遊悟
2026-06-02 15:47:35
2268文字
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Nocturne


「遊悟」
 ハッと目を覚ませば、そこは明るくなった映画館の座席シートの上だった。
「なんだ、寝ちゃってたのか」
 もう映画は終わったぞ、と隣の席から肩を叩かれる。その顔を見て、遊悟は思わず呟いた。
「陽羽……?」
「ああ」
 陽羽は「なに不思議そうな顔してんの?」と首を傾げる。
「まだ寝ぼけてるのか? ほら、さっさと出るよ」
 スタッフの人が掃除できないでしょと言い添えて、陽羽は遊悟の腕を取って立ち上がらせる。
「まあ、たしかにこの映画イマイチだったなぁ。CM見たときは面白そうだったのに……
 もっとスプラッタかと思ってたのに。迫力が足りないんだよ!
 空になったドリンクの容器をゴミ箱へと投げ入れながら、陽羽はぼやいている。
「特に血がね、安っぽかったよね。いかにも作り物ですって感じ!
 そりゃ、遊悟も眠くなるよね」
……そ、そうか」
 底にかすかに残っていたキャラメルポップコーンを口の中に流し入れて、バリバリと食べきってから、遊悟も慌ててゴミ箱へと容器を投げ捨てた。
「んで、この後どうする? ゲーセン? カラオケ?」
 映画館を出た陽羽は、隣接するショッピングモールに移動しながら、遊悟にこの後の予定を提案してくる。
「ああ、でも、買い物にする? たしかあの漫画の新刊、今日発売だったよね」
「ん~……でもまずは甘いモン食べたい」
 先ほど食べたキャラメルポップコーンは甘さが控え目だった。
 最近は「甘さ控え目で食べやすい!」などという謳い文句が広がっているが、なぜ甘さを控えるのか、遊悟には理解ができない。甘い物だと分かって買っているのだ。どーんと甘くして欲しい。
「また? 本当に甘い物が好きだよね……
 呆れ半分面白半分と言った様子で陽羽は遊悟を見つめてくる。
「うちの兄貴とは正反対!」
「陽羽のお兄さん……
「そう! 俺の自慢の兄貴!」
 陽羽の顔がパッと明るくなる。
「不器用で鈍感だけど……頭が良くて、俺に優しい、最高の兄貴!」
「陽羽はお兄さんのことが好きなんだな」
 男兄弟は喧嘩が絶えないとかよく聞くけど、と遊悟が言うと、陽羽は眉を顰めた。
「なんで兄貴と喧嘩しなきゃいけないの? 俺と兄貴、ちょー仲良しなのに」
 俺にとって兄貴は自慢の兄貴で、俺は兄貴にとって自慢の弟。喧嘩する理由なんてないじゃん。
 そう言う陽羽に対して、遊悟は何か言いようのない違和感を憶えた。
(「あれ……なにかがおかしい……?」)
 他愛ない日常の風景のはずなのに、ボタンを掛け違えたような気持ち悪さがある。
 一体何がおかしいのか。深く考えようとしたところで、陽羽が「あっ」と声を上げた。
「兄貴だ! ねー、兄貴~!」
 ショッピングモールの人混みの中、頭一つ分抜き出た赤いの人影。
 その人影に向かって、陽羽が声を投げる。
「兄貴、こっちこっち!」
 自分に声をかけているのだと気づいた人影が、こちらの方へと振り返った。
……なんだ、陽羽か。どうしたんだ?」
 日本人にしては高い身長。パッと見はスラリとしているものの、服の上からでも筋肉がついていることは分かる体躯。陽羽と同じ、紅色の髪。青紫の瞳は、穏やかで澄んだ光を宿している。
 ほんの少し気だるげで、でも、どことなくお人好しの空気が漂っている、その人物は……
(「ああ、そうか……」)
 遊悟は一度目を瞑ってため息を漏らして。
 そうしてから、困ったような、悲しいような表情を浮かべて、その人物へと語りかけた。
「そっか。これは俺の夢なんだな……なぁ、夜宵」



「遊悟」
 軽く肩を揺すられて、遊悟は目を覚ました。
 そこは見知った居酒屋だった。普段酒を飲まない遊悟でも拒まない、優しい店主がいる店だ。
「夜宵……
 今し方、自分を揺すって起こした相手に対し、遊悟は苦笑してみせた。
「そろそろ閉店時間だからな」
 もうちょっと寝ていたかったかもしれねーが、しょうがないだろ。
 ぶっきらぼうにそう言うと、夜宵は店主に向かって「お会計」と声を投げた。
「気持ちよさそうだったけど、さすがに起こさないわけにはいかなかったから」
「いや……
 遊悟はかぶりを振って、夢の残滓を頭の中から振り払う。
 ―――そう、あれは夢。遊悟が見た、
 ふたりきりの兄弟が、ただただ仲良く過ごしているだけの、平凡で平穏な世界ゆめ
(「そうであれば、どれほど良かったか」)
 弟は兄を慕い、兄もまた、そんな弟を可愛がる。
 そんな穏やかな日々は失われてしまった。弟が罪を犯したその日に、永遠に。
(「俺がいたら、何か変わっていたのだろうか」)
 もし自分がもっと早くふたりと出会っていれば、あの事件は起こらなかったのだろうか……
 遊悟がそんなことを考えてると、支払いを終えた夜宵が軽く頭を小突いてきた。
「痛!」
「まだ寝ぼけてるのか? ほら、帰るぞ」
 ハンガーにかけていたジャケットを差し出され、遊悟も渋々立ち上がる。
「夜宵、あのさ」
「お前が何を考えてるかはしらんが」
 夜宵は先に店から出ていこうとして、ふとその足を止めて。
「今みたいな生活も、決して悪いモンじゃないと思ってるぞ」
 それだけ言うと、カラリとドアを開けて出て行ってしまった。
……バレてら」
 眠っている間に、どうやら余計な寝言を言ってしまっていたらしい。
 「夜宵には敵わないな」と呟いた後、店主に寝落ちてしまった詫びを入れ、遊悟も店を後にしたのだった。