こみこず

初夏。

「暑い! 愛廻が項見せてる! 嬉しい!!」
「己の欲を恥じないところは評価できる」
「ほんとに?」
 教室に入るや否や、サイドポニーを揺らす愛廻の姿を視界に収めた國正は窓を開け放って校庭に向かい叫んだ。
 しっかりと腹から出された大声に愛廻は真っ赤になって首を竦めており、翔と恋は半笑いで國正の奇行を見守っている。クラスメイトはちらりと國正を見るや流行りのドラマに関する感想や教師への愚痴に戻っており、國正の突飛な言動がこのクラスでは見慣れたものだと窺えた。
「愛廻、おはよう」
「何事もなかったように戻ってくるじゃん」
「俺の愛廻へのラブは普遍のものだから。運否さんと翔もおはよう」
 けらけら笑う恋に國正はまっすぐな目をしてまっすぐに返し、生真面目な朝の挨拶も忘れない。だが、小さく縮こまっている愛廻に目尻を下げて「今日も可愛いなあ」と手を握る動作があまりにも素早いので、折角の挨拶も取ってつけたように感じてしまう。幸いにも翔も恋も國正のあからさまな言動に不満を唱えたことはないのだけれど。
「ん……おはよう」
「今日も愛廻に会えて嬉しい。髪型似合ってるね。シュシュもめっちゃ可愛い」
「ぅ、ありがと……
 熱が引かないのか、赤い頬を手の甲で押さえる愛廻の仕草を見た國正は「可愛い……っ」と呻き声を上げて彼を抱き締める。愛廻の髪が下ろされて鎖骨の辺りで揺れていた頃はどれだけ抱き締めても互いの体温が心地良いばかりであったが、空調の効いた教室で触れ合うのもまたほっとする。控えめに愛廻が肩口に頬を寄せてくれたのも國正にとっては最高であったが、ふと触れた愛廻の白い二の腕が冷いことに気づいてきゅっと彼の腕を掴んだ。
「うわ、冷えてる。空調利きすぎ?」
「ちょっとだけ……でも、全然大丈夫」
 ほっそりとした首を振る愛廻の言葉に嘘はないようだが、國正は心配して「あったかい飲み物買ってこようか? あ、俺のジャージの上でも着る?」とあれこれ提案する。その忙しない様子が面白かったのか嬉しかったのか、笑い声を零した愛廻はもう一度「大丈夫」と繰り返して控えめに國正の服の裾を握った。今日のネイルはライムグリーンだ。
「國正君があったかいからね……平気」
 愛廻の照れたような笑みを見た國正は「好きなんだけど?」と脳を通す前から口に出した。
「え? 好きなんだけど……好きなの、ですが……?」
「っ……ん、お、オレも……
 愛廻の蚊の鳴くような声を聞いた國正は素早く友人たちのほうを見る。
「優勝した! 翔、運否さん、優勝した!!」
「反応それでいいの?」
 恋の声音は笑いを含んでいたが内容は鋭い。しかし、國正はなんの躊躇もなく頷いた。間違った愛情表現だと思っているなら最初からしない。愛廻もちょっとだけおかしそうに体から力を抜いているので、國正のうつけ振りも悪いものばかりではないだろう。
「えー……俺があったかいからならさ、俺がずっと愛廻のこと抱っこしているべきじゃないのか? 愛廻の席、俺の膝に変更できない?」
「ふ、ふふ。先生に怒られちゃうよ」
「教師がなにするものぞって話じゃない?」
「その教師、お前らの席を引き離す力はあるぞ」
 真顔で言っていた國正は翔の言葉に分かりやすくしおしおのぱあとなり、縋り付くように愛廻を掻き抱く。ぽんぽんと背中を叩いてくれる愛廻の手が愛しい。
「あのね」
「うん……
…………休み時間になったら……膝でぎゅっとしてほしい」
 耳元で囁かれる言葉は國正にしか聞こえないだろう。それでいいのだ。國正にだけ聞こえていれば、それで。
 じんわりと火照った頬を冷い空気が撫でる。
「う、うん! わか──」
「お前ら、席に着けー」
 がらりとドアを開けて入ってきた担任に、愛廻へ大きく頷こうとした國正は再びしおしおのぱあになった。
 そうして乗り越えた授業。正直なところ、なかなか集中できなかった國正なのだが、愛廻に格好悪いところは見せられないため当てられた際にははきはきとした声で答えた。色恋は人を馬鹿にするともいうけれど、好きなひとの前で格好つけたくない人間などいないだろう。あわよくば惚れ直してほしいし、頼りにしてもらえたら万々歳だ。
「愛廻! 愛廻!」
 昼休みになるや國正は机を蹴るようにして椅子を引き、己の膝を叩いた。その勢いに愛廻は口をもごもごとさせてから小さな歩幅で國正の元へ歩み寄り、手を引く國正に促されて膝の上にちょこん……と座る。細いというか、薄い体は体重を感じると少し心配にもなり、國正は愛廻の顔をつい情けない犬のような顔で見つめてしまう。
「なあに?」
……軽いなあと思って」
「國正君が力持ちなんだよぉ」
「そうかな……愛廻を抱っこする準備はいつでも出来ています」
「ふふ、ふ……そっかあ…………嬉しいな」
 ゆるりと細められた愛廻のバイカラートルマリンのような目とぱちりと視線が合ったら、それだけでじゅわりと國正の思考は蕩けそうになった。
「可愛い…………幸せすぎる」
「そ、そんなに?」
「うん」
 目を見てきっぱりと頷いた國正に愛廻は「そ、そか……」と視線をうろうろさせてからそうっと國正の胸へ寄りかかってきてくれた。これがもう國正に更なる幸せをもたらし、うっかりすると弁当を食べるのを忘れてしまいそうになったのだが、これは恋が「時間なくなるよ」と告げたことでどうにかなった。しっかりものの友人を持てたのも幸せなことである。恋より付き合いの長い翔は、己の恋人を膝に抱き締めて口元におかずを運んでもらうのに忙しそうであったが。
「いいな、あれ。俺もしたい」
「あれ?」
「翔と運否さんがしてるの」
……あれっ?」
 おかずを食べさせ合っている翔と恋の姿を見て、愛廻が素っ頓狂な声を上げるが、國正としては是非したいやり取りである。だめだろうか、と上目遣いに愛廻を見つめれば、彼は真っ赤になって視線をあちらこちらへと彷徨わせてから國正に視線を合わせる。
…………い」
「い?」
……いい、よ」
 國正は片手の拳をぐっと握る。その表情は満ち足りていて、誰が見ても彼が幸福な人生を歩んでいることが分かるほどである。
「ど、どれがいい?」
「ええと……卵焼きで」
「ん…………あーん」
 ぷるぷると僅かに震える箸遣いで運ばれる黄色の卵焼き。愛廻が緊張で落とさないうちに勢いよく頬張った國正は、その慣れ親しんでいるはずの卵焼きがどんなご馳走よりも美味しく感じられて、にこにこと笑み崩れながら「ありがとう」と愛廻を見つめる。
「次は俺がしてもいい?」
「國正君がするの……? お、オレに?」
「嫌?」
「嫌じゃない! けど…………は、恥ずかしい……
「大丈夫。翔と運否さんもやってる」
「やってるよー」
「恋の作った人参のグラッセめっちゃ美味い」
「ほら。なんならおかず交換までしてるし。愛廻はいっぱい食べたほうがいいよ。ほら、お腹ぺったんこ」
「んっ……
 愛廻の薄い腹を服の上から撫でたら、彼は項に水滴でも当たったかのように首を竦め、発止と國正のネクタイを握り締めた。
「ご、ごめん……
「ん……んーん、大丈夫……
 己の腕のなかで小さくなる愛廻の背中をしゃかしゃか撫でてから、國正は気を取り直すように自分の弁当箱からもう一つ残っていた卵焼きを箸で摘むと愛廻の口元へちょん、とあてた。
「はい、あーん」
「んむ……
「口に合う?」
「ん、美味しい」
「良かった」
 へにゃっとした笑みを浮かべ、愛廻は先程よりも安定した手つきで自身の弁当箱から肉団子を持ち上げて、國正の口元へ運んだ。
「國正君の減っちゃったから……
 言い訳のような言葉がいじらしくて胸が激しく高鳴るのを感じながら、國正は大きく口を開けて肉団子を頬張った。甘酸っぱいソースの絡んだ肉団子はとても美味しくて、愛廻の家庭の味を味わっているということは愛廻と同棲しているということではないだろうかと國正の脳を飛躍した思考が過ぎる。
「美味しい?」
「めっちゃ美味い」
「ふふ、良かった。あ、ソース付いてる」
 愛廻の指先が口角に触れてソースを拭っていく。濡れた自身の指を見た愛廻は一瞬間を置いてからぱくっと指先を喰んだ。その何気ない仕草が可愛くて可愛くて、國正は「ぎゅ……」と謎の呻き声を上げて天井を仰ぎ、眩い灯りにしぱしぱする目を友人たちへ向ける。
「愛廻が可愛い……
「でしょ」
「おめでとう」
 ぱちぱちと贈られる拍手。愛廻が「も、もう……!」と上擦った声を出す。可愛いと恋人と親しい友人と。賑やかな教室が嬉しくて國正はくすくすと笑う。
「愛廻、もう一回食べさせて」
 國正のおねだりにかちっと固まった愛廻はもう一度、おかずを口へ運んでくれるだろうか。
 昼休みの時間はまだまだある。
 今日の昼食はきっとゆっくりしたものになるだろう。