たけお
2026-06-08 17:21:51
9168文字
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片思いトガシくんががんばってるトガカバ

日陸後トガシくんクサシノ復帰してます、覚悟を揺らがせてごめんトガシくん。

「さっき映画のチケットもらったんだけど、一緒に行かない?」
 と、トガシさんに誘われたとき、返事よりも先におお、と感動の声がこぼれた。他の人からそういう誘いを受けても驚かないだろうけど、目の前の相手はトガシさんなのだ。トガシさんの持つチケットとトガシさんを交互に見比べて、信じられないながらも行きますと返事をした。あとからやっぱりやめようなんて言われないよう手からチケットを1枚取って財布にしまう。映画、なにやってるっけ。財布をポケットにしまい、表面の皮を撫でる。いつもより温かい気がした。
 四歳年上で同じ実業団に所属するトガシさんのことはガキのころからよく知っていたけれど、俺が知っているのと同じ分量でトガシさんは俺のことを知らないし、興味もなさそうだった。学生時代は同じ大会に出場することもなく、入社式後の陸上競技部の発足式ではじめて間近でトガシさんを見た。おお、と思った。挨拶をして、軽い握手をして、温かい手に生きているんだと実感が湧いた。そんな幼い憧れは憧れ以上になりようもなく、でも以下になりそうなことは何度もあった。トガシさんとの間には分厚くて固い壁が年々高さを増してそびえていた。軽々しく乗り越えられないそれを、冗談めかして肩叩いて無理やりドアでも作ってこじ開けるわけにもいかず、なんだか面白くないなあ、と思いながら過ごした四年間。壁はあっさり崩れ去った、トガシさんの手によって。
 どういう心境の変化があったのか聞くのは野暮だと思い、ただ持て余していた憧れを少しずつ言葉や態度に乗せて、本当に少しずつ、少しずつ、トガシさんとの距離を縮めた。
 それで、ようやく二人で出掛ける約束。財布に入れたチケットは夢でも妄想でもなくて、ちゃんとずっと俺の財布の中にあり続けたし、トガシさんとどの映画を観るか、いつ観に行くのかを話し合った履歴がメッセージアプリに残されている。友情(とは少し違うけれど)にも片想いってあるのだ。それが今ようやく良い方へ動いて、俺はとても浮かれていた。見てるかガキの頃の俺、トガシさんと映画観に行くぞ。
 当日、待ち合わせの駅でトガシさんは真っ直ぐ立っていた。驚くほどピンと伸びた背、体の横にぴったりくっついた両腕。私服姿はこれまでにも見たことがあったものと同じだった。センスがいい、というより自分に合うものを選んでいるという印象の、いつものやつ。練習場で見かけるリュックは背負っておらず、手ぶらだったから余計に指先まで真っ直ぐなのがわかった。
「トガシさん」
 声を掛けると首だけがぎこちなく動いて、童話に出てくるブリキの人形のようだった。首の骨から音が鳴りそう。カバキくん、といつもより不器用な笑顔を向けられ、油を差してあげたほうがいいかと心配になる。もしや、腹でも壊した?それならリスケしたって全然良かったのに。
「元気ですか?」
「元気だよ。樺木くんは、元気ですか?」
「元気です」
 謎の健康チェック。しばらく見つめ合った後、トガシさんは体の力を抜くようにふうっと息を吐いた。
「行こうか」
 駅に直結した商業施設の劇場は、ちょうど上映後と重なったようでチケット売り場まで人があふれていた。迷いながら当日券の列に並び、貰ったチケットに記入されているコードを入力したり、上映回や座席を選んでなんとか発券する。早めに来たとはいえ発券まで時間がかかってしまったので、飲食物の販売列を見て、ここは諦めることにした。ようやく収まってきた行き来する人と人の波間を縫って進み、壁際に二人で立つ。
「映画館って久しぶりに来たけど、こんなに人が多いなんて思ってなかったよ」
「昨日公開された映画、前から話題になってたやつみたいなんで、それでじゃないですかね?」
「ふうん。俺たちが観るのは?」
「別のやつです」
 どの映画を観るか決める時トガシさんは、樺木くんの好きなやつでいいよ、と言ったけれど、その言葉に嘘が無さそうなところが、なんだかなあと思った。本当は映画になんて興味がないんだろう。過去の様子から簡単に想像できたけれど、でも今は過去と違うんだから、楽しそうなトガシさんってやつを俺に見せて欲しかった。
 映画館のHPに掲載されていた公開中の映画のあらすじを送りつけ、この中でどれが気になります?邦画?洋画?とひとつの答えにたどり着くまで質問して決めた映画は、公開3週目に差し掛かっているおかげで客の入りはまばらだった。なんとなく選ばないだろうな、と思っていた恋愛映画は、評判もそこそこだったし多分来週あたりには上映が終了してしまうだろう。
 開場を告げるアナウンスが聞こえ、8番シアターに移動する。幅の狭いエレベーターを上っていると本当に人が大勢入る場所があるのか不安になるけれど、目的の階は想像以上に広くて、安心するよりも不思議だった。さっき選んだ1番後ろの左端の2席は段差のおかげで劇場内がよく見えた。やっぱり人は少なく、内容も内容だからかカップルや夫婦が多いようだった。今更だけど気まずくなったりして。壁際のトガシさんを見ると、トガシさんは何故だか俺を見ていた。
「え、なんですか?」
「あー、いや、樺木くんいるなーと思って」
「いますよ」
「うん、だね。そうなんだよね」
 トガシさんはでっかいスクリーンを見る。肘置きの上に置かれた手がぎゅっと握り拳を作っていた。ブーと重い音がして場内は暗くなってもしばらくトガシさんの方を見ていたけれど、それ以上の答えはなかったので、頭がカメラの形をしたスーツ姿のキャラクターがアクロバットな動きを見せる映像に集中した。ノー、モア、映画泥棒。トガシさんもそうやな、と思った。
 恋愛映画をきちんと観るのは正直はじめてだったけれど、思ったよりも感情移入してしまい、最後のほうは少し目の水分量が多くなった。いやあ、人を愛するって素晴らしいことやんな。人に優しく自分に優しく、健やかに生きていこう。徐々に明るくなりはじめる劇場内。トガシさんも楽しめたんじゃないかと体ごと横を見れば、トガシさんは前傾姿勢になって頭を垂れていた。え、寝た?まさかすぎるやろ。
 トガシさん、と肩を揺すると。ゆっくり立ち上がったので、つられて俺も立ち上がる。ずっと鼻をすするような音が聞こえた。あ、これ、良かったんかな。ここで聞くのはまだ早いかと思い、劇場を出てエレベーターで下って、ロビーに到着してから振り返って「どうでした?」と聞いた。
……良かった」
 鼻の頭を少し赤くしたトガシさんが答える。話題の映画の上映時間が迫っているらしく、ロビーにはまた人が増えていたので、商業施設内のコーヒーショップに移動する。トガシさんは吐き出すのではなく噛み締めるタイプなのか、赤い鼻のまま俺の後ろをついてきた。
 コーヒーショップでデカフェを頼んで空いていたテーブル席に座り、向かいのトガシさんをじいっと見る。トガシさんは恥ずかしいのか右手を前に出してひらひらと振った。
「あんま見ないで、ダサいの分かってるから」
「なんでですか、トガシさん、あの映画良かったと思ってるんでしょ。楽しんでもらえてうれしいです」
「樺木くんは映画関係者ですか?」
「なわけないでしょ。せっかく一緒に観に行くなら、一緒に楽しめるたほうがいいですし。誘ってくれてありがとうございます」
「こちらこそ。樺木くんは、どうだった?」
「面白かったですよ。俺も最後ちょっと泣きそうでした」
 どこで泣きそうになったか話していると、二人とも全然違う場面に感情移入していたことがわかった。それが不満でもなく、映画の内容を反芻するきっかけになったのも良かった。物語は趣味や意見が合う人と語るのが1番楽しいと思っていたけれど、全然違っていても楽しいんだな、となんだか大人になったような気分だった。寛容、寛容。赤信号続いたくらいじゃイライラせぇへん。
トガシさんはアイスコーヒーにささっているストローを咥える。初めて見る気がした。
「自分の好きな人が自分のこと好きになってくれるって、もう、それだけで泣いちゃいそうだよ」
 よっぽど好きな人がいたか、両想いを経験したことがないのか、トガシさんの言葉はふわふわと軽い分実感が込められていた。何もかもに期待をしていないような。
「トガシさんもそんなこと言うんですね」
「変?」
「いや、意外です。それだけ好きな人いるの、想像できないんで」
 何か呟いていたような気がするけれど、よく聞こえなかった。

 映画を観た二日後、練習終わりにロッカールームで顔を合わせたついでに飯に行く流れになった。冗談でも奢ってくださいよ、なんてことは言わなかったのに、トガシさんはしっかり伝票を握って離さず、映画と違ってトガシさんの稼いだお金で支払われる食事代に腰を折ってお礼を言った。なんか、トガシさん、先輩っぽい。俺はトガシさんの後輩っぽい。こんなことで実感するものじゃないけれど、共有する時間が増えれば増えるほど、自分たちの立場が明確になるのはうれしかった。ようやく憧れが正しく昇華され始めている。
 自販機の前で会えば「何か飲む?」と言ってくれるし、コンビニ行くなら一緒に会計をしてくれるし、会社の食堂で会えば食券を買ってくれる。これまでにも何度か他の先輩から受けてきたそういう細々とした(という言い方は失礼だろう、ごめんなさい)先輩からの恩恵は、可愛がられているという言葉で括ってしまえば喜ぶこともできるけれど、顔を合わせれば合わせるだけ使わせるお金が増えていることに、だんだんと居心地が悪くなっていった。俺だって稼いでいるのだし、奢り目当てなんて思われたくない。でもいくら自分で出すと言ってもトガシさんは聞かず、これまで距離があっただけにどう対応していいのか分からなかった。そりゃあたまにこうして後輩に支払わせない、なんて豪語している先輩はいたけれど、トガシさんにはそういう印象はない。トガシさんが変わったのか、俺が気にしすぎなのか。トガシさんと居る時にも支払いのことばかりが気になってしまい、なんだか素直に楽しめなくなってしまった。
 出社前にコンビニで朝飯がわりのヨーグルトを選んでいると後ろから手が伸びて苺味のヨーグルトがひとつさらわれていく。タンパク質たっぷりのやつ。棚にはまだ残っているけれど、それを買おうと思っていたので次に手を伸ばすことがなんとなく気まずくて体を横にずらした。
「他はいい?」
 声に振り返ると、後ろから伸びてきた手の主はトガシさんだった。そうしてその苺味のヨーグルトが俺のためのものだと気づいて、ちょうどポケットに入れていたぬるい五百円玉をトガシさんに渡す。
「他はいいです。トガシさんもなにか買います?」
「俺はいいかな。これも、」
 五百円玉を返されたけれど受け取らなかった。
「じゃあ、お釣りは取っといてください。そんなんじゃ全然、これまでの分にも足りないですけど」
 眉を下げたトガシさんを置いてコンビニを出る。コンビニ前で待っていると、五百円を使ったのか、使ってないのか分からないトガシさんにヨーグルトとスプーンを渡された。今度は受け取った。
「あの、これまでにも何度か言ってますけど、俺、自分の分は自分で払いますよ。振りじゃないですからね。俺だって社会人ですし、奢ってほしくてトガシさんと飯行ったりしてるわけじゃないです」
 言った、言ってやった。はっきり声にだすとここしばらくのもやもやがすっきりして、今ここでヨーグルトを食べてしまいたい気持ちになった。きっとこれまでで1番美味しい。
 また眉を下げているトガシさんは、どうしてだか納得できていない様子で、右手で五百円玉をいじっていた。俺はポケットに手を入れ、断固として受け取らない意思を表明する。
「今日飯行きましょう、俺の奢りでって言ったら、トガシさん断るでしょう」
「そりゃあ、まあ。悪いし」
「俺も同じです。たまにだったらうれしいしありがたいですけど、毎回だと困ります。悪いなって思います」
……もう誘わないほうがいいってこと?」
「え、なんでそうなるんですか?!」
 驚いて大きな声を出してしまい、コンビニの店内から店員がこちらを見たのが分かった。すんませんね腹からいい声出して。気まずくなって店の前から移動する。トガシさんはちゃんと俺の後ろをついてきていた。というか俺たちは出社前だ。
社員証かざして社内に入る瞬間はいつもなんとなく胃の底が痛い。普段はあまり来ないから社内の雰囲気に慣れていないせいだ。呼び出された会議室にはまだ人が揃っておらず、かと言ってさっきの話の続きをするわけにもいかなかった。並んだ長机の一角に座ると、トガシさんも俺の隣に座る。なんにも言わないのになにか言いたそうで、でも言いたくもなさそうで、なんやねんと思った。こんな感じだったか、トガシさんって。
 ほんの1時間の説明のためにスーツを着て出社したせいで半端に空いた時間を埋めるため、トガシさんを引っ張って会社ではなく練習場近くのコーヒーショップに入った。カップがじっとり汗をかいても話し始めないトガシさんに痺れを切らし、外に連れ出す。近くの公園には時間帯のせいで人がほとんどおらず、ベンチに座って話すのもなんだか違う気がしたので、植え込みの前で向き合った。どうやここなら話す気になるか。というかさっさとしろ。おおよそ憧れを抱いた先輩に対する態度ではないけれど、お金のことは大事なのではっきりさせておきたい。
 誘ってほしくないわけじゃない。でも、ちゃんと、俺も楽しいから一緒にいるんだと知って欲しい。
 トガシさんは意を決したように五百円玉を握りしめた。まだ持っていたのか。そういえばしまう姿を見なかったな。まるで御守りのように大切そうに握りしめられたそれが、トガシさんにとってどんな意味を持つのか、考える暇もなかった。
「俺は樺木くんのこと好きだから、できればこれからも一緒にご飯食べたり映画観に行ったり、どこかに出掛けたりしたい。だからお金は払っちゃう気がする」
「そうやってかわいがってもらえるのはうれしいですよ、でも、それなら余計自分の分は自分で出したいです」
「そんな……それじゃあ俺といる意味なんてないんじゃないの?」
「意味……?」
 意味ってどういう意味だ。首を傾げる俺にトガシさんはしまったというような顔をしたし、口を手で覆っていた。そんな漫画みたいな。
「い、いや、だって、恋人とか恋人になる前とか、お金払って欲しいものじゃないの?」
「なんかいろいろおかしいんですけど、恋人ってところが1番理解できなくて話入ってこないです。え、さっきの好きって、俺と付き合いたいって意味の好きだったんです?後輩としてではなく」
「あ、うん、そう。樺木くんと付き合いたい、の好き。ごめん変なタイミングで」
「それで、その、恋人?には、何して欲しいんですか?」
「お金払って欲しい」
 欲しくねー!と全力で否定したいところだったけれど呆れと驚きで何も言えなかった。口だけが何かを発しようとした名残でぱくぱくと動き、最後には細い息を吐き出して、閉じた。そうすると何故かトガシさんはギュッと目を閉じ体に力を入れて、足を肩幅に広げて立った。しっかりと。
「何してるんですか?」
「フラれるのはもう分かったからさ、よければ少し手加減してほしい。樺木くん、手首のスナップきかせてきそう」
「いや、何の話……
 もうこのやりとり何回目なんだ。体の力が抜け、その場にへたり込む。トガシさんの目が開くまで下から見上げていたら、恐る恐る片目を開け、そうして目の前に俺がいないことに気付き、キョロキョロと首を動かした。しゃがみ込んでいる俺を見つけると、「殴らないの?」と言いながら目線を合わせてくる。いや、何の話。
「何で俺がトガシさんのこと殴るんですか」
「フラれる時いつもビンタされてたから、そういうものなんだと思って生きてきた」
「どんなヤバい恋愛してきたんです、いやもう本当、トガシさん、ヤバい」
 不思議そうに首を傾げて俺に殴られるのを待っているトガシさんを見ているとなんだか笑えてきた。恋愛映画よりトガシさんの過去の恋愛のほうが興味深い。笑っている俺を見て、トガシさんも笑った。この人、反応がいちいち読めないな。
「俺のこと好きなんですか」
「うん、はい。好きです」
「だから好かれたくていろいろ誘ったり買ったりしてくれてたんですか」
「そう。俺のこと好きになってほしくて」
「いや、下手すぎません?金しかアピールするとこ無いんです?そんなことないでしょう。好きなもの買ってくれたから好きになるような奴だと思われてました?俺」
トガシさんは目を丸くして違うね、と呟いた。
「つまり全然効いてなかったし、もう告白しちゃったのか俺は。フラれる一択じゃないか、こんなの……
「いやあ、まだ全然、その域に到達してないんですよね、それが。トガシさん今晩時間あります?トガシさんの恋愛の話聞きたいです」
 ずるいと分かっていながら五百円玉を握るトガシさんの手を指で押す。たったそれだけのことで固くなったトガシさんの体。人に好きだなんて言われたのは本当に久しぶりだった。あれも、これも、どれも、俺が好きだからなのか。ストレートが1番効きますよ、と教えてあげたかったけれど、対象が自分なのでまだ黙っていることにした。

 練習終わりに待ち合わせてトガシさんの部屋に向かう。トガシさんはもうそれだけでガチガチになってしまい、「最近部屋片付けてなくて」だとか「今日換気してないから臭いかも」と予防線を張りに張りまくっていた。
 電車に揺られてたどり着いた駅から徒歩10分、トガシさんの住むマンションは古いとも新しいとも分かりにくい色の外壁だった。エレベーターで六階まで上がり、まだ言い訳をしているトガシさんの背を押して玄関の鍵を開けさせる。ドアの向こうはトガシさんの言うように散らかっても汚れても、臭くもなかった。物が少なく、何を心配することがあったのかと不思議に思うくらい面白味がない。
 ソファもカーペットもないので、ベッドに並んで座ってトガシさんの話を聞く。トガシさんの記憶は薄いので何回かの始まりと終わりが繰り返され、間のことは分からなかったけれど、元恋人たちの別れの言葉からはトガシさんへの不満がこれでもかと伝わってきた。
 うわー、やば、それはあかんって。心の中のツッコミが忙しい。トガシさんはお金さえ使っていれば恋人らしいのだろう、と何度目かの別れで結論づけたらしく、奢ってあげれば喜ぶし些細なプレゼントや金銭的な気遣いがあればそれなりの期間は安心なのだと歪みまくった自論を展開していた。
「そんなんじゃ俺と付き合ってもしばらくすれば別れることになりません?それで良かったんですか?」
……確かに。でも、どうすればいいかわからなかったから」
「それ知るとちょっと可愛く思えてきました。あと面白い」
 面白いってことは、飽きがこない。ちょっとだけトガシさん自身にも興味が湧いてきて、ベッドに乗り上げトガシさんの体を挟むように両手をつく。ぐっと近くなったら距離と顔にトガシさんは瞳を揺らした。不安と、それから期待。この状況で期待できるところが傲慢で好ましかった。俺は昔からクセのある人を好きになりやすい。それは友だちもそうだし、もちろん恋人だって。だってそっちの方が面白い。普通に生きていたら悩まないことで悩んでるトガシさんの気持ちが俺に向いているという優越感もある。
 そう、優越感。憧れていた先輩が振り向いてくれたなんてベタな恋愛映画みたいだ。
 トガシさんの目の色は真っ黒で、あんまり黒いから俺の顔が映り込んでいるのも見える気がした。じいっと見つめあっているとトガシさんの手がそろりと脇腹から腰にのぼってくる。気付きながらもどうしようかな、と好きにさせていたらだんだんと手つきが撫でるような、くすぐるようなものになってくる。くすぐったさから「こら、だめ」と腰に回った手を掴んで止めると、トガシさんは下唇をむっと突き出し、「なんだよそれ」と呻いた。
「そんな言い方、誰にしてるんだよ。もしかして俺って浮気相手にされそうになってる?ひどくない?」
 ちゅっと唇が当たって離れる。
キスされたことよりもそのぶっ飛んだ思考回路が気になった。そしてそれより自分が飼い猫に対して発するような声を出してしまったことのほうが、もっと気になった。俺って案外流されやすいんやな。体を少し後ろにずらす。
「え、あー、いや、そんなつもりはなくて。というか俺、恋人いませんし、浮気は許さないので、俺もしません、絶対に」
「どうだか。あんな言い方する相手がいるのは本当だろう」
「あんな言い方って、」
 咄嗟に出てしまった声の甘さを思い出して気恥ずかしいのは俺だというのに、なんだってそんな誤解と責められ方をしなくちゃいけないんだ。でもトガシさんは(なぜか)拗ねてしまい、まだ恋人でもないのに図々しいな、と思った。そういう面倒臭いところがやっぱり面白いから、横を向いてしまったトガシさんの頬にキスをして、「猫ですよ」と正直に言う。
「猫?」
「はい、実家で飼ってる猫。よく悪戯するんで、その時はあんなふうに怒っちゃうんですよね。俺、猫のことめちゃくちゃ愛してるし、文字通りねこっかわいがりしてます。でもトガシさんは猫扱いされて嫌でしたよね、ごめんなさい」
 猫、猫かあ。トガシさんは何度か繰り返す。突然体ごとこちらを向いたかと思うと、両手で頬を挟まれもみくちゃにされた。合間に何度か小さな、触れるだけのキスが降る。猫っぽい?と聞かれたので、首を横に振った。可愛いけどでかいから手に負えない。ていうか、猫でいいのか、と思っていたら「猫と間違えたお詫びが欲しい」なんて図々しいことを言い出したから、笑った。
 お詫びでええんやな、欲があるんだか、ないんだか。あんまり動き回られると邪魔なのでトガシさんの体をベッドに転がし、へそのあたりに跨る。トガシさんの目から不安が消えて期待だけが残っていた。好きな人が自分のことを好きになってくれたら泣いちゃうんじゃなかったっけ?トガシさん、今、俺のことが好きでうれしそうですよ。
 だけど胸に手を置くと驚くほどの速さで心臓が動いていた。手のひらから伝わって俺の心臓も同じ速度になっていく気がする。