Chiru
2026-06-11 22:03:11
2269文字
Public 弊ヒカセン
 

Crimson


 オールド・シャーレアンのラストスタンド。チルは、大書院で借りてきた本を読んでいるラハをじっと見つめていた。自分が借りてきた本は早々に飽きて、やっぱりこういう読書は向いてないな、と閉じてしまった。ラハの方はページを捲りながら、手元の紙に時々メモを残している。覗き込んでみたところで、クセの強い走り書きは何を書いてあるのか文字すら読めない。文章を追って左右に動く真っ赤な瞳をかなりの時間見つめていても、それをラハが気付くことはなかった。
 暁の血盟が解散した後、チルはこのオールド・シャーレアンに滞在している。少しは頭が良くなりたいとシャーレアン魔法大学の講義にこっそり参加してみては、内容をほとんど理解できずに抜け出して、結局街やラヴィリンソスで人助けの為に走り回っていた。ラハはバルデシオン委員会の手伝いをしながら、チルが冒険を見つけることを期待して時々声を掛けていた。今日は「学術書を読んでみたい」と意気込んだチルに付き合って一緒に読書をして過ごしている。
  
 チルは改めてラハを見た。いつみても全身が赤だ。髪も瞳も、服だって赤。そういえば、ゴールドソーサーに訪れていたヒエンに会った時に「暁の上から下まで赫い男に会った」と話をされた。確かめるまでもなくラハのことだったが、「"おにぎり"を気に入っていた」と続けられて、彼の隠れた食いしん坊っぷりが異国でも発揮されていることが微笑ましかった。ドマ解放に関する話題では、チルの活躍を語れば噛み締めるようにして聞いていたらしい。街中で比較的よく目立つラハは華やかなクガネでは意外と目立たないかもしれないが、ドマの景色には映えるだろうなと、チルは考えていた。

 一区切りついたのか、ラハは満足げに息を吐いて目を上げた。お互いの目が合って、チルの体感で5秒ほど経ってから、ラハは椅子がひっくり返りそうになるほど驚いた。
「あ、あんたは……もう読み終わったのか……?」
「ううん。飽きちゃったから、ラハを見てたの」
 ラハは頬どころか顔ごと真っ赤に染まっていて、誤魔化すように持ち上げたコーヒーカップを持つ手まで赤い。その動揺っぷりにチルも困り笑いを浮かべる。
「すごい集中力だね!どんな本なの?」
 チルが訊ねると、ガーネットのように赤い瞳はメモを見てしばらくの間黙り込む。それから、学問には明るくないチルにもわかるような言葉で本の内容を説明してくれた。それでも難しい世界の話に聞こえて、チルはだんだんと首を傾げていく。今度はラハの方が困ったような笑みを浮かべていた。
「私、その話の、前提の前提からわかんないかも……?」
「これは、オレが第一世界へ渡った方法にかなり近い理論なんだ。あんたが生きてるこの世界では、案外シャーレアンが次元跳躍の技術を確立するのかもな」
 そう言ってラハは、本に集中するあまり食べ損ねていたサンドイッチを頬張った。購入してから少し時間が経ってパンが乾燥しているものの、賢人パンよりは確実に美味しい。あっという間に食べ終えて、今度は自分のメモを読み始めた。
 席を探す人が増えてきたラストスタンドに長居するのも良くないからと二人は席を立ち、オールド・シャーレアンのあちこちを移動しながら読書を続ける。ラハが本に集中している間、チルは荷物の整理をしたり、リテイナーに指示を出したり、時々難しい顔をして読書と向き合いながら過ごしていた。冒険へ出かけなくても、別々のことをしながら2人でいるのも悪くない。2人はそれぞれの心の中でそんな風に思いながら、すぎていく時間を楽しんでいた。
 
 ラハが本を読み終わる頃、陽は傾きかけて空が赤く染まっていた。左肩に重さを感じて顔を向けると、チルが寄りかかって眠っている。いつから寝ているのかは全く分からないが、飽きたと言っていた本をきちんと読み終えたようで、裏表紙を上にして膝の上に置いている。すやすやと眠るチルをわざわざ起こすのも悪いし、何より、もう少しこのままでいたいと思ったラハは、せめて冷えないようにとマフラーを外してそっとチルの肩にかけた。目覚めたら、今度はチルが読んでいた本のことを聞いてみよう。難しいなんて言っていたが、どこまで読み解けたのかが気になる。その後はどこかで夕食を買って、バルデシオン分館のナップルームで冒険の計画を立てるのもいい。暁の英雄、バルデシオン委員会という肩書きと関係のない、気ままな放浪をするのも良さそうだ。
 
 考え事をしているうちに起こすタイミングを見失ったラハは、陽も落ちて気温が下がっているのを感じて決心した。
「そろそろ戻ろう、チル」
 呼びかけられて数秒後、ぱち、と目を開けたチルを赤い瞳が覗き込んでいる。ぼやけた視界の中でもその赤ははっきりと見えた。「おはよう」と続けられて、同じ言葉を返した。が、目を閉じた時はまだ明るかったはずで……チルは自分の失態に気付いて頭を抱えた。寝顔を見られていたことがとにかく恥ずかしい。
「もっと早く起こして!」
「あの時と、さっきのお返し。オレは、“平和を噛み締めてた”んだ」
 あの時——天の果てへ向かう前日——にチルが言った言葉を真似していたずらっぽく笑うラハに、かけてもらっていたマフラーを押し付けるように返してチルは立ち上がった。少し慌てた様子で、ラハも遅れて立ち上がる。拗ねているのかと思いきや、駆け出しながら楽しそうに笑っているチルに追いついたら、さっき考えていた計画をひとつずつ実行してみようか。