【クリテメ】巡る魔力

覇者時空クリテメ/クリテメの他にサ先生・オズ先生が出ます
大活躍の魔テメさん。だけど、少し様子がおかしいことにクリ君は気付いてしまい……。
このクリテメはまだ付き合ってません。文章の長さはサ先生のせいだと言い切れるくらいサ先生が喋りまくります。

ご注意
全ての設定が捏造です。覇者時空といっていますがクリ君とテメさんにはオクトラ2の2章くらいまでの面識があり、テメさんもサ先生も原作軸と同程度仲間と親交があるものとしています。全て都合よくくっつけてますのでご了承ください。

 巡る魔力

 
「アールデー・イグニス」
 祝詞の一句を読むのと同じような美しい発音だ、とクリックは思う。だが、その響きに浸る隙など全く与えられない。魔術師のローブを纏ったその人が見据えた巨大な魔物。瞬く間に魔物を取り囲む爆炎が生まれ、ごう、と唸りをあげる。彼の声はそれに掻き消され、炎の熱が空気を焼く。自分に向けられているわけじゃないのに、肌が危険だと訴えてひりつく。
……ふう」
 魔術を操った本と腕をすとんとおろし、テメノスが息をつく。魔物は一瞬にして消滅。一時炎の色に染まった景色は、平然としたフラットランドの街道の色へと戻っていた。こうして、討伐の任はあっさりと幕を下ろしたのである。
「テメノスさん、お疲れ様で──」
「すっごーい! さすがです!」
「すっかり力を使いこなしていらっしゃるんですね」
「あれを一撃とは大したものだ……我々も負けていられないな」
 クリックは隣の人を労おうとした。しかし、それよりも早く他の仲間たちが彼の功績を讃え始め、伸ばしかけた腕を引っ込める。彼は、キラキラした瞳に見上げられ、肩を叩かれ、優しく微笑んでいた。こんなもんです、でも、私の本業は戦いじゃないんですよ。そんなふうにやんわりと誤魔化した会話をして、彼は仲間たちの笑顔と向き合う。
……
 この環境は決して悪くない。クリックはたくさんの仲間たちに馴染むテメノスを見て、肩の力を抜いた。彼はもともと神官だ。彼の操る光の魔法と癒しの力は美しく、時に鋭く、時に優しく、クリックはその真ん中にいる彼がとても好きだった。
 でも、新たな力……魔術師の技能を得た彼も凄まじく華麗だ。強大な魔力が炎や氷や雷の螺旋を巻き起こすのは、この世のものとは思えない光景だった。初めて見た時は呆気に取られて戦いが終わったことにも気づかなかったくらいだ。
 この世界では信じられないことがいくつも起こる。テメノスが魔術師の心得を授かったこともそのひとつだ。彼も、そしてクリック自身も、選ばれし者が持つ聖火神の指輪に導かれ、このオルステラという世界にやってきた。彼を讃えている仲間たちも皆、そう。
「テメノスさん」
 仲間たちが功労者の称賛を終え、旅路に戻り始める。彼を囲む人々がいなくなったのを見計らい、クリックは改めて彼の隣へ戻った。
「お疲れ様です。お怪我はないですか」
「クリック君もご苦労様。見ての通り無事ですよ。自分の魔法で火傷しそうだ、とは毎回感じているんですがね」
「はは……けど、わかります。隣にいるだけで熱気と圧力がすごくて……
 魔術師の彼が冗談めかしてそう言って、まんざら冗談でもないよな、とも思う。それくらい、魔大公の力を反映した魔法は強烈だった。
「さて、先を急ぎましょうか、クリック君。今日の任は果たしたようですから、あとは街へ帰還するだけです」
「はい……!」
 横目に見上げてくる翠の瞳がうっすらと笑みを作る。つられて表情を緩め、クリックは威勢よく頷いた。
 が、彼の顔を直視し、違和感にとらわれる。いつも通り切れ長の美しい目だ。薄めの唇も柔らかく微笑んでいて穏やか。そして陶器みたいな白い頬……
「何? ぼけっとしてるとみんなに置いてかれちゃいますよ」
 薄い唇が小声で囁く。銀のまつ毛の瞼がゆっくり瞬く。いつものテメノスさんだ。けれど、クリックの目は些細な違いを見逃さなかった。肌が白というかやや青ざめている。声の端に息が混ざって、震えている。唇の色も、赤が抜けて土みたいになりかけている。
「テメノスさん、体調が……悪いのでは?」
「何を言ってるんです。さっき大丈夫だと……
 そこまで言い、彼は瞼を伏せ、クリックの視線から逃れるように俯いた。眉間に皺が刻まれるのを見てしまった。白い手の甲が、彼自身の唇を押さえる。
「やはり……少し休ませてもらいましょう? 僕、皆さんに伝えてきますから」
「歩くくらい……なんてことないです。いいから、行きますよ、クリック君」
「いけません。悪化したらどうするんです。そこの木の影に座っててください。僕、皆さんに伝えたらすぐに戻ってきますから」
「必要ありません」
 道端の木を指し示したクリックの手を無視し、テメノスは長い外套の裾を払って歩き始める。彼の受け答えはしっかりしたものだ。一瞬、自分の気のせいかもしれないな、と思った。
 けれど、歩き出した彼の足取りはおぼつかない。右に偏って進み、軌道修正しようとして今度は左に行きすぎる。ふらふらしているというのは、こういうのをいうんだ。
「やっぱりおかしいですって……! 待ってください、テメノスさん!」
……
 腕を強めに掴み、立ち止まらせる。だって、この人はこうでもしないと素直に止まってくれやしない。彼の進路を塞ぐように前に立つ。背けられた目には、もはやいつものような鋭さがない。細い指が何か伝えたそうに襟の隙間の喉元に爪を立てている。
「座っててくださいってば……。テメノスさん、あなた、歩けてないですよ。薬師の方も呼んできます」
「いいって……言ってるでしょう……
「よくないです!」
「ふふ……お節介な子羊だ。君に私の何がわかるっていうの」
「っ……‼︎」
 あなたの方こそ人の気も知らないで、と口をついて出てしまいそうだった。そうやって人の力を頼らないところ、本当にどうにかしてほしい。自分の力で立っていたいという気持ちはわからなくないけれど、今は選ばれし者の旅団の一員でもあるのだし。
 唇を噛んで溢れてきそうだった言葉を押し殺す。体調が良くない人相手に喧嘩してどうするんだ。そう、体調が悪いからきっとこんな無神経なことを口走ってるんだ。神官テメノスという人は、本来もっと……もっと隠し事が上手い。
 ゆらりと視線を上げた翠を睨み返してしまいそうになって、クリックは顔の筋肉を総動員し、表情を固まらせる。
……少なくとも騎士の彼は、あなたの体調が悪いことについては見抜いていると思うけれどね?」
……⁉︎」
「あなたは……
 そこに、思いがけない人物が現れた。黒い髪に黒い外套。品のいい顔立ちと落ち着いていて透き通る声音。その人物の後方からは、大柄にボロボロのコート、薄茶色の波打つ髪の男が、顔に乗った小さい丸眼鏡を光らせてゆっくり歩いてくる。
「やあ、お邪魔するよ。二人で話し込んでいるから、何か問題ごとかと思ったんだ」
 そう言うと、黒髪の人は胸に片手を当てて瞼を伏せ、丁寧に挨拶をしてくれた。クリックもテメノスから一度手を離し、慌てて敬礼をする。すると、体調不良を指摘されている彼も、静かに頭を下げた。
「サイラス先生、でしたよね」
「いかにも、その通りさ。名前を覚えていてくれて嬉しいよ。聖火……聖堂騎士のクリック殿」
「こ、こちらこそ……!」
 たくさんいる仲間たちの中できちんと役柄まで覚えていてもらえて嬉しい。クリックが心からそう思ってもう一度勢いよく頭を下げると、黒衣の学者は整った顔に惜しげもなく笑みを浮かべてくれた。この方、そういえばテメノスさんと同い年……なんだよな。テメノスさんとは違う方向性の美形。というか、二人とも自分と違う種類の造形すぎて、同じ人類であることがちょっと信じられない。絵画のような人たちだなと思う。
「おしゃべりしてるくらいなら、歩きますよ」
「おっと、失敬。気を悪くされてしまったかな」
 挨拶を交わしていたクリックとサイラスからふい、と目を逸らし、テメノスが歩き出そうとする。いつもならそんな雑に相手を振り払うようなことをしないのに、話をしたくないという意思がその動作にありありと現れていた。
「テメノス殿、あなたは今、文字通り気分が悪いのですよね。目の前が思い通り平行に見えず、ゆりかごのように揺れる。胸や腹の中に油がこってりこびりついているみたいで、気持ちが悪い。吐き気がする」
 たった今テメノスに突き放された学者先生が唐突に喋り出し、クリックは目を丸くした。すでに革靴を一歩前に出していた彼も、ぴたりと動きを止める。
「吐いてしまいそうで、一刻も早く立ち去りたかったのでしょう? よく今の今まで隠し通したものだ。私も経験がありますが、堪え性が無く仲間の前で吐きましたよ」
……やれやれ」
 コートの立ち襟から覗く目尻と眉が観念したように下がる。血色を失いつつある手が、その襟の内側で首筋を拭った。汗だ。冷や汗。よく見れば、額の際や輪郭にも汗が浮いている。
「この場で構いません。腰を下ろして力を抜いて。しばらくすれば立ち直れますから」
 学者が深緑の外套の背をさする。どうやら何もかも言い当てられたらしい彼は、ついにその手に従った。道にしゃがみ、座り、深く息を吸って吐く。
「サ、サイラス先生! テメノスさんに、いったい……何が……! 貧血……でしょうか?」
 話の流れから、サイラスは同症状の経験者らしい。クリックはテメノスの側に膝をつき、一緒になってしゃがんでくれている学者の顔に向かって真剣に尋ねた。
「うん、これはね、貧血に似ているが違う。紐解いていくと貧血に近い状態であるとはいえるね。要するに血が」
「中毒だ」
 道にしゃがんだ三人の上に大男の影が落ちる。渋いバリトンがただ一言降ってきて、クリックは目を瞬いた。
「そういうことなんだよ」
 大男の顔をチラリと見上げ、サイラスはすぐに視線をクリックに戻し、そう言った。その大男のことは、クリックも知っている。テメノスとともに旅をしていた学者、オズバルド先生だ。同じ学者でも、サイラスとは性格がだいぶ違うようで、彼は先に答えを明確にしておく性分らしい。
「何の……中毒なんでしょう?」
 クリックが眼鏡の奥の瞳を見つめて首を傾げると、普段口数の少ない学者が口を開いてくれた。
「魔力だ。魔大公の魔術は莫大な魔力を循環させている。テメノスが元々持っていない種類の魔力をだ。受け入れたはいいが分解処理しきれなくなれば、体が重くなる。当たり前のことだ」
「そ、それって……
 なんかとてつもなくいけないのでは?
 彼にその重荷を背負わせて気付かないでいるのは、いけないことだったのでは?
 何とか治してあげられないのだろうか。少しでも負担を減らすことはできないのか?
 脳裏をいくつもの考えがよぎっていく。だが、ひとつも声に出さないうちに年長の学者は道の向こうへ目をやってしまった。
「俺は先に行く」
「あ、……はい。ありがとうございました……!」
「オズバルド先生、またお話の機会がありますよう」
 去っていくくたびれたコートの背にクリックは慌てて礼を叫んだ。サイラスも一度立ち上がり、振り返ってはくれない背に丁寧に頭を下げた。
「ふう、オズバルド先生は優しいんだね。君の代わりに仲間たちに現状を伝えてくれるらしい」
「あ……な、なるほど」
 そんなことオズバルド氏は一言も言っていないのだけど、きっと頭のいい人同士で考えを共有する何かがあるのだ。そうに違いない。
「さて、そういうわけで……テメノス殿。お加減はいかがだろうか」
……最悪です」
「だろうね。私もやりすぎると稀にその症状を引き起こす。吐いたら楽になりそうなものの、魔力は食べ物ではないからそういう方法で排出されない。全く厄介だよ」
 サイラスが再びしゃがみ、首を傾けて患者の顔を覗き込んだ。テメノスはというと、もう目を開けているのも辛いようだ。一向に良くならない顔色に、クリックの胸に不安が満ちていく。しばらく座っていれば良くなる、というのはつまり、溜まってしまっている魔力が体の中から消えていけばいいということだと思うけど……待つしかないのだろうか。
「サ、サイラス先生。何か、手立ては……?」
「うん。君はそういうことを言いそうな顔をしているな、と思っていたよ。そうだね……この吐き気が魔力によるものだというところまではわかったかい。そう、船酔いとは訳が違う。どちらかというと酒酔いに近いね。君はお酒を飲むかい? やんちゃしてふらふらになったことがあるだろうか」
「た、多少飲み過ぎたことは……
 酒と聞き、同期の中でも酒豪で知られるミディヤのことを思い出してしまった。彼女と同じ席になった時、気づかないうちに限界を超えた量を飲んでいたことがある。あれは自分でも情けなくなった。まともに歩けなくて、同僚の肩を借りて帰ったっけ。
 ああ、テメノスさんもそういう気持ちなのかな。制御しきれない自分自身のことを恥じているのかな。あんなふうにつっけんどんにされたことも、急にすとんと腑に落ちる。
「酒精も血に混じって体を蝕むのさ。そうしたら、できるだけ早く水を飲んだり排尿したり、体内が綺麗になるように努めるべきだ。それに倣えば、彼の体が不純認定している魔力を追い出すことで解消できることがわかるね」
「はい……。しかし、そんなこと、どうやって……
「うん。次につながる良い質問だ」
 クリックの返事を聞き、学者がにこりと笑って頷く。この方のお話、少し周りくどいように感じるけれど丁寧で分かりやすい。あまり難しい言葉を使わないし、わかっているかどうか頻繁に尋ねてくれる。わかっていると頷くだけで褒めてもらっているような気持ちにさえさせられ、クリックはすっかり彼の話に入り込んでいた。
「泥水をできるだけ真水に近づけたいとしよう。取り出せるなら水の中から土を出すだけで良いのだが、私たちの技術でそれは不可能だ。ああ、この私たち、というのは君と私とテメノス殿のことだ。そうするとどうしたら泥水を浄化できると思う?」
「ええと……
 クリックは入れ物に入った泥水を思い浮かべた。混ざり物だけを吸い取ることはできない。そうしたら、残された方法は……
「綺麗な水で……薄める?」
「そうさ! わかってくれて嬉しいよ!」
「あ、ありがとうございます」
「厳密にいうと、薄めながら押し出す、だ。もう泥水でいっぱいの器に水を足すと溢れるだろう?」
 クリックの解答に、学者がぱあっと顔を輝かせる。美形の先生がその瞬間だけ子どもみたいな顔つきになり、クリックはこういうことがこの方の生き甲斐なのかもしれない、と目を瞬く。
 さて、だが、本当にできるのだろうか? 学者の喜びようからして『綺麗な水で薄める』ならば自分たちで実行できる確信がありそうなのだけど、クリックには肝心のその方法が思い浮かばなかった。
「あの、それで……つまり……どうやってやるんでしょうか……? すみません、わかっているようでわかってなくて……
「いやいや、充分さ。では、現在の問題に合わせて考えてみよう。泥水はテメノス殿が取り込んだ三元素の魔力だ。綺麗な水は彼が元々持っている光の力。つまり、水とは魔力。魔力の移動が必要なんだ。そこでまずは、私たちの中で魔力与奪の心得があるのは誰かはっきりさせよう」
 サイラスが人差し指を振ってクリックとテメノスの顔を交互に見る。そこで、目を閉じて吐き気と闘っていたテメノスが浅いため息をついた。
「私、ですよ」
「あっ……そうか……
 彼が対峙する相手から魔力を吸い取るのは、何度も見ていた。杖で殴りつけたり、強力な魔法を仕掛けた時に発動しているようだったが……
「そうだね。テメノス殿なら他人から魔力を吸収できる。まあ、中毒の原因も実はそれが大きく関わっているけど、そのことは後で話そう」
 ここまで話がまとまっていると、続きを聞かなくてもなんとなくわかる。強大な魔法を放つために、彼は本来持っていない種類の魔力をとてもたくさん体の中にストックしたということだ。魔術師の力を授かった彼は、目に見えて活躍していた。何度も、何度も何度も強力な魔法で魔物を消し去ってくれたのだ。それがこんなことを引き起こすなんて、みんな考えていなかった。
「けれど『綺麗な水』は……
 クリックは、学者よりも早く次の問題を口にした。すると学者が満足げに笑って数回小刻みに頷く。
「うん。彼と同じ性質の魔力の持ち主が必要だね。これは簡単さ。ああ、言っておくが私は違うよ。どちらかというと彼の体調不良を激化させる方の水だ」
「じゃ、じゃあ…………?」
 綺麗な水なんて無いのでは。
 そう言おうと思ったが、二つの視線に顔面を集中攻撃され、クリックは声を上擦らせた。
「えぇ……? ま、まさか……僕? ですか?」
「ご名答だ、クリック殿。君からはテメノス殿によく似た色の力を感じるよ。気高く清らかな……
「いや、その、僕……魔法はからっきし駄目でして」
 なぜだろう、彼と似てるだなんて、そんなふうに言われたのは初めてですごく気恥ずかしい。恥ずかしいのとどこか嬉しいのとで、突然身体中が熱くなり、クリックは頬を赤くさせ、思いっきり首を横に振っていた。彼の……テメノスさんの役に立てるならもっと嬉しい。が、残念なことに自分の中にそれほどの魔力があるとは思えなかったのだ。
 しかし、クリックの言葉を聞いた学者は黙らない。
「魔法が使えるかどうかは問題じゃないよ。魔力は誰にでもある。それに気がついたり、向き合ったり、飼い慣らそうとしたりするかしないかだけの違いだ。それに、君は無意識なのかも知れないが、君の剣技には明らかに魔力が乗っているよ。あれは実に美しいね。だから、君だってきちんと学び、訓練すれば……
「わ、わかりました!」
 テメノスが半目で膝を抱え、その膝の上に顎を埋めている。長い、説明が……長い! 丁寧なのはとても助かるのだが、このまま放っておいてはテメノスさんが倒れてしまいそうだ。クリックは彼の外套の背をさすり、学者の話を遮った。
「ということで、テメノスさん! 僕の魔力を奪ってください!」
……クリック君……
 気を失ってしまうんじゃないかというくらいに脱力した目つきで、テメノスがクリックを見上げる。彼の唇が声を発さず小さく動いた。少し緊張する。魔力を取られるってどんな感じなんだろう。痛いのだろうか。いや、もう痛くたって苦しくたってなんでもいい。この人が体感している苦しみの一部でも引き受けられるなら、どちらかといえば本望だ。どうぞ、ひと思いにやってください、テメノスさん!
「うん、そんな感じで、もう少し近づいたほうがいい。そのほうが楽にできるよ。こう……肩を抱く感じでね……そうそう、いいね。それと、できるだけ肌に触れること。クリック殿は顔しか露出がないから……こうだね」
「えっ……アッ……
「ちょっ……まっ……
 学者先生がまるで試験器具を配置するかのような手つきで二人の肩を寄せ合わせる。そうされたら、その人の肩を抱くしかなくなり、クリックは魔術師の衣の彼を両腕にすっぽり抱き込むことになった。
 躊躇いが無いのは学者だけだった。テメノスは弱々しい声で制止を呼びかけたが、無意味。クリックは状況と腕の中の感触に狼狽えることしかできなかった。
 ど……どうしよう。なぜこんなことに。テ、テメノスさんとても……とても薄いな……ちょっと力を入れたら折れてしまいそう。どきどきする。すぐ目の前に白銀の髪と白い顔。
 そんなふうに頭の中が散らかってきたあたりで、学者の手がローブの膝を抱えていた彼の腕をとった。そして、何も躊躇うことなく色素の薄いその手を、クリックの頬にぺたりと触れさせる。冷たい。水仕事をしたすぐあとの手みたいだ。
「テメノス……さん……
「ん……
 抱きしめていて、頬に触れられ、もはやクリックの青い瞳に映るのはためらい揺れる翠の瞳と儚げな顔だけだ。この姿勢、この角度、ま、まるでキス……。そう意識した途端、胸の奥がつんと痛む。鎧があってよかった。さもなければ、不必要に舞い上がっている鼓動を読まれてしまうところだった。
「完璧な姿勢だよ、二人とも! さあ、テメノス殿、今こそマジックスティールビンタだ!」
 あ、これビンタされる体勢だったんだ。
 興奮して大きくなった学者の声を聞き、クリックのときめいていた胸は一気に現実に引き戻された。そうだよね。キスできそうだなんて、どうして考えたんだろう。
 魔力を奪う時の彼の杖捌きを思い出す。意外、と言ったら失礼だが、彼の杖術は体躯のか細さから想像しにくい重い音を立てる。彼だって男性だし、ちゃんとそれなりの力があるということ。
 ……大丈夫、それくらいなんてことないさ。来るべき衝撃に備え、きゅっと目を閉じ、奥歯を食いしばる。すぐそばで、どことなく憂いを帯びたため息が聞こえた。
「はいはい……それじゃ、失礼……
 冷たい指先が頬を離れた。喉の奥で唾を飲む。
 一秒、二秒、少しの間をおいたあと、緊張して硬くなったクリックの頬にとんとん、と優しく触れるものがあった。
 叩く、なんてもんじゃない。慈しみ包み込むような、柔らかな仕草。やや冷えた手がクリックの頬をその手のひらで覆う。ややあって、そこがじわじわ熱を帯び始め、冷たいと思っていた手と自分の頬との境がぼやけているような感覚がした。
「これで……魔力吸収、できてるんですか?」
「ええ……
「ビンタは……
……サイラスさんなりの冗談でしょう……はあ……
 学者先生に聞こえないよう小声で囁き合い、薄く目を開ける。視野がほんのり青緑色なのは、たぶん頬の手が魔力を動かしているからだ。その柔らかくて薄いヴェールの向こうで、光の色を纏ったまつ毛が穏やかに伏せっている。
 クリックは緊張を解き、ほう、と細く息をついた。目に映る彼が、もう苦しんでいないようだったからだ。汗が引き、顔色も随分良くなった。青白かった頬と唇が淡い薔薇色になっている。自分の肌と彼の手の境がわからないのは、彼の手に血行が戻って温まっているから。
 良かった……上手くいってるみたいだ。それに、魔力を奪われているらしいが自分自身では全く自覚できない。まあ、提供者の身に危険の及ぶようなことを、この人たちは推し進めたりしないか……
「テメノスさん……どうでしょう?」
「ん…………良い、ですね……
 具合を尋ねてみる。そうすると、目を閉じたままの彼が至極甘くそう囁いた。眠りの狭間に落ちそうな、鼻にかかって掠れた声。捻くれ者の彼がこんな隙を見せてくれたことなど一度もなくて、それが自分の腕の中で起こっていて、なぜだかすごく満たされてしまう。魔力を取られているのはこちらの方なのだけど。
…………このまま……
「はい……
 彼の声は本当に夢の中に入ってしまったかのように細く、小さい。彼の集中を切らさないよう、クリックも声をひそめ、温かい手にそっと頬擦りをした。
 いつまでだってこうしていますよ。なんなら、もっと力を抜いてもたれかかってくれてもいい。そんな思いで、綺麗に色づいた彼の顔を見つめる。そうして身を任せること数分。やわそうな瞼が開き、美しい双眸が現れた。
「は……?」
 目線がしっかりとぶつかる。テメノスが突然戸惑ったような低い声を出し、ぱちぱち数回素早く瞬く。彼の顔は今や薔薇色よりもっと赤い。白銀の髪から覗く耳の端まで真っ赤で、りんごのようだ。なんと良い血色! 人間らしい色を鮮やかに浮かべる彼を見て、クリックの顔に安堵の笑みが満ちる。
「テメノスさん、元気になったんですね……!」
……え、ええ。ありがとうクリック君。もういいから、ほら、立って」
 頬に触れていた熱い指先がサッと引き、クリックの肩当てを押して身を引き離す。彼は立派な襟を片方顔の前に引っ張って、クリックの視線から逃げてしまった。
「お手を……
 中腰になり、まだ座っている彼に手を差し伸べる。だが、それも腕ごとやんわり押し返された。彼は大丈夫、と首を振り、その言葉通り自力でまっすぐに立ち上がる。
「サイラスさん、ありがとうございました。恩に着ます」
 そうだった。そういえば、学者先生もここにいたんだった。魔力を渡している最中は目の前の人の美しさにすっかり見惚れてしまっていて、忘れていた。
 テメノスの手短な挨拶で学者の存在を思い出し、傍に目を向ける。品の良い黒の外套の背が草むらに向かって丸まっていた。先生は、なぜだかどうして、草むらの小花や土を観察しているようだった。
「お大事になさってください」
「ええ、以後気を付けます」
 サイラスが振り向き、にこりと笑う。その笑顔を、テメノスは真っ直ぐ見ようとしなかった。それどころか、言葉の最後の方にはすでにくるりと外套を翻し、歩き出していた。
「あっ、ちょっと、テメノスさん!」
 助けてもらったのに、いささか冷たすぎでは⁉︎ クリックが離れていく深緑の背と黒衣の学者を交互に見てたじろぐと、学者は顎に手をやり、笑顔のままクリックを見上げた。
「君の神官殿は、どうやら君がずっと目を開けていたとは思っていなかったようだよ」
……‼︎」
 それはつまり……恥ずかしかったってことですか!
 ああ、なんてことだろう。自分の配慮の無さが腹立たしい。そうだよな、あんな至近距離で無防備な顔見られたなんて……ん、いや、テメノスさんが無防備なことは「稀に良くある」くらいの頻度であるけど……。いやいや、今はそれと違うし!
「すみません、サイラス先生! 僕、テメノスさんに謝ってきます……! 後ほど改めてお礼に伺いますので、ご容赦ください!」
 そう叫び、学者の返事を待たず、クリックはテメノスの背を追い走り出した。とにかく、彼は病み上がりだし、このあと魔物が出ないとも限らないし、そうなったら今彼に魔法を使わせるのは良くないし、僕がそばにいなければ! もちろん、非礼も詫びて……
「テメノスさ〜ん! 待ってくださ〜い!」
 
 *
 
「謝る必要は無いと思うけれどね」
 サイラスは衣服についた土埃を払い、立ち上がった。一人きりになった街道は、太陽に照らされ、眩しい。
 魔力中毒は、そこそこの使い手であっても滅多に引き起こさない。例えば、ここの木を家一軒分くらい薙ぎ倒す嵐を呼んだとて、使う分だけ魔力を錬成すれば問題ないからだ。
 より強大にしようと複数回分のストックを作ったり、魔力を抱え込もうとすると陥りやすい。魔大公が授ける魔術は、人の操れる範疇を上回る偉大さだ。正直使いこなしたい。使ってみたくなる。そんな気持ちになって繰り返し使おうとするからこうなるのだ。
 と、いうのをサイラスは身をもって知っていた。また、そうなった時どうすれば緩和できるかも、知っていた。だから、これは実験ではなく、すでに確立された手法の手解きだったのだ。
「ふむ……
 あっという間に豆粒くらいの大きさになる程遠くへ行ってしまった二人の背を眺め、人差し指の関節で顎を撫でる。
「もっと急速に回復させる方法もあるのだけど、今日の講義はここまで、かな」