
「虎杖くんのお兄さん、かっこいいね」
「んえ?」
帰りの会で、隣の席の女子がそう言った。目線の先は大人がたくさんいる廊下だ。少し前まで授業を見学するために教室にいたクラスメイトの親たちが、ところどころで話をしながら自分の子どもが出てくるのを待っている。
うちは親がいないので、兄ちゃんが参観に来てくれている。仕事が忙しくても、学校行事にはいつも必ず参加していた。親の手伝いが必要なものにも率先して参加してくれて、校外を歩くような行事はいつも兄ちゃんが一緒だった。遠足とかはさすがにいないけど、学校のサイトに上がる写真を楽しみにしていると言っていた。
クラスメイトのほとんどが俺の兄ちゃんを知っているので、みんな少しだけ怖がっているのもわかっている。目つきが悪いし体はでっかいし、声は低いのに耳が痛くなるくらいの大きな声を出すからだ。大きな声を出すのは運動会の時の声援とか、校外に出掛けた時の引率で危ないことをしようとした友達を注意する時とか、限られたタイミングだったんだけど。それでも男子はちょっとした憧れもあるようで遠巻きにちらちら気にしているし、女子は頬を染めて恥ずかしそうにしていた。
だからこの子も、怖いけどかっこいいと思ってくれているんだろう。廊下に立っている兄ちゃんは誰かのお母さんに話しかけられているのに、目はずっと俺のほうを見ている。人と話す時は目を見ろって教えてくれたのは兄ちゃんなのに。
「お兄さん、なんで髪の毛長いの?」
「結びやすいからだって」
「ふーん。切ったほうが楽じゃない?」
「んー
……」
兄ちゃんは仕事の時も、こうやって学校に来る時も、肩まである髪を緩く一つにまとめている。家ではウニが二つくっ付いているみたいな髪型にしているから、なんでそんな髪型なのって聞いたことがあった。俺と血塗兄ちゃんが兄ちゃんの髪で遊んでツインテールにしたことがきっかけだと言って、そこからそのくらいの髪の長さにしているらしい。人に会う時にツインテールなのは印象が良くないもって壊相兄ちゃんに言われてから、外に出るときは今みたいなハーフアップにしている。
「知らない!」
でもそれを、この子にはなんとなく、言いたくなかった。
このくらいなら嘘でもなんでもないと思うけど、知っているのに知らなかったフリをしたので、少し心がちくちくした。
*
帰りの会が終わって、兄ちゃんと一緒に小学校をあとにする。俺たちの家は遠いから、歩いていくうちにどんどん人がいなくなっていく。
いつもそのくらいのタイミングで、兄ちゃんは手をつなごうって言ってくれる。俺がクラスメイトからバカにされたりしないように、周りを気にしてくれてるんだ。いいよって言ったら、俺より一回りも二回りも大きな手が俺のものと繋がった。
「今日の悠仁もすばらしかったな。さすが俺の弟だ」
親が来る授業では、クラスのみんなが自分の親にいいところを見せようと発表したくてたまらなくなる。俺もたくさん手を挙げたし、何度か先生に当てられた。立って答えて座るたびに、ひときわ激しい拍手が後ろから聞こえてきた。確認しなくてもわかる、俺の兄ちゃんの拍手だ。気恥ずかしいけど誇らしかった。
「兄ちゃんもすごかったよ! 早口言葉!」
今日の授業は早口言葉を知るというものだった。簡単なものから難しいものまであって、俺は難しいものがうまく言えなかったんだけど、それでも兄ちゃんはたくさん拍手をしてくれた。
先生が、じゃあ保護者の皆さんにも読んでもらいたい人って言った時、自分の母ちゃんとか父ちゃんに言ってみてほしいみんなが手を挙げていて、俺ももちろん手を挙げた。運よく当てられた俺が、桃がいっぱい出てくるやつを選んだんだけど、大きく息を吐いた兄ちゃんはすらりと言えて、クラスのみんなが拍手をしたんだ。
「お兄ちゃんだからな。カッコ悪いところは見せられない」
そう言って、つないでないほうの手で頭を撫でられた。
兄ちゃんはいつだってかっこいい。だから隣の子もかっこいいって言ったんだ。すごく嬉しいはずなのに、どうしてあの時、そんな兄ちゃんのことを自慢しなかったんだろう。俺たちに髪を結んでもらったから伸ばしてるんだって言うだけだったのに、なんでだろう。
「今日はラーメンにするか。好きだろう?」
「うん! 好き! たまご入れて!」
「いいぞ。煮卵にするか?」
「普通のでいい! 最後の仕上げに入れるたまご!」
授業で頑張ったご褒美だろう。俺の好きなラーメンを作ってくれると兄ちゃんは言ってくれた。俺の言葉に頷きながら嬉しそうに笑う兄ちゃんが大好きだ。大好きなんだ。
なのになんで、なんか心の奥がモヤモヤするんだろう。
「でも明日はちゃんと野菜を食べるんだぞ」
「兄ちゃん、ラーメンにもいっぱいお野菜入れるじゃん。じゅうぶんでしょ」
「もっといろんなものを食べてほしいんだ。身体が大きくなるように」
こうやって兄ちゃんから優しくされるのは嬉しいのに、なんでこんなにモヤモヤするんだろう。こんなにいろいろしてくれるのに、嫌なことなんてないはずなのに、なんでなんだろう。
「お兄ちゃんは、悠仁のことが大切なんだ」
そう言ってくれる兄ちゃんが、俺は一番だいすきなのに。
「
……俺も、兄ちゃんのこと、好きだよ」
俺が言った言葉と、兄ちゃんが言った言葉が、違うような気がするのはなんでなんだろう。
「悠仁ー!!!!」
がばっと抱きしめられて、ちょっと苦しい。おうちはもうすぐそこだし、人もいないからいいんだけど、たぶん知らない人が見たらまた通報されちゃうからやめたほうがいいのに。
そのまま兄ちゃんは俺を抱っこしてしまう。恥ずかしいからやめてって言ったけど、あとちょっとだからさせてくれなんて言われる。大好きな兄ちゃんにお願いされたら、断ることなんてできないから。
はやく大きくなりたいなあ。兄ちゃんと肩が並ぶくらいになりたい。そのくらい大きくなったら、このモヤモヤもなくなるのかな。抱っこされるのは嬉しいのに、なんだか悔しいって思うのは、俺が子どもだからなのかな。
「卵を入れるなら醤油でいいな?」
「うん。兄ちゃんは味噌だよね」
「壊相は塩で、血塗は豚骨だな」
「せいかーい!」
兄ちゃんの身体にこてんと身体を預ければ、ぎゅうっと柔らかく抱きしめてくれる。もう十歳になって重くなってきてるのに、なんてことはなく抱っこされるんだ。
「
……ずっと、こうしていたいなあ」
俺を抱きしめたまま呟いた兄ちゃんに、俺はうんって言えなかった。
だって俺は、兄ちゃんに、俺のことを、弟じゃなく、一人の人間としても好きでいてほしいって思ってるからだ。
早く大きくなりたいな。
今日はいつもより野菜を食べようと心に決めて、ただいま! と元気に挨拶をする。
その時の兄ちゃんがどんな顔をしていたのか、俺にはよく見えなかった。
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