ。
 ソウルクリスタルに宿った武技の記憶を引き出すことで、ケイはその技を安定して用いられるようになった。
 ならば、ザックの言う『物に持ち主の念が宿る話』も、これに似た原理が働いているのかもしれない。
「たしか、ミィハが持っていた本には、魂とエーテルは似たようなものって書いてあった。だったら、魂の中に残っている強い想いが、物に宿るということはありうるのかも」
「俺は魔法に関しちゃさっぱりだが、ケイの考えとしては理屈は通ってるってことか」
「詳しくはミィハに聞いた方がいいけど、似たような例はエオルゼアでもあったと思う。それ以外にも、物には妖異が宿って悪さをする例もあるそうだから、そういう場合もあるかもしれない」
 妖異とは、ケイたちが暮す世界とは異なる位相に存在する別世界に暮す化け物だ。
 彼らは、世界に生じる亀裂を使って、時折こちらの世界へとやってくる。見た目の禍々しさや人を襲うという特徴以外にも、妖異ならではの特色として、こちらの世界の物品に宿って活動をするというものがある。
 それは時に石像や壺のような無機物の場合もあれば、人間そのものの肉体を乗っ取ってしまう場合もあると聞いている。
 ザックの語るひんがしの国に纏わる言い伝えは、妖異に憑依された物品が齎した事件とも捉えられそうだった。
「つまり、ケイの説をとるなら、織物の話には二種類のパターンが考えられるってことか」
 職人の念がエーテルとして宿ったか、あるいは更に前の持ち主の念が職人に影響を及ぼし、凶行を起こさせた。
 はたまた、鋏に取り憑いた妖異が職人を唆し、恋人の殺害を促した。
「どちらにしても、殺された人のエーテルを、鋏か殺した人自身が力として得たことで、通常とは異なる力を発揮できたことが、偶然にも織物の出来映えに影響したんだと思う」
 言いながら、ケイは思案する。
 もし、それが事実だとしたら、事はより複雑になる。
 技芸を極めた職人の技ではなく、人の命を吸って美しく織り上げられた品。それは、裏を返せば、命さえあれば再現が可能ということではないか。
……もし、紅白の美しい織物が、誰かを傷つける事で得られるものだったとして。ジジルやセゴレーヌは、そうまでして上質な織物にこだわるかな」
「拘るだろうな」
 ザックの回答は単純明快であった。
「前にも話しただろ。以前は王室御用達に選ばれるまでの地位と名誉があったのに、第七霊災なんていう横槍のせいで、かつての栄光が地に落ちてしまった。ウルダハの商人なら、以前は得ていた栄誉を再び手に入れるためなら、血生臭い方法だろうが何だろうが、ためらわずに選び取るだろうさ」
 ザックの言葉は、ケイの中にもあった、そうでなければいいのにという後ろ向きな推測をダメ押しするものだった。
 ケイとて、ウルダハで短くない時を過ごしてきた身だ。
 砂都で生きる商人たちが、己の財を膨らませるために手段を問わないことをよく知っている。
 かつて、ケイを育ててくれた義両親も、彼の手を滑り落ちていったホーネット商会の女主人もそうだった。
「じゃあ、ザックも同じ考えなの?」
 気づけば、ケイは尋ねていた。
 いつのまにか、依頼主と、雇われ冒険者の垣根を超えて、ケイの個人的な調査にまで付き合ってくれる青年商人に。
 ウルダハから来たという彼も、ジジルたちのような冷徹な側面を持っているのかと。
……ザックも織物が欲しいから、俺の調べ物に付き合ってくれてるの?」
 ケイの調査の先には幻の織物があるかもしれない。その可能性に賭けて、ジジルたちとは違う形で協力しているだけなのかと、今更になって疑念が生まれる。
 そうであってほしくないとは思っていても、事は自分だけに関わることではない。
 半ば恐々とした気持ちで尋ねたケイに、果たして、ザックはいたずらっ子のような笑顔を返した。
「そりゃ、俺は商人だからな。ただで子供の調べ物を手伝うほど俺の時間は安くない。利益がなけりゃ、手伝いなんかしないさ」
 ケイが俯きかけたとき、「だって」とザックの声が上から被せられる。
「ケイが、自分が昔居たっていう、それだけ薄い縁しかない商会の名誉のために本気になってる。それは、ちゃんと分かってるつもりだ。ってことは、裏を返せば、今ここでこうして恩を売っておけば、俺がピンチの時、ケイは本気で助けてくれるってことだろ?」
 下を向きかけていたケイの顔が、ゆっくりと持ち上がる。
 見上げた視線の先、ザックが手を伸ばしてケイの短い濃紫の髪をがしがしと撫でていた。
 その乱暴な手つきは友人のミィハとも違っていて、顔も知らない父親という存在を、ふとケイに彷彿させた。
「それに、東アルデナード商会に顔を売っておくのも悪くはない。クガネで買い付けをするなら、あそこは切っても切り離せないところだからな」
「でも、俺の頼みのせいで、ザックの仕事に支障が出てしまったのに?」
「それくらい、後からどうにでもなるさ。商人を舐めるなよ」
 パッと手を離し、ザックはケイの背中をぱしんと叩く。
「ザックは、その……さっきの紅白の絹を欲しいとは思わないの?」
「気になりはするが、それを使って一儲けしようとは思えないな。だって、それを作るには、誰かを傷つけるか、殺さなくちゃいけないんだろ」
 未だ推測の域を出てないが、まず間違いないだろうとケイは頷く。
「そうなると、傷つけられた誰かのことを想って泣くやつが必ず出てくる。どれだけ高値で売れたとしても、ギルに混じる涙はできるだけ少なくしたいんだよ、俺は」
 そう告げる彼の瞳は、どこまでも真っ直ぐだった。
 そこに、ケイは自分やフェリキシーのような冒険者が持つものと似た、決して曲げない一つの矜持を見た気がした。
 だから、ザックはクガネの経済に漂う値下げの風潮に背を向けた。たとえ他の商人と喧嘩になってしまったとしても。
 自分の利益を度外視するやり方は、ウルダハの商人らしくはない。だが、ケイは彼の考え方は嫌いではなかった。
「ザックがそういう考え方の人で、俺、今すごくホッとしてる」
「そいつはどうも。でも、こんなんだから俺の財布はいつも軽いんだよ。買い付けが終わって無事に売り捌いても、利益なんてドードーの涙だぜ」
「食べるものに困ったら、ミストヴィレッジにおいでよ。俺が何か作るから」
「あんがとよ。さっそく、ケイを助けた利益ってやつが出てるな」
 わざとらしいザックの態度に、ケイは彼を肘で軽く小突いた。
「ねえ、ザックはどうしてそんなふうに、優しい商人になろうと思ったの?」
 ケイの素朴な質問にザックは目を細める。
「そんなに大層な理由があるわけじゃないさ」
 手を組み合わせ、うんと大きく伸びをする。真っ直ぐに見上げたクガネの空は、今日は曇り一つない。
「俺は、昔画家になりたかったんだ。まあ、そっちは才能がないって諦めもついたんだけどよ」
 ありし日の己に想いを馳せて、ザックは眩しげに目を細める。
「画家として、ちょっとばかし名が売れてる伯父の絵を見たときに、驚いたんだ。それは、ウルダハのオアシスを背景にした肖像画だったんだけれど、そこには伯父が大事にしたいものがいっぱい詰まってた。描かれている人物もさすがと思えるような出来だったんだが、何よりその背景に俺は惹きつけられたんだ」
 今にも手を浸したくなるような澄み切った水。オアシスを彩る鮮やかな花。その向こうに広がる乾いた大地の厳しさ。
 肖像画を度々描いていた伯父だったが、彼が本当に望むものは、そこにあったのだとザックは直感で理解した。
 そして時は流れ、商人の道を進むと決めた時、ふとあの鮮やかな絵画が脳裏に浮かんだ。
 自分の大事なものは何があっても譲るまいとした伯父の拘りが、彼なりの意地とプライドなのだと、大人になったザックは気がついていた。
「あの絵のように、俺の大事にしたいものを一つ決めて、守ってみせてやるって思ったんだ。それが、きっと俺なりの絵になるだろうから」
「それが……誰かを泣かせないってこと?」
「それももちろんだが、何より笑顔、だな。俺は、やり取りする人みんなが笑顔になるような絵を、俺の中に描きだしたいんだよ」
 優しくなろうとしてなったわけではなく、ただ自分の意地を決めたら結果的にそうなっただけ。
 ザックはそう嘯いたものの、ケイにはそんな彼の姿勢が何よりも眩しく感じられた。
 そして、同時にわかってしまう。
 ザックが沢山の人の笑顔を重んじるように、ジジルたちもまた、自分たちにとって譲れないものがあるが故に、ケイの望まぬ道を選び取るだろう。
……負けてられないな」
 これは、意地と意地の張り合いだ。どこかで説得して納得してもらえたらと思っていたが、恐らくそれは叶わない。
 ならば、自分も覚悟を決めねばならない。
「よし、休憩終わり! さっきの職人さんが話していたようなことが今も起きそうなら、エーテルの流れにも異変が起きているかもしれない。今度はそっちにも注目してみるよ」
「なら、そっちはケイに任せるよ。俺は門外漢だからな」
「うん、任せて。あ、その前に、ユキハネの家に行ってもいいかな。この前、ヒョウセツが会った時、具合悪そうだったみたいだから」
 ケイにとっては、ホーネット商会の名誉と同じくらい、ユキハネとフェリキシーの間に生じてしまった摩擦も気になっていた。
 できるなら、どちらも誰も悲しまない形で解決したい。それが、今のケイが目指す道だ。
「じゃあ、先にその子の見舞いか。いやあ、こんなに忙しいのは、クガネで商いを始めて初かもしれないな」
 それでも嬉しそうに笑って見せるザックに誘われるようにして、ケイも口の端を持ち上げる。
 今はまだ、不安も心配事も沢山あるけれど、それら全てを吹き飛ばすと決めたかのように、彼は力いっぱい頷いた。