aknzy
2026-06-08 22:52:48
5485文字
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鉢雷 待ち人

※室町の二人の最期(悲惨)があります
※流血描写あり
※転生描写あり

 手が悴む。体の芯から湧き上がってくる震えに蝕まれ意のままに動かすことの叶わなくなった手を、小刀を持たない方のそれで力一杯押さえ込み遮二無二に動かす。真っ直ぐな線を残せるように。いつかこの家を訪れた者が、私の言葉を正しく読み取れるように。私が残したかったものが、届けたかった人々のところへ届けられるその日が来るように。
 死者のことを思えば思うだけ、その人の死後の世界での暮らしは良いものになると言う。もしそれが本当ならば、彼のあちらでの暮らしはきっと大名すら足元にも及ばぬような豪勢なものになっているはずだ。そうでなければ、埋もれるほどの書物とひだまりの庭だけが置かれた静かな庭先だろうか。どうであれ彼が望むものが望むままに手に入るような場所であるならそれで良い。そのためにできることならなんだってしてきた。隣にいることも、共に城へ就くことも、落ち込んでいる時に前を向いて鍛錬に励むことも、彼が望むことは即ち私が彼にしてやりたいことだったのだから。全て共に為してきた。比翼の鳥、連理の枝と方々へ言って回った。彼あるところ私ありと、何度も、何度も繰り返し告げた。君がいなくては私がいる意味などないのだと。そう何度も、彼にも、周囲にも、散々言って回っていた。
 それに、言って回っていたことは何も間違いではなかった。彼と出会う前の私と出会った後の私、己自身にどちらが好ましいかと問いかければ、いついかなる時も後者であると答えた。彼と共に在り彼を通して見る世界は、自分一人で見るそれよりもずっと色鮮やかに見えた。彼と私の情報収集能力は大差なかった。ただ、街路一本歩いていてもただの事実として認識するのではなく、そこにある感情を受け取り噛み砕くことが増えた。人に対して優しくなった。表面上の行動は以前と変わらずとも、そこに私個人の好ましい感情が多く載るようになった。そうすると、以前のように物事を見ることが難しくなった。
 それが原因だったのかと聞かれれば、そんなことはないのだろう。仕事に対して慢心や油断を重ねるような愚かさは持ち合わせていなかったし、それは彼とて同じだった。ただ、運が悪かった。誰に問わずともそう答えが返ってくることは分かっていた。どれだけ手練れの者であろうと逃れることのかなわない理不尽な銃弾であったからと声をかけられることが手に取るように分かった。
 だから、逃げた。
 ずっと生きていなくてはいけなかったのに。あたたかな春の日のそよ風にゆらぐ木漏れ日のような、いとしい笑顔を隣で見ていられるはずだったのに。それを、あんな終わり方をしたことに仕方がなかったなどと言われた時。私は平気でいられる自信がまったくなかった。
 鏢刀で弾を飛ばした銃兵を殺し、首から血を流し空気の抜ける音を鳴らして何かを伝えようとする彼を抱えて駆けた。顎を動かす筋がやられたからか、満足に動かせなかったのだろう。矢羽音が飛ばされることはなかった。ただ不定期に何か言葉を紡ぐような空気の出入りがあるだけだった。
 あの時、彼が何を伝えたいかはすぐに分かった。分かった上で、暫くぶりに彼の言葉を聞かなかったことにした。それはまるで、まだ子どもとして守られていた時分に悪戯を仕掛けた時のようだった。私に伝えたがっていることを聞かぬふりをして、大丈夫、私がそばにいるからと狂ったように語りかけ続けた。気がついた時には、ひゅうひゅうと鳴っていた喉の血は震える手で巻いた包帯に染み渡らなくなり、撫で摩っていた腕は曲がらなくなっていた。そのことに気がついた時にようやく「ああ、私は本当に彼を失ってしまったんだ」と思った。
 動かない彼を幾日かかけて連れ帰り、拠点にしていた家屋の中に墓を作った。二人並んで寝ていた部屋の板間を半分剥がし、そこに埋葬し墓石を置いた。彼の名だけを刻んだ石が雨にさらされることすら許せなかった。しかし、穴を掘り彼をそこに埋めた時になっても喉を掻っ切って隣で眠ろうとは思わなかった。
 滅ぼさねばならないと思った。此度の戦の元凶となった城々を、そこに蔓延る己の益しか眼中にない屑共を滅ぼし尽くさねば彼の元へは行けないと思った。
 だからそうして殺して回った。旧い知り合いに出会しそうになるたび、それを避けて回った。彼が望むことではないと諭されるのが目に見えて分かったため、会わずに全て殺し終えようと思った。幸いなことに、知り合いを手にかけることにはならなかった。
 彼を埋めてから九十八日経った今日。最後の一人、あの銃兵の隊を持っていた城の主人を殺した。あの夜と似た状況を生み出すために噂を流し、敵襲があると思い込ませた。周囲の同盟国が全て敵に回ったのだと、もう為す術無く死を待つのみであると国じゅうに思わせた。そうして狂乱した家臣たちに紛れて、正面から鏢刀を突き刺して殺した。彼を銃兵の狂いが殺したように、彼を失った私の狂いでもって片割れたる私が殺すべきだと思ったから、そうした。

 ──城主を殺した後、私は家臣の自害の弾に当たった。彼の利き腕と同じ側の肩に食らってしまった。ここで死ぬわけにはいかないため、拠点へと戻ってきた。
 そして今。私は無理やり繋いだ命を長らえさせて、拠点で最後の一仕事に取り掛かっている。南蛮の新式で弾が大きく出血の多かったところに適当な枝を差し込んで血を止めたため、手が満足に動かない。おまけに体の芯が冷え切っているような感覚があり、夏に差し掛かろうかという時季に見合わない凍えが全身を覆っている。死期が目前に迫っていることがよく分かった。
 それでも、手は止めることなく小刀を動かしていく。ちらちらと揺れる足元の灯明が手元を照らす。額に滲む脂汗を乱雑に拭い、少しずつ石を削り取っていく。先ほどまで脳裏を駆け巡っていた、永遠に感じられたようなこの九十八日間があと少しでようやく終わるのだと思うと、久方ぶりに心が躍った気がした。
 もうすぐ彼に会える。十の頃に出会ってから、ずっと隣にいた彼とやっと再会できる。最後の一文字を彫り終えると、この九十八日を共にした墓石には、望んだ通りの文言が記されていた。
 旧い友人たちには、申し訳ないことをしたと思っている。彼を失わせてしまっただけでなく、私まで奪ってしまうことを直接伝えられないことだけが心残りだった。それでも、会ったその時こそ本当に私はここに眠れなくなると思ったから。彼の隣にいることが、二度と叶わなくなってしまう気がしたから。彼の苦しみから吐き出された願いを叶えてしまうことになると思ったから。会わなかった。
 ただし、赴いた先々に痕跡を残してきた。優秀な存在として方々を飛び回る彼らであれば気がつくであろうところに、この拠点へと辿り着けるだけのそれを残してきた。ここまですればきっと彼らには十分だろう。

 小刀を板間へ置き、隣に置いてあった小さい薬包を手に取り、中の粉をぐいと飲み干す。焼けるような喉の痛さがあると聞いていたが、肩に空いた穴の方がよほど痛いのか、さほど強くは感じなかった。

 彫り終えたばかりの石の窪みを眺める。滑らかになるよう丁寧に拵えたそれを一つ一つ、指の腹で撫でていく。文字一つ分下へと腕を動かすたびに視界は暗くなり、最後の一字を撫で終えた頃には、艶やかなその光は差し込むことがなくなっていた。ぼんやりとした意識の中、灯明を板間の方へ投げ込んだ。
 開かない瞼の向こうに、雷蔵が手を振っているような気がした。



 三郎の死に際を聞いたのは、僕が三途の川を渡り切ったすぐ先で三郎を待って、無事に再会した時の話だった。無事に、という言い方はきっと正しくないけれど、あの時の三郎の憔悴ぶりを見てしまったから。つい思い返すたびに「無事の再会」というニュアンスで形容してしまう。
 忍術学園を卒業したあと、僕と三郎は同じ城に就職した。学園から離れ、同級の仲間たちや先輩方、後輩たちと敵同士として出会してしまうことのないような遠方の地で二人共に過ごした。特に問題もなく、そこそこ重宝され、そこそこの褒美をもらうような立ち位置に二人してうまく身を置けた。幸せだった。この乱世の中で、三郎と二人生きていることが何より嬉しかった。
 そんな中、僕は流れ弾に当たって死んでしまった。喉からとめどなく流れる血を前に、三郎を一人残して死んだらすぐに後を追うだろうからと、僕のぶんも生きてと幾度となく伝えた。空気の掠れた音はきちんと意味を伝えていて、その上であえて聞かなかったみたいだけど。
 死に際の三郎の様子から、絶対に僕の仇を取って後を追ってくるだろうなぁ、と川の岸辺で一人思った。だからそのまま待っていたら、案の定、三郎はきっかり九十八日後に川の岸辺にふと現れた。
 それから暫く、僕が死んでからの三郎のしたことを黙って聞いていた。三郎にそこまで手を汚させてしまったことを苦く思いながら、もし僕が三郎の立場だったら同じことをするだろうなと思ったから、咎めるようなことは何一つ言えなかった。
 一通り話し終えて、でもこれから先は本当にずっと一緒だ、と鼻水まで垂らす僕の顔をした三郎の手を握って、僕たちは一緒に輪廻の扉を潜った。



「雷蔵! 待っててくれたのか、遅くなってすまない」

 遠い昔の出来事を映し出していた視界に、明るい橙色の髪が突然入り込む。焦点を合わせると、そこには僕についているそれと全く同じ顔の人間がいた。他の誰でもない、前の命から隣にいて、彼在るところ僕在りの、僕の片割れ。

「三郎。委員会で遅くなるから先に帰ってて、って言ってくれたのに待ってたのは僕だから。気にしないで、お疲れ様」

 軽くぽんと頭を撫でてやると、目の前でへにょりと下がっていた眉が緩やかな上向きの弧を描いた。満面の笑みを浮かべたかと思うと、頭の上に乗っていた僕の手を引いて、駅前に美味しいクレープ屋ができたらしいんだ、と声を弾ませる。その姿が、いつだか僕を団子屋に誘った袴姿の彼と重なる。

 三郎には、生まれ変わる前の、室町時代の忍びとしての記憶がない。死んだ者を裁く時に生前の行いの中でも死に際の行動が重要視されると本で読んだことがあったため、少しでも軽い刑をと三郎の分まで僕が審判を受けた。復讐としてきっとたくさんの人を殺してしまうであろう彼が、せめて僕と同じ審判を下されるように。二人なら、地獄の業火だって乗り越えられる。三郎がいるのなら、どこでだって良かった。ダメ元で頼み込んだことだったけれど、三郎が素顔よりも僕の顔で過ごした時間の方が多くなっていたことが幸いしてうまくいった。
 ただし、その代わり次の生へ持っていけるのは一人分の記憶だけだと言われた。そうして僕は七日ごとに審判を受けながら悩みに悩んだ。九十八日もの間悩み抜いて、僕が覚えておくことにした。三郎に、僕が死んだ後に一人になった時の記憶を持たせ続けたくないと思ったから。彼にもそう話して、了承をもらった。

「雷蔵が覚えていてくれるなら、きっと私だって思い出すさ」

 ──君在るところ私在り、だからな。

 僕が今言った理由、聞いてた? なんて返してみても笑顔で躱されたその言葉は、今こうして記憶の無い三郎が僕と同じ顔で隣にいることで半分が既に果たされている。

 文面に起こしたら語尾に音符でもついていそうな声音の三郎に手を引かれて教室を出て、廊下を歩く。高校入学初日に顔を合わせてからというものの、三郎はたちまち髪型や持ち物を全て僕とお揃いにした。初日の黒髪ストレートな三郎は、翌日に知り合った勘右衛門と兵助の二人は知らない姿だ。
 同じ組の八左ヱ門も、隣の組の兵助と勘右衛門も、多分だけど、記憶がない。僕が話しかけたというきっかけと、四人曰く妙に合うらしい波長が功を奏し、高校生活の中でも五人で一緒にいることが多い。

 昇降口に着くと、門の辺りに立つ三人の姿が見えた。三人とも、変わったところといえば髪の長さや現代の知識を持っていることくらいなもので、他はそっくりそのままあの頃のままだ。相変わらず豆腐が大好きで片っ端から論文を読み漁っている兵助。よく僕たちを色々なご飯屋さんやカフェに連れて行っては、誰よりも美味しそうに平らげる勘右衛門。ペットショップでアルバイトを重ね、街を歩くたびに見つけた生物にまつわる話をする八左ヱ門。
 ……置いて行ってしまった。僕が死んだことも、三郎が死ぬことがわかってて止められなかったことも、それを拠点の灰の中に残された墓碑で知らせてしまうことも、ずっとずっと謝りたかった。いつかみんなに再会できた時には、と考えを巡らせることも多かった。
 けれど、結局まだ誰にも何も話せていない。あの頃から続く僕の後悔を晴らすことよりも、今生きている皆が幸せであることの方がずっと大事だ。みんな笑顔なら、それが一番良いんだから。

「あぁ、もう三人とも外にいたのか。……ほら雷蔵、行こう」

 靴を履いたまま外を向いて呆けていた僕に、三郎が手を差し出す。温かく、震えのない手。切り傷に塗れるそれを手入れし終えて差し出してきたいつかの夜が、夕方の茜色に染まる昇降口と交差する。

……うん。ありがとう、三郎」

 三郎が全てを思い出した時のために脳内に書き留めているリストにまた一つ今の光景を書き加え、僕のために伸ばされているあたたかなその手を取った。