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史加
2026-06-07 23:31:23
4797文字
Public
原神(ルカキリ)
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純心ひとつ、愛と一緒に混ぜて溶かして
ルカキリ/フリンズに会いたくて少しばかり無理をしているファルカの話
※ワンドロお題「コーヒー」お借りしました(+30min)
ああ、疲れたな。
ぼんやりと思いながら、ファルカは故郷であるモンドから持ってきた縦長の、密封性の高い袋を開封する。香ばしい豆のにおいを嗅いでもどこか霞みがかる思考がクリアになることはないが、何時間も嗅いでいたインクと紙のにおいの染み付いた鼻腔にはどこか新鮮で、ほんの少しだけ胸の奥が緩むような心地がした。
専用のスプーンを袋の中に差し込んで持ち上げると、艶のある焦げ茶色をした豆が姿を現す。それを何杯分かミルに入れて袋を閉め、ごりごりと挽いた。固い豆が砕かれる振動が、ペンを握り続けて凝り固まった手のひらに伝わる。すべてが片付いたら一週間はカトラリーと剣とジョッキ以外握らない生活をしたいものだ。そんなことを思いながら手を動かしているうちに、豆は均一な粉になったようでハンドルが滑らかに回るようになった。
手を止めて、小さな引き出しのかたちをしている粉受けを取り出すと、先ほどよりもいっそう強くコーヒーの香りが漂う。コーヒーは嗜好品のひとつであるのと同時に、眠気覚ましを目的に飲まれることの多いものであるのは言うまでもないが、疲労の濃いファルカの意識は残念ながらやはりすっきりとしない。ただまあ、こうして豆からコーヒーを入れるのは多少なり気分転換になるので、たまにやってみるのは悪くないことだった。
あらかじめペーパーフィルターをセットしておいたドリッパーに粉をこぼさないよう慎重に移して、沸かしておいた湯を少しだけ注ぎ、蒸らす。あとは様子を見ながら湯を注いでいけばいいだろう。本当は酒を飲みたいが、あいにく机の上にはまだ書類がいくつも残っていて、モンド行きの船に乗る時間も迫っている。なので少し休憩したら残りの書類を片付けなければならない。
「はあ
……
さすがに今回はちっときつそうか」
ぽたぽたとドリッパーからポットへコーヒーの落ちる音を聞きながら、懐中時計を見てファルカは深いため息をついた。
ナド・クライとモンドを往復する日々は多忙を極めるものだ。もう少し日程的なゆとりがあって、仕事の合間に出かける余裕のあるときもあるが、今回のようにナド・クライの拠点に溜まっている書類に目を通して決裁をしたらすぐモンドへと帰らなければならないこともある。次にいつナド・クライに顔を出せるかは決まっておらず、そうなるとファルカとしては多少なり睡眠時間を削ってでも時間を捻出して会いに行きたい相手
――
有り体に言ってしまえば恋人がいるわけで、今回は西風の砦に着くなり大団長用にと未だ設けられたままのテントに引きこもって、熱心に事務仕事に打ち込んでいた。
ただ、想像していたよりも書類が多かったし、決裁を通すにも騎士たちに細かな部分の確認をしなければならないものがいくつかあって、それに時間を取られすぎてしまった。おかげで書類を片付け終えたとしても、出歩けるのはせいぜい一、二時間といったところで、ナシャタウンにあるフラッグシップへ向かうのはおろか、会いたい人の駐在している孤島へ足を運ぶことすら出来そうにない。
せっかくナド・クライに来たっていうのに、恋人の顔も見れずにモンドへ帰ることになるとは。モンドはファルカの愛する故郷であるが、ナド・クライにいる恋人のことだって同じくらい
……
というよりそもそもこのふたつを並べて比べるのはおかしな話なので、モンドとはまた別で心より愛している。恋人もファルカが多忙な男であることを理解しているし、会えないというだけで怒って離れていってしまうようなひとではない。むしろファルカの身を日々案じており、ファルカの心のやわいところに寄ってくれるような、すばらしいひとである。だからこそ大切にしたい。あとやっぱり、会いたいものは会いたい。なので頑張れば会えるかもしれないというチャンスを今回は逃してしまいそうなのが惜しくて、年甲斐もなくファルカは落ち込みたくなった。
肩を落としているうちにコーヒーも落ち切って、黒く香りの高い液体がなみなみとポットを満たす。カップに注いでまだ湯気の立つそれを啜ると、舌先にじんとした熱さが伝わり、普段よりも深く重みのある苦味が広がった。
ひとまずこれでも飲みながら仕事の続きに取りかかるか、とファルカはどうにか気を持ち直して、ポットとカップを机に運び、再び書類に向き直ろうとする。と、一人分の足音が近づいてきて、ファルカのいるテントの前で立ち止まる気配がした。
「うん? 誰だ、入っていいぞ」
問いかけてから、ちょっとおかしいなとファルカは気付く。砦にいる部下たちならファルカが声をかけるより先に、「失礼します、大団長!」などと声を上げるはずだ。だが来訪者は物静かで、その足音も騎士たちの軍靴が鳴らすものよりも軽いものだった。
となると、外部から誰かファルカを訪ねてきたのだろうか。疲れで鈍っている頭がようやくのろのろと回り出したところで、垂れ下がる幕が持ち上げられた。
「失礼します。ピラミダより資料をお届けに参りました」
涼やかな声が、ずっとぼんやりとしていて重たいファルカの頭に明瞭に響く。
「
……
フリンズ?」
茫然とファルカは名を呼んだ。テントの中に入ってきたのはたしかに、黒衣に身を包むライトキーパーであり、ファルカがつい先ほどまで会いたいなと思っていた恋人そのひとだった。
書類の入った封筒を腕に抱えるフリンズは、お久しぶりですね、とやわらかく微笑んで、ファルカの向かう机の前まで優雅に歩いてくる。相変わらずつま先まで洗練された動きが美しい。毛先へ向かうにつれて色の抜けていく、白み出した空のような髪が彼の動きに合わせて揺れるのに見惚れてしまうのはもう何度目のことだろうか。
「お忙しい時にすみません。マスター・ライトキーパーからは急ぎではないと言われていますので、帰りの船の上で目を通していただければと」
「悪いな。わざわざ届けに来てくれてありがとう」
「いえ。それよりもファルカさんがお酒以外を飲んでいるなんて珍しいですね」
フリンズの視線が散らかった机の上にある入れたばかりのコーヒーへ向けられているのに気付き、ファルカはへらりと力なく笑った。
「さすがに書類を急いで片付けなきゃならないって時に酒は飲めないだろ」
「まあ、確かに。ご自分で入れたのですか?」
「ああ。気分転換になるし、ちょうどモンドを出るときにサイモンに押し付けられたのを思い出したもんでな」
「サイモン
……
たしかそちらの教会の、枢機卿の方でしたか」
「ああ。そいつの娘が騎士団で俺の代わりに団長を務めてくれているんだが、寝る間も惜しんで働く娘がコーヒーばかり飲んでいて身体に悪いしこれ以上飲ませる訳にはいかないって、騎士団に置いてあるコーヒー豆のストックのいくつかを俺の荷物に詰めてきたんだ」
目の前にいるのがフリンズだからか、どうにもファルカの口は緩くなって他愛のない話を始めてしまう。今回は会えそうにないと思っていた相手に会えたのもあって、確かな喜びがファルカの胸を温かく満たしていた。
「なるほど。忙しいのはファルカさんが大団長としてモンドを空けているせいでもあるから、責任を取れということですね」
「まあ、そういうことになるな。実際コーヒーの飲みすぎは身体によくないし、常飲してりゃ眠気覚ましにもならなくなる。俺もモンドに帰れるようになったことだし、あいつもそろそろ息抜きのしかたを覚えるべきだからな。カフェイン依存になる前にこうして消費しておいてやるのも団員のためってやつだ」
からりと笑ったつもりだが、フリンズの金のひとみは気遣わしげにファルカを見つめてくる。何か口を滑らせてしまっただろうかと思うより先に、手套をはずしたフリンズがするりとファルカに手を伸ばした。白く冷たい親指の腹が、ファルカの下まぶたを優しくなぞる。
「そうですね。カフェインの摂りすぎは毒となりますし、コーヒーは飲み慣れてしまうとただの苦い液体にしかなりません。なので団員想いなのはいいことですが、あなたも少し横になって仮眠を取ることをおすすめしますよ」
隠しおおせるなどとは思ってもいなかったが、ファルカの無理を見抜くのがとことんフリンズは上手だった。
「飲んだところで眠気覚ましにもならないのでしょう?」
有無を言わさぬ声音で尋ねられては、ファルカは観念して頷くことしか出来ない。
ほんの少しでもフリンズと会える時間を作ることが出来ればと思い、寝る間も惜しんで事務仕事をしていただけで、今のペースなら仮眠を挟んでもモンド行きの船に乗る時間までには片付く分量になっている。予想外にフリンズからファルカに会いに来てくれた今となっては、無理をする理由なんてどこにもない。
ただ、せっかく会えたというのにちょっと会話をして終わり、というのも惜しいのが正直な気持ちだ。別に一日や二日の徹夜くらい慣れたものだし、ナド・クライからモンドへ向かう船で睡眠時間は確保出来る。なのでフリンズの時間さえ許すのならもう少し一緒にいたいと、ファルカはわがままなことを思った。
そんな弱気は、表情に出てしまったのだろうか。ふっとフリンズは優しく微笑み、ファルカの右手に触れたかと思えば指をほどいて、握り直したばかりだったペンを奪っていってしまう。
「一時間経ったら起こして差し上げますので、どうかご安心ください。騎士団の皆さんにも許可は頂いています」
「
……
なんだ、俺が眠ってる間もそばにいてくれるのか?」
「ええ、仮眠を取れと言ったのに仕事に専念されては困りますから、監視が必要でしょう? ああそれと、コーヒーの残りは僕がいただいてもよろしいでしょうか。お恥ずかしながらピラミダからここまで少し急いできたので、喉が渇いていまして」
つらつらと言葉を並べてファルカを甘やかそうとするフリンズにはまったく頭が上がらない。すっかり気が抜けてしまったせいか、疲労感も波のように押し寄せてきている。
しかし、普段は水を嫌い酒以外のものを口にしたがらないような男が、喉が渇いたなどというわかりやすい嘘をつく必要は今、あっただろうか。だいたい普段ピラミダを訪れることも多くない彼が、わざわざ急ぎでもない書類を持ってきてくれるなんて、なんだか。
回らない頭の中でもファルカはわずかな引っ掛かりを覚えて、フリンズを見上げる。
いつも通りの美しく整った顔と、凪いだ金のひとみ。だがやわらかな微笑みには、ファルカへの心配と、少しばかりの喜びが滲んでいる。
もしかすると、フリンズも。
「
……
会いたいと、思ってくれてたのか?」
脈絡もない言葉をぽつりとこぼすと、白い頬がかすかに赤らむ。
「
……
当然でしょう。恋人なんですから」
少し間を空けて言葉を返したフリンズは、やや強引にファルカを立ち上がらせると近くに置かれているソファへと連れて行き、さっさと横になって仮眠を取るよう促した。
さすがに膝枕はしてくれないようだが、ファルカのいくばくかの安寧を傍で守ってくれるのだろう。
ああ、そういうところも好きだ。寂しい思いをさせていたことに胸が痛まないわけでもないが、元より遠距離恋愛になる以上ある程度は覚悟もしていたことである。だからこそフリンズもファルカに会いたいと思って行動を起こしてくれたことがたまらなくてしかたない。
先ほど飲んだコーヒーの、舌の根に広がっていた苦味を上書きするように、ファルカは愛おしさを噛み締めて目を閉じる。
どっと押し寄せる眠気がすぐにファルカの意識を攫っていく。遠のく意識の中、最後までコーヒーの香りと、優しい炎のたたずむ気配がしていた。
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