人間の温度が喪失していく経過を識っている。三十六度と少しの体温が冷たくなっていき軈て機械と同じ温度に成ることを識っている。過程と結果の果てに学習したそれは、葬りたい過去の欠片だった。自分自身の手で人間の命の稼働を停止させたことがあった。もう幾数年前の話だ。
意識の無い「それ」をかかえると衣服から伝導する温度は熱い程だった。何時もは三十六度ギリギリ程度の体温が、それを優に抜けた温度をしていた。金属に触れた皮膚は動かない。これだけの熱を宿しているのに表情は白よりも青く、論理コアに不安と焦燥を募らせる。
怪我の応急処置をして、それでも尚目が醒めないおとこの名前を呼んだ。二人の時に呼んでいる名前だった。返事は無かった。そのことが余計に論理コアに負荷をかける。皮膚の額に、金属の額を合わせる。意識は共有できない。解っている。それは、知能構造体の中でもできる個体は限られている。
けれど、願わずにはいられなかった。心臓の拍動が聞こえる。生きている。それだけは事実だった。発声ギアが情けなく震えた。額を緩く擦り合わせると同時に、シーシィアが「とりま此処から出よ」と言った。「了解だ」と返事をして、ホロウから離れた。心臓の拍動はまだ続いている。――よかったと思った。思ったことが一つでは無いことに、最低だと罵って、触れた温度を抱きしめ直した。
◇◇◇
ビリー・キッドは人間では無く、機械という側で構成された兵器である。人間の為に造られ、人間の為に壊し、設定された人間への愛情が手足を動かしていた。人間を愛することは初期設定で、それ以下は無くそれ以上も無かった。無かった筈だが。呆気無く上塗りされてしまったのは、一人の人間の影響だった。
プロキシでありビデオ屋の店長であるおとことはもともとそれほどの付き合いではあったが、ビリーは。邪兎屋とプロキシを天秤にかけた時、邪兎屋に秤をつよく揺らしたことがある。情はあった。ただ、邪兎屋の構成員として。機械として。ビリーはそれを一度棄てた。必要が無いと棄て去ったのだ。
けれど、外側で。このおとこは。最後まで邪兎屋を見捨てなかった。パエトーンと言うプロキシの肩書きを放棄してまで、邪兎屋に経路の確保と安全を示してくれた。自分自身の判断が間違っている訳では無い。それは理解している。ビリーの策が最善であったことは判断を下したニコが一番よく解っていた筈だ。
あの絶望的な状況下で、全てを棄ててアキラは邪兎屋を選択をした。ビリーが選択できなかったことを優に選択した。まるで憧れ続けていたヒーローのように、アキラは自分自身より希望の帰路になることを選んだのだ。感情形成が変化したのは此処からだった。気付けば人間への愛情は個人への愛情に成っていたのだから、都合が良過ぎて笑い話にもならなかった。
アキラが、ビリーを見捨てなかった時のように。ビリーももう二度と、アキラを裏切るような真似はしたくなかった。どれほどの絶望的状態であれ、必ずこのおとこだけは守ってみせると。例えヒーローにはなれないとして、ヒーローのようにはなれると。――そう思っていた。それは、驕りだった。
「――……傷が無いなんて、嘘じゃないか」
慰撫するように触れた手が、左胸の傷を撫でる。できたばかりの傷跡を往復している。そこに残っていたのは修理をする程の欠陥では無かった。硬質の躯では無く人間の躯であれば皮膚が裂けて肉が抉れていただろうが、ビリーは機械だ。何も問題は無かった。とは言え、修理代は高くついたが。
あのあと、目を醒ましたアキラに謝罪をされ、ある程度の話をして。名前を呼ばれた。掠れたそれは、聞いたことの無い声だった。初めて聞く声だった。金属の指に、皮膚の指が緩く絡まる。二人の様子を見たリンが何かを察知し、シーシィアを外に連行した。ビリーはそのまま、傷の有無の確認に触られているのが現状である。何時もは、人前で此処まで触れることは無い筈だが。
「嘘は言ってないぜ、店長に傷付けられた訳じゃねぇからな」
気休め程度のことばを置いて、少し体積が薄くなった人間を抱きしめる。背中に手が回ろうとして、温度が離れたことを感知した。躊躇っているのだと、直ぐに解った。「……何時か、君を壊してしまったらどうしよう」と、声が聞こえて。 「壊れても好きでいてくれるか」と笑うと、人間で言う鎖骨部分にあたまを押し付けられる。
背中に縋り付くように、何時もの温度が触れて躯が軋む。ゆっくりと、柔らかくもない機械を抱きしめ返すおとこの温度が金属に伝導する。「すまない」と悲愴を織り交ぜ、再度謝罪をするアキラに「謝んなくていーぜ」と本心を返す。ほんとうに、謝られること等一つも無かった。
「君を傷付けた」
「こんなもん、傷の内に入んねぇよ」
数日前の記憶が、記録として再生する。あの時、リロードをする手が微かに震えていた。撃ちたくないと思いつつ、撃たなければと言う感情と現実にいた。弾丸が外膜を抉る度に悶え苦しむ声が、酷く。酷く論理コアを揺すって、思考回路がいま直ぐに停止/殲滅を訴えていた。
名前を呼ばれて、返事をすると「……此処、痛かっただろう」と。掠れた声が二人のあわいに滑落した。知能構造体にとって、機械人にとって。まして、戦闘用素体にとって。痛み等些細なことだ。ただの、起動停止の安全装置の一つだ。今度は、ビリーが名前を呼んだ。店長では無く、ただの名前を呼んだ。ひく、と。震えた皮膚さえいとおしかった。
おそるおそると言った様子で、此方に視線を合わせた碧に「悪ぃな、俺もちゃんと守れなくてよ」と言うと、アキラの表情が歪んで壊れた。「あやまらないで」と、否定される。きっと、何かを間違えたのだ。けれど、それが何かは。ビリーには解らなかった。
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