桐子
2026-06-02 23:02:10
1784文字
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ルミナス⑮


「水木……?」
彼は目を見開き、呆然とこちらを見ている。
藻部田も、突然現れたゲゲ郎に混乱している様子で硬直している。誰もが予想外の展開に固まる中、一番最初に我に返ったのはゲゲ郎だった。彼はつかつかと歩み寄ってきて、藻部田の襟首をつかんで持ち上げた。
「な、なにをす、ぎゃっ」
体格がよく筋肉もあるはずの藻部田が、子どものように簡単に床に放り投げられた。ゲゲ郎はそのままの藻部田の上に跨り、顔を殴りつけた。
バキィッ!と鈍い音が響く。一度で終わらず、何度も拳を振り下ろす。
「やめ、俺を誰だと、うぶっ!」
「やめろゲゲ郎!!」
止めなくてはならないとやっと思い至った水木が間に入ったが、ゲゲ郎は止まらなかった。
「おい、ゲゲ郎っ、やめろ、やめろって!!」
「こんなことする奴は死んだ方が世のためじゃ」
やっとこちらを向いた男の顔からは、およそ感情というものが抜け落ちていて、水木はぞっとした。藻部田の頬は腫れあがり、口の中も切れているようだ。顔中血だらけになっている。これ以上殴ったら本当に死んでしまうかもしれない。水木は必死でゲゲ郎の体にしがみついた。
藻部田はその隙に這いずるようにして寝室から逃げ出した。
「お前、近頃顔が売れてるゲゲロウとかいう役者だな!俺はベテランなんだ、こんなことしてただじゃすまんからな!!」
そう捨てぜりふを吐いて逃げていく。
ゲゲ郎は追いかけることはせず、茫然としている水木の目の前にしゃがみ込んだ。
「大事ないか?」
水木は答えられず、ただ黙って視線を逸らした。
「あの男、水木によこしまな行為をしようとするなど絶対に許せぬ。警察を呼ぼう」
「だめだ!」
警察という言葉に、水木は弾かれたように顔を上げた。
「何考えてるんだ、馬鹿野郎!」
「しかし、あやつは水木に無体を働こうと」
無体を働こうとした。確かにその通りだ。だが、水木はそれを黙認しようとした。少し我慢すれば役がもらえるなら、その価値はあると思ったのだ。だって、水木はーーーーそうしなければドラマにも映画にも出ることはできないから。ゲゲ郎と違って。
ひどく残酷な気分になった水木は、乾いた笑みをもらした。

「俺が誘ったんだ」

ゲゲ郎が目を見開く。目の前の男がうんと傷つくように、できるだけ冷たく聞こえるようにひどい言葉をぶつけた。
「お前と寝るのもあいつと寝るのも、たいした違いじゃないからな」
信じられないとでもいうような視線を、水木は真っ向から受け止めた。幕は上がった。もう引き返すことはできない。
「わしらは、恋人同士じゃろう……?」
力なく呟かれた言葉を、水木はせせらわらった。

「はっ、傑作だな。俺はお前のことなんて好きじゃない。のしあがるためにお前を利用しただけだ。……そうじゃなきゃ、誰が男なんかと寝るかよ」

ゲゲ郎の顔が歪む。泣きそうな、怒ったような表情だ。演じることが好きで、役者の仕事が楽しくてたまらないと無邪気に笑っていた男が、水木の言葉一つでこれだけ傷ついているのがただただ愉快だった。
「傑作だったよ。今をときめく人気俳優が、俺がちょっと『会いたい』ってもらしただけで撮影中にも会いに来てくれるんだからな。でもお前とはどれだけセックスしても、少しも仕事につなげてくれないからな。そろそろ次に切り替えようと」
「もうよい」
氷のような声だった。凍り付きそうな声色に、体がびくりと跳ねてしまう。握りしめ震える拳から、激しい憎悪と怒りが伝わってきた。
「おぬしの気持ちは、ようわかった」
「ああ、わかってくれて助かったよ。いい加減うんざりしてたんだ。アッチの相性はまあまあよかったから、気が向いたらまた連絡してくれよ、田中さん」
ぺらぺらと話している間に、ゲゲ郎はこちらを一度も振り返らず、部屋を出て行った。
バタン、と扉が閉まる。完全な静寂に包まれた室内で、水木は深く息を吐いた。ーーーー終わった。こんなことで、自分とゲゲ郎のつながりが断ち切られるなんて。でも、これで良かったのだ。
ベッドに仰向けに倒れ込み、天井を見上げた。
……はは、」
乾いた声が口からこぼれる。せいせいしたはずなのに、胸の奥に冷たい泥が溜まっていくような、ひどい不快感がある。ゲゲ郎の、あのすべての感情をそぎ落としたような真っ暗な瞳が、頭から離れなかった。