千代里
2026-06-02 20:42:25
6033文字
Public リーブラ短編
 

【リーブラ短編】ヤルマルの耳が気になるオランローの話


 オランローは今、一つの疑問を抱いていた。
 
「こっちはノエからの手紙だよ。あ、ルーシャンからのも入ってる」
 ラベンダーベッドの自宅にて、オランローは同居人のヤルマルと共に友人から届いていた手紙を読んでいた。リビングの椅子に腰を下ろした彼女の背から覗き込むようにすれば、背の高い彼でも問題なく共に手紙を読める。
「イシュガルドは相変わらず寒いみたいだ。でも、復興も随分と進んでいるらしい。瓦礫はほとんど撤去されたって」
「そうか。あいつは、どうせまたずっと働き通しだったんだろう」
「みたいだね。ルーシャンからの手紙には『ノエに休むように言ってくれ』ってさ。風邪をひいても働こうとするから、オデットに怒られてたって」
 仲間の近況に口を緩めながらも、オランローは自身が抱えている疑問を無視できずにいた。
 ヤルマルと共に手紙の字を追いながら、自分の視界に飛び込んでくるヤルマルの耳――ヴィエラ族特有の長い耳のうち、右耳の方へそろりと手を伸ばす。すると、オランローの手を躱すように、ヤルマルの右耳だけが軽く傾いた。
……動いた)
 今度は左耳に手を近づける。同じように、左耳だけが音もなく傾き、オランローの手を回避する。その間に、右耳は手を近づける前と同じ位置に戻っていた。
「へえ、イシュガルドにも冒険者居住区を作るっていう企画が本格的に動き出したみたいだよ。どんな名前をつけるか、日夜議論が盛んだってさ」
「名前など、大した問題ではないだろう」
「そういうわけにはいかないよ。外国の人も発音しやすい音にしないとね」
 ヤルマルの言葉に相槌を打ちながら、今度は後ろから両耳に手を近づけてみる。すると、両耳が揃って前に傾いた。
(両方動くこともあるのか……
 思わず唸っているオランローが抱えているささやかな疑問。
 それは、ヴィエラ族の耳はどこまで傾くのか――という至極どうでもいいものだった。
 
 ◇◇◇
 
 時を少し巻き戻そう。ヤルマルが手紙を持ってくる少し前、オランローは冒険者居住区〈ラベンダーベッド〉の川縁でのんびりと釣竿を垂らしていた。
 イシュガルドからグリダニアに戻って、早いものですでに数ヶ月の時が経とうとしている。
 その間に、帝国の植民地であったアラミゴやウェルリト、ドマは次々独立を果たしていった。また、ガレマール帝国も長らく続いていた安寧の時から、動乱の時代を迎え、今や国そのもの基盤すら揺らいでいると聞く。
 元はガレマール帝国の植民地の出身であり、帝国軍に恩師が属しているオランローとしては、かの国の動向に思うところはある。だが、今のオランローが大事にしたいのは、恩師の祖国ではなく、自分を導いてくれたヤルマルと、共に苦難を乗り越えた仲間たち、そしてこの穏やかな時間だ。
 思索をしている間に、釣竿に微かな兆しが訪れる。これは、餌に魚が反応したとみて間違いないだろう。
 暫く様子を伺い、魚が食らいついたと確信した、その時。
 ガサ、と背後の茂みが揺れる音に、オランローは咄嗟に振り返る。
「誰だ」
 冒険者居住区内とはいえ、背後をとらせてやるほどオランローは気を緩めていない。だというのに、物音を拾うまで気配すら感じさせなかったとは。
 緊張を全身に漲らせたオランローが目にしたのは、
……うさぎ?」
 視線が、地面へと落ちる。そのさきにいたのは、ふわふわの柔らかそうな体毛をもつ兎だった。栗毛色の体は野うさぎと比べると大層小さく、おまけに丸々としている。野生の兎ではないのは間違いない。
「誰かが飼っているのか? さては、脱走してきたのか」
 だとしたら大変だ。オランローはすでに魚が逃げた後の釣竿を、わずかな落胆と共に引き上げ、兎の確保に注力する。
 幸い、釣竿を片付けている間にうさぎはどこかにいくこともなく、小さな鼻をふすふすと動かし、探検に勤しんでいた。
 身を屈め、オランローはうさぎへと手を差し出してみる。
(うさぎは何を食べるんだ? 釣り餌で反応するだろうか)
 幸い、釣り餌を見る前にうさぎはオランローの指に興味を持ってくれた。ぴょんと後足で地面を蹴り、オランローの指に自分の鼻を押し付けて匂いを嗅いでいる。釣り針に餌をつけたときの匂いでも残っているのだろうか。
 その間にも、うさぎはあちこちに耳を動かしている。川で魚が跳ねたのか、水音が乱れればそちらに。遠くの桟橋に船がつく音がしればあちらに。うさぎ特有の長い耳は小さな体にもついていて、オランローがよく目にしている野うさぎより遥かに小さくても、懸命に音を拾い続けている。
「そういえば、あいつも兎に似た耳を持っていたな」
 オランローが思い浮かべたのは、自分の同居人でもあるヴィエラ族のヤルマルのことだ。ヴィエラ族は総じてその頭頂部に兎に似た長い耳をもつ。ヤルマルもその例に漏れず、オランローは自分の視界に飛び込んでくるふわふわの長耳に、しょっちゅうくすぐったい思いをさせられていた。
(だが、あいつの耳はこんなに柔軟に動いていただろうか……
 普段からそばにいるせいで、耳の動きなどいちいち気にしたことがない。その間にも、うさぎは落ち着きなくあちこちに耳を動かしていた。
 このまま好きにさせていては、どこかに行ってしまうのではないかと空いた片手を伸ばし、そっと体に触れてみる。すんなりとふわふわの手に指先が埋まり、自分で触っておきながら驚かされてしまった。
 随分と人に慣れている様子から、これは間違いなく誰かに飼われているのだろう。確信を抱き、意を決してうさぎを抱き上げたときだった。
「あー、クーちゃん! 見つけた!」
 大きな声をあげているのは、茂みの向こうに立つヒューラン族の女性だ。兎によく似た栗毛には、方々の茂みを潜り込んだのか、あちこちに葉っぱがついている。
「これは、あんたのうさぎか」
「そう、そうなの! 朝から見かけなくて、ずーっと心配してたんだから! もう、どこに行ってたのよー」
 オランローが自分の手に抱いていたうさぎことクーちゃんを差し出すと、女性は宝物のようにそっと受け取り、兎の頭を撫でた――その長い耳ごと。
……あの耳、あんなにも平たくなるのか)
 頭を撫で慣れているのか、クーちゃんの耳はぺったりと頭に沿って平たくなっている。気持ちよさそうに目を細めているので、あのような形状になっていても問題ないのだろう。
「あなた、少し前に川の近くに引っ越してきた人よね。見つけてくれてありがとう! 後でお礼にいくわね」
「いや、大したことじゃないから気にしなくていい。あんたのうさぎが外に出て行かなくてよかった」
「ほんと、まだ中にいてくれてよかったわ。こんな可愛い子、外に出たらすぐに食べられちゃうわ」
 野うさぎだったなら、自分も食事のために捕まえていただろうなと思ったが、オランローは口にはしなかった。もし目の前の女性がうさぎ愛好家だったら、変なところで恨みを買うことになってしまう。
 何度もお礼を口にした後、脱走したクーちゃんを抱えて去っていく女性を見て、オランローが思ったことは、新たにできた縁やうさぎの愛らしさなどではなく。
……あいつの耳も、あんな風になるんだろうか)
 自分の同居人の耳に対する疑問だけだったのであった。
 
 ◇◇◇
 
 かくして、オランローは現在実験を行なっていたのである。
(考えてみたこともなかったが、こいつの耳は一体どんな音を聞いているんだ?)
 アウラ族のオランローも他種族とは異なる音の響きを感じていると実感しているが、ヤルマルのそれは彼の想像を遥かに上回るだろうということしかわからなかった。
 ヴィエラの耳は常人――ヒューランやエレゼンのように、顔の横に耳がある種族と大きく異なるところがある。アウラ族の耳がわりに存在する角もなかなかの変わり種だが、ヴィエラの耳はそれと同じくらい、他のヒトと異なる。
 まず、大きさが他種族のそれより遥かに大きい。
 次に、大きさの分だけ聴覚も優れていて、家の中で小さなものを落としたことを、外にいたヤルマルが気づいていたという例は何度もあった。
 また、オランローでは聞き取れない音も聞こえているのか、羽虫のささやかな羽音や、動物の小さな足音すら拾い上げ、教えてくれることもあった。
 オランローが手を近づければ、ヒョイと耳が動く。耳を動かすということ自体、すでにオランローにはできないことだ。彼の角は、ヤルマルのようにあっちこっち傾いたりはしない。
(普通のうさぎの耳と同様の可動域はあるようだが……
 何度か、右に左にと手をかざしてみる。その度にあちらこちらに揺れる耳を凝視していると、不意にヤルマルが手紙を机に置いた。
「あのさあ、オランロー。さっきから何してるの?」
 再びヤルマルの両耳に触れようとしていたオランローは、振り返った彼女の前で奇妙な姿勢のまま固まることになった。
「後ろでこそこそ何かしてたよね。何か気になることでも?」
「いや……その、耳が」
 まさか、ヴィエラの耳がどこまで動くのか気になったと正直にも言えず、オランローは口籠る。
「耳? ボクの耳がどうかしたのかい」
「動くから、どうなってるのかと……
 結局、ヤルマルに更に不審な目を向けられる前に、オランローはうさぎの耳を見たことをきっかけに、ヴィエラの耳、ひいてはヤルマルの耳のことが気になって仕方なくなってしまったことを白状した。
 オランローの説明を聞いたヤルマルは、ひとしきり笑いの発作に襲われた後、
「それでさっきから、ボクの耳に触ろうとしてる気配があったんだね」
「だけどあんたは、オレの手に触られまいと耳を動かしていただろう」
「あ、そうなの? 触られそうになったら動かすのは、無意識でやってるからなあ」
「無意識で耳が動くのか!?」
 前代未聞の発見に、オランローの目がクワっと見開く。耳が動くだけでも驚きなのに、本人が意識してないとは、オランローの想像の範疇を遥かに凌駕していた。
「うん、勝手に動いちゃうんだよね。気になる音があると思ったら、それを集中して聞き取ろうとするってことは、君にもあるだろう? ボクの場合、そうやって集中すると自然に耳がそちらに向いちゃうんだよ」
 文字通り、ヤルマルは耳を傾けて音を拾い上げていると言う。
 それと同様に、耳は他人に触れられたくない場所であるために、何かが近づいてくると意識せずとも耳を避けるように動かしてしまうのだと、ヤルマルは説明してみせた。
……でも、あんた、オレが角で触った時は逃げなかっただろう」
「あれは、君が触ろうとしてるって分かってたからだよ。いきなり掴まれたりしたら、流石に怒るよ」
 ヤルマルの頬がかすかに赤みがかったのは、アウラ族にとって角を擦りつける行為は特別な親密さを表す振る舞いだと知っているからだ。知らなかった当時のことを思い出すと、つい照れてしまうのである。
「森の中で暮らしてた時は、耳を動かした時のわずかな空気の動きも獣に気づかれることがあったから、耳はなるべく慎重に動かすようにしてたんだけどね。家にいると、どうしても気が抜けちゃって」
 ヤルマルはここぞとばかりに耳をひくつかせ、傾きを変えて見せる。ひとしきり耳が動く様子をオランローに見せた後、
「これで満足したかな。ヤルマルさんの耳の秘密はもう品切れだよ」
「ああ。大体わかったが、一つだけ聞かせてくれ」
 オランローの脳裏には、飼い主に頭を撫でられてぺったりと耳を頭に貼り付けるようにして寝かせていたクーちゃんの姿がよぎっていた。
「あんたも、頭を撫でられたら耳が寝るのか?」
「耳が寝る?」
「こう、頭に対して水平に……
 オランローが手振りで説明すると、ヤルマルにもだいたい伝わったらしい。自分の手で頭を撫でてみたが、耳は手を躱しているだけで、頭に沿って張り付くようなことはなかった。
「自分だとよくわからないね。兎に似た耳ではあるから、そんな感じに動かそうと思えばできるだろうけど」
「なら、オレがやってみたらどうだ」
 好奇心から、オランローは先ほどの飼い主とうさぎを真似るように、ヤルマルの頭に手を乗せる。
 少し硬さもある濃緑の髪と耳を合わせて撫でるように動かすと、
(こうしたら、耳が寝るのか)
 オランローの大きな手に沿うように、ヤルマルの耳がペタリと寝る。普段はピンと縦に伸びているのを見ることが多い分、耳が地面と並行になるくらい横になった姿は新鮮だった。
「先ほどのうさぎは、飼い主に撫でられて落ち着いていたようだったな。ということは、あんたも落ち着いたら耳が寝るということか……
 目の前の光景を元に自分の推論を裏付けていたところ、
「あ、の、さぁ……
 オランローの手の下から、滅多に聞かないヤルマルの低い声が漏れていた。
 手を退けると、かつてないほどピンと立った耳の下、ヤルマルが眉を吊り上げてオランローを睨んでいた。
「ちょっとは、恥じらいというものを持ったらどうなんだ、君は! いくら耳が気になるからって、そんな手つきで触られたら……っ」
「どんな手つきのことを言ってるんだ、あんたは」
 オランローとしては、ヤルマルの頭を撫でる日が来たらそうしたいと思った手つきを実践していたまでだ。
 優しく、傷つけぬように細心の注意を払いつつ、それでいて目の前の彼女を愛おしむ気持ちをこれでもかと込めて。
 オランローとしては当然の振る舞いだったが、ヤルマルは唇をわなわなと震わせ、何か言いたげに足でタンと床を叩いている。それはちょうど、うさぎが不満を表す時の仕草に瓜二つだった。
「い、い、か、ら! これからボクの耳で遊ぶのは禁止!」
「頭を撫でるのは禁止とは言わないんだな」
「あーもう! オランローなんて知らない!」
 ぶるぶるっとかぶりを振ってから、ヤルマルは一足飛びで階段を駆け上がり、自室へと消えていってしまった。
 残されたオランローは自分の手に視線を落とし、ふ、と口元を緩める。
 あの長い耳が何の抵抗もなくオランローの手を受け入れ、ペタリと横になっていた姿を思い出すだけで、口角が緩んでしまう。その下で褐色の肌を赤に染めてるヤルマルの顔を思い出したら、誰かに会うわけにはいかないほどにだらしない顔になってしまいそうだ。
「ヤルマル。もう耳には触らないから、戻ってきたらどうだ。手紙の返事を書かなくてはいけないだろう」
 仲間たちの手紙をダシにしていることに一抹の申し訳なさを感じながらも、オランローはヤルマルに呼びかける。
 観念して部屋から出てきた彼女は、いったいどんな顔をしているのやら、などと考えながら。