PRØV!DENCƎ
2026-06-03 19:43:56
1749文字
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#04 『縫われた嘴で祈る』

#04 『縫われた嘴で祈る』

クラブ=マジェスティ / PRØV!DENCƎ
https://nana-music.com/sounds/06e57f18

† R-15程度の残酷描写を含みます
† 暴力 / 流血 / 加虐的な描写を含みます
閲覧の際はご注意ください。

 ざらついた呼吸の音が、絶え間なく鼓膜を刺す。
 悲鳴を切り刻んだような、引き攣れた声が喉から漏れていく。
 息も絶え絶えの獣が、何かに縋るような声。命乞いにも似たそれは、容赦なくヴェラの脳髄を貫き、強烈な吐き気を呼び起こした。あまりの気持ち悪さに、濡れた感触が眦を伝う。

 それでも足を止めるわけにはいかず、ヴェラは汚れた路地裏を蹴った。
 吸い込んだ夜の空気が何度も擦れて、摩擦の熱にじわりと肺が痺れる。
 刺されている、と思った。幾重にも巻かれた包帯の向こう、痛みを感じないほどの奥に、深い刺傷が開いている。鼓動に纏わる仄かな熱が、その存在を訴えかけてくる。
 それは、胸の中心を圧されたときに、よく似ていた。ヴェラの身体を押さえつける、柔らかな手に力が籠もる、一瞬。視界の端が削れていく感覚に、丸めた指先が戦慄く。

 狭まった視界の中心に、倒れた影が過って、足が止まった。
 煤けた地面に横たわる、冷えきった塊──死体だ、と理解するよりも先に、濁った眼球と目が合った。焦点の散った瞳が、虚ろなまま、こちらを見ている。ヴェラを責めるように。ヴェラを慰めるように。
 それを認めた瞬間、鮮明な感触が弾けた。浅く息切れした呼吸。胸の傷から垂れた赤色。深く刃を沈めた先の、生温い柔らかさ。
 逃げなきゃ。逃げないと。噛み殺した悲鳴で喉が塞がって、激しく視界が明滅する。ひどく湿った手のひらが、引き抜いたナイフを握りしめる。
 ドクン、と大きく心臓が跳ねて、それが合図になった。動かなくなった死体に背を向け、振り切るように足を引き摺る。闇雲に駆け出す。それでも、あの虚ろな目が離れない。どれだけ遠ざかってもなお、傷んだヴェラを見つめている。

 顔を上げられず、まともに前も見えない視界で、宛もなく走り続けて──細い路地を折れた先で、見知らぬ女性にぶつかった。ひとりの幼い子供を連れた、若い母親のようだった。
 慌てて謝罪の言葉を零した彼女の視線が、ヴェラの汚れた手のひらと、液体の滴るナイフを捉える。即座に表情を引き攣らせた彼女は、庇うように子供を抱き寄せた。
 その仕草で、視界に赤が散った。深々と刃を突き立てた、刺し傷から鮮血が噴き出す。痛い。胸の奥底が、痛くてたまらない。浅く吸い込んだ息が、肺の表面を撫でては、甲斐なく吐き出されていく。濁った断末魔と、幼い子供の泣き叫ぶ声が、鼓膜に突き刺さる。
 気持ち悪い。気持ち悪くて、吐きそうだ。母親を呼び喚く子供の喉を刺し、すでに事切れた母親の喉も続けて刺した。ふたつの死体を見下ろして、手のひらが震える。

 ──ヴェラが、殺した。母親も、子供も。
 
 現実を拒むように、俯いた頭が力なく揺れた。違う。私は、こんな。握りしめたナイフから、血液が垂れていく。境界線を溶かすように、ヴェラの皮膚が汚れていく。見開かれた双眸が、こちらを見つめている。
 初めて武器を掴んだ、他人を刺し殺した、生々しい感触が離れない。塗り替わらない、ふたりも殺したのに。人を殺した、ヴェラは、己自身のために。
 絶望と断罪が、雨のように降りかかって、ようやく喉から悲鳴が溢れた。衝動のままに、ナイフを振りかぶる。もはや誰の血かも分からない、濡れた刃で死体を貫く。
 刃先が顔の皮膚を突き破り、血飛沫が舞った。潰さなければ、と思った。ヴェラの殺した死体の、顔が見えなくなるまで。人間ではない、醜い塊になるまで。手のひらに染みついた、最初の厭わしさが消えるまで。

 ふたつの死体はやがて、化け物の残骸みたいな肉塊に成り果てた。
 同じことを繰り返すうちに、躊躇いも罪悪感も麻痺して、殺した人間の顔も忘れた。

「ヴェラはどうして、ひとを殺すの?」
 無邪気な微笑を湛えたライアが、夜更けの路地に首を傾げる。金のためだ、と乱暴に吐き捨てた瞬間──不意に、胸の空いたような心地が襲った。
 決められた相手を殺せば、相応の報酬が得られる。生きるために、弱い人間を殺す。獣の世界と変わらない、単純な理だ。
 顔の潰れた死体を踏みつけ、血濡れた頬に嘲笑を浮かべる。
 柔らかな身体に刃を突き立てる、その悍ましい感触を味わうように、ヴェラは強くナイフを握りしめた。