見慣れた石造りの窓辺に降り立ち、中の様子を伺う。窓のむこうに目当ての存在がいるのを確かめ、エスティニアンはその場にとどまった。薄暗い街のなかで、部屋についたろうそくの火が優しく燃える。そのさまを見て、帰ってきたのだと実感する。
旧友のもとを訪れるときに正門から入らないのは、わざわざ身なりを整えたり執事を通すなどの面倒事を省略するためだ。しかしなによりの理由は、アイメリクの驚く顔が見たいからだった。
窓のむこうの友は、物思いにふけっているようだ。組んだ腕をほどき、端正な眉を寄せて物憂げな表情をしている。国のことやらなにやらを憂う横顔に、ここに降り立つたびに胸のなかで感心する。
ふと強く風が吹き、降りしきる雪が銀の髪に鬱陶しくまとわりつく。寒冷化で急に降り出した雪にも五年のあいだに慣れていたはずが、異国を旅するようになってからというものすっかり勝手を忘れてしまった。思いつくまま船に乗り込んでしまったが、もう少し着込んでおけばよかったのかもしれない。
とはいえこの国に戻った足で宝杖通りに行くのも気が進まなかった。貴族たちがたむろしがちな上層は、外れにあるアイメリクの家に行く程度で十分だ。考え込んでいるうちに、ぱっと目の前の窓が開け放たれる。
「エスティニアン! お前はまたそんなところから……!」
凍てつく夜の空気とともに、部屋のカーテンが揺れる。冷たい風で大きくはためく布のさまは、両翼をひらく竜の姿にも似ていた。
「気がつくまでにずいぶんと時間がかかったようだな。警戒心が薄いのは盟主様として問題があるんじゃないのか」
「む。それは……すまない」
困ったように謝るアイメリクの律儀さに、胸のうちがあたたかくなる。言いがかりにもほどがあると思ったが、この友人と再会したときにはつい軽口を叩いてしまう。無意識のうちに甘えているのだということに、気が付かないふりをしながら。
「それにしても、寒かっただろう。ほら、耳元がすっかり赤い」
手甲をつけた手の指先が、エスティニアンの耳元に触れてくる。体温がもたらされた箇所からゆっくりと熱が広がっていく、そのさまがあたたかくもありむずがゆかった。親友でありつつも、それ以上のふれあいをしている仲であるからか、時折こうして睦まじい戯れをしたがろうとする。
気恥ずかしいことをする、と思いつつも、どうしてか悪い気はしない。それどころか、不思議なくらいに心が満たされていく。
氷をゆっくりと解かしていくかのように、耳の輪郭をやわく撫でられる。くすぐったくて、こそばゆいのに、どこか気持ちよくもある。エスティニアンは肩をわずかに竦めながら、素直に撫でられ続けていた。
「おかえり、エスティニアン」
友の声を聞きながら、ゆっくりと頷く。久しぶりの帰郷を認めてくれる相手がいること自体が奇跡のようなものなのかもしれない。どこへ行ってもひとりだったエスティニアンにとって、友と呼べる存在はあまり多くない。だからだろうか、出迎えてもらえることが何よりもありがたく思うときがある。
「ああ」
「お前がわざわざ帰ってきたということは、おそらく、私に聞かせたい話があったのだろう」
「……ああ」
そして、なにも言わずともエスティニアンのことに聡くあるのが、アイメリクというやつだった。それを知っていたはずなのに、こうして向かい合ってみるとなんだか照れくさかった。視線をそらしながら、とつとつと事実を述べる。
「……アジムステップという場所に行ってきた。オサード小大陸北部にある大草原地帯で、部族たちが遊牧しながら暮らしている。羊たちがそこかしこにいて、近くには当然、羊飼いもいた」
アイメリクは柔らかく耳元に触れてきながら、穏やかな面持ちで話に耳を傾けていた。長い睫毛が影を落として、その美しさについひとつ息をのむ。
「草のにおいも、日差しの強さもあの頃とは違うのに……なぜか、ひどく懐かしかった。……羊飼いとして暮らしていたあの頃を、思い出してしまうくらいには」
エスティニアンが失った過去の全貌を、知る人は少ない。アイメリクはその事実を知る数少ない人物のひとりであるからこそ、こうして抱いた感傷を打ち明けたいと思ってしまった。
イシュガルドから遠く離れ、船に乗ったその先の出来事をわざわざ伝えて、その反応を得たいと願ってしまった。
「そうか」
耳朶に触れていた手が、いつの間にか顎を伝って首筋に置かれる。ここにも触れていいか、と問いかけられているような気がした。
目線を重ねたあとに、うなずく。一拍おいて、アイメリクの手が首筋に触った瞬間、体温が跳ね上がった。
それからゆっくり馴染んでいく。冷えていた身体に、友のぬくもりが心地よい。
「お前にとっては、苦しいだけの記憶かもしれない。それでも、私は嬉しく思っているんだ。お前が過去を見据えて、そしてその先を生きていてくれることを」
友の言葉が心を貫き、深くまで沈み込む。過去の記憶も思い出も、忘れるくらいに槍を振るっていた。失ったものはもう二度と戻ってくることはないし、復讐を遂げたそのときはみずからをも投げ出す気でさえいた。
しかし、自分と同じく生きづらい顔を背負う彼と出会い、そして友となった。あの頃芽生えた友情があったからこそ、生きていられた日々を覚えている。
だからこそ、いま、自分は過去を精算して新しい生きるすべを探している。自分のルーツを見つめなおすことで、失った過去と向き合っている。そして、自分を見失わないためにも、こうしてイシュガルドに戻ってきては旧友と顔を合わせている。
アイメリクが生きてくれていること、この国が平和であること。それだけで、自分の胸はいっぱいになる。その想いを口に出したことはない。でも、かち合う瞳は、すべてでなくとも幾分は理解してくれているはずだ。
「私も、お前の帰ってくる場所を守らなければならない。お前はいつもふらっといなくなるからな」
「……別にそれはいいだろう」
「よろしくはないがな。だが、そういう自由なところがお前のいいところだと思うよ」
ふいに影が重なってきて、やわらかくくちびるが塞がれる。かすめるだけのそれはすぐに離れて、空色の瞳と目が合った。
「さあ、いつまでも立ち話もなんだ。茶でも淹れるとしよう」
首筋に触れていた指先がスライドして、もう一度耳朶に触れる。しばらくはもうこれ以上は触らない、とでも言いたげに離れていく手のさまが名残り惜しい。そう思った自分に気がついた瞬間にひどく気恥ずかしくて、頬にじわりと血の気が上った。ごように、長い前髪を直す。
ふわりと揺れるカーテンの隙間から差し込む月光が眩しい。いつのまにか、雪は止んでいたようだった。
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