Ca(か)
2026-06-07 23:53:05
14740文字
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魔神任務・空月の歌 九・十幕感想

要約すると「スメールが大好き」「手厚さがすごい」という話です


 全部が スメールの全部がここにあったなという印象です
 魔神任務や世界任務、期間限定イベントのなかでのお話、そのほかいろんなフレーバーテキストの要素がすべて網羅されているような濃密なストーリーだった……し、

・ジェイドとの再会
・ジェイドとディシアの邂逅
・新しく就任した賢者たちとの顔合わせ
・ネフェルとトートの再会
・ネフェルとカタユンの再会
・放浪者とハイパシアの邂逅

 などなど、いつかのんびり旅行記で見られたらいいなあなんて個人的に思っていたあれこれが すべてまるっと魔神任務で回収されてウワーッ……手厚い……!とずっとうれしい気持ちでした
 プレイし終えてからゆっくり感想を書いていたら長くなってしまったため、章ごとあるいは要素で分けてそれぞれ折りたたんでみました
 ※アルカヴェ要素を含む感想はすべてアルカヴェの項目に入れています

第九章(クリック/タップで展開)
 コレイ……泣かないで……ウウ……
 人々の役割ロールというか、属性がばらばらになってしまったコレイの夢の中で コレイ自身はすごく不安だっただろうなと思いつつも、普段と全く違う様子を見せるキャラたちが新鮮で何度もログを見たりたくさん話しかけたりしました カーヴェ・ベイ様、モラも人の心も掴みすぎる ほんとになんでも持ってる大商人なんだろうな……
 アルハイゼン(大賢者)はすでに違和感に気づいていろいろ調べていたり、セノも自分の認識に疑いを持ち始めていたり ドリーも家の大きさにしっくりこない感じを覚えていたりと みんながすこしずつ「おかしいな?」と思っている時点で、あべこべの世界はやっぱりずっと成立はしない(どこかで瓦解する)んだろうな
 コレイのことをすっかり忘れたように話すティナリに、ついに泣き出してしまうコレイ うう……夢でよかった……
 泣きながら目を覚ましたコレイにティナリが掛けた、「ほら、もう泣かない」の声の優しさでさらに涙がブワッと湧きました 師匠……

 倒れてしまったナヒーダの容体について話したときの、ティナリの「生物的な観点からいえば、力を酷使した代償は生命力で払うことになる」という台詞に邪眼のことが頭をよぎったりもしました 元素力の素養のある人(や、神)が限界を超えて力を使おうとしたにせよ、素養がないまま邪眼によって生命力を無理やり力に転化したにせよ 代償は軽いものではないんだな
 合間合間に挟まる素論派トークもすごく興味をそそられました ジュライセン先生の講義が受けたすぎる 普段の茶目っ気たっぷりなところも好きだけど、学者・教師としてのジュライセン先生もやっぱりたいへんいいですね ときに小憎らしく思われながらも、同僚にも学生にも慕われるいい先生だな

 カーヴェ「どこぞの誰かさんは、仕事中に暇を持て余して、アーカーシャの説明書を隅々まで読んでいたらしいよ」
 アルハイゼン「他人を褒めるのが気恥ずかしいのなら、無理に褒めなくていい」
 カーヴェ「ふん。こいつを持ち上げるのは癪だが、頭の良さは認めざるを得ない。一度見たものはめったに忘れないからな」

 「既に身についた知識と同じで、手にしたものは逃げられやしない」だな~と思って聞いていました ただ見るだけじゃなくて、知識として自分の中に収めてるから忘れないんですね
 だからもう読まないなと思った本は知恵の殿堂に寄贈しても大丈夫(思い出せる)だし、となると手元(家)に置いておこうと決めた本は、どこになにが書いてあるかはわかっているけれどそれとは別にそばに置きたい、自分が持っていたい本なんだな
 本に限らず、アルハイゼンが家の中に招き入れるものは自分がそばに置きたい選りすぐりのものなんだろうなとは思っていますが

 カーヴェ「友達の友達もまた友達、だよね」
 ジェイド「そうなの?」
 カーヴェ「そうじゃないのかい?」
 ジェイド「砂漠では違うかな。(中略)でも、旅人が悪人と友達になるわけないか」

 友達の友達もまた友達 いい言葉だなあと思います
 花神誕祭イベでも思ったことで、あのあたりの感想にも書いた覚えがありますが、ナヒーダの「手をつなぎましょう」という台詞が好きです
 雨林と砂漠という異なる地域、異なる信仰に身を置いていても、私たちは友人になれるよ 手を繋げるよという素敵な言葉 祈りでもあるかもしれない
 そして「友達」という言葉に引っ張られて、知行合一プロジェクトでカーヴェがレイラに「危険だからこそ人手が必要なんだ。屋外で活動するときは、友達が頼りだからね」と言っていたのがここで思い出されて この魔神任務でも効いてくるなあ~……!と噛みしめていました
 学者もそうでない人も、砂漠の民も雨林の民も、みんなでこの危機を乗り越えようとしている いいな……


第十章(クリック/タップで展開)
 それぞれの分野で最も腕の立つ人間としてアルハイゼンとカーヴェが推挙されたのが、彼らの能力がただ高いのではなくて「最も高い」とされているのだということを示していて す、すごい……すごいな……と感服しました (テルメジとナイサブーリーのお名前の元ネタはどなたかいるのかなと思って調べてみたけど、どちらも都市の名前から取ってるっぽかった(Termiz/Neishaboor)けど、テルメジについては因論派なのでもしかするとティルミジ姓の誰かかも……)
 「スメールが君を一番必要としていたとき~」というあのアルハイゼンの台詞に信憑性がぐんと上がりました 当時はスメールが平和になったあとにやっとお披露目されたカーヴェを「今回の草神救出には参加できなかったものの、本来はそれほどまでに優秀な人物である」とプレイヤーに印象付けるため……というメタ的な意味と、アルハイゼンにとってカーヴェがいれば自分はもっと動きやすかった、ひいては作戦の確実性が上がったという意味で用いられた言葉だと思っていたのですが 今まさに危急存亡の秋という場面で草神と大賢者に指名されるほどに能力が認められているのだとわかって ここだけで無限に味わえてしまうなと思いました

 アルハイゼン「不満なら、君がやればいい」
 カーヴェ「一日に五つもプランをひねり出さないといけない日々なんて、経験したことありませんよね!?」
 テルメジ「そもそもトキの王ご自身が参加するつもりなんて、ありませんよね?」
 ナイサブーリー「ただ解説というか、経験談を語りに来ただけでしょうか?」

 ここの各分野第一位の学者たちのブーイング、良かったな 敬意が大事なのはわかるけどとにかく今は余裕がないんだ!というまっとうな怒り
 アルハイゼンはともかくとして、テルメジたちもトキの王にこれが言えてしまうのすごいな ウワッ生きてるトキの王! とか言えてしまう時点でだいぶ肝は据わっているなという感じがしましたが……

 ナヒーダ「そう、恐れないで、私たちはみんなここにいるわ。すべては過ぎ去っていくものよ」

 「このままずっと止まないかもしれない、と思うような強い雨も、吹き続ける嵐もないよ」「いつかは全部過ぎていくもので、ここに留まり続けるわけじゃないよ」というナヒーダの言葉 時間は流れるもので、不変なものはなにもないから怖がらなくても大丈夫だという考えは、時間を止めて魂を繋ぎとめることを安息としたキングデシェレトとは異なる部分だなと思いました
 黄金の眠りの中には大きな嵐はないけれど、魂が停滞して地脈に還ることもない ベンヌの言うようにそれも確かに安息の地ではあるのだろうけれど、それでもやっぱり個人的にはあまり「安息」という感じではないなと思うのは、世界任務でジェブライラがサミエルと一緒に黄金の眠りに入ったのを目の当たりにしたからかもしれません
 これからずっとこの中でサミエルと一緒なのは勘弁してあげてほしい……と思っていたので、今回死者の魂が解放されてよかった ほんとによかった……
 ジェブライラが出てきたということはサミエルももちろん出てきたと思いますが、出てくるときに一緒じゃなかったのもよかった ここから先は別行動でお願いします

 ティナリ「知識の共有は、運命に抗う有効手段だ。僕はこれからもずっと、そう信じ続けるよ」

 ティナリの知識への認識はどこまでも地に足がついているもので、誠実で 優しくて強い彼らしいなと思います
 「どんな命だって大切」「生命は消耗品じゃないし、知識は王冠と王笏であっちゃいけない」……と話していたティナリは、知識がないということがどれだけ簡単に命を落とすきっかけになるかを知っているし、そうさせないために知識は誰かが独り占めするのではなく広く共有されるべきだと考えていて サバイバル術に長けて人々を助けるレンジャーらしい、命を守る術として知識を大切に思っているところがいいなあと思います
 スメール人にとって知識は富だけど、ごく限られた者たちだけが持てばいいと思っている人、自分の中だけに留めずに広く循環させたい/されるべきだと考える人、崇高な目的のためというよりは自分の興味関心のために追い求めるし独り占めする気もない人など それぞれに考え方は異なっているところが好きです プレイアブルとモブとにかかわらず
 悪い人はこういう考えで、いい人はみんなこう考えてる……というような二極化されたカテゴライズじゃなくて、それぞれの立場や人生のなかで、そう考えるに至った物語があるとか 誰かの影響で自分はこう考えるようになったとか そういう根っこのところにあるもので絶妙にすこしずつ違ってくる考え方の部分に キャラクターそれぞれの強い個性を感じていいなと思います

 マーヴィカ「健闘を祈る」
 旅人「私たちは絶対に負けない!」

 ここ「我々は独りで戦ったりしない」だ……!とうれしくなりました 神の心を宿す前にナタのみんなのことを思い浮かべていたからなおさら
 ナタ、大好きな国 競技場の聖火が弱々しくなって、みんなが不安になるなか カチーナちゃんが「我々は! 記憶と伝統を受け継ぎ!」と反魂の詩で鼓舞するあのムービーを何度も見返したくなるし、見返しては泣いてしまいます
 
 そしてついにスメールの民全員に新しいアーカーシャが配られて、みんなで一斉に世界樹にアクセスするシーン か、かっこよすぎる……
 正機の神に対抗するためにアーカーシャを通じてスメールの知恵を結集させた、スメール魔神任務のクライマックスを思わせる構図がたまらなかったです
 たまらなかったと言えば、昼間のスメールシティのBGMでおなじみの「花と樹の旋舞」がアレンジされていたのもほんとに ほんとに良くて…… 金管の重低音の、ベルをブンと震わせるような鳴らし方 しびれます
 ユーフォニアムの音色のような、人が歌うようなやわらかい輪郭の音も好きですが トロンボーンやテューバの、おなかの中や心臓の裏までびりびり響くはっきりとした輪郭の音もかっこいい 原神の音楽が大好きだなあと改めて思いました

 ニコの導きの下、放浪者と旅人でドットーレと対峙するシーン まさかここで丹羽たちが出てくるとは思わず、ほんとに「全部」出してくるんだなと慄きました ぬかりがない
 ドットーレの研究や実験は倫理を外れていたし、多くの賛同を得られはしなかったけど、彼をきっかけにして多くのものごとが進んだことは確かで 悪役が現れたので倒して平和が訪れました……だけではない、世界がよい方向へ変わるきっかけになったとも考えられて、一口にただの悪役とは言えないキャラクターだなと思いました もちろん行ってきた実験の数々は擁護できないものですが……
 ドットーレ撃破後にドロップした「異質な樹核・一」に書かれていたのは主に富者の治療記録でしたが ただのカルテというではなく、富者のコメントもちょこちょこ書かれてて その様子を見るに富者が博士を「友人」だと言ったのも嘘ではないのだろうなという感じがします

 ・外勤控えなさい(博士)→そうもいかないんですよね(富者)
 ・肌が治ってよかったね(博士)→ありがとうございます(富者)

 交換日記みたいなやりとりだな、と眺めていたら、これってもしかするとザンディクにとっての掲示板のようなものだったのかなとも思えてきて だとしたら……と感慨深いものがあります
 自身の断片とはたくさん話してきただろうけど、それは結局のところある種の自問自答でしかなくて、このカルテがザンディクにとっての掲示板であり、富者との会話や彼への治療行為がそのまま共同研究者(他人)との議論や研究だったのではないか……と思ったりしました 得がたい縁 なおのこと、最期の「さらばだ」が沁みてしまう
 教令院を退学したネフェルが最後にカタユンにだけは別れを告げたように、ザンディクは故郷を追われたとき、あるいは教令院を追放されたときに誰か/なにかに別れを告げたのかな それとも落ち着いて別れの挨拶をしたのはこれが最初で最後だったのかな

 そう、ネフェルといえば ネフェルがカタユンに話すときのあの、いままで聞いたどんな声より柔らかくて優しい、うれしそうな声 あのパートを何度でも聴きに行ってしまいます あまりにもうれしそうで泣きそうになるので

 もうすぐ六周年を迎える原神ですが、旅人があちこちの国を旅するあいだ、キャラクターたちもずっと同じ生活をしていたわけじゃなくて 国を超えて友好を結んだり、専門知識を増やしたり、新しいことにチャレンジしたり、成長してきているんだよということをイベントなどで見せてもらっていて 今回の魔神任務でもそれぞれの成長や変化をたくさん見た気がします
 見習いを卒業したコレイもそうだし(プロフィールの「見習い」も、魔神任務通過の有無で取れたらいいな)、市街戦に参加するくらいすっかり頼もしくなったラナ、リルパァールに反発せず落ち着いて話すことができるようになったジェイド そのほかにもたくさん、これまでにかかわってきた人たちがもっと頼もしくなって姿を見せてくれて すごくうれしい気持ちと、なんだか集大成すぎるあまりに「終わり」の気配を勝手に感じ取って少し寂しくなったり 一言では言えない気持ちで胸がいっぱいになりました
 まだまだいっぱい見たいスメールのみんなの日々 のんびり旅行記やイベントでまたどんちゃか賑やかな日々を垣間見られますように~!


アルカヴェ(クリック/タップで展開)
 やりたかったこと全部乗せ! みたいなシーンの数々に圧倒され、ミニゲームから垣間見えるふたりの研究における役割分担とか、得意分野などなどに頭をぐわぐわ揺らされ 最後の歩み寄りのシーンでとどめを刺されました ごはんを盛られ過ぎて動揺する猫のミームがずっと頭の端っこにありました
 あの、ジト目で見つめながら顔をズ~ッ……と寄せていく仕草も 昔からやってたんだろうな……と静かに天井を仰ぎました 「僕の目を見てもまだそんなことが言えるのか?」と言わんばかりに顔を近づける先輩 学生の頃から振る舞いが変わってないんじゃないか それはもう何かしらの罪になってしまうんじゃないか

 ふたりで調査するパートでも、阿吽の呼吸でさくさく探索が進んでいて 知行合一プロジェクトの探索パートでも思ったことですが、このふたりが揃って調査するとなると思考スピードをゆるめないまま、一度も「それってどういうこと?」と躓くことなくポンポンと話が進んでいくので なんて展開が早いんだ……と口がぱかっと開いたままになりそうになります
 アルハイゼンにとってカーヴェがいると助かる(楽)ということはわかっていたけど、カーヴェにとってもアルハイゼンはいきなり古代文字の解読を任せられるだけの、知識への信頼があるということが改めて出されると そうなんですね……とニッコリしてしまいます

 カーヴェ「もし、僕の精神がどこかへ飛んで行ってしまったら、どうなるんだろう?」
 アルハイゼン「そんなことはあり得ない。それに、プロジェクトは完了したと思ったら第二期が始まるものだ。喜ぶにはまだ早い」

 ここ いいな……
 夢みたいな体験だ、と話したあとなのに カーヴェのもしもの話にはすぐに「そんなことはあり得ない」と引き止めるように言ったの なんだかするめのように噛めば噛むほど味がする気がします
 カーヴェは夢や理想を具現化する人であって、自分まで夢の中に溶けてしまってはいけないので ふいにそちらに興味が湧きそうになった、あるいは飛んで行ってしまうかもしれないカーヴェの腕を引いて地面に足をつかせる……ようなアルハイゼンの言葉がいいなと思いました 風船の紐を持ってるみたい
 カーヴェ先輩、実際に小瓶の中に吸い込まれちゃったりしてしまう人なので、現実離れしたところに飛んで行ってしまうというのもない話ではないというのが恐ろしいところなのですが……

 アーカーシャ(アアル)を改造、という言葉を見るたびに、もうすぐ日本でも配布が開始される新型アーカーシャ端末の「浮き葉」ちゃんが浮かびました
 すでに使用停止になったシステムの新型となると、どんな目的で作ることになるだろう? オフライン端末みたいなことかな? というのをずっと考えていたところに、今回ばっちりオンラインで動くアーカーシャの出番がやってきてワー! とうれしくなりました
 先に入手されていた方に見せていただいた浮き葉ちゃんのフレーバーテキストに「ナヒーダが作った」とあって、増幅装置みたく発案者がナヒーダ、詳細なデザインや設計が妙論派をはじめとする学者たちだったのかなと思いますが 浮き葉ちゃんのあの 時間が来るとジリリ!とお知らせしてくれる機能にどこかの定時帰宅の誰かさんめいたものを見てしまうので もしかすると浮き葉ちゃんという個体は新型アーカーシャ端末のなかでもカーヴェによって我が家向け機能をくっつけられた、特別改造個体だったりしないかなと思ったりします
 もしもほかにこの新型アーカーシャ端末がいたとして、ほかの子は案外静かだったり、おっきなリボンはついてないかわりにおしゃれなネクタイがついてたり、かしこげなメガネをくっつけてもらってたり それぞれ違ったらかわいいな

 もしくはアアルのシステムを実際に操作したのはアルハイゼンとカーヴェだから、ふたりだけが扱える制御用端末? としてナヒーダ発案のもとで作った唯一個体かもしれないなあとも思ったりします 僕たち専用の端末だから我が家仕様(アラーム)をつけたということであれば、それはそれでかなり面白ではあるのですが……(私物化すぎる)
 浮き葉ちゃんについて、なんで作ったの? という部分が明かされていなかったのも、今回の魔神任務を経たうえで、こういう端末が必要だなという話になって作られた……ということかもしれないなあと 妄想がふくらみます あれこれ好きに考えているときがいちばん楽しいですね

 盤面に立つふたり これこそメタファーというか そのものというか ふたりの学生時代の多くが語られない代わりに、どんなふうにしてふたりは研究を共にしてきたのかを見せてもらった気がして、たった三面きりのミニゲームを終えるのが惜しかったです
 始める前の「自分は先輩なのだから後輩を守るのは当然だ」というカーヴェの言葉に いまでもカーヴェの中では、アルハイゼンは守るべき年少者なんだなというのが見て取れてかなりじっくり噛みしめたところですが ゲームが始まってからのふたりの動き方(動かし方)にもらしさがあって こういう見せ方もあるんだと驚くばかりでした
 先輩はスキルボイスでおなじみの「障害物クリア!」のとおり、障害物をどけることで道を拓くことができて アルハイゼンは作ってもらった道を通ってギミックを解除しに行き、それから互いにゴールに向かう このやりとりを、実際の研究の中でもやっていたのかなあ……と思ったりしました 知行合一プロジェクトでもこんな感じのやりとりを見たなあ
 ふたりはけして同じ道を辿らないけど、同じ答えにはたどり着くよ、とか たとえ真反対の生き方をしても、ふたりが帰るのは同じ場所だよ、とか ミニゲームの軌跡からそんなことを深読みしてしまいます もっかいできませんかこのゲーム……何度でもやりたい……

 作戦決行前夜、霊廟の屋上にいるふたりの会話はどこをとっても印象的でした

 カーヴェ「僕が手伝うのも悪くないだろ?」
 アルハイゼン「確かに君はスメール人として、災難を目の前にこの上ない責任感を発揮してくれた」

 この部分、嚙み合ってるのは噛み合ってるけど、アルハイゼンが個人的にどう思うかの言及ではなくて 「今回はちゃんと国を救うための作戦に参加できたし、能力を遺憾なく発揮できていて良かった」というカーヴェの働きに対するコメントであることは間違いないのだけれど、カーヴェが参加したことで「アルハイゼンは」どうだったのか、という話がそれとなく避けられているような 欲目がそう思わせているのか ど、どっちだろう わざと……
 妙論派トップクラスの学者であり、互いの能力について十二分にわかっているカーヴェが作戦に参加したことで、アルハイゼンは間違いなくこれまででいちばん動きやすかっただろうけれど そういう「自分がどうだったか」については言及しないあたりに、後輩のあまのじゃくさというか、意地のようなものを見た気がしました(大いに欲目の可能性があります)

 アルハイゼン「どうしようもないことは毎日起きている。食い止められることもあれば、そうでないこともある」
 カーヴェ「大いなる理想では虚無に対抗できないかもしれないが、小さき選択ならそれに対抗できる、か……

 学院祭のことも拾ってくれる尋常ではない手厚さに、もしかしてスメールのすべてが今日ここで終わるのでは……?と若干怖くもなりました
 アルハイゼンの残したメッセージがいまも確かに、カーヴェの中に響いていることがうれしかったです 学院祭が期間限定なのがほんとうに惜しすぎる

 カーヴェの「君には参るよ」の声の温度感、優しさと呆れ、愛着、いろんなあたたかさが混ざっていて なんというか「納まるところに納まった」感じがして……すごくすごくよかったです
 先輩は後輩を守るものだとカーヴェは思っているけど、アルハイゼンは大人しく守られてやるつもりはないし、立つならカーヴェの後ろじゃなくて横だったり、ときには前だったりするんだな 鏡だもんなあ


 すべてが終わったあと、めちゃくちゃになった家の片づけをするふたり すごく深い部分の話をしていたなと何度も見返しています

 アルハイゼン「君は自分の立場を「手伝い」だと思っているのか? それは驚きだ」

 ね ほんとに 驚きでした パッキングを代わりにやってあげたり、買い物当番を決めたり、いちばんおいしいコーヒー豆を議論したり そんなふうに毎日を重ねているカーヴェは、あの家をもう自分の家だと思っているとばかり……
 でもよくよく考えれば、一緒に住み始めたきっかけや家賃のやり取りがあること、「○○なら◇◇べきだ」ときっちり型にはめる考えをする先輩のことを思うと、新しい約束や宣言なしに「ここはアルハイゼンの家だけど、僕の家でもある」と考えることはないのかもしれない、とも思いました
 とはいえプレイヤーがエッ?と思ったのと同じく、一緒に住んでいるアルハイゼンも驚いているあたり 無自覚な部分では既にすっかり自分の家として日々を過ごしているのではないかなという気がします あともうほんのひと押し、カーヴェ自身がいまの家に感じている愛着や安心感と正面から向き合って、自分はこれからどうしたい? を考えたとき、やっと「ここは僕の「家」なんだ」と思えるのかもしれないなと 妄想の話をしてしまいました
 旅人も言っていた、「家族のいる場所こそが「家」だ」という考え方はきっとアルハイゼンの考えと同じかごく近いものだと思うけれど カーヴェの場合、ではファラナクさんのいるフォンテーヌの家がそうなのか?というとそれは違うので 彼があの緑の家を自分の「家」だと呼べるようになるには、まずアルハイゼンのことを自分の家族だと認めるのが先になりそうですね
 アルハイゼンのほうはもうすでにそうだと思っていそう 家の中がめちゃめちゃになっても落ち込まない=「家」は外装や内装からなるものではなく人からなるものであり、「家」を構成する自分とカーヴェが生きて帰ってこれた以上、それ以外のことはどうにでもなると思っているじゃないかなと思うし、実際どうにでもなることではあるのですよね 散らかったものは片づければいいし、壊れたものは直すか、買いなおせばいい
 命を落としてしまうとかの取り返しがつかないことに比べれば、家の片づけは面倒だけどやればいつかは終わることだし、とてもささいな問題なので

 カーヴェ「家がこんなにめちゃくちゃになっているのに、落ち込まないのか? ここは君が毎日暮らしている家だぞ。ものが散乱して、壁掛けの絵が落ちて、ガラスは割れてる。そういうのを見て、なんとも思わないのか?」
 アルハイゼン「面倒ではあるが、落ち込む必要はない。俺にとってはどれも簡単に解決できる問題だ」
 カーヴェ「はあ……(中略)君は真の家を形作るのにどれほどのこだわりを必要とするのか、まるでわかってない」

 カーヴェは建築デザイナーで、建築物としての家と中に住む人のどちらか一方が不十分だと幸せにはなりきれない、住みにくい家に住む人は不満だろうしどれだけ素晴らしい建物でも住む人がいなければ「家」にはなれない、だからしっちゃかめっちゃかの家を見て落ち込んでしまうし、惨状を見てもとくに堪えていないアルハイゼンにムキーッと腹が立ってしまう のかな うつくしくて機能的な巣を作る鳥が「(君がいれば)どんな巣でもいい、ひとまずは適当に拾った巣材でも構わない」と番に言われてピーッ!なんにもわかってない!て怒るみたいな画だなと思いました
 でもアルハイゼンはカーヴェのそういう建築へのこだわりを理解していないわけではなくて ただ単に「俺にとっては」、そのこだわりが損なわれても家というものの定義は揺らがないというだけで……このすれ違いもふたりならではのもどかしいやつだな~と思って見てました
 建築としての家(house)と帰る場所としての家(home)の違いというか あの緑の家のことを、カーヴェはいまはまだ自分のhomeとは口に出せないかもしれないけれど、いつかはそうなればいいなと思うし イベントや今回の魔神任務の合間合間に挟まれた距離近~なやりとりを見るに、それが叶うのはそんなに遠くないんじゃないかなという気がします

 カーヴェ「でも、人生にはどうしても変えられない人や物事があって、無理をしても仕方ないんだ。それに
 カーヴェ「苦しみが時にアイデアの源になることもある。僕はたぶんそういうものを必要としてしまう自分を、抑えられないんだろう

 カーヴェが自分のなかで、苦しみに折り合いをつけていること 限界を受け入れていることにほっとした気持ちになりました 「無理をしても仕方がない」は、諦めのようにも見えるけれど、個人の力の限界を受け入れての言葉なのではないかなと思います
 人の課題まで背負い込んでいたカーヴェがこれを言えるようになったこと、アルハイゼンはうれしかっただろうな

 アルハイゼン「ふむ……君がそう思えるならいいことだ」
 カーヴェ「(中略)苦難は想像をはぐくむ。君も否定はできないだろ?」
 アルハイゼン「否定しているわけじゃない。うれしく思っているんだ。わからないか?」
 アルハイゼン「君がいつも、自分を納得させるに足る理由を見つけられることをうれしく思っている。人の生活の多くは、問題を見つけ、その理由を探し求める道のりを指す。君の場合は特にそうだ」
 アルハイゼン「誰もが自分に都合のいい言い訳を見つけられるものではない。その点、君はずっと進歩している」

 これらの台詞、皮肉で分厚くくるんでいるけれど アルハイゼンはほんとうに、カーヴェがそう考えることができるようになってうれしいんだな~というのがすごくわかる会話でした
 ここってほかの言語だとどうなってるんだろうと思って見てみたら

 英) Not everyone's so good at justifying things to themselves. It's something that you've been steady mastering.
 中) 不是毎個人都能找到適合自己的託辭。這一點上你一直在進歩。

 ……となっていて、日本語がいちばん皮肉感がある気がしています 他言語のほうがちょっと優しいというか、お手柔らかというか ニュアンスレベルですが……
 苦しみそのものを肯定するのではなくて、苦しんできた自分を肯定するための、自分を許すための理屈というか 自分が生きやすくなるための前向きな意味を付ける、ような
 カーヴェの抱えてきた苦痛は確かに彼を苦しめたけど、いまではその苦痛は彼の人生だったり、性格だったりに溶け込んでいて もうなかったことにはできないんですね アイデアの源になると言ったように、自分の創作や価値観から切り離せないものになっている
 苦しみは不要だったと言ってしまうと、彼の人生の大きな部分を否定してしまうことになる けれど苦しみそのものを肯定してしまうことは自罰的であることと同じなので、カーヴェは「苦しんだ自分」を肯定する=自分に都合のいい言い訳、苦しみを手放せない自分を許す理屈を見つけたということなのかなと思いました
 学院祭イベントでレイラに「自分自身との折り合いがつかないみたい」と言われていたけれど、父親の失踪の真実を知ったり、母親のノートから彼女の思いを知ったり、友人たちと過ごすなかですこしずつ、ほんとうにすこしずつ折り合いの付け方を身につけてきた それがアルハイゼンの言う進歩であり、カーヴェが手放せない苦しみとうまく付き合ってやっていくための方法なんだなと思います

 (学院祭イベントにて、気がかりなことにずっととらわれてしまう、という話のあと)
 レイラ「先輩はそういう時、なにかいい解決方法はありますか?」
 カーヴェ「正直、ないね。というよりも、物事の大半には、すぐ効くような解決方法なんかないんだ。ただ我慢し続けるそれか、終わるまで何とか持ちこたえるしかない」
 カーヴェ「病気みたいなものかな? 症状にあった薬を出せない時もあるから、そんなときは自然に治るまで待つしかないんだ」

 当時レイラに対して口にしたカーヴェの台詞を見てみると、いまは「どうにもできないこと」に対するスタンスが変わったんだなと思います
 当時のカーヴェも「自分にはどうにもできないこと」があることはわかっていて、でもその苦しみをただ抱え続けていくしかなかった でもいまのカーヴェは、苦しみを受け身で抱えるのではなく、自分の人生の中で意味のあるもの(芸術など)に昇華しようとしていて、とても前向きな解釈・付き合い方をしているんだなと感じました
 そんなカーヴェだからこそ、アルハイゼンはうれしく思うんですね 誰もが自分に都合のいい言い訳を見つけられるわけではない けれどカーヴェは苦しみを手放せない自分のことも許しながら、手放せない苦しみのことも、ただ抱えるだけではなく意味づけられるようになった
 ずっとカーヴェのことを見てきたアルハイゼンにとって、この変化はある種の小さなゴールみたいなものなのかもしれないですね よかったね

 ではアルハイゼンの進歩とはどんなものかと言えば、めちゃくちゃになった家で自分のものも多く散らかったなか、カーヴェのものを先に片づける姿勢を進歩だと思ってくれて構わないということで これまででいちばん素直に、カーヴェに対する自分の思いを示した場面だなとうれしくなりました
 これまでのアルハイゼンは、なんというか……人生のお隣さんというか 一緒に住んでいるし自分にとってカーヴェが大切な人間であることは間違いないけれど、カーヴェの問題はカーヴェの問題だとして「直接的に」かかわりはしなかったように思うのですが(学院祭イベントでカーヴェにメモを残したときも、「暇だったら目を通すように」と言うだけに留めていた)
 今回はカーヴェの目の前でカーヴェのものを手に取り、片づける姿勢を見せて(直接的にかかわって)、「自分にとって君の問題は君だけの問題ではない」ということを示し、それを隠さなくなった それが進歩だというのなら、アルハイゼンはカーヴェをただのルームメイトではない、自分の人生の一部だと認めていることを行動で示したんだなあ……と感慨深い思いがします

 「君がいつも、自分を納得させるに足る理由を見つけられることをうれしく思っている」という台詞もしみじみとよくて カーヴェの進歩を「高く評価する」のではなく「うれしく思う」のは、カーヴェの選択が彼だけに影響するものじゃない、アルハイゼンにも大きな影響をもたらすものだからで カーヴェが生きやすくなるとアルハイゼンもうれしい、それって大きい愛だなあと思います

 多くの言語を知り、ひとを言葉でたやすく煙に巻くことができるアルハイゼンが、カーヴェに己の進歩を示すときにはただ行動でのみ語ったのも いいなあと思います

 カーヴェのものをアルハイゼンが片づけて、アルハイゼンの大切な本をカーヴェが修復する 自分のものではない、でももう「他人」という言葉では遠すぎる相手のものを、自分も大事に扱うこと 知行合一プロジェクトで見られたパッキングのくだりの「仕方がないからやってあげてるんだぞ!」的なわちゃわちゃ具合とはまた違う、相手の選択や領域を尊重しながらより深くかかわろうとするふたりの、まさにいまから家族になっていくんだという空気感が素敵だなと思います
 最後の場面にメラックがいなかったのも、メラックがいると一気にご家族感が出てしまうからなのかもしれない メラックがかわいいあまりに、その場にいるだけでお子さん感が出てしまうため……ピッポ……

 学院祭をきっかけに、関係のとげとげしさが和らぎ始めて デート任務や期間限定イベントを経て、なんだかもう見るたびに家族感が増してるなといった感じだったけれど こうして具体的にふたりがどんなふうにして家族になっていくのか、そのきっかけのワンシーンを見せてもらえるとは思っていなくて(しかも魔神任務で!)、ここだけは期間限定では済ませないぞという意気込みみたいなものを勝手に感じたりしました たとえ学院祭にリアルタイムで触れていなくても、花神誕祭に参加できていなくても、このくだりは魔神任務で見てもらいますよという強い気持ち い、いいんですかほんとに おいしいところをたっぷりいただいてしまって
 いつかのんびり旅行記でふたりとひとつの三人家族が見れたらいいなあ、と思っていたけれど 今回の魔神任務を経て、この先もしのんびり旅行記みたいなキャラクターの日常を垣間見せてくれるイベントに出てきちゃった日には何が出てきてしまうのかちょっとこわいまであります ご家族(本気)の原液を嗅がされてしまうのかもしれない 浮き葉ちゃんが出てきたらどうしよう 第二子(?)すぎる ワーッ


 ふたりが出てくるたびに最高のものを見せてもらったなという気持ちになっていますが、今回もやっぱり最高のお話を見せてもらったなあと満足感たっぷりの気持ちです
 ありがとうスメール これからもずっと大好きな国です あの緑の家に住む家族がずっと幸せでありますように……