目的は果たしたので

休日にカラオケへ行く主足
リバイバルにカラオケがあると知りいても立ってもいられなかったオタクによる幻覚

休日の昼間というのは、どうしてこうも時間がぬるく流れるのだろうと、足立はベッドに沈み込みながらぼんやりと考えていた。
カーテンを開けきる気力もなく半分だけ閉まったままで、曇り空から射す光が部屋を照らす。
二度寝するのが何となく嫌で点けたテレビの内容は頭に入ってこない。音だけは絶え間なく部屋へ流れ込み、芸人の甲高い笑い声だとか、昼間の通販番組特有の胡散臭いテンションだとか、そういうものが薄い膜を一枚隔てた向こう側のように遠く聞こえる。画面の中では誰かが大袈裟に笑っていたが、こちらの気分は一向に引っ張られなかった。
昨日適当にジュネスで買ってきた弁当は袋に入ったまま台所へ置かれたままで、テーブルの端に置かれた飲みかけのビール缶が視界に入って勿体なさに思わずため息が漏れた。
今日は一歩も外へ出ず怠惰の限りを尽くそう。洗濯をする気力もないし、料理をする気にもならない。そもそも、外へ出たところで娯楽があるわけでもない。眠気は覚めてきたが全てが億劫で、ただぼんやりと時間が過ぎていくのを待つだけの、そんな昼下がりだった。

その時、枕元に放置していた携帯が震える。表示された名前を見て足立は露骨に顔を顰めた。
数秒ほど無視するか悩んだ末、万が一堂島へでも伝わったら面倒なことになると思い、結局ため息混じりに通話ボタンを押す。
……もしもし」
『足立さん、こんにちは』
それはもう聞き慣れた声だった。
少し身体を許してやったくらいで、随分と自然にこちらの日常へ入り込んでくる馴れ馴れしいガキだ。別に恋人になったつもりもないし、毎日連絡を取り合うような関係になった覚えもない。最初の頃はその距離感にいちいち眉を顰めていたはずなのに、最近ではこうして電話へ出てしまう程度には慣らされつつある自分がいて、それがなんとなく癪だった。
「どうしたの」
『今日、暇ですか?』
「暇じゃなかったら出てないでしょ」
『それはそうですね』
嫌味のつもりだったのに、素直に返されて調子が狂う。
手早く会話を切り上げて通話を切りたいところだが、流石にこの速さ露骨だろう。足立はもう少しだけキャッチボールを試みることにした。

……で?」
『カラオケ、行きませんか』
「は?」
聞き慣れない単語に、足立は思わず聞き返す。聞き間違いでなければカラオケと言っていた気がする。
足立にとってカラオケという場所は、娯楽というより他人のテンションに付き合わされるくだらない空間でしかない。仕事の付き合いで連れていかれた時も、マイクを回され適当に古い曲を入れて場を流し、盛り上がっている連中を横目に時間が過ぎるのを待つだけ。誰かと一緒に歌って楽しいだとか、そういう感覚は最後までよく分からなかった。
自分から行きたいと思ったことなど一度もないし、ましてや休日にわざわざ高校生と行く理由など本気でひとつも思い浮かばない。
……カラオケ?」
『はい』
「なんでまた」
『足立さんと行きたかったので』
あまりにも自然に返ってきたものだから、足立は一瞬言葉に詰まる。

意味が分からない。高校生同士で行けばいいだろう、そういうものは。
ジュネスの彼だとか、探偵ごっこしているお仲間さんだとか。それ以外にも鳴上の交流の幅は広く、部活の仲間や、正体不明の田舎では珍しいパンクな恰好をした少女など。とにかく、こういう誘いに乗る相手はいくらでもいるはずなのに。
「いや……僕、二十七なんだけど」
年齢差がどうこう以前に、高校生が休日に誘う相手として自分を選ぶ意味が本気で分からない。
『もちろん、存じていますとも』
たまに鳴上はこういう分かりやすいボケを繰り出してくる。僕は別に君と友達になったつもりもない、と釘を刺してやりたい気持ちを覚えつつも、結局指摘する方が面倒で先延ばしにしている。
「だったらそーゆーのはお友達誘って行きなよ」
『それじゃ意味がありません。足立さんと行きたいんです』
こうして遠回しに断っているのに、鳴上はなおも引き下がらない。彼がこうして調子に乗っているのは、最終的に問答が億劫になり折れる自分のせいではないかと頭のどこかで自己分析してしまい、足立は余計に眉を寄せる。
……やだよ、面倒くさい」
……そうですか』
声色は変わらない。もう少ししつこく食い下がってくるかと思っていたが、鳴上は特に不満そうにするわけでもなく、ただ一言そう返して、再び口を開く。
『じゃあ、また今度誘いますね』
「は?」
『予定が合う時でいいので』
「いや、だから僕はカラオケなんて……
『また連絡しますね』
既に次がある前提だった。足立は携帯を耳へ当てたまま、この後のことを想像してじわじわ危機感を覚える。

鳴上悠という男は、押しが強いわけではない。むしろ引く時はあっさり引く。けれど、その代わり妙な根気と継続力があり、一回断った程度では足立が拒絶した判定にならないのだ。それが本当に厄介だった。
今日断る。数日後、また何事もなかったように誘われる。その時も適当に断る。
けれど鳴上は変に気を悪くしたりせず「じゃあまた今度ですね」と引き下がるだけで、しばらくするとまた当然のように連絡してくるのだろう。それが想像できてしまうのが嫌だった。
一度断れば察して距離を取る人間の方がよほど楽だ。空気を読んで、相手の顔色を窺って、勝手に離れていってくれる方が扱いやすい。しかし鳴上はそうではない。押しつけがましく迫ってくるわけではないくせに、諦めるという選択肢だけはとらない。だから気づけば、こちらが折れる方が早くなる。
鳴上は空気が読めないわけではない。むしろ人の感情には敏い方だろう。こちらが面倒くさがっていることも、適当にあしらっていることも、多分最初から全部分かっている。その上でこうなのだから、本当にタチが悪い。
……あーもう、分かった分かった」
ベッドから起き上がりながら、足立は雑に頭を掻く。
「ちょっとだけだからね」
その瞬間、通話越しの空気がほんの少しだけ明るくなった気がした。
『はい』
返事は短かった。けれど今までと違い、その声音は少しだけ弾んでいる。
『じゃあ俺、沖奈の駅で待ってます』
……はいはい」
足立は通話を切る。静かになった部屋の中で、足立はしばらく携帯を見つめたまま動かなかった。

……だる)
重たい身体をベッドから引き剥がすように起こしながら、足立は小さく舌打ちする。
……なんで僕がガキとカラオケ行かなきゃなんないのさ」
誰に聞かせるでもない呟きは、薄明るい部屋の中へそのまま溶けていった。

◇◇◇

(ほんとに来ちゃった)
沖奈まで電車へ乗ってきた自分を、未だにどこか他人事みたいに感じていた。
カラオケボックス特有の薄暗い照明の中、名前も聞いたことのないようなバンドが画面の中で何やら喋っている声を聞き流しながら、足立はソファへだらしなく身体を沈めながら虚空を見つめている。
テーブルの上には鳴上が頼んだりんごジュースと、足立が適当に注文したアイスコーヒー。休日の昼間だからか廊下の向こうはそれなりに騒がしく、ドア越しにも若者の笑い声や、音程の外れた流行曲が遠く混じって聞こえてきた。

対して、この部屋は妙に静かだった。
鳴上はマイクを片手に、真剣な顔で端末を見つめている。慣れたように操作し、時折何か考えるように目を細めては、また別の画面を開く。その横顔は妙に真剣で、ふざけている様子は一切ない。
足立はそんな鳴上の様子を横目で確認しながら、なんとも言えない顔になる。
正直、未だによく分かっていない。何故わざわざ自分を休日に呼び出し、沖奈まで連れてきて、よりによってカラオケなのか。
……ああ、そうか)
そこでようやく、足立は一人で勝手に納得する。
休日。二人きり。密室。薄暗い個室。
ホテルへ行く金も自由もない学生は、こういう場所でいちゃつくのだったか。友達には秘密の、背伸びした遊び。そういう類の延長線上に、自分は巻き込まれているだけなのだろう。

なんだ、結局そういうことか。
そう思うと、少しだけ肩の力が抜けた。どこかで鳴上悠という男は普通の高校生とは少し違うのだと、勝手に思い込みかけていたのかもしれない。
妙に落ち着いていて、聞き分けがいいくせに、距離感がおかしくこちらの領域へずかずかと踏み込んでくる。だから時々、本当に何を考えているのか分からなくなる。
けれど、結局は同じなのだろう。密室へ好きな相手を連れ込んで、そのうち触れたくなって、そういう雰囲気へ持ち込もうとする。年相応の分かりやすい欲求。
そう思えば、今日ここへ呼び出された理由も理解できる。
……ガキだなあ)
呆れたように胸の内で吐き捨てながら、足立はソファへ深くもたれかかる。

今回も手を出してくるのは時間の問題だろうと思っていた。
思っていたのだが、鳴上はさっきから妙に真面目にカラオケを始めようとしている。
曲を探し、飲み物で喉を潤し、時折小さく咳払いまでしている。まるで本当に歌うこと自体が目的のような様子に、足立は逆に困惑した。
いや、カラオケなのだから歌うのは当然なのだが、そういう話ではない。
鳴上はそういう空気へ持ち込むことに躊躇のない男だ。普段人前で理性的ないい子を演じているからなのか、二人きりになった時の強引さは目を見張るものがある。
そろそろ距離を詰めてくるだとか、必要以上に触れてくるだとか、そういう分かりやすい流れになるのだろうと足立は身構えていた。しかし、鳴上はソファの距離を詰めてくる様子もなければ、こちらへ触れてくる気配もない。ただ真剣な顔で端末を睨みながら、何かを吟味している。

前髪で隠れているのにも関わらず、眉間へ皺まで寄せているのが何となくわかる。まるで何か重要な作業でもしているような様子が幼稚に見えて、足立は思わず吹き出してしまいそうになった。
前戯のように律儀に順番を踏んでいるつもりなのだろうか。
どうせそのうち歌なんかそっちのけになるくせに、そこまで真面目に選ぶ必要があるのか。
「ねえ、まだ決まんないの?」
「ちゃんと選んでるので待ってください」
返ってきた声は予想以上に真面目で、足立はますます可笑しくなる。
「はいはい」
適当に返しながら、足立は再びアイスコーヒーへ口をつける。氷が溶けて少し薄くなった苦味が舌へ広がった。

それから数秒後、短い電子音と共に予約完了の表示が画面へ浮かぶ。
「あ、決まった?」
「お待たせしました」
返事は短かった。そのまま鳴上は一度だけ小さく息を吐き、りんごジュースへ手を伸ばす。グラスへ口をつけたまま数秒ほど黙り込み、それから静かにグラスを置いた。
その横顔を眺めながら、足立はまた少し可笑しくなる。
さっきから妙に気合いが入っている。曲を決めるだけであれだけ悩み、飲み物で喉を湿らせ、呼吸まで整えているのだから笑ってしまう。たかがカラオケだろうに、まるでライブ前のミュージシャンみたいな顔をしているのだ。

凛とした視線が、じっとモニターを見つめている。
やがて数秒の読み込みのあと、静かなイントロが部屋へ流れ始めた。
足立にはタイトルもアーティスト名もピンとこない。そもそも普段から音楽を聴く習慣がないし、若者の流行りなどもっと知らない。テレビや店のBGMで耳にしたことがあるような気がするような、しないような。
鳴上はイントロが始まった瞬間立ち上がり、マイクを持つ指へ僅かに力が入る。それから一拍置いて、鳴上が歌い始めた。
(うーわ、普通に上手いし)
別に音痴だと思っていたわけではない。ただ、こんなところも隙がないのかと思うと、うんざりしたくもなるだろう。鳴上の歌声は安定していて、変に気負った感じもない。無理に格好つけようとしているわけでもなく、淡々としているのに聞き取りやすい。
時折こちらを気にするようにちらちらと視線が向けられる。妙に落ち着きがない。
……何なの、ほんと)

歌い終わる頃には、鳴上のグラスの中身は半分ほど減っていた。
「足立さん、何か歌いますか」
「やだよ、こんなの聞かされたら自信なくしちゃった」
即答すると、鳴上は特に不満そうな顔もせず「そうですか」とだけ返し、また次の曲を入れ始める。
それからも、似たような時間がしばらく続いた。
鳴上が歌う。足立は適当に相槌を打ちながら聞き流す。追加で注文したポテトをつまみ、氷の溶けたアイスコーヒーを飲み、また鳴上を見る。

曲が進むごとに気合いが入っている気さえした。曲間に小さく咳払いをし、喉を潤し、次の曲を確認している。時折こちらへ視線を寄越してはいるが、その視線は情事の最中ほどではないがそれなりに熱っぽく、何かを期待しているように見えた。
しかし、鳴上は次の曲が始まるとまた真面目な顔へ戻る。その中途半端さに、足立を徐々に苛立ちが募っていく。どうせ最終的にやりたいことなんて同じだろうに。

流れ始めた次のイントロへ合わせるように、鳴上が再びマイクを持ち直す。
その横顔を眺めながら、足立はソファへ深く沈み込んだまま小さく息を吐く。
――ああ、もう。
このままずっと身構えているくらいなら、こっちから仕掛けてやった方が早い。
歌い始めた鳴上を見上げながら、足立は脚を組み替える。それからサビへ入る少し前のタイミングを見計らうように、ゆっくり腰を浮かせた。
サビにさしかかり集中している鳴上は、足立の近づいている気配へまだ気づいていないらしい。

感情の乗った声が狭い個室へ響いた。そのタイミングで、足立は鳴上の腰へ手を伸ばす。
指先がベルトの金具をなぞり、そのまま自然に外しにかかろうとした瞬間だった。
鳴上の左手が、ほとんど反射のような速度で足立の手首を掴む。
「っ!?」
思わず肩が跳ねる。
その力は信じられないほど強かった。骨が軋みそうな痛みすら感じる力で固定される。逃がす気がまるでない。
なのに、歌は止まらない。

……は?)
足立は目を瞬かせる。意味が分からない。
鳴上は一切こちらを見ないまま、そのまま歌い続けていた。視線はモニターへ向いたまま、マイクを持つ右手も、声も、リズムも乱れない。ただ左手だけが異様な力で足立を拘束している。
意味が分からない。こういう空気に持ち込みたかったのは鳴上の方ではなかったのか。だからわざわざ二人きりでカラオケへ来て、妙に気合いまで入れていたのではないのか。
なのに、触れた瞬間にこれだ。しかも鳴上は歌うのを止めない。
止めないどころか、むしろさっきより必死だった。

歌詞を追う視線が妙に真剣で、マイクを握る指先へも無駄に力が入っている。さっきまで安定していた呼吸も少しだけ浅くなっていて、明らかに余裕はなくなっているのに、それでも歌だけは途切れさせまいとしている。
そのくせ、足立が拘束された手首を軽く捩った瞬間、ギリ、と更に力が強まった。
「痛っ……ちょ、」
鳴上は返事をしない。ただこの歌を歌い切ることへ異様な執念を向けたまま、足立の手だけは絶対に逃がすまいと握り込んでいる。
(え、何なのほんと)
訳が分からなかった。今の鳴上からは邪魔をするな、と言わんばかりのオーラすら感じる。
いったい何を?……歌を?

困惑したまま見上げているうちに、ようやく曲が終わった。
数秒遅れて採点画面が表示され、軽快な電子音が鳴る。そこでやっと、鳴上の手から力が抜けた。
ようやく解放された手首を擦りながら、足立はじとりと鳴上を睨む。
「ちょっと、なに今の」
対して鳴上は数秒ほど黙ったままモニターを見つめていたが、やがて我に返ったように足立を見下ろす。

耳が赤い。よく見ると顔まで少し熱を持っていた。
そのくせ、表情だけは妙に不服そうだった。
……邪魔しないでください、足立さん」
「は?」
「この曲は凄く大事なんです」
「いや知らないよ……好きな曲だったの?」
思わず聞き返してしまう。何がどう大事だったのか、本気で分からない。
鳴上はまだ少しむっとした顔のまま、握っていたせいで赤くなった足立の手首へちらりと視線を落とす。それでようやく力を入れすぎていたことへ気づいたのか、僅かに気まずそうに眉を寄せた。
……すみません」
「いやそこじゃなくて」
謝る場所がおかしい。なんで少し拗ねているんだこの男は。
勘違いしてるエロガキにサービスしてやろうと触れてやったら、手首を握り潰されかけるなんて。

……何なのほんと。君、さっきから何をそんな必死になってるわけ?」
「え」
鳴上が一瞬だけ固まる。その反応だけで、何故か急に嫌な予感がした。
「いや、だって。わざわざ休日に僕なんかをカラオケ誘ってきてさ」
「はい」
「密室に二人きりでしょ?だからてっきり……
流石に真正面から盛ってるのかと思ったと言うのは憚られて、足立は微妙に言葉を濁した。けれど鳴上は、その濁し方で察したらしい。
数秒の沈黙の後、鳴上の耳がみるみる赤くなっていく。
……え?」
今度は足立が固まる番だった。
鳴上は視線を逸らしたまま口元へ手を当て、小さく咳払いをする。先程までとは別種の落ち着きのなさだった。
「違うの?」
「ち、違いますよ……!」
「え、じゃあ何だったのこれ」
……好きな人には、ちゃんと格好いいところ見せたいじゃないですか」
あまりにも想定外の返答に、足立思わず言葉に詰まる。
鳴上はまだ照れているのか視線を合わせず、赤みが残る耳のまま妙に真面目な顔で続けた。
「だから曲もちゃんと選びましたし、足立さんが知らない曲ばかりだと退屈かもしれないと思って、有名なもの中心にして……
「いや、そんなこと頼んでないし……
「あと、歌ってる最中もちゃんと反応見てましたけど、途中から全然聴いてくれてなかったですよね」
尚更、何故そのタイミングで歌を優先したのだろうと足立は理解に苦しんだ。そこは好機に乗じて流されてもよくないか。
密室へ好きな相手を連れ込んで、歌をちゃんと聴いてほしかったと拗ねる男子高校生。これは年相応と言って良いのだろうか。
しかも今思い返せば、さっき歌っていた曲はどれもラブソングだった気がする。

鳴上は鳴上で、そんな足立の反応を見て気まずくなったらしい。視線を逸らしたまま、今度は小さな声でぼそりと付け足す。
「歌詞で気持ちを伝えるなんて卑怯かもしれませんが……ちゃんと、伝えたかったんです」
……はぁ?」
「でも足立さん、途中から完全にそういうこと考えてたんですよね」
「いや、だっててっきり君が……
「違います」
そこだけ妙に強く否定される。足立はとうとう吹き出した。
「じゃあ何、えっちなことしたかったわけじゃないの?」
「っ……!」
鳴上の肩が跳ねる。分かりやすすぎる反応だった。耳どころか今度は首筋まで赤くなっている。
「いや、それは……その……
「したかったんじゃん」
「だから違、いや違わないですけど、今日はそういう目的で連れてきたわけじゃ……!」
完全にしどろもどろだった。歌っていた先程までの方がよほど落ち着いていて、格好よかった。
足立はソファへ深くもたれかかりながら、とうとう声を出して笑った。
「なにそれ、意味分かんない」
……足立さんのせいです」
「なんで僕?」
「急に変なことするから……
むす、とした顔のまま鳴上が言う。その表情があまりにも年相応で、足立はまた笑いそうになる。
けれど次の瞬間、鳴上は少しだけ視線を逸らしたまま、小さく喉を鳴らした。

……じゃあ」
「ん?」
「改めて、してもらえますか」
先程までのしどろもどろな様子とは違い、今度の声は妙に落ち着いていた。
足立は一瞬だけ目を瞬かせる。鳴上はまだ耳こそ赤いものの、さっきまでみたいに視線を逸らしてはいない。むしろ真っ直ぐこちらを見下ろしたまま、マイクをテーブルへ置く。
……何、急に強気」
「目的は果たしたので。ちゃんと歌も歌えましたし」
「いや、さっきまで」
「それは足立さんが急に変なことするからです」
妙に理路整然としている。さっきまであれだけ照れていたくせに、一度吹っ切れた途端これなのだから、本当に調子が狂う。
ほんの数十分前まで、ラブソングを聞いてほしくて必死だったガキと同一人物とは思えないくらい落ち着いている。
いや、違う。ラブソングを聞いてほしかったことも、そのあと触れたかったことも、多分どちらも本気だったのだ。ただ鳴上の中では順番が決まっていただけで、だから歌っている最中に邪魔をされるのが嫌だったのだろう。
そこまで理解した瞬間、足立はとうとう耐えきれなくなった。
「変なガキ……
呆れたみたいに吐き捨てながら、足立はソファへ深くもたれかかる。こんな方向で振り回されるとは思っていなかった。

けれど鳴上は、その言葉に不満そうな顔をするでもなく、ただ静かにこちらを見下ろしていた。歌っていた時のような必死さはもうない。代わりにあるのは、欲しいものをちゃんと欲しいと言える時の、あの妙に落ち着いた目だった。
……で」
鳴上が当然のように足立の隣へ腰かける。互いの足が触れ合うほど近いその距離は、もう恥じらうことを忘れる程度には慣れきってしまっていた。
「してくれるんですか」
「なに、したいの?」
「さっきは途中でお預けをくらってしまったので」
「君が止めたんでしょーが」
笑いながら返すと、鳴上はほんの少しだけ口元を緩める。
その表情が、歌っていた時よりよほど余裕そうで、足立はまた可笑しくなった。さっきまでちゃんと聞いてほしかっただの何だのと青臭いことを言っていたくせに、切り替わった途端これだ。

高校生らしいのか、高校生らしくないのか、本当に分からない。
けれど、その分からなさが嫌ではない時点で、もう大分慣らされているのかもしれなかった。
薄暗い個室の中、次の曲を待つ無音だけが静かに落ちている。さっきまで流れていたラブソングの余韻がまだ部屋の空気へ薄く残っていて、その中で鳴上は足立へ期待の眼差しを向けていた。
その目は、今日一番熱っぽい。歌っていた時の熱とは違うもっと直接的な欲が、その視線にはもう隠しようもなく滲んでいた。
足立はそれを眺めながら、やっぱりこうなるんだ、と妙に納得した気分で、今度こそ鳴上のベルトへ手を伸ばす。
今度は、掴まれなかった。