夏蜜柑
2026-06-09 23:03:49
2601文字
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たった一行の破壊力

amlkワンライお題【連絡】より
lk視点

 就寝前。自室の机でひとり、頬杖をついていた。
 窓の外はすっかり深い藍色に染まり、眼下を流れていく雲の輪郭が、月明かりにほんのりと縁取られている。船底からはブレイブアサギ号の低い駆動音が伝わってきて、足の裏や机の天板を規則正しく震わせていた。扉の向こうからは、夜食をねだっているらしいロイの声と、それを明るくいなすマードックの笑い声がかすかに聞こえてくる。
 背もたれの後ろから、マスカーニャが長い腕をわたしの肩へ回し、頭のてっぺんにちょこんと顎を乗せていた。重たい。でも、あったかい。ほのかに甘い香りが鼻先をかすめる。マスカーニャは時折退屈そうに、肩へ回した前足の先で、わたしの鎖骨のあたりをとんとんと叩いてきた。……これ、完全に動けないやつだ。
 えっと、絵日記、まだ途中なんだけどな。
 諦めてスマホロトムの画面に向き直ったそのとき、手の中でそれが短く震えた。

「わっ」

 反射でつかみ直すと、頭の上のマスカーニャが「ンニャニャ」と不満げに喉を鳴らす。ごめんごめん、と小声で謝りながらふと通知を覗き込んで——わたしは、息を止めた。

​『アメジオ』

​ その四文字が、暗い画面の真ん中に当たり前みたいな顔で並んでいる。
 ……うそ。
 ラクアでパゴゴと別れ、六英雄やジガルデもあの地に残ってから、それぞれの場所へと戻ったわたしたち。アメジオは今、お父さんであるクレイブさんの会社を立て直すために奔走していると、ハンベルさん経由でドットから聞いていた。
 連絡先なんて、とっくに交換している。けれど、今まで届いていたのは情報の共有や事務的な用件ばかりだった。こんなふうに、彼ひとりの、なんでもない私事で名前が光るのは初めてだ。
 指が、画面の上で迷う。心臓が勝手に早鐘を打ち始めた。
(落ち着け、落ち着け、落ち着けわたし)
 深呼吸をひとつして、そっとメッセージを開く。

​『君に聞きたいことがある』

​ ……っ。
 なんだろう、この、たった一行の破壊力。「聞きたいこと」。わたしに。彼が。わざわざ。
 頭の中でいろんな場面が一気に芽吹いてしまって、わたしは肩に乗った長い腕に思わず顔を伏せた。やわらかな毛が頬をくすぐる。
(だ、だめだめ、勝手に先回りして膨らませない! 落ち着いて、ち、ちゃんと最後まで読むの、わたし)
 顔を上げると、次の一行が続けて届いた。

​『にんじんを萎びさせずに火を通す方法だ』

​ ……
 ……にんじん。
 画面を二度見する。やっぱり、にんじん、と書いてあった。
 ふっと肩の力が抜けて、それから、なんだかおかしくてたまらなくなり、わたしは口元を押さえて笑ってしまった。そうだ。この人はこういう人だった。無人島でオレンの実を真っ黒な炭にしたっていう、あのアメジオだ。

​『父さんと、夕飯を作ることになった。米は炊けるようになった。だが、野菜は俺が火にかけると、なぜか見る影もなく萎びてしまう。原因がわからない』

​ 原因がわからないって、どう考えても火の入れすぎだろうな、というのは、文面からありありと伝わってくる。今頃きっと真剣な顔で、剣でも握るような手つきでフライパンを構え、しなしなになったにんじんと睨み合っているに違いない。
 その姿を思い浮かべたら、胸の奥がじんわりとあたたかくなった。
 お父さんと一緒に、ごはんを作る。
 あの、ずっと一人で何もかも抱え込もうとして、張り詰めていた人が。
​ わたしは肩にかかったマスカーニャの腕をそっとどかして机に向き直り、両手で文字を打ち込みはじめた。適切な火加減のこと、炒める時間のこと、大きさを揃えて切ること、切ったあと水にさらすこと。書いては消して、また書いて。
 ……だって、簡単すぎる説明だと、せっかく頼ってくれたのに、つまらないかもしれないし。かといって長すぎても引かれるかも。ええと、ええと。
(って、なんでわたし、こんなに真剣なの?)
 頬が熱い。気づいたマスカーニャが、わたしの肩越しに顔を突き出して画面を覗き込み、それからわざとらしく前足を液晶に乗せてきた。

「ちょ、マスカーニャ、いま大事なとこ」

 顔を背けたかと思えば、やわらかな前足で、わたしの頬を横から押し返してくる。むくれてる。あなたのことも大好きだってば、と背伸びして頭を撫でると、ようやく目を細めて喉をごろごろと鳴らしてくれた。現金だなあ、もう。
​ 何度も書き直した返事を、思い切って送信する。船がゆっくりと揺れて画面の光がにじみ、しばらくして、短い一言が返ってきた。

​『助かった。試してみる』

​ それだけ。それだけ、なんだけど。
 スマホロトムを胸に抱えて、もう一度だけ最初の通知を読み返す。当たり前みたいに並んでいた、あの名前。きっと彼はこれからもこうやって、思い出したように、ぶっきらぼうな用件だけを送ってくるんだろう。洗濯物の干し方とか、焦がした卵焼きのこととか。たぶん、そんな他愛のないことばっかり。
 でも。
 雲の上を飛ぶこの船と、地上のどこかにいる彼。それだけ離れていても、この手のなかの小さな画面ひとつで、彼の〝今日〟が、ふっとわたしのところまで届いてしまう。
 気づけば、口元がほころんでいた。手の甲で隠してみても、こらえきれない笑みが、指の隙間からふふ、とこぼれ落ちる。

​『にんじん、うまくできたら教えてね』

​ 送ってから、ちょっと大胆だったかな、と耳のうしろまで熱くなった。返事はすぐには来ない。スマホロトムを枕元に伏せて、わたしはベッドに倒れ込む。マスカーニャもすぐとなりに寝そべると、前足をわたしのお腹に乗せ、肩口に頭を擦り寄せてきた。
 お腹に乗ったマスカーニャは、もうすうすうと心地よい寝息をたてはじめていて、その規則正しい上下が、わたしのまぶたまで少しずつ重くしていく。
 まどろみに沈みながら、ぼんやり思う。明日の絵日記には、なにを描こうかな。
 ……にんじんと格闘するアメジオ、なんてどうだろう。
 見せたら、怒るかな。いや、あの彼のことだ。からかわれていることにも気づかず、『特徴をよく捉えているな』なんて、大真面目に頷く姿が目に浮かぶ。
 スマホの向こう側にいる彼の様子を想像すると、また少しだけおかしくなって、わたしはゆっくりと目を閉じた。