紫よか
2026-06-04 01:56:06
2803文字
Public イナズマイレブン
 

いっぱいの大好きを君に

亜風炉照美×春星繭美 アニメ二期終了後の話。ゲームでの設定もほんの少し

 照美の退院日が決まった。

 エイリア学園との戦いで怪我を負った照美はしばらく病院で療養していたのだが、無事治り、そしてサッカーへのドクターストップも無くなった。このことを世宇子中のメンバーに電話で報告したらひとつの受話器から全員の喜ぶ声がして、その騒がしさに照美は思わず破顔した。
 かつて世宇子中は道を間違えた。ドーピング行為をしたのだ。誰もが正々堂々と戦うフットボールフロンティアという大会で、許されざることをした。それが大人たちの陰謀であったとしてもだ。けれど、やり直せるチャンスが巡り来た。照美はそのチャンスを掴むことにしたのだ。
 長いことドーピング薬──軍事用薬物、神のアクアを体に入れてきた世宇子中サッカー部の面々は、同じ境遇でありながら再び、しかも強大な敵であるエイリア学園に挑もうとする照美のことをひどく心配した。なんとか彼らを説得し雷門の元へ向かう時のチームメイト、ひとつ年上の平良の言葉を照美は覚えている。

『怪我だけはするなよ』

 ……約束を思いっきり破ってしまい、照美は平良から額に手刀を喰らったわけだが。


 さて、病室のベッドに横たわっているのも何となく退屈な感覚がして息が詰まり、照美は病院の屋上へ足を運んだ。お気に入りのシリーズのスポーツ雑誌と共に。エイリア学園との試合で負った傷もすっかり良くなり、もう今すぐにでも退院したい気持ちがあった。──けれど、退院には後ろ髪引かれる思いもあったのだ。
 階段を上がり、鍵のかかっていない扉を開く。もう夏が近いぽかぽかとした外の空気を胸いっぱいに吸い込み、照美は柵の近くに置かれたベンチに座り本を読んでいる、白い病衣を纏った白い髪の少女に声をかけた。

「春星さん。ここにいると思った」

 春星さん、と呼ばれた少女──繭美は、本から顔を上げ、照美に微笑んだ。

「照美くん。こんにちは」

 彼女こそが、照美の後ろ髪を引っ張る存在である。

「それ……照美くんも読書ですか?」
「うん、最新号が出たから。チームメイトが持ってきてくれたんだ。春星さんも楽しそうだね?」
「ええ。これ、ギリシャ神話です」

 照美と話せることが心底嬉しいとでも言いたげな笑顔で、繭美は本にしおりを挟みその布張りの豪奢な表紙を彼に見せた。
 ふたりが出会ったのは、照美が入院してからである。偶然、照美のお気に入りのスポーツ雑誌を病院の歓談室で読んでいた繭美に、彼が勇気を出して話しかけたのがきっかけだ。

『サッカー、好きなのかい?』
『ええ、大好きです!』

 ふたりは共通の好きなものから、気の置けない友人となれたのである。
 繭美は重い病を抱えていた。しかし手術に踏み切るにも、体が弱く耐えられるか解らなかったのだ。そこで使われたのが、軍事用から医療用に改良された神のアクアである。神のアクアの身体強化、体力増強。この力により、繭美は手術に成功し、快方へ向かっていった。それでも、大事を取ってまだ彼女の入院生活は続く。照美より長く病院にいた彼女は、照美より遅く退院をするのだ。照美にとってそれは、何となく寂しい。

 照美は言い出せないでいた。お互い退院してもまた会えるように、連絡先を交換し合おうと。常に自信に満ちている自分が、こんな小さなことに悩むなんて、と、彼は心の中で苦笑いをする。

「アフロディーテはなかなか怖い神さまですね? アフロディくん?」
「あはは。そりゃ、愛は怖いものだからね」
「あら、愛したことがあるような言葉です」
「どう思う? 僕は愛を知ってるように見えるかな」

 照美はわざといたずらっぽく笑った。繭美はそれを見てむっとしたような顔をした後、俯いて神話の本の表紙を撫でた。

「知ってるでしょう? お見舞いに来てくれているチームメイトの皆さんとか、あとは……そう、サッカーとか」

 正解でしかないその言葉に、照美は微笑む。

「よくわかったね」
「自分のことも好き。そうですよね?」
「ふふ。そうかもね?」

 彼の正解を当てた繭美は、それでも思い悩んだように俯いたままだ。

「春星さん、どうしたの?」

 照美はそんな彼女を見てほんの少しばかりの不安が心によぎる。つい先ほどまで嬉しそうにしていたのに、と。照美の問いかけに、繭美は口を開いた。

「あともうひとつ、愛してほしいものがあるのですが」
……愛してほしいもの?」
「はい。あんまり優先しなくてもいい、ちいさなことなんですけどね。……聞いてくれますか?」
「もちろん。聞くよ」

 彼のその言葉に、彼女はやっと照美の顔を再び見る。彼の赤い瞳は、やわらかく繭美を見つめ、金色の髪は真昼の陽光に照らされてきらきらとしていた。──亜風炉照美は美しい少年であった。芸術品のようであり、本当に愛と美の神のようでもある。それでも、その眼差しには優しいあたたかさがあり、彼が確かに人間であることを証明していた。

……私、です」
「え……
「私のことも、照美くんの愛するもののひとつに、入れてほしいです」
……
……あ、あの? だ、黙らないでください。断るなら断って……私、勇気を出したんですから」
……ううん」

 照美は首を横にやんわりと振る。そして、繭美の手に自身の手を重ねた。──そう、全てとっくに定まっていたことだったのである。

「春星さんは、ちょっとずるいね」
「え、ええ……?」
「僕、ずっと春星さんのこと好きだったよ。僕から言うつもりだったのにな」
「あ……。で、でも、私たち退院したらお別れで……
「そうならないようにしようよ。進む道は違っても、また会えるように」

 もう片方の手の甲で、照美は繭美の頬を撫でる。そこは普段は白いのに、今は花が咲くようにぽっと赤くなっていた。

「愛してるよ。春星さん」
……繭美」
「ん?」
「下の名前で呼んでください……。私も、照美くんのことが大好きです。その髪も目も、がんばりやさんなところも、優しいところも、全部」
……繭美さん。ありがとう。僕、君のおかげで、またやり直せそうな気がする。何度だって頑張れる気がするよ」
……それは、照美くんの努力のちからでしょう?」
「ふふっ。ねえ、僕がまたやり直せたらさ、僕のこと見守っていてくれる?」
「それは……もちろん!」

 繭美は照美の肩に腕を回し、彼の少年らしいまろい頬に唇を落とした。面食らったように目を見開く照美を見て、彼女はくすくす笑うのだ。

「だから……ずるいって、繭美さん」
「うふふ。照美くん、だーいすき」
……僕も、今すごく幸せ。大好きだよ」

 新緑色の夏の香りが漂ってくる頃、ふたりの幸福な少年と少女が、静かに生まれ落ちた。夏の葉が芽吹くように。かつての痛みや苦しみから生まれ変わるように。