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めぐるくん
2026-06-08 21:02:33
8962文字
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目
CPなし、ホラ〜👻
登場人物
・みねくゅ
・ぜんばくゅ
・だいごサン
・名前のあるモブ(死体役)
👁👁👁👁👁👁👁👁👁👁👁👁👁👁👁👁👁👁
膳場から着信があった。白峯会を立ち上げて少し経ったある日のことだ。
峯は膳場を錦山組から引き抜こうと試みたが、結局膳場は峯についてはこなかった。だから、古巣を去ったここ数ヶ月は、互いに連絡すら取っていなかった。
時刻はまもなく午前零時になろうかという頃である。峯は静まり返った白峯会事務所の執務室で、暫し携帯電話を眺めた。飲みの誘いだったら面倒だなと頬杖をつく。錦山組に在籍していた頃、神田に駆り出されては興味のない女たちに囲まれて、その度に早く帰って眠りたいと惰性でグラスを傾けていた。
どういう訳か、着信はいつまで経っても留守電に切り替わらない。峯は観念すると、デスクの上で震え続ける塊を手に取り、通話ボタンを押した。
「はい」
『
……
あ、峯の兄貴、すみません、寝てましたか』
飲みの誘いではなさそうである。膳場の声は聞いたことのないほどに沈みきっていた。
「いや、まだ事務所にいる。どうかしたか」
峯が尋ねると、膳場は数秒黙った。しかし機械越しにただならぬ空気が伝わってくる。
向こう側では絶えず音がしていた。不規則に繰り返されるそれは、膳場の荒れた息遣いだった。
「おまえ、どこにいるんだ」
『あ、兄貴、あの、やっちまったんです、でもそんなつもりはなくて、白井が急に、俺を弾こうとして、でもチャカが暴発して──』
白井は錦山組で膳場とともに情報収集を担当していた組員だ。膳場とは歳も近く、組の中でもよくふたりで仕事に当たっていた印象がある。
要領を得ない膳場の言葉に「落ち着け」と峯は彼を制した。膳場が再び黙る。しかし聞こえてくる息は震えたままだった。
「膳場、おまえ怪我はしていないのか」
『ああ
……
はい、それは、大丈夫です。どこも
……
すみません、こんな
……
でも話せるのが、頭に浮かんだのが、峯の兄貴だけで
……
』
「それは別にいい。それで、どこにいる」
半ば呆けたような膳場に根気強く訊いたところ、錦山組が所持している雑居ビルにいるらしい。峯は電話を耳に押し当てたままジャケットと鞄を持つと、自車ではなく白峯会の車のひとつに乗り込んだ。
黒いバンだ。後ろにはロープやビニール袋、手袋、雨合羽と、見る者が見れば物騒な諸々が積み込まれている。こういったものが必要になるだろうと踏んで、峯は乗り慣れないバンを走らせて膳場の元に急いだ。
膳場はもうおなじ組でもなければ、峯の誘いにも乗らなかった人物だ。捨て置いても良かったのだが、峯はそうしなかった。膳場にはそれなりに世話になったし、たとえ自分の元に来なかったとしても、彼が優秀であることには変わりなかった。こんなことで躓かれては困ると思ったのだ。
それに、錦山組に留まる理由を聞かされたときに、峯は心から感心した。膳場は、自分がいることで暴走しがちな神田を抑止出来るときもあるだろうから、と笑っていた。
愚かさが目立つ神田を諫める役割を担える者はほとんどいないが、神田は辛うじて膳場の言葉には耳を貸すときがある。表からは決して見えない働きだが、それは六代目である大吾の、引いては東城会のためにも必要な役割だった。だからこそ、峯はすぐに彼の引き抜きを諦めたのである。
夜の首都高は空いていた。三十分ほどで辿り着いた雑居ビルのあるエリアも車や人けはほとんどなく、台風前の湿気た空気が大きく雲を動かしていた。
峯は雑居ビルの辺りをそれとなく見渡すと、エレベーターに乗り込んで三階に上がった。三階は金融関係のテナントがひとつ入っているきりで、もうひとつは空いている。その空の方に、膳場はいるらしかった。
ビル全体は不気味なほどに静かだ。本当にここに膳場はいるのだろうか、と訝しみながら、峯は空部屋の扉の前に立った。テナント募集、と印刷されたコピー用紙の端が破れている。考えなしにベタベタとガラスに貼り付けられたセロテープを見て、跡が残るだろうな、とどうでもいいことが頭を過った。
ドアノブを捻ると、扉は呆気なく開いた。途端、中から血の匂いが噴き出してくる。古い建物に籠った湿気のせいか、外で嗅ぐより重く、不快に感じられた。
「膳場」
街灯にのみ照らされた部屋に踏み込むと、窓枠の下に膳場が膝を抱えて座っていた。その足元に、白井が仰向けに倒れている。
左手の薬指と小指が吹き飛び、頭の下に血が溜まっていた。それ以外にこれといった出血はない。
死因は銃撃ではなさそうだった。峯は横たわる白井の足を跨ぐと、膳場の側にしゃがみ込んだ。
「生きてるか」
「峯の兄貴
……
」
来てくれたんですね、という声が嗄れている。髪がほつれ、額には汗が浮かんでいた。憔悴のせいか光の加減か、峯とともに働いていたときよりも随分と窶れたように見える。
「話は車の中で聞く。とにかく今はここを片して、白井の遺体をどこかに持っていく必要がある。動けるか?」
はい、はい、と頷く膳場の目はどこか虚ろだ。腕に覚えのない膳場が前線に出ることはなかったから、当然人を殺めたこともないだろう。片付けに駆り出されたことも、峯の知る限りこれまで一度もなかった。
白井は背丈百七〇センチほどで、やや肥満体型だ。ほんの三ヶ月ほど前、「最近ますます腹が出てきたんですよ」と言って、峯や膳場の体型を羨ましがっていた。鼓動を止め、魂を放した肉体はもはや人らしく見えない。ただの肉塊だった。
峯は一度バンに戻り、納体袋やタオル、手袋、オキシドールを運び込むと、まず遺体を納体袋に入れることにした。手袋は、ビニール製のものの上から滑り止めのついたゴム製の分厚いものを重ねる。オーダーメイドのスーツには何とも不釣り合いだった。
「膳場、足を持て」
唐突に、閉め切られた窓ガラスを突き破って若い男女のグループの声が聞こえてくる。気持ちよく酔っ払っているようだ。笑い声が夜のアスファルトにいくつも谺していた。
たった一枚の窓ガラスを隔てた先に死体があるとはきっと想像もしないだろう。峯は蒸し暑さに知らず垂れた汗を肩口で拭うと、白井の頭部側に回り、身体を持ち上げた。重力に仰いた頭は、神田とおなじくすっかり丸められている。確認すると、余程強く打ちつけたのか、後頭部が鋭く凹んでいるのが分かった。
死後硬直が既に始まっている。見下ろすと、白井の濁った目が空虚を見つめていた。
瞬きのない目はそれだけで不気味だ。磨りガラスのようなこの目玉は蝿が止まっても二度と動くことはないのだと思うと、不思議な気分に陥った。
峯は吸い寄せられるように白井の目に視線を縫いつけたまま、納体袋に彼の身体を下ろした。足や腕を収め、ジッパーを滑らせる。袋はそのまま土に埋めても分解されないから、移動させた先でまた出す必要があった。先に服も脱がせてしまった方が後々楽だっただろうが、このときのふたりがそれに気付くことはなかった。
持っていく先は、ここから一時間半ほど車を走らせたところに聳える山である。これは東城会本部の所有物で、数年前に三代目が手に入れた。掘る場所を考えないと、以前に誰かが埋めたものとかち合う羽目になるかもしれない。
持ち込んだタオルで床や棚の血を拭い、オキシドールを振りかけて二、三度と拭う。それ自体はほぼ無臭だが、血液と混じると鼻の奥にこびりつくような生臭さが漂った。
血痕を消し去るときの方法が本当に合っているかどうかは知らないが、やらないよりはマシだろうと、峯はしゃがみ込んでひたすら床を擦った。
膳場もようやく正気を取り戻したのか、無言ではあるが手は動かしている。ふたりは思いつく限りの処理をその場に施すと、納体袋をふたりで担いでバンに乗り込んだ。
道中の運転は峯が買って出た。今の状態の膳場に運転は任せられないし、埋め場の正確な位置を知っているのも峯だった。
車を走らせる。ラジオを切った車内は静かだった。十五分ほど走ったところで、峯はようやく口を開いた。
「それで、どうして白井がおまえを?」
「邪魔だ、って言われました。なんで白峯会に行かなかったんだと」
常から白い顔を一層白くして、膳場は前を向いたまま答えた。一見冷静に見えるが、その手が細かく震えている。揉み合った結果とはいえ、ほんの数時間前まで側にいた者が死んだのだ。無理からぬことだった。
「白井は
……
そうだな、俺から見ても随分おまえに嫉妬していたように思う」
「嫉妬ですか」
白井が時折見せる表情や行動はそれなりに顕著だったと峯は思っていたが、膳場は気付いてもいなかったらしい。目端のきく男だが、自身がそういった感情と縁遠いからか、思い付かなかったのかもしれない。
「男の嫉妬は醜い。女よりよほど陰湿だし、そこに暴力も加わるから手に負えん」
峯はハンドルを切って左折すると、煙草に火を点けた。膳場は黙っている。やはり男の嫉妬というものがよく分かっていないようだった。
「白井に銃を向けられたんだろう。それで、揉み合ったのか」
「はい
……
あの空のテナントの借り手が見つかったんで、片付けなきゃいけなかったんです。たまたま手が空いていたのが俺と白井で、三日前から片付けに入って。あそこ、向かいのビルの様子が知れるので良かったんですよ」
向かいのビルに入っている浦井組は錦山組とシノギを削り合っている。峯は、なるほど、と相槌を打った。
膳場の話によると、話の最中に白井が激昂して銃を向けてきたのだという。咄嗟に腕を掴んで揉み合いになり、そのとき突然銃が暴発した。弾詰まりが原因だったのかもしれない。そのときに、白井の指が弾け飛んだのだという。
「音もそうですけど、目の前で起こったことに驚いちまって
……
あんまり覚えてないんですが、多分、俺が突き飛ばしたんです。それで白井がすっ転んで、棚に頭をぶつけて、それで
……
」
棚は、運び出すために部屋の中央あたりに動かされていた。あの後頭部の凹み方を見るに、スチール製の棚の鋭い角に勢いよくぶつけたのだろう。白井は運がなかったのだ。
「ああ、でも、俺やっぱり、報告したら、絶縁とかになるんですかね
……
おんなじ組の人間を殺っちまうなんて」
膳場が両手で顔を覆う。サングラスに手汗と指紋がべったりとついた。
「白井のやつ、組に借金があったからな。きっと神田の兄貴は最初こそ探すふりはするだろうが、一ヶ月経たないうちに諦めるだろう。今の錦山組はたかが数百万に固執しなくていいだけの資金力があるし、そもそも、神田の兄貴に嫌われていたしな、あいつは」
神田は分かりやすく人に対する態度を変える。白井を気に入っていないことは誰の目にも明白だった。
「だからつまり、埋めちまって、後は分からないの一点張りで終わるんじゃないか。そうだな、そういえば金が苦しいって話をしていました、とでも付け加えておけばいい。あいつはトんだんだ、と周りは勝手に思うだろう」
峯がつらつらと言葉を並べると、ふいに膳場が含み笑いをした。脱力し、つい込み上げた、というような笑みだった。
「峯の兄貴は本当に肝が据わってますね。俺なんて、ずっと手の震えが止まらなくて、今日寝るのも怖いってのに」
峯は肩を竦めた。
「起こったことは仕方がない。それにしても、咄嗟に隠そうとするってのは、やっぱり人間の性なんだろうかな」
短くなった煙草を窓の外に放り投げる。膳場は何も言わなかった。
夜更けの山は、想像よりもずっと暗かった。空に低く立ち込める灰色の雲の方がよほど明るいと思えるほどで、舗装されていない山肌は懐中電灯で照らさない限り、真っ黒だった。
車で進めるところまで進み、そこからは納体袋やシャベルを持って徒歩で行かなければならない。峯と膳場はそれぞれ端を持つと、山登りには不向きな革靴でどんどん山奥へと歩を進めた。
夜の山は、明らかに人の踏み込んで良い場所ではない。其処ここの鬱蒼とした木の影からは、獣と思しきものが息を潜め、こちらを伺っている気配がする。峯は、熊でも出たらアウトだな、と考えながら、何度も納体袋を持ち直した。漏れ出た血のせいか、袋の中で白井の身体が滑るのだ。どこをどう持つのが適切であるのか、峯には分からなかった。
幾らか血が流れ出たとはいえ、白井ほどの体躯となると九十キロ手前くらいは優にある。この辺りにしよう、と納体袋や大きなシャベルを下ろす頃には、ふたりは汗水漬くになっていた。
「どれくらい、掘ればいいんですかね」
サングラスを外した膳場が大量に流れる汗を拭う。峯もジャケットを脱いでビニール袋の上に放ると、袖のボタンを外して肘上まで捲り上げた。
「さあな。でも浅すぎると動物に掘り返される可能性がある。それなりに掘らないといけないだろうな」
腕時計の盤を懐中電灯で照らすと、三時を回っていた。ふたり掛かりで掘っても、終える頃には朝になっているだろう。峯は今日のスケジュールを頭に浮かべると、朝一の会議にはきっと間に合わないな、と表情を変えずに小さく嘆息した。
此処と決めた場所を掘り始める前に、白井の遺体を袋から出して手足を折り畳む。これが結構な重労働だった。衣服を取り払い、手足を折り曲げ、腹の中の胎児のような体勢にさせる。掘る穴をなるべく小さくしたかった。
「どれくらいで分解されるんだろう」
膳場が呟く。峯は答えなかった。ただ黙々と白井の膝を胸の方へ押し付けるように上から伸し掛かって体重をかけ、麻製のロープを腰の回りに何重にも巻いて、ギチギチと締め上げる。その間中、白井の濁った目が峯を見ていた。何度閉じさせても開いてくるので、途中で閉じさせることも諦めてしまった。
小さく折り畳まれた白井を傍らに、大きなシャベルで土を掘る。梅雨時期で数日間雨が降っていたからか、土は重量はあったが思いの外柔らかかった。
最初はふたり同時に掘り進めていたが、穴が深くなってくると掘り返した土の山を処理する必要が出てきた。短い休憩を挟みながら交互に掘り進め、ようやく一メートルほどになるかという頃には、ろくに息も整わなくなっていた。
空が白んでいる。夏至前の朝の訪れは早く、たとえ曇っていたとしても、辿ってきた山肌を明るく照らしていた。
「もういいだろう」
峯の一声で、膳場が穴の中でシャベルを落とすように離して、膝に手をついた。数時間に渡ってひたすら土と格闘したのだ。ふたりのスーツは泥だらけになっていた。
峯は膳場の手をしっかりと握って穴から引っ張り出すと、その穴に白井を落とした。開いたままの目が、最後の朝を取り込むべく表面を光らせる。自分でやっておきながら、随分と窮屈そうだ、と峯は幾分白くなった白井の数呼吸分見下ろした。
ふたりは言葉なく目配せをすると、握力の無くなりかけた手でシャベルを握り、上から土をかけた。白井の姿がみるみるうちに見えなくなる。峯は、単調な作業を繰り返しながら、この後まだ車での移動が待っているのか、とうんざりした。当然ながら、朝の会議には間に合わなかった。
峯の予想通り、神田は三週間ほどで白井の捜索を打ち切った。その報告を最後に、膳場からの連絡も無くなり、白井の存在自体、峯の中から消え去った。
ここのところは、白峯会のことだけでなく若頭補佐としての仕事も立て込んでいて、目が回るほどに忙しい。とはいえ、身を粉にして働くこと自体は嫌いではないから、峯はこの日々に充実感すら感じていた。己の働きが大吾のためになると思うと、誇らしさすら覚える。忙しい合間を縫って大吾と酒を酌み交わす時間さえあれば、峯はこの上なく幸せだった。
白井を埋めてから一ヶ月ほどが経過した頃のことだ。出先から急ぎ本部に向かわなければならない用事があり、迎えの車を待ち切れずに峯はタクシーに乗り込んだ。
行き先を告げ、シートに身を沈めて流れる景色をぼんやりと見る。梅雨の明けた空は薄青色に抜け、舗装された白っぽい歩道を太陽が眩く照らしている。
車内は寒いくらいに冷房が効いているが、見るからに今日も暑そうだった。赤信号で停車したとき、ふいに歩道で信号待ちをしている女と目が合った。
峯はすぐに視線を外したが、女はずっと峯を見ていた。信号が青に変わっても、その場に立ち尽くしている。動き出した車の中で、峯は何気なくもう一度女に目をやった。女がずっと峯を見ている。瞬きのない目が、峯を追いかけてぎょろりと動いていた。
景色とともに、女が後ろに流れて視界から消える。どこかで会った女だっただろうか、と考えてみたが、どれだけ頭の中を探しても見当たらない。峯は内心首を捻りながら、携帯でメール返信に勤しんだ。
一通りの返信を終え、顔を上げる。ふと目についたバックミラーの中で、運転手が峯をじっと見ていた。
タクシーは真っ直ぐに走り続けている。緩いカーブに差し掛かり、峯はフロントガラス越しに前を見た。隣を走行していた車のドアが近づいてくる。「おい」と声を掛けると同時に、峯を乗せたタクシーは車の横っ腹に衝突した。
幸い、峯に大きな怪我はなかったが、タクシーの運転手はこの事故で頭部を強打し、未だに入院しているのだという。事故当時のことを、運転手は何ひとつ覚えていなかった。
この日を境に、峯は人目が気になって仕方がなくなった。ずっと誰かに見られている気がする。実際、本部に行ったときや、車に乗っているとき、どこかの店に入ったとき、ありとあらゆる場所で、様々な目が峯を見ていた。
峯に向けられる目は一様に、まるで縫いつけられたようにじっと峯を見る。用事があって膳場に連絡を取ったときにそれとなくおなじようなことが彼にも起こっていないだろうかと探ってみたが、膳場が何かに怯えているといった雰囲気は微塵も感じられなかった。
白目に挟まれるようにして、ぽっかりと開いたように空虚な、真っ黒い目。あの夜に見た白井の目とおなじだ、と峯は唐突に思い出した。
咄嗟に、あの山に行くべきか、とも思ったが、行ったところでどうなる訳でもない。今更掘り返しても何にもならないし、あれだけ苦労して埋めたものに再度費やすだけの気力を、峯は持ち合わせていなかった。
膳場のことを思えば、どこからどんな情報が漏れるか分からないから、誰かに話すことも出来ない。共謀したとして大吾に見放されるのも恐ろしい。
そもそも、このあまりに不可解な事象をどう人に説明すればいいのか、峯には分からなかった。加担するべきではなかったかと一抹の後悔が頭を過ったが、あのとき見捨てておけなかったのだから仕方がないと潔く諦める。この件に関して、峯は八方塞がりだった。
それからも毎日、峯を見る誰かの目は絶えなかった。気にしないようにしようとしても、強い視線を受けると知らず目がそちらに向いてしまう。
空虚な目は、見つめる以外に何も仕掛けてはこないが、峯の精神を徐々に削り取るには十分な威力があった。仕事以外で外に出るのが億劫になり、休日は一歩も家の外に出ないことが多くなった。
ひとつだけ救いがあったとすれば、近しい人間がそうなることがなかったことだ。秘書の片瀬や本部若頭の柏木、幹部会で見る真島や、金を無心してくる神田などは普通だった。その生きた瞳が瞬きをする瞬間だけが、峯を安堵させた。
午後の幹部会を終え、革張りのソファから立ち上がったとき、斜め前で誰かが立ち止まった。大吾だった。彼は気遣わしげに峯を見ると、長い睫毛を瞬かせて、峯を飲みに誘った。
「疲れた顔してるな。どうかしたのか? こないだの事故のせいでまだどっか痛むとか」
いつものバーで、隣り合わせになってグラス同士を軽くぶつける。峯は緩く首を横に振り「いえ」と努めて何でもないような顔をした。酒を舐めるように口に含み、大吾の顔を見る。視線がぶつかったとき、大吾がぱちぱちと二度瞬いた。生気に溢れた瞳に、己の顔が映っている。大吾の隣こそが、峯にとっての一番の安息地だった。何があろうとも、この男の隣だけは安全だと思える。いっそのこと、今夜中ともに過ごしたい気分にすらなった。
「そういや、神田んとこの
……
膳場だっけか。あいつ、一昨日から急に来なくなっちまったんだってな。さっき神田が柏木さんになんか言ってたよ」
──おまえ、何か知ってるか?
大吾の言葉に、峯は喉が引き絞られたような気がした。さあ、という一言すら出てこない。大吾を見つめたまま瞬いた峯に向けて、大吾が小首を傾げた。
「いや、別に深い意味はないんだが、錦山組にいたときに仲良かったって聞いたんでな。最近の様子とか、知ってるかと思って」
「
……
しばらく会ってませんね。メールでも打ってみましょうか」
峯が絞り出した答えに「ああ、頼む」と大吾は呆気なく視線を外し、グラスを傾けた。
氷のぶつかる音がする。峯は、膳場もやはり自分とおなじ目に合っているのではないかと考えながら、携帯を開いてメールを打った。起きている時間のほとんどをパソコンや携帯と過ごしている男だ。きっとすぐに連絡が返ってくるに違いない。否、そうであれと願いながら、峯は送信ボタンを押して携帯を閉じた。
「送っておきました。すぐに返ってくればいいんですが」
煙草に火を点け、大吾の顔を見る。大吾もまた、峯を見ていた。重たげな睫毛が、ランプの光を受けて微細な影を下瞼に落としている。まるで白井を埋めた日の朝に見た木陰のようだった。
「どうかしましたか」
大吾の瞳に映る自分を見ながら、峯は段々と冷えていく自分の指先を自覚した。
心臓が大きく波打ち、鼓動が速くなる。血が全身に力強く押し出されても、指先は冷えていくばかりだった。
大吾がじっと峯を見つめている。この目はいつから瞬いていないのだろうと思う。
彼の名を呼ぼうにも、喉が張り付いて声が出ない。
峯は、彼が瞬くそのときを半ば祈るような気持ちで待つほかなかった。
(目/了)
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