憂依
2026-06-09 00:34:50
5905文字
Public さのぱち
 

傷つけることしかできぬなら(生前さのぱち♀)

自分を好きな永倉さんに愛想を尽かされるためにわざと傷つけるような酷いことをいっぱいしているのに、永倉さんが全然諦めてくれなくて逆に傷付く羽目になる原田君の話

「左之助」

とある夜。
親交のある者達と連れ立って屯所を後にしようとしたところで、原田左之助は背後から呼び止められた。
「新八」
そこには目立つ真っ白な髪を束ねた、新選組内でも珍しい女の隊士である永倉新八が、腕を組み、目つきを鋭くして仁王立ちしていた。
普段は朗らかに笑みを浮かべる事の方が多い彼女であるが、今この時ばかりはそうではなかった。どうやら、彼女はよっぽど何かに腹を据えかねているらしい。眉間に皺を寄せ、親の仇でも見るかのように原田を睨みつけている。
「なんだ。今から出かけるところなんだが」
……ちょっと、用があるから来い」
「今じゃねえとダメなのか?」
「いいから、今すぐだ」
元々気が短く怒りっぽいところがあるといえ、こんな風に自分を見据えてくる永倉の姿を見るのは初めてであった。
だが、彼女が自分に怒りを向ける理由に心当たりがないとも言えない原田は、大人しく、彼女に従うことに決めた。
「わりい。俺、今日は行けそうにねえわ。俺抜きで行ってくれ」
「あー、なんだ。原田さんいかねえの?」
「よっしゃー! 原田いると女ども皆お前にお熱なんだもんなあ。むしろ一生ついてこなくていいぞ」
「原田隊長、永倉隊長に何したか知りませんけど、あれ相当怒ってますよ。ちゃんと謝ってくださいね」
隊士たちは口々に好き勝手なことを述べて、原田を置いて外出していった。
一人残された原田は永倉に顎で示されて、彼女の後ろを黙ってついていく。
連れていかれた先は彼女の自室だ。襖を開いた永倉に先に入るように促されて、大人しく室内に入っていく。
原田に続いて中に入った彼女はぴしゃりと後ろ手に襖を閉めると、いつになく剣呑な雰囲気を纏いながら原田を睨みつけた。
室内は明かりが灯っておらず真っ暗だ。
なんで暗いんだ、と思いながら行灯に火をつけようと腰を下ろして、
「左之助。お前……遊郭に行くつもりだっただろ」
嫉妬を滲ませた女の問いかけに、はあ、と原田はため息を吐いた。想定外ではあるが、予想通りの内容だったからだ。道理で狙ったように声をかけてきたのかと思いながらも、彼女にどう対応するかを一瞬で巡らせる。
……それがどうした」
「行くのを辞めろ」
「意味わかんねえ。お前にそんな資格ねえだろ。ましてや、なんで俺だけに言うんだ。お前の部下だって他の隊長達だって、遊郭に行ってるじゃねえか」
理路整然と反論すれば、すぐに永倉は言葉を詰まらせる。
その反応に、憂鬱になる。彼女に声をかけられた時から予想できた展開に、胸の奥に鉛が落ちたような重さを感じる。
自分はこれから、彼女を傷つける。傷付けて、いっそ嫌ってくれと願いながら、原田は悪意を振りかざす。
「文句があるならはっきり言えよ。「俺がお前を好きだから、他の女と寝てほしくない」ってな」
「っ!」
「新八。言ったよな? お前が俺を好きになるのは勝手だが、俺に干渉してくるなって」

永倉が原田のことを異性として好きだと告白してきたのは、少し前のことであった。
男女でありながら自分を親友と慕う彼女にいつものように食事に誘われ、その帰り道に想いを告げられた。
目元を朱色に染めて、今まで見たことのない女の顔をした彼女に、熱のこもった視線で愛を告げられた。その時、胸に沸き上がった幸福感を、原田は一生忘れないだろう。
生まれて初めて誰かを愛した。生まれて初めて何かを求めた。生まれて初めて好きになった相手も、自分のことが好きだというのだ。これに勝る喜びを、原田はこれから先決して知ることはないだろう。
だから。
『悪いが、俺はお前に応える気はねえ』
だから、原田は永倉の想いを拒絶した。
色恋沙汰に疎いであろう、恋よりも剣を振るうことを好んで生きていた女の一世一代の告白を、原田はあっさりと斬り捨てた。

許されるはずがなかった。
認められるはずがなかった。
自分の立場が、出自が、役割が、行いが、なにもかもが告げている。
彼女を、仲間達を騙して密偵として仲間になった人間が、彼女の隣に立つことなど有り得ていいわけがない。
原田は永倉を振った。帰り道に、彼女を一人残して立ち去った。
……だというのに。
その次の日は流石の永倉もどこかよそよそしかったが、数日たつ頃にはこれまでと変わらずに原田に接してきた。
自分を振った男になぜ同じような態度をとることができるのかと原田は不思議でしょうがなかったが、その理由はすぐに説明がついた。
彼女は一度振られても、原田への想いを捨てなかった。原田を諦めていなかった。
むしろ、自分の想いがバレたからか、原田の女性関係に以前よりも口を挟むようになってきたのだ。
これは原田にとって完全に予想外の反応だった。
だから、原田もそれに応じた対応をせざるを得なかった。
自分を慕い続ける彼女を邪険に扱い、ただの友人として接し続けた。そのうち、いつか彼女も愛想を尽かすだろうと思っていた。
そんな思惑は、あっさりと覆されて。
今日もまた、彼女は原田へ想いを寄せてくる。

……ああ、そうだよ。俺はお前に抱かれてる女に嫉妬してるんだよ。嫉妬して、気が狂って、どうにかなっちまいそうなんだ。……めちゃくちゃなことを言ってるとは分かってる。だけど、後生だから……頼む。もう遊郭には行かないでくれよ」
その表情は、部屋の昏さもあって原田からは見え辛かった。
彼女は一体、どんな顔をしてこんなバカげた頼みごとをしているのか。
「言いたいことはそれだけか? 俺がそんな頼み聞いてやる義理はねえ。今からでも、俺はあいつらの後を……
「おれじゃ、だめか」
ぽつりと、吐息のように吐き出された声はあまりにもか細くて、ひどく震えていたけれども。
この静まりかえった小さな部屋の中では、原田に聞こえるには十分なものだった。
……は?」
意味が、理解できなかった。
脳が考えることを拒否して、ぽかんと間抜けに口を開いたまま、目の前の女を見上げていた。
この女、今、なんて言った?
「俺は身体中傷だらけだし、背も男みたいにでかいし、玄人の遊女みてえにうまくできねえし、そもそも……生娘だけど。お前の、好きなようにしていいから、だから……
続く内容も、上手く処理できない。永倉がそんなことを言うはずがないと、受け入れたくなかった。
だが、暗い部屋でも分かるくらいにかすかに覗く彼女の耳が赤くなっていることが、自分の聞き間違いでもなんでもないと告げていた。
口の中が、からからに乾いていく。
背筋が冷えていく。今夜はこんなにも気温が低かっただろうか。
こんなバカげた提案こそ、すぐに切って捨てるべきだった。何を言っているんだと馬鹿にして、拒絶するのが正解だった。
だが、原田は永倉から出たとは思えない提案に現実を受け入れ難くて、つい聞き返してしまった。
……お前、本気で言ってんのか?」
「冗談でこんなこと言うわけねえだろ!」
間髪入れずに怒号が飛ぶ。
言われなくても、原田だって分かっている。永倉新八はまかり間違っても、こんなことを言うような女ではない。
だから、到底信じられないのだ。
「でけえ声出すな。他の奴に聞こえるぞ」
「っ……
表情が変わらなかったのは、長年身体に染みついた密偵としての技術のおかげだった。そうでなければ、原田の表情は彼の胸中と同じように、混乱の極みに陥っていただろう。
……わけがわからねえ。なんでそうなるんだ?」
それでも、表情を取り繕えても、感情は制御できなかった。口から出たのは、違うことなく心の底からの本心だった。
どうして、自分を振った男を今も想っている。
どうして、俺への想いを忘れてはくれない。
どうして、自分を抱いてくれなんて頼むんだ。
疑問だけが、原田の頭の中でぐちゃぐちゃに渦巻いている。
原田の問いかけに、くしゃりと、彼女の袴が握りしめられて皺を生んだ。
「お前が言いたいことは分かってる。確かに、俺はお前の恋人でもなんでもねえ。お前に何の見返りもなく、遊郭に行くななんて言う資格はねえよ。だから……、代わりに、同じようなもんを差し出すくらいしか、俺には思いつかなかったんだよ」
握りしめた拳は震えていた。暗闇に慣れてきた目が、羞恥のせいで顔どころか首まで真っ赤にして、唇を噛みしめながらもしっかりと原田を見つめる女の姿を映し出す。
原田の返答は一つしかない。
お前が何を思っていようとも俺には関係ない、と。そんな願いは到底聞けない、と。断るのが正解だ。
それでも。
一体、彼女がどれだけの想いで、どれほどの覚悟で、こんな浅ましい懇願をしているのか。それが嫌でも伝わってきてしまう。
どうして、永倉は。こんな自分に、これほどまでに執着するのか。
彼女の一世一代の決意を、二度も踏みにじることが許されるのか。
……また、彼女を深く傷つけるのか。
頭の中にこびりついた思考を拭うことができない。
愛しているからこそ、彼女の隣に立てない。彼女の想いに応えることは出来ない。だからこそ、その分永倉には笑っていてほしかった。
それなのに、原田は結局、彼女を傷つけることしかできない。

――――それとも、傷つけることしかできぬのなら、いっそ。
彼女の願いくらいは叶えてやるべきなのか。

……分かった」
「え?」
立ち上がる。
それほど広くない室内だ。一歩で永倉との距離を詰めて目の前に立つと、原田は彼女の両腕を掴んで、その唇に吸い付いた。
「っ?! な、なに、んんんっ……!」
夢にまで見た柔らかさに、それだけで胸がいっぱいになる。声を上げようとして開いた永倉の口に舌を差し込んで、啜る唾液は驚くほど甘かった。
舌をかみ切られてもそれはそれでいいと思ったが、永倉はそんなことせず……、否、そんなこともできないくらい、原田にされるがままになっていた。
最初こそ抵抗しようとしていたけれども、すいた男に突然口吸いをされるという状況に永倉も混乱の中にあった。次第に彼女の腕から力が抜け、原田はもう抵抗しないだろうと判断した。抑えつけていた両腕から手を放すと、今度は片腕で彼女の腰を抱きかかえて、もう片方の手で逃れられないように後頭部を抑えつける。
原田は愛する女に口づける幸福感と、これから己が行おうとする非道への嫌悪感に心がぐちゃぐちゃになりそうだった。
それでも、彼は決めた。決めてしまったのだ。
「んんっ……、ふ、んん……っ」
ぐちゅぐちゅと、粘ついた音が静まり返った室内に響く。
気のすむまで永倉の口内を味わいつくした原田がようやく唇を放すと、息も絶え絶えになった永倉が原田を見上げてくる。
「な、何すんだよ……っ」
先ほどまでの羞恥とは違う意味で紅潮した頬、うっすらと涙で潤んだ眼差し、腰が抜けたのか原田に縋りつくようにしてなんとか立っているその姿はあまりにも煽情的で、嫌でも原田の欲望を刺激した。
「何って、お前が言ったんだろ。遊郭に行かない代わりに、自分のことを好きに抱いてもいいって」
「えっ……、いや、言ったけどよ、お前、それは……
つとめて、突き放すように原田は答えると、永倉は唖然として二の句が告げなくなってしまう。
自分で言いだしたことのくせに、永倉は自分の提案が受け入れられるとこれっぽっちも思っていなかった。
ただでさえ、突然原田に接吻をされただけでも動揺しているのに、原田が提案を受け入れたことに永倉は完全に思考停止してしまう。
そんな永倉の狼狽など意にも介していないかのように、原田は彼女の腕を引っ張ると、床に敷かれた布団の上に彼女の身体をあっさりと組み敷いた。
ただでさえ腰を抜かしていた彼女は簡単に押し倒されてしまう。原田は両手首をつかんで布団に縫い留め、永倉の上に馬乗りになりながら彼女を見下ろす。
「はっ。二番隊隊長ともあろうものが、簡単に転がされていいのか?」
「さ、左之助……、お前、本気で……
はくはくと、上手く言葉が回らない永倉を原田は蔑むように見下した。
「なんだ? やっぱり無しって言うのか? まあ、俺はどっちでも構わねえけどよ。お前を抱くのも、遊女を抱くのも、どっちも変わらねえからよ。……ああ、いや。お前を抱く方が、金がかからなくてすむか」
「なっ……!」
あまりにも永倉を馬鹿にした発言に、流石の彼女も怒りを禁じえなかったようだった。眉間に皺を寄せ、殺気の籠った鋭い視線で睨みつけられる。相対するものを恐怖させる二番隊隊長の本気の怒りに、原田は内心喝采を送ってしまいそうだった。
屈辱に震える永倉に対し、原田は口元を歪めながら、頭の中では縋るように祈っている。
(そうだ。お前が好きになったのは、こんな最低の男なんだ。だから、やっぱり止めたって言っちまえよ)
だけど、そんな祈りは届かない。
永倉の怒りが膨れ上がったのは一瞬だった。彼女は怒りを飲み込むように固く口をつぐむと、そのまま目を閉じて、大きく深呼吸した。
数秒、何かを思案して、永倉の全身から力が抜ける。完全に脱力した状態のまま、永倉はひどく投げやりな口調で、原田に行った。
……それでも、いい。好きにしろよ。俺は頑丈だから、多少無茶にしたって平気だからよ」
………………
みしり、と。掴んだ両腕の骨がきしんだ気がした。

どうして。どうしてお前は俺を嫌ってくれないんだ。俺を幻滅してくれないんだ。
どうして、どこか嬉しそうに笑うんだ。

「お前、頭おかしいんじゃねえか?」
「よく言うだろ。恋に溺れた女はバカになるってよ。お前のせいでバカになるなら、それもいい」
……ああ、そうかよ。それなら、こっちも好きにさせてもらう」
吐き捨てるように宣言して、そっと、触れるだけの口づけをする。

この日、原田は永倉を抱いた。
初めて性行為する女だなんて、一切考慮しない乱暴な抱き方をした。
これで永倉が自分を嫌ってくれればいいと思いながら、苦痛に耐える永倉の顔に気づかないふりをして、彼女のことをめちゃくちゃに抱きつぶした。
けれど、永倉はそんなことを気にも留めた様子もなく、俺は痛みに強いから、なんて言って、二人の関係は二度、三度と続き。
永倉は原田を好きだと言い、一番の親友だと誇り続け。
結局。あの山崎宿で別れるまで、二人のねじれ曲がった関係は終わることはなかった。


————この日のことを、原田は死んだ後も後悔することになるけれども。
この時の原田は、まだ知る由もなかった。