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天城
2026-06-05 22:02:46
7206文字
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燭へし
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ハロー、ハロー
宇宙にいる長谷部くんがかつて地球にいた光忠少年からボイスメッセージを受け取る話。SF燭へし。うっすら死ネタだけどハピエンです。
『ハロー、ハロー。聞こえますか?』
『どうかこの声が
――――
』
◆ ◆ ◆
本日分の点検を一通り終わらせてコックピットへと戻る。最近少しばかりがたついてきた椅子にぎしりと腰かけて生体認証を済ませると、スリープ状態だったモニターがいっせいに光りだした。
システムはおおむね正常、艦体にも新規のトラブルはなし。
俺は肘置きに頬杖をつきながらそのまま通信機器の送受信履歴を確認する。
どうせ今日も大した変化はないだろう。
欠伸を噛み殺しながらそんなことを思っていたら、一件の受信履歴が俺の目に飛びこんでくる。
――
待ちに待った連絡かもしれない。
期待に高鳴る胸を深呼吸でなだめつつ発信元をチェックする。信じられない結果に息を呑み、目を擦った後に改めて画面を見直す。表示は元のまま、驚くべき数値を示していた。
発信元はなんとここから二十億光年も離れた宇宙座標の惑星からだった。
求めていたメッセージでなかったことへの落胆よりも、どうしてそんな辺境からメッセージが届いたのか、驚きのほうが先に来る。
俺は念入りにメッセージにウィルススキャンとデータチェックをかける。メッセージはどうやら音声データで構成されているようだった。どの検査の結果も問題ないことを確認し、翻訳プログラムも走らせる。
久々にスピーカーの電源を入れ、息を潜めじっと耳をすませる。ざらついた雑音以外、特に何も聞こえない。
データの破損か、さもなくばただの悪戯か。溜め息をついてスピーカーの電源を切りかけた頃、場違いなほど溌剌とした声が響いた。
『ハロー、ハロー。聞こえますか?』
張りのある低い声だった。俺の知らない言語だったが、自動翻訳のおかげで意味は伝わってくる。通信開始時の挨拶のようだ。
『僕はオサフネ=ミツタダです。惑星の宇宙座標は
……
』
告げられた座標はモニターに表示された発信元と同じだった。ここから遥か彼方の、宇宙連邦にも加盟していない辺境の惑星。
おそらく人工衛星やワープ装置を数え切れないほど経由し、偶然ここまで流れ着いたメッセージなのだろう。
『ボイスメッセージを宇宙に配信するって企画なんだけど、これ、本当に聞こえているのかな。どう?』
どう、と聞かれても、二十億光年も彼方からのメッセージに対し、リアルタイムで応答することなど不可能だ。困惑する俺を置き去りに、ミツタダのメッセージはするすると淀みなく進んでいく。元より相手からの返事など想定していないようだった。
『僕は地球の7374コロニーの伊達高校に通う学生です。このメッセージは、所属する天文部の企画で流しています。天文部は僕を含めて四人。ツルさんとカラちゃんとサダちゃんって子がいます』
はきはきと自己紹介を終えると、まだ年若い印象の声が自分の住むコロニー周辺で起こった時事ニュースを読み上げ始めた。
緊張で堅くなっていたらしい声は、読み上げが進むごとに年相応なやわらかさを取り戻していく。
『ツルさんが言うには、どのメッセージが異星人に届くかわからないから、これから一年は定期的にメッセージを送信していく予定です。これ、全部聞いてくれる人っているのかな。いたら嬉しいけどさ』
それを聞いて俺は現在のアンテナの向きや受信帯域を通信機器に登録した。求めていたメッセージではないにしろ、この状況で外部からの通信は貴重だ。このメッセージを中継したどこかの人工衛星から他のメッセージが届く可能性だってある。
『
――
どうかこの声が、どこかの誰かに届きますように』
そんな祈りのような言葉とともに、メッセージは終わった。
◆ ◆ ◆
あれから一週間ほどが経った頃、通信機器からメッセージ受信を報せる音声が鳴り響いた。俺は慌てて計器をいじっていた手を止め、表示された発信元を確認して肩を落とす。目的のものではない。けれど、見覚えのある座標だ。遥か彼方にあるらしい、『地球』と呼ばれた惑星。
どうやらミツタダはあれから宣言どおりに次のメッセージを流していたらしい。
俺は思わず眉間に寄った皺をぐりぐりと指で揉み解した。必要なメッセージは届かないというのに、必要のないメッセージとは奇妙なほど縁がある。世の中とはつくづくままならないものだ。
せめて何か有益な内容であってほしいと願いながら、操作パネルの再生ボタンをタップする。
『こちらは地球7374コロニー、伊達高校天文部のオサフネ=ミツタダです』
間違いなくあのミツタダからのメッセージだった。
以前と同じように自分や学校について簡潔に紹介した後、前回とは違う内容が読み上げられていく。
『今回は僕の住む地球という星について説明するね』
地球が太陽と呼ばれる恒星の周りをゆっくりと公転している惑星であること。太陽に照らされる時間帯に合わせて昼や夜、季節という時間の区切りがあること。空気と水が豊富で、多種多様な生物が住んでいること。
『百年前まで、僕らのご先祖さまは草原に寝転んで青空や星空を眺めることもできたんだって。僕らはコロニー内のスクリーンでしか空を見たことがないけど、いつか僕も本物の空や月や星をこの目で見てみたくて、こうして天文部に入ったんだ』
そんなことをつらつらと語り、ミツタダは最後にこう締めくくる。
『これを聞いているどこかの誰かへ。君がいるのはどんなところ? もしもこの声が届いていたら、教えに来てくれると嬉しいな』
そこでいったん言葉を切り、ミツタダは前回と同じ締めの言葉を告げる。
『
――
どうかこの声が、どこかの誰かに届きますように』
メッセージはこれで終わりのようだった。これ以外にも何か受信できてやしないかと受信機を操作してみたが、モニターには受信失敗の通知が並び、スピーカーからは耳障りな雑音が流れるばかりだった。
俺は椅子の背もたれにだらりと体を預け、深く長く息を吐く。雑音よりかはマシだろうと、ミツタダからのメッセージをもう一度再生してみる。
『ハロー、ハロー。聞こえますか?』
たしか前回のメッセージでも同じ冒頭の挨拶から始まっていた。久々に顔の筋肉を動かして同じように口ずさんでみる。ハロー、ハロー。知らない言語の知らない挨拶。返事なんて来るわけもない。
ひとりきりの部屋で掠れた笑い声をあげる。
自分が思っていたより俺はおかしくなっているのかもしれない。明日あたりメンタルケアプログラムを動かしたほうがいいだろうか。
◆ ◆ ◆
『ハロー、ハロー。聞こえますか?』
あれからミツタダからのメッセージは定期的に届いた。
頻度は十日に一回ほどで、始まりと終わりの挨拶はいつも同じだった。自己紹介にも特に変化はない。
しかし代わり映えのしない前置きとは裏腹に、その後に続く内容は毎回驚くほどたくさんのことを俺に報せてきた。
『今日は学校の温室でスミレが咲いたんだ。小さい紫色の
…
紫って他の星でも通じる? とにかく、小さな紫色の花で、大昔は砂糖漬けにして食べたって文献で読んだから、みんなで配給分の砂糖をかき集めて漬けてみたんだ。食べるのが楽しみだなぁ』
『今週は天文部のみんなでキャンプファイヤーというのをやってみたんだ。木材は貴重だから、残念ながらよく似た合成燃料だけど、それをこう、高く組み上げて火をつけてね、仕上げにマシュマロを焼こうとしたところで火災用スプリンクラーが反応しちゃって、みんな真っ白な消火剤まみれになって大笑いしたよ』
ミツタダからのメッセージは、初めの頃こそ真面目なニュースを読む内容が多かったが、ある程度回数を重ねるとネタが尽きたのか方針を変えたのか、身の周りの些細な出来事を日記のように話すことが多くなってきた。
天文部のこと、学校のこと、コロニーのこと、地球のこと。それらの話題選びと伝え方、話し方からなんとなく伝わってくる、ミツタダという少年の人物像。
地球人類での十七歳というのは、おそらく年若い部類に入るのだろう。どんな種族でも年少の個体というのは活動的で好奇心旺盛なものが多いが、ミツタダは特にその傾向が強いようだった。
『僕達のいる地球には、塩化ナトリウムの豊富な水が一面に広がった"海"というものがあるんだよ。海の水は地平の向こうまでずっと広がっていて、海と空の境界線になっているところを水平線と呼ぶんだって。何度かVRで見せてもらったけれど、あれは本当にすごいよ。本物はさぞ壮観だろうなぁ』
ミツタダの話には、いつだって自分を取巻く世界への飽くなき好奇心と希望がこれでもかと詰め込まれていた。
来る日も来る日も狭い船内でひとり機械に向き合い、外部からのメッセージを待ち続けていた俺にとって、ミツタダからのメッセージはいつのまにかこの上ない癒やしになっていた。スピーカーから流れる音声を聞いている間、俺はここにあるはずのない光や風、花の匂いをたしかに感じ、この現実を忘れることができた。
いつしか俺は当初の目的はそこそこに、ミツタダからのメッセージを自ら進んで受信するようになっていた。
『専門家からのカウンセリングを推奨します』と異常を報せるばかりのメンタルケアプログラムは、とっくの昔に止めていた。
◆ ◆ ◆
光忠からの新しいメッセージが届かなくなってから数ヶ月が経った。
俺は先程まで光忠の声で話していたスピーカーをそっと撫でる。
新しいメッセージが届かなくなってからというもの、俺は暇さえあれば今までに受信したメッセージを繰り返し流すようになった。
今ではスピーカーを止めても、目を閉じればあの朗らかな声をはっきりと思い出せる。
光でも20億年かかる距離、その向こうにある星で、かつて生きていた少年の姿をぼんやりと脳裏に浮かべる。朗らかに笑い声を上げて仲間たちと他愛のない日常を送っている、顔のぼやけた少年。
――
ミツタダは、あれからも元気に暮らしているのだろうか。
我ながら馬鹿な考えだと思う。二十億光年も先からのメッセージなのだ。きっとミツタダはとっくの昔に死んでいるだろう。その安否を心配するだなんて、ああ、まったく、馬鹿な話だ。
それなのに、そのことを思うと鼻の奥がつんとなって胸が苦しくなる。本当に、馬鹿みたいだ。会ったこともない相手の死が、こんなにもかなしい。
ぐにゃりと歪んだ視界を誤魔化すようにごしごしと目元を手の甲で擦っていると、受信機からのメッセージ通知が表示された。
【メッセージを一件受信しました】
ほとんど飛びつくような勢いで再生ボタンを押してスピーカーの電源を入れる。ザザ、という雑音がしばらく続いた後、いつもより遠くからミツタダの声がする。
『ハ
……
ー、
……
ロー。聞こ
……
ますか?』
ノイズがひどい。補正レベルを限界まで引き上げて、ようやく判別できるほどの声だ。いつもより遠くから、ミツタダの声がする。
『僕ら
……
のコロニー
……
全滅
……
』
信じられない単語が聞こえた。
――――
全滅?
途切れ途切れに聞こえる単語をどうにか繋ぎ合わせていく。『生成プラント』『爆発事故』『酸素量の低下』『緊急避難』『取り残された住民』『暴動』『救助』『混乱』
――
。
どうやら、ミツタダのいるコロニーでなんらかの事故があり、全住民の緊急避難があったものの、それに間に合わなかった一部の住民が閉鎖されたコロニー内に閉じ込められたということらしい。
『ほとんど
……
安楽死
……
選ん
……
』
唇を噛みしめる。おそらくコロニーが閉鎖されたことにより、生命維持のためのなんらかの装置が止まり、残った人々は緩やかな死を選んでいるのだろう。
つい先日まであんなに楽しげに日常を語っていたミツタダの声が苦しげに詰まり、ごほごほと咳きこむ音が入る。ガチャガチャと計器をいじるような音とともに、すこしだけ音声がクリアになる。
『ここももう、駄目みたいだ』
遠くからミツタダを呼ぶ声が聞こえる。それに応じながら、ミツタダはこちらに
――
きっとマイクか何かだろう
――
語りかける。
『これからいちかばちか、ツルさんたちとコロニー外へ脱出してみようと思う』
コロニーの外は汚染された大気や水が溢れ、人の住める環境ではないと、以前ミツタダは言っていた。それでも外を目指すのだと、ミツタダは小さく、けれど決意の籠もった声で告げる。
『どんな時でも、生きるのを諦めたくはないんだ』
その言葉に、俺は目を見開いた。
『今から僕は死ぬかもしれない。でももしかしたら運良くどこかのコロニーに辿り着いて生き延びることができるかもしれない。いずれにせよ、この通信はきっともうできないだろうから、最後にどうしても誰かに伝えたくって』
何を、と問う前にミツタダの声が答えた。
『僕達は
――
僕は、たしかにここで生きていた、って』
奥歯を噛み締め、拳を握りしめる。口の中に鉄の味が広がる。
『いきなりこのメッセージだけ聞いた人がいたら、きっとびっくりしちゃうよね。そこはごめんなさい。でもどうか、どうか覚えていてほしい。僕達が生きてること、生きたこと、生きていたことを』
ミツタダは、まるで散歩にでも出るような朗らかな声で、いつもと同じ祈りの言葉を口にした。
『
――
どうかこの声が、どこかの誰かに届きますように』
それきりスピーカーはしんと黙りこんだ。もうミツタダの声どころか、ノイズすら聞こえない。
「
…………
ミツタダ、」
顔も知らない、会ったこともない、かつて生きていただけの、きっとどこにでもいるような普通の少年の名を呼ぶ。
ミツタダはこの後どうなったのだろう。志半ばで果てたのか、それともどうにか運良く生き延びたのか。それを知る術はもう俺にはないだろう。そんな予感があった。
俺は長らく停止していた宇宙船のエンジンのボタンに手を伸ばす。
ミツタダの置かれていた状況が、俺にはすこしだけわかってしまう。わかってしまうからこそ、このままではいられなかった。
周りの見知った人々が死に絶えた絶望、置いていかれる恐怖と孤独。いやというほど身に覚えがある。
俺はこの船の唯一の生き残りだ。俺が目覚めた時宇宙船は無残な状態になっていて、俺以外の船員は皆休眠ポッドの中で死んでいた。半狂乱でコールドスリープ中のログを調べたところ、宇宙船がデブリと衝突し、エンジンの大半と生命維持装置の一部が故障したのだと判明した。
俺は船を修理しながら、来る日も来る日も母星へ救難信号を出した。結果はこれだ。未だに返事も救援も来ない。
半ば惰性で活動していた俺が今日まで生きてこられたのは、ミツタダのメッセージがあったからだ。あのなんてことのない言葉たちによって、俺はたしかに救われた。
ボタンを押す。今まで何度押しても動作しなかったエンジンがようやく反応する。大量の警告文がモニターへ送りこまれたが、すべて無視し、先日修理が終わった予備エンジンをかける。この船の最高責任者権限において、船内の全エネルギーをエンジン部へ注入せよと命令する。すべての計器が動き出し、エンジンの稼働率が上がっていく。
こんなどうしようもない行き止まりの日々の中で俺の心を生かしてくれた。ミツタダは間違いなく俺の恩人だった。
『
――
どうかこの声が、どこかの誰かに届きますように』
ミツタダからの最後のメッセージを思い出す。
届いていた。全部、届いていたんだ。そう叫びたかった。
二十億光年の彼方で、かつておまえが生きていたことを俺は知っている。絶望的な状況の中、それでも諦めずに前を向き続けたミツタダ。あいつの言葉の数々が、このままここで俺とともに朽ちていくのは絶対に許せない。
止まっていたエンジンがようやく本格的に駆動した。モニターに表示された地図の中で、この船を示す点がゆっくりと母星の方角へと移動を始める。
燃料は不足している。食料や水もそろそろ尽き始めた。それでもここに留まり続けるよりは助かる可能性が高い。
船がナビに指定された航路に乗ったのを確認してから、俺は操縦席のマイクに唇を近づける。
救難信号以外のメッセージを送るのは随分と久しぶりだった。
なんだか大声で笑い出したい気分だった。これがどこかに届く頃には、いずれにせよ俺はきっとくたばっている。それでも。
それでも、こうして誰かへ伝えずにはいられない。ミツタダもこんな気持ちだったのだろうか?
そうであったら嬉しいと思う。
「ハロー、ハロー。聞こえますか?」
自分の置かれた状況と自己紹介、地球のミツタダからメッセージを受け取ったこと、これから母星への帰還を試みることを手短に告げ、俺は一度言葉を切る。感傷や決意、話したいことが奔流のように怒涛の勢いで脳内を暴れまわっている。頭を左右に振って余計な考えを振り払い、本当に伝えたいことをまとめながらぽつぽつと言葉を編む。
「
――
これを聞いたやつがいるなら、覚えていてほしい。ミツタダも、俺も、こうして生きていたこと。これからも生きるつもりだということ」
諦めない、とミツタダは言った。だから俺も可能な限り精一杯足掻いてみようと思う。
アラームがメッセージの録音可能時間が残り少ないことを報せてくる。そろそろ切り上げなければ。
「ここまで聞いてくれたやつがいるなら感謝する。ありがとう」
締めくくりの言葉は決まっていた。遠い空の彼方へ向ける、途方もない祈りの言葉。ミツタダの口癖。
自然と唇が緩む。
「
――
どうかこの声が、どこかの誰かに届きますように」
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