haru_haru0704
2026-06-07 22:22:31
12641文字
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曖昧なままにしておきましょう

スカー×クリストフォロ 全年齢

今の鳴潮のストーリーから数100年くらい前の話です。

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「我々に新たな仲間が増えた。喜ばしいことだ」
しんと静まった室内に、老齢の男性の声が響く。その声は重厚な威厳に満ち溢れ、積み重ねた知識と経験の深さを感じさせた。
声の主──残星組織の組織長は、横に立つ金髪の男を手で指し示す。金髪の男は被っていた帽子を手に取り、優雅な仕草で一礼してみせた。そして柔和な笑みを浮かべ、聴衆に向けて口を開く。
「クリストフォロと申します。しがない劇作家ですが、監察という大役を頂けたこと、光栄に思っております」
スカーは椅子の背もたれに背を預け、足を組んだ姿勢のまま、その様子をぼんやりと眺めていた。
新しい監察。クリストフォロ。劇作家。
興味がないわけではないが、他の事柄──例えば、最近動きが掴めなくなっている漂泊者の近況だとか──に比べれば、その興味はちっぽけなものだ。
暇な時に、思想や共鳴能力について軽く聞いてみるくらいの事はしてもいいかもしれないが・・・
などと考えていると、不意に組織長がスカーの名前を呼んだ。
「スカー。お前には、クリストフォロの指南役を任せたい。タイミングの良いことに、瑝瓏の鳴式がそろそろ起きようとしているところだ。2人で任務にあたり、鳴式復活の手助けをするように」
「・・・了解」
スカーは内心、なぜ俺が?と思いながらも組織長の指示を受け入れた。スカーの横に座っていたフローヴァは、小さく「あなたに務まるかしらね」と呟く。
務まろうが務まるまいが、スカー自身にとってはどうでもいいことだ。べたべたと仲良くやるつもりはないし、親切な先輩を演じるつもりもない。
いつも通りやって、ついてくることができなければ切り捨てる。それだけだ。
スカーは改めてクリストフォロの顔を見た。相変わらず、柔和で無害そうな笑みを浮かべている。だが、残星組織の監察に抜擢されるような人間が、真に無害であるはずもない。
「よろしくお願いします」と頭を下げる彼に、スカーは「ああ」とそっけなく答えた。

✦✦✦
スカーとクリストフォロは、今州最北端に位置する北落野原の高台から、激しい戦闘の様子を見下ろしていた。
残像は北落野原の奥からとめどなく溢れ、今州城方面を目指して進む。その行く手を阻み、押し留めているのは人間の軍勢──夜帰軍だ。
人間と残像が戦い、殺し合い、数多の血が流れ、周波数は残響となり、より強い周波数に統合されていく。それらの事象すべてが鳴式の餌になっているのだと、夜帰軍の兵士たちは理解しているのだろうか?
「今州の鳴式は、戦争の鳴式だ。この土地に染み付いた戦いの記憶を喰らい、力を蓄えている」
「残像と戦っているのは?軍隊でしょうか」
「あれは夜帰軍だな。あいつらが残像との戦争を始めてから、もう200年くらいは経っているはずだ」
スカーが説明すると、クリストフォロはなるほどという様子で頷いた。
「皮肉な話ですね。命を懸けて民衆を守っているつもりが、実際は鳴式の復活を早めているとは。ですが・・・悲劇と呼ぶには、いささか捻りが足りませんね」
「悲劇ねぇ・・・やっぱりそういうのが好きなのか?劇作家だから」
尋ねると、クリストフォロはにこりと笑った。
「ええ、勿論。苦しみや悲しみがあるからこそ、人は輝くのです。苦難に立ち向かい、乗り越えられず挫折するのか、あるいは乗り越えた先で更なる苦難に見舞われるのか・・・これほど興味をそそる物語は、他にないでしょう?」
2人の遥か下方では、相変わらず残像と夜帰軍が血みどろの戦いを繰り広げている。しかし、クリストフォロにとっては劇を見ているのとさして変わりはないらしい。
たとえ人が目の前で死んだとしても、彼はきっと笑みを浮かべて言うのだろう。「素晴らしい」と。
外道だな、とスカーは思った。いや、悪趣味と言った方がいいだろうか?
どちらにせよ、俺にとってはどうでもいいことだ。スカーがそう思った瞬間だった。
「私は、君にも興味がありますよ」
クリストフォロは相変わらずの笑みを浮かべながら、そう言った。その笑みは、先ほどとまったく同じものに見える。
夜帰軍を見ていた時と同じ顔で見られるというのは、何だか不愉快だ。スカーは眉根を寄せたが、クリストフォロは構わず続けた。
「組織長から聞きましたよ。君は『漂泊者』に随分とご執心のようですね」
「・・・・・・」
スカーは無言のまま目を細めた。
確かに自分は漂泊者のことを何よりも気にかけている。そして、それを隠したりもしていない。探られて困ることなど何もないが・・・
「君はまるで、宇宙に憧れを抱く天文学者のようだ。遠く彼方にある星を追い求め、恋焦がれ、手を伸ばし、そして・・・掴んだ手のひらの中にあるのは本物の星か、あるいはただの鉄くずか。・・・君がどんな結末を迎えるのか、私は大いに興味があります」
クリストフォロの言葉が終わるや否や、スカーはトランプを投げ放った。
トランプは彼の狙い通り、クリストフォロの頬を掠めて後方へと飛び去って行く。クリストフォロは避けもせず、かといって驚きもせず、ただ平然とそこに立っているだけだった。
まるで、最初からそうなることを予測していたかのような態度が、スカーの苛立ちを加速させる。
「知ってるか?そういうことを本人に直接言うと、嫌われるんだぜ」
「ふふ・・・ご忠告、痛み入ります」
クリストフォロは、頬の傷からつたう血を指先で拭った。
本当はもっと痛めつけてやりたいが、いくらやったところでキリがなさそうだ。反省するどころか、ますます面白がって調子に乗りそうな気配すらある。
スカーはひとつ溜息をつくと、夜帰軍の方へと視線を戻した。

✦✦✦
夜帰軍の動向を確認し終え、スカーとクリストフォロは今州北部に位置する残星組織のアジトに移動した。そこには今州常駐メンバーが集まっている。もっと簡単に言うのなら、組織の下っ端たちの溜まり場だ。
スカーは手を叩いて下っ端たちの視線を集めると、クリストフォロのことを適当に紹介した。
「こいつは新しい監察だ。劇作家らしい」
「クリストフォロと申します。以後、お見知り置きを」
彼は帽子を手に取り、優雅に一礼した。その様子を見た下っ端たちがざわめく。
嫌なざわめき方だな、とスカーは思った。明らかにナメられている雰囲気だ。だが、別にどうでもいい。
クリストフォロに確かな実力があれば、その軽視はやがて尊敬へと変わるだろう。だが、仮に軽視のままだったとしてもスカーには関係のないことだ。
クリストフォロは下っ端たちの視線に気づいているのかいないのか、何とも言えない笑みを浮かべている。
「新しい監察様、お力が見たいです!見せてもらうことはできますか?」
不意に下っ端の1人が手を挙げ、そう発言した。一見、好奇心からの無邪気な発言のようだが・・・クリストフォロを見定めてやろうという魂胆が透けて見える。
「力、ですか。・・・いいでしょう。ただし、明日の朝まで時間をいただけますか?」
「今すぐは無理なんですか?」
「できないことはありませんが、無粋でつまらない劇になるでしょうね。それでも良ければ、お見せしましょうか?」
クリストフォロは軽く首を傾げた。下っ端の男はやや不満そうにしながらも、ひとまず素直に引き下がる。
「わかりました、明日の朝まで待ちます」
「ご理解いただけてよかった。あなたのために、一晩かけて脚本を練りますよ」
その言葉を最後に、場に沈黙が落ちる。スカーは彼らの一連のやり取りを見て、『場の掌握力は上々』と評価を下した。
何気ない会話で相手を引き込み、自分のペースに乗せ、そして都合のいい選択肢を選ばせる。クリストフォロがやったのは、そういうことだ。
おまけに、先ほどまでざわついていた下っ端たちは、彼の次の言葉を待って大人しくしている。すっかり彼の思い通りだ。
明日の朝、いったい何が起こるのか。これは期待してもいいかもしれない。

クリストフォロの『自己紹介』が終わり、集っていた下っ端たちが散っていく。
スカーは部屋の隅に置かれた冷蔵庫を開けると、中から缶ジュースを1本取り出した。
・・・後ろからの視線を感じる。
スカーはもう片方の手に2本目の缶を持つと、冷蔵庫を閉めて振り返った。やはり、クリストフォロが興味ありげにこちらを見ている。
「ん」
スカーは右手に持っていた缶を放り投げた。それは綺麗な弧を描きながら、クリストフォロの方へ飛んでいく。
ぱしり、と彼の手に収まる音を聞きながら、スカーは自分用の缶ジュースのプルタブを開けた。
「・・・これは?」
「見りゃ分かるだろ。ジュースだ」
「そう・・・ですね」
白とオレンジ色で塗られた缶には、『サンセットオレンジ』という名前が書かれている。どこからどう見ても、オレンジジュース・・・のように見える。
クリストフォロはプルタブに指をかけ、ゆっくりと引き起こした。カシュッと小気味いい音が響き、爽やかなオレンジの香りが弾ける。
やや怪訝な顔をしながらも、彼はジュースを口に含んだ。オレンジの甘味と酸味、それからやや遅れて苦味がやってくる。
・・・味も、普通のオレンジジュースだ。いくらなんでも警戒しすぎか、とクリストフォロは内心苦笑した。
そのまま二口、三口と飲み進めていく。そうしている間に、スカーは一缶飲み干していた。そんなに早く飲んで、気持ち悪くならないのだろうか。
そう思った瞬間だった。
「・・・?」
クリストフォロはよろめいた。体が、重たい。瞼も重い。眠気と吐き気がこみ上げてきた。眠気に負けて瞼を閉じると、地面がぐらぐらと波打つように感じる。
「これは・・・っ、薬物・・・!」
「ああ、入ってるぞ。ダウナー系の、めちゃくちゃ弱いやつだけどな」
「・・・っ」
クリストフォロはスカーを睨みつけた。しかし彼はものともせず、へらへらと笑っている。
「お前、だいぶ弱いな。こんな子供騙しみたいな薬でそこまで酔うとは思わなかった」
悪いな、と彼は笑う。もちろん心の底からの謝罪ではない。クリストフォロは苛立ちに任せて舌打ちをした。
カクカクと震える脚を叱咤し、机や壁に捕まりながら歩く。一刻も早く、胃の中のものを吐き出すべきだ。そのためには、この大部屋を出なければならない。
そして、自分に用意された部屋に辿り着かなければ。
ああ、目の前が暗くなってきた。頭から血の気が引いている。倒れそうだ。頭も痛い。
「しょうがないな、俺が部屋まで連れて行ってやろうか?」
スカーの声が聞こえる。
余計なお世話です、いったい誰のせいでこうなったと・・・
「はいはい、悪かったって」
ふわ、と体が浮かび上がる。鉛のように重かった体が突然重力から解放され、すうっと楽になった。
「・・・?」
クリストフォロはうっすらと瞼を開いた。視界の端に、赤と黒の服・・・それから、特徴的な黒いポーチが見える。
一拍遅れて、理解した。自分はスカーに抱えられているのだ。これは・・・俗に言う、お姫様抱っこ。
「・・・っ、離して・・・はなして、ください・・・」
「部屋に着いたらな」
「う・・・っ」
クリストフォロは屈辱に呻いた。
こんな風に抱えられるなんて。こんなにもあっさりと、無様を晒すなんて。迂闊な自分が憎い。
次からは、次こそは・・・上手くやる。こんな下手を打つのは、これが最後だ。

✦✦✦
翌朝。スカーが大部屋を訪れると、そこには下っ端たちが集まっていた。既にクリストフォロの姿もある。
遅かったか?とスカーは一瞬思ったが、下っ端たちの雰囲気的にはまだ何も起こっていないようだ。
クリストフォロはちらりとスカーを見たが、すぐに視線を逸らした。まだ昨日のことを根に持っているらしい。
「・・・それでは、そろそろ始めるとしましょうか。楽しい即興劇になることを期待しています」
クリストフォロは手に持っていた本を開いた。ふわふわと浮かぶ羽ペンがひとりでに動き、何事かを本に書き記す。
「さあ、今日の主役は・・・あなたですよ、リオン」
「!」
クリストフォロに名を呼ばれ、1人の男が反応する。彼は昨日、クリストフォロに「お力が見たいです」と言った男だった。
リオンはおずおずと前に出る。しんと静まった室内に、クリストフォロの羽ペンが紙の上を滑る音が響いた。
「リオン。あなたは最近、恋人と喧嘩をしたようですね。勘違いから嫉妬し、彼女に怒りを向けた・・・そして、今も仲違いしたまま」
「・・・まあ、それは本当のことですが。あんたの力ってのは、人の恋愛事情を暴露するだけのものですか?」
「そう焦らないで。面白いのはここからです」
クリストフォロは悠然と微笑む。羽ペンは相変わらず、何事かを懸命に書き記していた。
「あなたは昨夜、恋人の部屋に話をしに行きましたね。ですが上手くいかず、『あなたは彼女を殺した』」
「は?殺してなんか・・・」
「いいえ、『あなたは殺したんです。彼女を。』その証拠に、ほら・・・そこに彼女の死体が」
クリストフォロは部屋の中央に置かれた、大きな机を指差した。その上にはなんと、血に濡れた女の死体がある。
先ほどまでは、死体なんか無かったはずだ。こんなに目立つところに置かれていれば、誰かしらが絶対に気付くだろう。
だが、現れた。唐突に。
これがクリストフォロの力なのか?
「え、あ、・・・そんな、違う、俺は殺してない・・・昨日はたしかに、仲直りはできなかったけど・・・普通に部屋を出た、はず・・・」
「いいえ、違います。あなたは彼女を殺した。彼女のお腹には、あなたの子供もいたのに・・・その子も殺してしまった」
「こど、も・・・ああ、違う、そんなつもりじゃ・・・俺は、俺は・・・っ!」
リオンは激しく取り乱した。彼らを取り巻く聴衆も、緊張感のある面持ちで成り行きを見守っている。
この後の展開は、一体どうなるんだ?スカーもわくわくしながら次の展開を待つ。
と、不意にリオンが駆け出した。聴衆が縁を彩る、彼のために作られた道を走っていく。
やがて恋人の死体へと辿り着き、「ごめん」「ごめんなさい」「嫉妬してごめん」「戻ってきて」と泣き崩れた。同情と非難の視線が彼に集まる。
「──と、まあ、このくらいにしておきましょうか」
パチン、とクリストフォロが指を鳴らす。その瞬間、まるで舞台を照らすライトが消えたかのように、場の雰囲気が変わった。物語にのめり込んでいた聴衆は我に返り、場の熱は冷めていく。
そこそこ面白い劇ではあったが・・・傑作とは言えないな。期待しすぎたのかもしれない。
スカーが肩を竦めた瞬間、リオンの恋人の女がむくりと起き上がった。やはり生きていたか。
つまるところ、クリストフォロは彼女と共謀して一芝居打っただけなのだ。彼女に血糊のついた服を着せ、周囲の隙をついて机に横たわらせて、自身は劇を盛り上げる口上を述べる。
当然、誰にでもできることではないが──物足りない。
「ああ、ああ・・・!よかった、生きて・・・生きてたんだな・・・!」
リオンは感激し、恋人の手を取った。
なんとも安いハッピーエンド。めでたしめでたし。ああ、つまらない。
スカーは溜息を吐き、その場を去ろうとした。しかし。
「・・・あなた、誰?」
女の言葉に、再び場が静まる。まだ芝居は続いているのか?
スカーは振り返った。
「な、何言ってるんだ?俺だよ、君の恋人の・・・」
リオンは震える手を女に伸ばした。しかし、女はその手をはたき落とした。
「触らないで!あんた誰!?」
その剣幕にリオンは狼狽え、クリストフォロの方を見た。
「こ、これは・・・!?どういうこと、でしょうか・・・!?」
問われたクリストフォロは、開いていた本をぱたりと閉じた。ふわふわと浮いていた羽ペンは彼の手に納まり、すっかり大人しくなっている。
「私は昨夜、彼女の願いを聞きました。そして、それを叶えただけ。彼女は何を望んだと思いますか?考えるのはあなたです」
「願い・・・」
「何にせよ、本日の劇はこれにて終了です。では」
そう告げると、クリストフォロは去っていった。リオンは呆然と立ち尽くしている。
記憶を奪う・・・これもクリストフォロの能力の一部なのだろうか?それとも、まだ彼女の芝居が続いているだけなのか。
スカーはこの場に留まり、2人の成り行きを見守るかどうかで悩んだ。ここから更に面白い展開が待ち受けている可能性と、待ちぼうけになる可能性を天秤にかけ──
「ま、見てても仕方ないか。もう劇は終わったようだし」
スカーは肩をすくめ、大部屋を後にした。作者であるクリストフォロが不在のまま、劇が進むとは考えられない。
つまりは、これがオチということだ。まだ少し物足りないが、最後にどんでん返しがあって面白かった。
執筆時間は一晩だけ、おまけにダウナージュースで酔っていたことを鑑みれば、十分過ぎる内容だったと言えるだろう。

✦✦✦
更に翌朝。スカーが大部屋に入ると、そこには数人の下っ端たちとクリストフォロがいた。彼らは一様に、部屋の中央に置かれた机に視線を向けている。
スカーは机の近くに歩み寄った。
その机の上には──死体がある。リオンと恋人の女、2人分の死体だ。女の腹部にはナイフが突き立てられ、リオンは首を切り裂かれている。
リオンの手は血まみれだ。おそらく彼が女を殺し、その後自分の首を掻き切って死んだのだろう。血の臭いもするし、彼らの周波数も感じられない。
今度こそ、本物の死体だ。
「おい、これも劇の一部なのか?」
スカーが問うと、クリストフォロは謎めいた笑みを浮かべた。
「そうとも言えますし、そうではないとも言えますね。私が介入したのは、昨日の朝の時点まで。・・・ただ、私はこの結末を予期していました」
どちらともつかない曖昧な返答に、スカーは眉をひそめる。「御託はいい」と言うと、彼は肩をすくめた。
「では、今回の筋書きを詳しく語るとしましょうか。著者がこういった説明をするのは、無粋な行為なのですが・・・得てして、著者というのは語りたがるものです」
例に漏れず私もね、とクリストフォロは苦笑した。それから、今回の一件について語り始める。

──まず、今回の主役について紹介しましょう。
1人は、勘違いから嫉妬の炎を燃え上がらせた愚かな男。
もう1人は、そんな愚かな男とのやり直しを願った健気な女。
私はとある喜劇と、現実世界とを重ね合わせることにしました。
ちょっとした勘違いによる嫉妬から大喧嘩をしていたリオンたちと、その喜劇の親和性は高かった。大筋だけ見れば、ほとんど同じストーリーだと言ってもいいでしょう。
私は喜劇と現実世界の同調率をより高めるために、あるイベントを起こしました。それは、『女が死んだと見せかける』こと。そしてその後、『女は実は死んでいなかったと男に気づかせる』こと。喜劇のストーリーにおいて、この2点は重要な意味を持ちます。
現実世界でもこの2つのイベントが起こったことにより、同調率は非常に高まりました。しかし、ひとつだけ・・・下敷きにした喜劇と異なる点がありました。それは女の心からの願い。
彼女は『彼と最初に会ったあの時に戻って、全てをやり直したい』と願いました。私はそれを叶えた。
・・・どうやって叶えたかは、まあ、企業秘密です。作家なので、都合良くそういうこともできます。
それはさておき、私は彼らの行く末に大変興味がありました。下敷きにした喜劇のように、最後は和解し喜びを分かちあうのか・・・それとも、悲劇へと転がり落ちてしまうのか。
結果は、ご覧の通りです。悲劇は悲劇ですが、なんとも物足りない。ありきたりでつまらないラストシーンでしたね。
結局彼は、最後まで嫉妬と悲哀に呑まれたまま。
・・・この物語は、喜劇になるはずでした。元にした話が喜劇なのですから。
しかし、そうはならなかった。リオンという男は器が小さく、女の記憶喪失に耐えられなかった。せっかく最初からやり直せる機会を得たというのに、すげない態度の彼女に苛立って殺してしまったのでしょう。
ああ、なんと下らぬプライド。なんと下らぬ人間性。これでは、掴めたはずの幸福を取り逃すのも道理と言えるでしょう。
──と、こんなところでしょうか。ご納得いただけましたか?

「まあ、大体は。つまりは参考にした喜劇があって、しかし現実はそう甘くはなかった・・・ってことだな?」
「概ね、そうですね。私としても残念です。喜劇と現実が完全に重なった時のために、完璧なオチまで用意していたのに・・・披露しそびれました」
クリストフォロはやれやれと首を振った。そんな言い方をされると、完璧なオチとやらに興味が湧いてしまう。
「どんなオチだったのか教えろよ。今更無粋も何もないだろ」
「女の名前は、ハーマイオニ。そう締めくくろうと思っていました」
スカーは、『君にはこの意味が分からないかもしれませんね』という幻聴を聞いた気がした。実際のところよく分からないのだが、それを認めるのはなんとも癪である。
「・・・そのハーマイオニってのが、参考にした喜劇に出てくる女の名前なのか?」
「ええ。そして、ここに横たわっている彼女の名前でもある・・・はずでした。全てが成功した暁には、彼女の元の名は消え、正真正銘のハーマイオニになる予定だったのですが」
クリストフォロはリオンの死体の首元に手を伸ばすと、彼が身につけていたロケットペンダントを取った。その中には女の写真が収められている。それを取り出し、裏を見ると・・・そこに書かれていた名前は、『リリー』。
「成功していたら、そこの名前がハーマイオニに書き換わってたってことか?とんだ手品だな」
「物語の力です」
「ふん。・・・まあ、正直言って見直したぜ。お前の能力と矜持はなかなか面白い」
「お褒めに預かり光栄です」
クリストフォロは胸に手を当て、優雅に一礼した。スカーはなんとなく拍手を送る。ぱちぱちと間の抜けた音が響いた。
主役2人が死んでしまったことだし、今度こそ本当に劇は終わったのだろう。どんでん返しが2回あって、なかなか面白い劇だった。

2人の死体の処理を進める最中、スカーは女がつけていたロケットペンダントに目を止めた。リオンと揃いのものだ。中には彼の写真が入っている。
スカーは写真を取り出し、その裏を見てみた。書かれている名前は『リオンティーズ』。略してリオン。
「・・・・・・」
なんとなく引っかかり、スカーはデバイスを取り出した。
『ハーマイオニ』『喜劇』と入力し、検索してみる。すると、とある劇のタイトルが表示された。
その劇の主人公の名は、リオンティーズ。
写真の裏の名前をもう一度見る。これは、偶然なのだろうか。それとも、既に書き換えが成功しているのだろうか。
どちらかといえば──後者のような気がする。何となくだが。
スカーは昨日の彼の様子を思い出した。彼はリオンと呼ばれて、普通に受け答えをしていたはずだ。他の下っ端からの指摘もなかった。
現実世界はなんとも滑らかに整えられていて、矛盾も違和感もない。1人の人間の本当の名前が消えたにしては、あまりにも平穏だった。
「ふん・・・面白いな」

✦✦✦
翌日、スカーとクリストフォロは再び北落野原を訪れていた。今日の目的は、鳴式の器に良さそうなとある兵士に『仕込み』を行うことだ。
その兵士の名は、季舒澪。残像への憎しみが強く、苛烈な性格をした男。当然鳴式のことも大嫌いだろう。
通常であればそういった感情は鳴式の復活を阻むものだが、こと今州の無相燹主においては却って好都合だ。
無相燹主は、永遠の戦争を望む鳴式。戦争を続けるためには、相手を激しく憎み続ける者が必要不可欠だ。
「あの、孤軍奮闘している男が季舒澪ですか」
「長い銀髪に青いリボン・・・事前情報とも一致してる。あいつで間違いないだろう」
季舒澪は陣形から突出し、1人で大量の残像を切り伏せていた。必死に戦う彼は、スカーとクリストフォロの視線に気付かない。
スカーは胸のポーチの中から、布の塊を取り出した。中に何かがくるまれているようだ。
「それは?」
「無相燹主の力の一部を閉じ込めた刃だ。これであいつを斬る」
「なるほど。それで波長が合えば、彼は鳴式に見込まれ、器候補となる・・・というわけですか」
スカーは布の中から、小さな刃の欠片を取り出した。それは折れてひび割れ、1cm四方ほどの大きさしかない。だが、その大きさに似合わぬ圧がある。並大抵の者が持てば、精神に何らかの異常をきたすだろう。
スカーはそれを摘むと、季舒澪へと視線を向けた。
「準備はいいな?」
「ええ」
彼らは簡素なやり取りを終えると、季舒澪に向かって跳躍した。邪魔な残像を排除し、彼の背後に迫る。
季舒澪は接近に気づいて振り返りかけたが、もう遅い。スカーは手を伸ばし、彼の腕を浅く切りつける。・・・はずだった。
スカーの攻撃を、どこからともなく表れた白い龍が防ぐ。龍に弾かれた刃はスカーの手を離れ、宙を舞った。
白龍に刃を奪われる寸前のところで、クリストフォロの本が刃を挟み込む。白龍はいったん刃の追跡を諦め、自らの主──夜帰将軍、忌赫の元へと戻っていった。
「お前たちは、残星組織の者か。俺の部下に何の用だ」
忌赫の低く、迫力のある声が場の空気を支配する。彼の背後にいる白龍もぐるぐると低く唸り、怒りを表していた。
季舒澪はほんの少し逡巡を見せたが、すぐに忌赫へと向かって走る。そして彼の背の後ろに隠れた。
「季舒澪、そのまま後ろにいろ。奴らの狙いはお前のようだからな」
「はい」
スカーの舌打ちが響く。クリストフォロは刃を挟んだままの本を手に、「どうします?」と問うた。
「奴の相手をするのは面倒だ。いったん退くぞ」
「そう簡単に逃がすと思うか?」
強風が巻き起こり、スカーとクリストフォロの周囲を吹き荒れる。忌赫は花浅葱と白銀の入り交じる髪をたなびかせながら、槍を構えた。雄々しい龍吟が響き渡り、無数の風の刃が襲いかかってくる。
スカーは爆発するトランプで風の刃を打ち消しながら、忌赫と反対方向へ走り出した。クリストフォロもその斜め後ろを追従する。
しかし、忌赫は彼らの行く手を阻むように竜巻を発生させた。どちらへ逃げるか迷った一瞬の隙をつき、忌赫の槍が飛んでくる。
「──ッ!」
彼の狙いはクリストフォロだった。咄嗟に体を捻って攻撃を避けようとしたが、駄目だ。もう間に合わない。
被弾を覚悟したその瞬間、どすりと鈍い音がした。だが──痛みはない。
「ハハ、クソ・・・痛ぇ、な・・・!」
見ると、巨大な山羊の化け物の脇腹に、忌赫の槍が突き刺さっていた。その化け物からは、低く歪んだスカーの声がする。
「お前は先に帰っとけ。俺は少し、こいつと遊んでから帰る」
クリストフォロの返事を待たず、化け物は・・・スカーは、忌赫へと襲いかかった。
庇われたのだ、という事実を遅れて理解する。その瞬間、クリストフォロの胸を満たしたのは感謝でも心配でもなく、どうしようもない怒りだった。
スカーの言う通りに逃げながらも、抑えられない怒りに心を乱す。忌赫に対してではなく、スカーの行動に対して苛立っているのも訳が分からなかった。
こんな風に怒りに呑まれるのは、自分らしくない。そう思いながらも、彼はしばらくの間平穏な心を取り戻すことができなかった。

✦✦✦
文筆家というものは大抵、自身の心情を言語化することが好きだ。胸に浮かんだ曖昧な感情を分解し、考察し、ラベルを貼り、整理していく。
アジトに戻ったクリストフォロは自室のソファに座り、言語化の作業に没頭した。紙とペンは必要ない。書き留めておくべき価値があるとは思えないからだ。
ひとまず、この『怒り』の理由を捉えたい。スカーに怒っていることは間違いないが、何に対して怒っているのか。
庇われたことが気に入らなかった?
・・・大雑把に言えばそうだ。怒りのトリガーは明らかに『庇われたこと』で、それ以外の行動は重要ではない。
では、なぜ庇われたことが気に入らなかった?
自分が庇われるべき人間だと思われたのが嫌だった?侮られたと思ったから?
・・・否。自分は武闘派ではないし、庇われたところで折れるプライドなどない。むしろ、便利な盾があるなら積極的に使うべきだ。
それに侮られたところで、別に構わない。むしろ少し侮られているくらいが、何事も上手くいくものだ。
ならば、この怒りは一体何が原因なのか。これは、中々の難問だ。
「はぁ・・・」
クリストフォロはひとつ溜息を吐き、ソファから立ち上がった。思考が行き詰まった時は、少し歩くといい。

アジトの中をうろついていると、幸か不幸かスカーに出会った。どうやら怪我の手当てを受け、治療室から出てきたばかりのようだ。
落ち着いていた苛立ちがぶり返し、クリストフォロは眉を顰めた。一方スカーは何でもなさそうな調子で声をかけてくる。
「よう。あいつ、随分しつこくて困ったぜ」
「・・・無事で何よりです」
「んん?どうした、不機嫌だな?」
思いの外、察しがいい。クリストフォロは思わず溜息を吐いてしまった。
そんなに分かりやすい態度だっただろうか?・・・何にせよ、バレてしまったからには仕方ない。こうなれば、本人に直接思いをぶつけてみてもいいかもしれない。
「・・・何故だかは分かりませんが、あなたに腹が立って仕方ないんです。庇われたのが気に入らなかった」
「ふーん。お前って、人のこと便利な盾として使い捨てて、涼しい顔してそうなのにな。意外だ」
「案外私のことをよく分かっていますね。・・・ええ、そうですよ。普段はね」
そう、そうなのだ。普段であれば、ここまで心が乱れることはない。
「・・・それってなんか、俺のことが特別みたいだな」
スカーがぽつりと呟く。
特別。特別?
私にとって、彼が特別?
「・・・はぁ?」
思わず頓狂な声が出た。一体この男は何を言っているのだろうか。
クリストフォロの様子があまりにも可笑しかったのか、スカーはけらけらと笑った。
「ま、冗談だ。じゃあな」
背を向け立ち去る彼に、クリストフォロは何も言えなかった。ただ独り、思考の海に沈む。
私は、彼のことを特別に思っているから、庇われて怒った?
あまりにも妙な推論だ。妙すぎて、思わず笑ってしまうような。そう、笑ってしまうはずなのに──
「・・・・・・」
筋が通っている、と。そう思ってしまったのだ。
自分にとって特別な人間が、無謀に身を投げ出したとしたら。それは、怒りたくもなるだろう。
「いや・・・あり得ない。あり得ないでしょう」
クリストフォロは首を振ると、思考を投げ出した。
今日は疲れているのだ。きっとそうに違いない。疲れているから、思考に重大な誤りが生じてしまったのだ。
こんな日は、無駄に考え事などせずにさっさと寝てしまうに限る。明日になれば、きっと心の言語化も上手くいくはずだ。