短くも隙間なく生え揃った睫毛が、瞬きに合わせて上下している。髪の毛と同じ、真っ黒なそれに一つキスを落とした。ついでに切れ長の目尻にもひとつ。唇に触れるつんつんとした感触がこそばゆい。
「……黒たんの睫毛って、目の中に入ったらすっごく痛そう」
「目に入ったら何だって痛ぇだろうが」
何気ない呟きに呆れた声が返ってきた。黒鋼の言うことは正しいが、ファイが伝えたかった意図を汲んでいるとは言いがたい。抗議のため近づけていた顔を離し、自分とは全く異なるタイプの相貌を改めて見つめた。
精悍な顔つきが迷惑だと言わんばかりに顰められている。それでも両頬に触れる手は受け入れられたままだ。おまけに黒鋼の両手は向かい合って膝の上に座るファイの腰へ添えられているのだから、あくまでそう見せているだけなのは明らかだった。
反論の言葉を呑み込み、その代わりに素直じゃない男の頬へ口づける。相変わらず不機嫌そうな顔をした黒鋼が、大きな手でファイの体勢を支え続けていた。
変わった人だ。それに驚くくらい物好きだと思う。
自分を助けたのもそう、自分に想いを向けてくれるのもそう。今だってこうしてちょっとやそっとでは壊れない身体を、丁寧に扱おうとしてくれている。誓って卑下するつもりはないが、大して肉の付いていないファイの抱き心地は、客観的に見て特別いいものではないだろう。
挿入に至るまでのあれこれも、面倒が多いだけで楽しみを見出せる行為とはとても思えない。もちろんこの営みが快楽を追っているだけではない、愛情の発露だと理解はしているけれど、それにしたってやっぱり物好きとしか言いようがない。
以前から思っているこの気恥ずかしい困惑を、黒鋼の機嫌を損ねないよう誤解なく伝えられる気がしなくて、ファイは心ならずも沈黙を守ったままでいる。
唇と指で意外にも柔らかい頬の感触を楽しんでいると、焦れたように両腕が動き出した。黒鋼の手はいつだって熱い。これほど近しくないころ何度となく布越しに腕を掴まれたときも、じわじわと肌に熱が伝わってくる感覚がいつだって恐ろしかった。
片方が義手になってもそのぬくもりは変わらない。黒鋼の体温すら再現してくれる技術に一番感謝しているのは、もしかしたらファイなのかもしれなかった。
行儀悪く服の中に入り込んだ指先が、身体の線を辿ってからまた腰回りに収まる。柔い脇腹をなぞられて、つい背筋に力が入った。肋骨だとか臍だとか、全くもって楽しさのわからない部分を指の腹が入念に撫でる。体温が移り切ったころ乾いた手のひらが肌から離れ、いよいよシャツの合わせに伸ばされた。触れられなくなると途端に肌寒く感じる。我ながら随分都合がいいなぁと、何とはなしに考えた。
笑ったつもりはなかったけれど、吐息がこぼれていたらしい。力強い指先には少々扱いづらそうな小さなボタンをひとつずつ外していた黒鋼が、怪訝そうに顔を上げた。
「なんだ」
「ううん。黒たんの手、あったかいなぁって思ってただけ」
眉間のしわが増える。
ファイの予想が間違っていなければ、黒鋼はおそらく興奮したのだと思う。結果としてどう感じたかはわかっても、いかにしてその思考に行き着いたのか、何が琴線に触れたのかは全くわからない。彼はいつもそんな存在だった。
わずかに芯を持ち始めた胸の先のまわりをぐるりとなぞられる。誘導されるように意識した瞬間、器用に指先で摘ままれて思わず顎が上がった。曝け出すかたちになった首元へ、目敏く唇が寄せられる。舐めるだけでなくやわく歯を立てられて、濡れた感触と本能的な恐怖から小さく声が漏れた。
「ん……」
その間もすっかり立ち上がった先端を、くすぐるみたいに優しく撫でられ続けている。むずがゆさに似た快感と呼ぶには物足りない感覚が、徐々に体内へ蟠っていくのがわかった。
焦れるファイに構わず、黒鋼は汗ばみ始めた胸元に手を這わせたままだ。指の腹でぎゅうと押し潰されたり、短く切り揃えられた爪を立てられたと思ったらぴんと弾かれたり、いいように弄られている。新しい刺激のたびに身体が震えてしまうのが恥ずかしい。こんな平たい胸のいったいどこか楽しいのだろう。唇を噛み締めながら、半ば八つ当たりのように考えた。
やっと解放されたと思えば、充血した乳首の周囲ごと口に含まれる。散々まさぐられ敏感になった場所へ、唐突に指とは違う刺激が与えられて、押し殺しきれなかった動揺が声に出てしまった。
「……ふ、ぁ」
自分でもいやになるくらい甘ったれた声色に耳を塞ごうにも、いつの間にかがっしりと身体が抑えられており身動きできそうにない。逃げ場を失った状態で、尖った犬歯を先端に引っかけられて喉が震える。
唯一自由である視線で相手を睨むと、ファイを膝の上に乗せたままこちらを見上げる黒鋼と目が合った。紅い瞳にわかりやすく灯った興奮に少しだけ怯む。今日はちょっと長くなるかもしれない。
「……黒たんのえっち」
「ここまでしといて何言ってんだ」
悔しまぎれの一言は、またもや正論で返されてしまう。目の前の筋肉質な体躯に縋りながら、ファイは自分の直感が外れることを祈った。
「~~~~~っ♡」
こつん、と突き当たりを優しく叩かれて、反射的に仰け反った。押し出されるように自身の性器からとろりと精液がこぼれる。少し遅れて待ち望んだものが不足なく与えられたことを脳が理解し、こみ上げる多幸感でいっぱいになった。
「……動かすぞ」
息を乱した黒鋼に呼びかけられ、なんとか視線を上げた。相も変わらず丁重に、ぐずぐずに溶かされ尽くした身体は、容易に彼を呑み込んでいる。生理的な涙で視界が滲んでいたが、それでも目の前の男がこちらをじっと見ていることは感じ取れた。
「んんっ♡ あ、あぁ……っ」
目の奥に散った火花のような衝撃も、腹の奥でとぐろを巻くような疼きも、まったく引いてくれそうにない。せめて聞くに堪えない声だけは抑えたいと思うのに、丸い先端でぐちぐちと奥を捏ねられるとその考えすら覚束なくなった。
「お゛……っ♡ おく、おくだめだから……っ♡」
否定しながらも、相手の動きに合わせて勝手に腰が揺れている。呆れるほど正直な身体だ。彼とこういう関係になるまで、ファイは自分がここまで単純で、快楽に弱いなんて思っていなかった。
大きな手のひらが薄っぺらい腹の上に置かれたまま、時間をかけて長いゆっくりとした抜き差しが繰り返される。それにようやく慣れかかったころ、ぐっと身体にかかる重さが変わった。みちみちと中が広げられて、だめになってしまう場所が押し潰される。
「あ、だめっ、そこで止まらないで……!」
一番奥まで入る手前、感じる部分へ念入りに圧をかけられてきゅうと爪先が丸まった。どうにか快楽を逃がしたくて身を捩っても、簡単に組み伏せられて揺さぶられてしまう。腰を掴む黒鋼の手に、痛いほど力が入った。
「ひっ、また、だめだめ、イっ……♡」
「……っ」
めいっぱい広げられた場所から伝わる感覚に、相手も同じように達したのを知る。ただでさえ気持ちよさで何も考えられない頭が、その情報だけを受け取ってバカみたいに喜んだ。
オレでちゃんと気持ちよくなってくれた。一緒にいってくれて嬉しい。
ふわふわと幸せな気持ちのまま脱力していると、顰め面をした黒鋼に頬を拭われた。知らぬ間に泣いていたらしい。大丈夫だと伝えたくてどうにかこうにか笑って見せたのに、相手の眉間のしわは深くなるばかりだった。ちょっとひどい。
まだ呼吸の荒い身体が持ち上げられる。また黒鋼の膝の上に、今度は子どもを抱えるようにして乗せられた。先ほどとは違う角度からゆっくりと挿入されながら、促されるまま背後の黒鋼にもたれかかる。背中にぴたりとくっついた肌が熱い。
「あ、ぁ……、んぁ、は、ぁ……」
奥深くまで大きくなった性器を食んだまま、あやすように揺らされる。激しい律動とはまた違う、全身をじんわりと温められるような心地よさに力が抜けた。お互いが動くたびに、湿り気に満ちたいやらしい音が否が応でも耳に入ってくる。
不意にひどく弄ばれた両の乳首を優しく撫ぜられて、なぜかすさまじく嫌な予感がした。動こうにも蕩けきった身体での制止は間に合わない。尖り切った先端をぎゅうっと音がしそうなほど潰されながら、痛みを感じるくらい強く引っ張られた。
「いっ、ぁ~~~っ♡♡♡」
下半身に与えられる穏やかな快楽とは真逆の激しい刺激を強いられて、頭が真っ白になった。
「あ……、ぁ……♡」
なかなか息が整わない。自分の呼吸する音と心臓の鼓動ばかりが耳について、それがまた頭を鈍らせた。下半身の新たに濡れた感触で気づく。いつの間にか射精していたらしい。黒鋼の手が離れても、胸の先はまだじんじんと疼いていた。
「……ひ、ひどいよぉ……」
「……」
ほとんど泣きながら発した文句に答えはなかった。その代わり宥めるようにうなじを舐められる。後ろに座る黒鋼の表情は見えない。けれどファイの脳裏に、いくらか申し訳なさそうな顔をした黒くて大きな犬が過ぎった。
「黒たんのいじわる……、いじめっこ……、おっきいワンコ……」
「……最後のは違ぇだろ」
ぴんと見えない尻尾を立てて、背後の大型犬が小さく唸る。抱え直されながら、再び律動が始まった。少しだけ冷静になっていた思考がまたぼやける。この行為がまだ終わらないことが、恐ろしくも嬉しかった。
間近に迫った相手の鎖骨をしばらく見つめてから、ファイは自身の状況を認識した。ベッドの上で、一糸まとわぬまま黒鋼に抱え込まれるように横たわっている。大きく息を吐いて、自分より温かい体温を感じながら微睡んだ。
しばらくしてから、ふと水でも飲もうかと思い立つ。行為の最中、何度か口移しで飲まされた気はするが、正直なところあまり覚えていない。ベッドサイドに小さな水差しを置いた記憶はある。まだ中身は残っているだろうか。
瞼を擦り起き上がる。いくら慎重に動いても、職業柄気配に敏感な黒鋼が目を覚ますことはわかっていたので、そこについてはもう諦めていた。重たい腕を外しなんとか脚に力を入れた途端、今までより更に力強く腕の中へ引きずり込まれる。
「わっ……、あの、黒様?」
「どうした」
「え? えっと、水残ってたかなぁって……」
「喉渇いたのか」
「オレは大丈夫だけど、黒りんは?」
「いらん。おまえももう少し寝てろ」
両腕の拘束が強まる。抱き締めるというよりは抑え込むと表現した方が正しいかもしれない。ファイはそれ以上言葉を発することなく口を噤んだ。あんなにしたのにまだ離したくないと言わんばかりに自分を抱え込む男に、これ以上何が言えるだろう。
変わった人だ。それに驚くくらい物好きだと思う。多分一生、そう思い続けるに違いない。
わずかに熱くなった頬に気づかぬふりをしつつ、ファイは黒鋼の腕の中へ納まって、大人しく目を閉じることにした。
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