カズシ
2026-06-11 19:47:30
4623文字
Public 歳勇
 

Wee-Woo

俳優歳×モデル勇


 ピークタイムを過ぎたとは言え、小腹の空く時間帯のカフェはそこそこ賑わっていた。ドアを開くと古めかしいベルの音が来店を告げて、シンプルなエプロンを着けた店員がお好きな席にどうぞと声を掛けてくる。言われずとも視線は既に店内を走っていた。自分一人で利用するのにテーブル席を占領するのも悪いと窓際のカウンター席に目をつけ、足を進める。
 鼻を擽るコーヒーの香りと、利用客の雑談の間を抜けて辿り着いたカウンター席は、外の風景を眺めるように設置されている。脚の長い椅子が四つ、等間隔に並んでいて、そのうち左から二つ目の席には既に先客が座っていた。椅子に届く程に伸びた髪をうなじ辺りで結んでいる後ろ姿に女性かと思ったが、長い足を持て余し気味に腰掛けている長身に男性だと認識を改める。それにしても、綺麗な髪だ。艷やかに天使の輪を描く髪質は、よほど丁寧に手入れをしているに違いない。几帳面な性格なのだろう。あるいは神経質かも。そう思うと、必然的に、彼の座る椅子から一つ飛ばして一番右の席へと腰を落ち着けることになる。どちらにせよ、席に余裕がある状態で見知らぬ他人の隣に座る非社会性は持ち合わせていない。
 一息つき、荷物をカウンター下のフックに引っ掛ける。そのタイミングを見計らった店員がおしぼりとお冷、メニュー表を持ってきて下がっていった。背後では他の客が立てる音や会話が店内を流れる音楽の上を滑っていく。
 目の前では額縁のような大きな窓が、穏やかな昼下がりを浮き上がらせていた。右から左から、通行人が忙しなく店の前を通り過ぎる光景は、店内の雰囲気とは真逆だ。メニュー表を広げながら、なんとなく人の流れを視界の端に捉えていると、ふと通行人の一人が妙に目を引く。
 耳に携帯端末を当てて喋る精悍な相貌には見覚えがある、はずだ。既視感と共に誰だったかと、つい目で追い駆けてしまう。すると必然的に一つ間を空けた席に座る人物が意識の中に飛び込んで来て、ピタリと焦点が合った。息を呑む。
 なにせ視界に飛び込んできた男があまりに美形だったので。しかも、ただの美形ではない。纏う空気からして違う。彼の周りは、静謐さと華が両立していた。
 窓から差し込む木漏れ日に縁取られた輪郭は細く、通った鼻梁が完璧なバランスで配置されているのは横顔からでも見て取れた。
 それだけでも人が感嘆する造形だろうに、瞳は珍しい銀色だ。瞬く度に星が散るように光を反射させ、長い睫毛が頬に繊細な影を落とす。切れ長の目は少し近寄り難い印象を受けるが、それが却って気品の様に感じられる。自分に自信が無い者は声を掛けることを躊躇うだろう、そういった類の美しさだ。
 だというのに、手元のスマートフォンの画面を眺める表情は、どこか親しみやすい柔らかさが感じられる。引き込まれる様な雰囲気にドキドキした。高貴な人が己の立場を知らないまま無邪気に遊びに誘ってくるような、そんな後ろめたい高揚感を覚える。
 かすかな笑みを浮かべる薄い唇が、どこか薄幸そうなのも後ろめたさに拍車を掛けた。近寄り難さと親しみやすさ、その両方を兼ね備えた気品の中に、絶妙な儚さを感じさせる面立ちは、肌が白い事も相まって透明感さえ感じられる。
 と、あまりにまじまじと観察してしまったのが悪かったのだろう。
 長い前髪を揺らして、件の男が微かにこちらへと顔を向けた。目が合う寸前、慌ててメニュー表へと視線を戻す。当店オススメと書かれたページを捲りながら不快にさせてしまったかと焦る。機嫌を伺う様に、懲りずに一つ間が離れた席へと視線を向ける。もうやめておけ、不躾だと脳内で理性が喚くが、彼をもう一目見たいという誘惑に抗えなかった。ゆっくりと息を顰めて首を動かす。
 目が合った。相手もそれを認識しただろう。両目がぱちりと瞬いた。真正面から見る顔は、思った通り、完璧という言葉が似合う程の美人だ。
 胸を突かれ、心を奪われた様にぼけっと眺めていると、微かに微笑まれた。時間が止まり、背後の喧騒が遠くなる。
 人差し指が口元に立てられ、沈黙を促されたがそんな仕草をされずとも声は出なかった。息を止めて、頷く。
 すると、よく出来ましたと言わんばかりの眼差しが向けられて――
 銀色の星が一つ、美しく瞬いた。
 そこから暫く記憶がない。




 人が狂う瞬間、というのを見るのは初めてではない。
 土方は溜息を吐きながらカウンター席へと歩を進め、近藤の視線の先にいる人間に目を向ける。
 瞳は夢見る様に蕩け、頬は染まり、けれどそんな自分の状態に気づいていない。きっと頭の中は目の前の男のことでいっぱいになっているのだろう。
 最初に浮かんだのは、憐憫。次に同情だろうか。ウィンク一つで人を天にも沼に突き落とせる美貌は、近藤の職業を考えると悪いことではない。モデルという肩書を持つ男にとって自身の容姿は武器である。なので、無防備に食らうとその後しばらくは何も手につかない。
 近藤勇被害者の会でも作ればかなりの人数が集まるのではないだろうか。現に、いま一人入会してしまったようだし。などと、半ば本気で考えながら土方は口を開いた。
「近藤さん、待たせたな」
 声を掛けると、綺麗な顔が身体ごとこちらに向けられる。首元で結ばれた髪が軽やかに翻り、銀の瞳がこちらを捉えて綻ぶ。
「ああ、いや、私が早く着いただけだ」
 そう言って大きな窓から差し込む陽光の中で微笑む姿が、それこそ一つの作品の様で思わず見惚れてしまう。長い付き合いの自分ですら、時折こうして目を奪われるのだから、耐性の無い人間など魂まで奪われてしまうのではないだろうか。
 一つ椅子を空けた場所に座る客など、未だに恍惚とした表情で近藤を見つめていて、店員が遠巻きに声を掛けるべきか控えめに伺っている。これはあまり長居をしないほうが良さそうだ。
 土方はさり気なく近藤の使っていたカップへと視線を落とした。中身は殆ど飲み干されている。それ確認すると、側に置いてあった伝票へと手を伸ばした。
 摘み上げた紙の上では、殴り書きの文字が踊っていた。ケーキセット。それが三行、同じ筆跡で続いている。そう言えば、待ち合わせにこのカフェを指定したのは近藤だった。点と点が繋がった。
 想像しただけで胸焼けしそうな文字列だが、甘党の男はペロリとこの店のケーキをコンプリートしたらしい。なるほど、目的を達成しそれはご機嫌だっただろう。自分を見つめていた人間にサービスをしてやる程度には。それにしたってケーキを三個とは。こんな間食をしてよくモデルが務まるものだと感心する。
 思わず胡乱な眼差しを向けると、近藤が慌てた様子で自分の罪状が書かれた紙を奪い返そうとしてきた。細い指の略奪をひらりと避けて店の出入り口へと向かう。後ろで椅子から立ち上がる音がした。
「自分の分は払うぞ」
「待たせちまったからな。奢らせてくれや」
 店員はすでにレジ前で待機していた。かなり目立っていた自覚はある。慣れた手際の良さで値段を告げられ、手早く決済を済ませる。ドアを開いて外に出ると途端に視界が開け、街の騒音が身を包む。車道を走る車のエンジン音を聞きながら、すぐ後ろを着いてきていた近藤が外に出たのを見計らって取っ手を放す。
「アリガトウ」
 やや不服そうな声に苦笑する。奢られた事を気にしているのだろうか、それとも注文した内容がバレた事へのバツの悪さだろうか。軽く流しながら、土方は広い歩道を進み始めた。近藤も横に並ぶ。
「本屋に行きたいんだったか」
「そうだ。今日はお前がインタビューを受けた雑誌の発売日だろう」
 言われて、以前受けた仕事を思い出した。ドラマの最終回を迎えて俳優として何か得たものはあるか、みたいな内容だった。気がする。
「言ってくれたらあんたの分ぐらい用意するが」
「駄目だ。自分で買う。推し活というやつだな」
 近藤はなぜか得意げに告げた。きっと、推し活という言葉を使いたかっただけだろう。悪い気はしないが面映ゆい。なんだか負けた様な気になって、ついつい鼻を鳴らしてしまう。
「推し活なら俺もしてるぜ。あんたのその格好、こないだ雑誌に載ってたやつだろ」
「よく覚えているなぁ」
 土方の指摘に、近藤が自分の格好を見下ろした。
 黒いハイネックにキャメル色のカーディガン。ややオーバーサイズ気味なのが近藤の怜悧な雰囲気を和らげて、鋭さの中に甘さを感じられる。
 雑誌の中と違うのは、首から下げたペンダントだ。これは以前、土方が贈ったものだ。特に記念日でもなんでもない日に、思い出したようにポンと渡されたものだから、近藤は対価としてその日の夕飯を奢ってくれた。逆に悪ィな、気を使わせたな、なんて殊勝な言葉を紡ぐ可愛い弟分が、その裏でほくそ笑んでいた事には気づかなかっただろう。値段を知れば、近藤は絶対に受け取らなかった確信がある。
 オーダーメイドの特注品は、都心で一年は余裕どころか遊んで暮らせる輝きを放っている。銀狼の意匠は周囲への牽制のつもりでもあったが、彼の魅力の前では番犬も霞む様だ。引き立て役にすらならない。
 近藤自身の価値に比べれば、どんな高価なものを引き合いに出しても意味がないのだ。
 土方にとって、この世で最も価値のあるものが、近藤勇その人なのだから。
「ファンはそういうのよく見てるもんさ」
「実感が籠もってるな」
「まあ、な……
 良くも悪くもお互いに人気商売だ。いつだってつぶさに観察されている。それを示すように、前方から歩いてくる三人組の女子学生がチラチラと視線を向けてきた。自分か近藤か、どちらが目当てだろうかと考えたが、三人の目線はどうやら自分に向いているらしい。あからさまに喜色が浮かぶ姿は微笑ましく、すれ違う瞬間に視線を合わせて片目を瞑ってやる。所謂ファンサというやつである。これも仕事のうちだ。
 途端に響く黄色い悲鳴を背中で受け止めていると、隣の近藤が目を輝かせる。
「出た、歳の必殺技」
「ただ片目を瞑っただけだろ」
「私には無いのか、土方歳三のファンサ」
 いきなり何を言い出すかと思えば、なんだそれは。ファンサどころの話ではない事をしている仲だが。と、喉まで出かかってなんとか飲み込んだ。
「後で、俺の部屋でな」
「そういうのじゃなくて」
「じゃあどういうのだよ」
 売り言葉に買い言葉だった。失敗したという後悔が脳裏を過ぎる。
「こういうのだ」
 近藤がご機嫌な笑顔で銀色の瞳を片方、パチリと瞬かせる。瞬間、正面からぶわりと風が吹いた気がした。
 宇宙一可愛い。世界一大好きだ。今すぐ抱きたい。愛おしい。様々な感情の波が押し寄せ、思わず胸を押さえていると、丁度横を通り過ぎた自転車の運転手も流れ弾を食らっていた。
 遠くで盛大に自転車が転ける音がする。被害者の会、一名追加だった。
 この人、いつか何かしらの罪で捕まるんじゃないだろうか。
 そんな危惧を覚える土方の前で、近藤は期待に目を輝かせている。眩しい。
 星の引力に引かれる様に、土方が軽く身を屈め、薄い唇を掠め取った。
 周囲から様々な悲鳴が上がる。天国と地獄が同時に現れたような阿鼻叫喚の中を歩きながら、近藤が今しがた奪われた唇を尖らせた。
「これはいつもやってるだろ」