きなこ湯
2026-06-02 08:20:35
3477文字
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膝上のtesoro


カルカノーレの記念日を任務先でお祝いする候補生の話。
カルカノ記念日おめでとう!switch版が世の中に出てすべてが“嘘”になる前に書きました。すべて拡大解釈と捏造です。


「ほらドゥーチェ、口を開けて?」

 カルカノーレは満面の笑みを浮かべてそう言った。躊躇いなく差し出されるフォークと楽しげな顔とを交互に見返し、私は口の端が引き攣りそうになるのをどうにか堪え、なるべく穏当な抗議の意を込めて片手を掲げる。

「カ、カルカノーレ」
「なーに」
「自分で食べられる。……いや違うな。そうじゃなくて、これはカルカノーレのためのケーキだよ」
「うん。オレがこうしたいんだ。今日はオレの記念日で、オレの希望がもっとも優先される日だろ? だからドゥーチェ、キミがオレの望みを叶えてよ。美味しいものは共有すればもっと美味しい。そう思わない?」
「それは…………わかった。カルカノーレがそうしてほしいのなら、私は構わないけど」

 けれど。喜色満面でフォークを差し出す手をもう一度制止し、黄金比の笑顔に気圧されながら、どうにか首を横に振る。
 今日はカルカノーレが定めた記念日だ。一般的な祝福の意を込めて、カルカノーレの願いを叶えるのはやぶさかでない。本人がそうしてほしいと望むなら、私はできる限り応えるべきだろう。

 でも。
 でも、この体勢でいる必要はないはずだ。

 エメラルドグリーンの瞳が悪戯っぽく細められるさまを間近に見下ろし、どうにか嘆息を呑み込んだ。今のカルカノーレは愛用の帽子や軍服の上着を脱ぎ、黒いシャツにネクタイを緩めたラフな格好だ。普段は意外とかっちり着込んでいることが多く、惜しげもなく晒された白い首筋のラインが嫌でも目に留まる。なぜだか見てはいけないものを目の前にしているような気分で、視線のやり場もなく右往左往した結果、私に向けて差し出されるフォークの先に行きついた。

「ほら、ドゥーチェ。あ~ん」
「あの、だから、私がこの体勢でいる必要って――ぁぐ、」
「どう? 美味しい?」
……おいしい」
「それはよかった!」

 良くない。いや、ケーキの味は良いけれども。
 思わず退きそうになった腰を、カルカノーレは空いた手で目敏く抱いた。ぎくりとすぐそばにある綺麗な顔を見下ろすと、カルカノーレは小首をかしげて微笑んでいる。何度目かわからない嘆息を口の中に残ったクリームと一緒にどうにか呑み込んで、私も曖昧に笑った。こうなってはもう笑うしかない。
 ――どうしてカルカノーレの膝の上に座らされているのだろう?

 任務先、連合軍が用意したホテルの一室にふたりきり。もちろん寝泊りする部屋はふたつ用意されている。こちらはカルカノーレにあてがわれた部屋だ。明日はフィルクレヴァートに向かう午後発の特急列車を押さえている。それ以外に予定がないのは、カルカノーレの定めた記念日と今日の任務が運悪く被ってしまったからだった。つまり、明日午前中の空き時間は今日の埋め合わせも兼ねている。
 とは言え当日にお祝いもしたい。今日の作戦後、閉店間際のスイーツショップに駆けこんで買ったショートケーキがふたつ、サイドテーブルの上に行儀よく並んでいる。
 ホテルの部屋に入って早々、カルカノーレはうきうきとケーキボックスを開け、ソファに座り、自分の膝をポンポンと片手で叩いてあっけらかんと言い放ったのだ――「さあドゥーチェ、オレの近くに来て?」

 貴銃士カルカノーレ、イタリア王国にて採用されたボルトアクションライフルCarcanoの化身。長らくイタリア陸軍にて制式採用されていた銃の化身らしく、カルカノーレの普段の装いは軍人然としており、作戦時にも熟達した身のこなしを見せる。多少の例外こそあるが、ほとんどの貴銃士が己の銃を過不足なく扱える肉体をもって現れる法則に従って、カルカノーレもその優しげなルックス以上に物理的な力が強い。純粋な力勝負では当然ウェイトも負けているし、なかなか抵抗が難しかった。そう、単純に力や体格の差で押し負けて、私は今、カルカノーレの膝の上に座らされている。

「そうむくれた顔をしないでよ、ドゥーチェ」やたら甘ったるい声がクスクスと笑う。「可愛い顔がもったいない。せっかくのふたりきりなんだからさ、もっとリラックスして、オレに心を許してほしいな」
……そういうこと言われると余計に緊張する」
「へえ? そっか、緊張してるんだ?」

 私を逃がすまいと腰を抱いていたカルカノーレの片手が動き、下から背筋をなぞってゆく。こちらをからかう意図の強い指先に、私はどうにか悲鳴を吞み込んで、なるべく毅然とカルカノーレの顔を見返した。

「記念日をお祝いしたい気持ちは本当だよ。けれど、こうやって好き勝手に遊ばれていい気分はしない」

 今のカルカノーレの言動に過度な悪意が含まれているとは思っていない。多少のからかう言葉もカルカノーレなりのコミュニケーションなのだろう。けれど、それに慣れているほど私は器用な人間ではないし、これから先も上手く躱せる自信はなかった。
 宝石のような輝きを宿す瞳がまっすぐに私の顔を見返している。わずかに見開かれた目はどこか獣じみた無垢さがあるように見えた。カルカノーレの相方ベネッタも似たようなものだが、私の知るイタリア銃の貴銃士は思わず見惚れるくらいに綺麗で獰猛な、大人しい猛獣だ。敢えて手綱を握らされている、その力関係を見誤ると痛い目を見るのは私なのだから。

 カルカノーレは私の顔を見返したまま何度かゆったりと瞬き、ようやく口を開いた。

「残念。オレってまだ信用ないんだな」

 薄いくちびるがわずかに弓のかたちを作る。言葉そのものは自嘲にも似ていたが、その声はどこまでも穏やかで平淡ですらあった。
 返す言葉を探してから、慎重に口を開く。

……確かに、信用は足りていないかもしれない。私たちにはまだ多くの対話が必要だと思う。でも、」

 ――陽光の国、眩しいくらい青い海を横目にナポリを必死に駆け回ったあの日。一度目の出会いは彼らの手のひらの上で転がされた、苦い記憶だった。けれど二度目は相応の覚悟をもって対峙していたと思う。私はこの先どんなことがあっても、あの日の選択を後悔しないだろう。自分の意志で選び取ったこちらの道を、必ずより善い正解に繋げてみせると決めている。
 あの場にいた誰もが決して少なくない傷を得た。ベネッタは名誉を、私は覚悟の甘さを、カルカノーレは――あらゆる意味で信用を取りこぼした。

「でも、私の気持ちはあの日から変わらない。あなたを最大限に信じたいと思っている。カルカノーレの言葉を心から信じるために、何度でも疑うよ」

 信じるために、疑う。
 いま私が向き合っているカルカノーレの瞳に、その本心を覆い隠す暗い霧がかかっていないだろうかと。隠し事が上手すぎる笑顔の裏に、カルカノーレ自身を軽んじる意図がないか、私やベネッタを恨む心がないだろうかと、注意深く探り続けている。

 エメラルドグリーンの、鉱物のようにつるりとした冷たい輝きを秘める瞳がゆっくりと瞬く。

……ハハ。うん、やっぱりキミはいい人間だ。あのベネッタがすっかり惚れ込むのもわかるよ」
「ほ、惚れ込むって」
「だからこそ嬉しいな。――今はキミとオレのふたりきりで、他の誰にも邪魔されない時間だ」

 視界の端で、フォークを持ったカルカノーレの片手がケーキの一角を崩す動作がちらりと見えた。あっと思った瞬間にはもう遅く、目の前にひと口のケーキが差し出されている。

「ほら、もっと食べてよドゥーチェ」
「だからこれは……
「はい口開けて~」
「んぐっ」

 半ば強引に差し込まれたケーキをどうにか口の中に収める。せっかくカルカノーレのために買ったケーキなのに、これでは私が食べるばかりじゃないか。そう抗議の意を込めた目線でカルカノーレの顔を見返すと、エメラルドグリーンの瞳がゆるく細められ、それから――

――っ、は。え?」
「うーん。甘くて美味しいね、ドゥーチェ♡」

 私の口の端についたクリームを躊躇いなく舐め取って、カルカノーレはさぞ楽しそうに笑ってみせた。

「なっ……なんっ、カル、カルカノーレッ!」
「アッハハ! そんな顔しないでよ。ほら、毒なんて盛ってなかっただろ?」
「い、今更そんなこと疑ってないよ……
「それに、美味しいものは共有すればもっと美味しい」
「じゃあ普通に食べようよ……
「ああ、可愛い人。そんなつれないこと言わないで」カルカノーレは私の手を持ち上げて、指先にそっと口づけた。「――ね、オレのtesoro」