かにぴ
2026-06-04 19:27:07
3164文字
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未分類の兆し

まっしろと胡乱な女

 最近、あかりさまから連絡がない。連絡がないということは、きっと元気でやっているのだろう。彼に関しては、以前から「死ぬ時には死ぬって連絡するから、あとはいい感じに解散して」と言われているので、その言葉を信じることにしている。どうやって連絡してくるのかは分からないが、まあ、あかりさまのことだ。何かしらやりようがあるのだろう。社会的身分と、保険と、その他もろもろのために用意された会社員としての籍は、今のところ特に問題なく維持されている。一応、こちらに振り分けられてくる仕事というものもあるが、それほど大変なものではない。本業として自認しているダンゴムシブリーダーの活動に影響はないし、社員寮という扱いで与えられたこの部屋も、周囲のマンション相場から察するに、本来なら家賃は月十五万円ほどするのではないかと思う。駅から徒歩五分。駅前には映画館併設の大型商業施設があり、病院も近い。そんな場所を、無料で「ここに住みな」と差し出してくれたのだから、本当に頭が上がらない。自分がしたことに対して、返礼として与えられるものがあまりにも多すぎて、時々そのまま溺れてしまいそうになる。とはいえ、あかりさま自身が無限の金持ちで、あらゆるものの価値を大雑把に見ている、というわけではないことも分かっている。単に、あかりさまは私たちに優しい人なのだ。私たちがあかりさまを好きでいる限り、あかりさまも同じように私たちを好きでいてくれる。好きだから贔屓するし、好きだから快適な生活を与えたくなる。そうされると私たちも、できる限り全力で、精一杯報いたくなる。まったくもって、これは正の循環だ。
 表向きの仕事の発注は、基本的にメールで届く。同じアカウントにはダンゴムシブリーダーとしての買取希望メールも届くので、起きてから確認すると、たまに新着メールがずらっと並んでいることがある。一応、一日に一度は確認するようにしているが、重なる時には重なるものだ。アカウントを分けておけばよかったなと今さら反省するものの、もはや表向きの仕事用にしても、ダンゴムシ用にしても、今から変更するにはそれなりに手間がかかる。今日も新着メールが十件ほど並んでいた。最近はスパムメールも入るようになってしまったから困る。どこからアドレスが漏れたのだろうか。そんなことを考えながら、目についた一通を削除しようとする。【★☆朗報☆★】という、あまりにも信用ならない文言のあとには、まだ何か続いていたらしいが、後半は文字数オーバーで省略されていた。きっと買ってもいない宝くじにでも当選したのだろう。一億円を引き出すために、まず三万円を入金する必要があるとかいう、あれだ。そう思って指を動かしかけたところで、チャイムが鳴った。まだ朝の八時だ。宅配便にしては少し早い気がするが、誰だろう。一旦スマホを置き、玄関まで向かう。すると、控えめなノックと共に、友人の声がした。「まっしろくん、起きてる? 少し確認したいことがあって……」普段の彼女とは少し違う、どこか困ったような声音だったので、「起きていますよ。どうしました」と返しながらドアを開けた。慌てていたせいで、少し勢いがついてしまったが、彼女はちゃんとドアの正面から一歩ずれた場所に立ってくれていた。ぶつからずに済んだので助かる。視線を下へずらすと、いつになく慌てた様子の友人────芽森さんが、スマホの画面をこちらへ見せてきた。

「これ、消しちゃダメだよ。一斉送信のあかりくん速報です」

「いままさに消そうとしていました。これはスパムメールでは?」

「だよねえ……。あかりくん、本人はたぶん真面目にやってると思うんだけど、ちょっとセンスが独特だから、誤解を招きやすいんだよね……

 本当に、タイトルの通り、必ず確認してほしかっただけなんだと思うよ……と、芽森さんは困ったように笑った。その顔を見て、なんとなく腑に落ちる。彼女にとってのあかりさまは、神でも救世主でもなく、“少し困ったところのある年下の男の子”なのだろう。崇めるより先に心配してしまう距離。祈るより先に「それはやめたほうがいいよ」と言ってあげたくなる近さ。私たちが遠くから見上げているひとを、彼女はたぶん、目線の高さまでしゃがんで見ている。羨ましいような、少しだけ怖いような、けれど妙に納得してしまう関係だった。
 確かに、言われなければそのまま消してしまっていただろう。マンション内には芽森さんのような仲間も複数いるので、頼めば内容を確認させてもらうことはできるだろうが、だからといって、あかりさまから届いたメッセージそのものを失うのは忍びない。内容を確認しようとして、そこでスマホを机に置いてきたことを思い出した。一度部屋に戻って……と思ったが、こんなに早い時間に、わざわざ自分を気にかけて声をかけてくれたのだ。何か礼になることはないだろうか、と考えたところで、部屋の奥から炊飯器の音が鳴った。起きた時にセットしておいたものが、ちょうど炊けたらしい。

「朝食はまだでしょうか。今ちょうどできましたので、大したものではありませんが、一緒にどうですか。栄養素だけは取れますし、味が薄い以外は毒ではないので」

 毒ではないというのはあまりおすすめ文句にならないな、と言葉に出してから気づいた。適当な野菜や肉を出汁と一緒に煮続けてできる生命維持用の義務飯しかないが、同僚の子子さんは以前それを「味が薄すぎ。元気がないおじいちゃんのご飯」と評していた。率直な彼女が「マズイ、食べたくない」とまでは言っていないので、本当に味が薄いだけで、食べられない類のものではないのだろう。そんなことを思い返していると、「ひえ」と、あまり聞き覚えのない、空気が抜けるような音が聞こえた。何の音か確認する前に、芽森さんがスマホを胸元に抱え込むようにして、「い、いいのぉ……?」と、なぜかひどくおずおずした声で訊ねてきた。普段は落ち着いていて、こちらが多少妙なことを言っても穏やかに受け止めてくれる彼女が、たまにこういう反応を見せるのは可愛いな、と思う。
 程度までは分からないが、それなりに好意を向けられていることも、さすがに察してはいる。自分という人間のどこがいいのかは分からない。いや、これは別に、芽森さんのセンスだとか審美眼だとか、そういうものを否定したいわけではない。ただ、私という人間に自信がないので、どうして彼女のような素晴らしい人が? というところで思考が止まってしまうだけだ。自己肯定感が一部欠如している。受け取るための器がそこだけ欠けているようだ。芽森さんは、たぶん、その弱さを理解してくれている。だからこそ、彼女自身も確信に至る言葉を、いつも少し遠ざけているのだろう。私たちはそうやって、安心して“友人”でいられる。

「どうぞ、一緒に朝食を食べましょう」

 そう言ってドアを大きく開け、来客用のスリッパを足元に並べる。芽森さんは一瞬だけ目を伏せ、それから、なにか小さな決意を固めたように表情を変えた。いつもの落ち着いた顔に戻ろうとして、戻りきれていない。頬のあたりに、朝の光よりも少しだけ柔らかい熱が残っている。

……おじゃまします!」

 そう言って、彼女は一歩を踏み出した。食事を共にすることは、仲間であっても、友人であっても、不自然なことではない。朝の炊きたての米と、味の薄い義務飯を分け合うくらいなら、何も決めなくていい。ただ同じ食卓につくだけでいい。それだけの事だが、芽森さんが少し緊張した顔で玄関に立っている。なぜかその顔を見ると、今日という一日が、少しだけ良いものになった気がした。理屈はわからない。わからないことにしている。