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ayashigure
2026-06-01 23:34:14
5803文字
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寂しい兎のコンチェルト
かつての思い出を語るファルカの言葉からクリプスの名前を聞いてしまい、思わずファルカを避けてしまうローエン。
そんなローエンの話をガイアは聞いてやるが結局二人はファルカに呼ばれてしまう。
クリプス←ファルカ←ローエンの一方通行話。根底はルカエンです。
帰郷者イベントの時間軸になります。
「クリプスも同じように試したところ、何度も俺を褒めてくれた。そして俺の想いつきを、正式なレシピに加えたんだ」
旅人とファルカが話している声が風とざわめきの中から聞こえてくる。
長い遠征から帰った騎士達とそれを出迎える騎士達の歓談。そしてこの場の楽しげな雰囲気。それを静かに満喫していたはずのローウェンは、聞こえてきた名前にふと動きを止めた。いつの頃からだっただろう。その名前を聞くだけで胸の奥が痛みに襲われるようになったのは。
声が聞こえた方向を見るとファルカと旅人が話している。ファルカの手にはカクテルらしき物があり、旅人が作ったものであることも伺えた。酒が入れば昔話もさぞかし花が咲く事だろう。それを考えるだけでローエンの胸にはちくちくとした棘が幾つも刺さっていくのだ。
聞きたくないし、そうして懐かしそうに"彼"のことを語るファルカの姿は見たくない。ツンとした感覚が鼻の奥から突き抜けてくる。苦しい。どれほどの苦痛に耐えられたとしてもこの感覚にだけは慣れることができない気がした。
「大団長の所には行かないのか?」
ふと声をかけられてゆっくりと振り返れば、そこにはやたらと察しの良い騎兵隊長の姿がある。そう言えばこの人物も彼の関係者だ。
「別に、いつも傍にいるわけじゃねぇよ」
短くそう言い捨てればガイアは少し苦笑したようだった。最初にこの想いを目の前の人物に悟られたのは遠征前のことだ。出発前に、遠征隊が帰るまでにはある程度区切りをつけた方がいいとまで忠告混じりの助言までされてしまった。
自分もそのつもりだった。遠征隊に選ばれるにしろ、外されるにしろ、何らかの決着を着けるはずだった。けれど思った以上にそれは上手くいかず、頭を抱えたくなる日々もあれば、大声で泣きたくなる日だってあった。
自分が器用な自覚はある。それなのに上手くいかない。想いを告げようとしては言葉に詰まり、傍にいる時は平静を装うしかない。
ただ一言好きだと告げるだけのはずの言葉が難しい。戦いの時に次の一振りを考えることの方が余程簡単だ。
「クリプス様の名前が聞こえたのがそんなに気になるのか?」
まるで他人のように養父の名前を口に出すガイアを見て、ローエンは大きく溜息をついた。彼の察しの良さに時々うんざりすることもあるが、本音で話しやすい相手ではある。
だからローエンはしまっておいた言葉をガイアの前に投げ出すことにした。
「
……
死んだ人間にはさ、敵わねぇだろ?」
自分にしてはあまりに頼りない声になってしまったその言葉に、ガイアは目を見開いていてこちらを凝視してくる。その反応を見て言ってしまった事への後悔がふつふつと湧いてきた。
「気持ちは分かるが、一つ言うならお前らしくはないな」
「分かってるって。でも、今は無理。聞きたくない」
ローエンは苦しげな表情で首を横に振る。その様子は全てを拒絶するかのようであり、ただひたすら苦痛に耐えているようでもあった。戦いで酷い負傷をした時ですらローエンはこんな表情を見せることはない。さすがにガイアもそれに眉を顰める様子が見られた。彼にそんな反応をされるのはローエンにとっても本意ではないが、かと言って誰にこの話をできるのかも分からない。今は少しでも感情を吐き出す先が欲しかった。
「ふむ
……
丁度いいし奢ってやろうか?」
そう言ってガイアが視線で指した先にはファルカと旅人がいる。話が一段落したのか、あの目立つオーダーメイドのジョッキでファルカは酒を飲んでいるようだった。今ならば二人がいる所に行っても聞きたくもない話を聞くこともないだろう。もしかしたらガイアはローエンをここで待たせて酒だけオーダーするつもりかもしれない。どちらにせよ、ファルカが二人を見かけて声をかけないはずがないので、彼から逃れることはできないはずだ。
そもそも、毒や薬に耐性のあるローエンはアルコールで酔うということができない。それを今まで大っぴらに言ったことはなかったが、アルコールで苦痛を忘れるということが出来ない不便さは身に染みている。だからと言って耐性を付けたことまでは後悔していないが。
「酔えないもん飲んでも慰めにはなんねぇよ」
「そうだったか。それは難儀だな」
たったそれだけを告げれば察しの良い彼は全てを悟ったらしい。ローエンも全て話さずともガイアは察してくれるだろうという予想の元で話している。この二人が会話を交わす時は最低限の情報だけで会話が成り立つのだ。無駄に情緒的なやり取りをしなくていいのはローエンにとっては楽でいいし、ガイアもそんな気安くて効率的な関係性を悪いものとは思っていないようだった。それに察しの良い人間特有の一線を越えてこない振る舞いはローエンにとって好ましい。特にこんな時、ガイアは必要以上には踏み込んでこようとはしなかった。
今日はこんなところで退散するか、とローエンが思ったその時だ。
「お、ローエン、ガイア。お前等そんな所でどうした。こっち来い!」
二人が話しているところが遠くからでも見えたのだろう。ファルカがこちらに向かって手を上げているのが見えた。そんなファルカの前で、楽しく会話をしていただろう旅人もにこにことこちらに視線を向けている。いつもならばファルカに呼ばれれば喜んで付き合ったかもしれない。旅人ともそこまで会話をしたことがあるわけではないし、噂の栄誉騎士という人物がどんな価値観を持っているのかも気になるところだ。だが、ローエンはどうしてもそこに合流する気分にはなれなかった。
珍しく躊躇うような表情を見せたローエンの顔をガイアが僅かに覗き込む。
「ほら、呼ばれてるぜ?」
「お前もな」
そうとだけ返し、ローエンは喧噪から離れるように歩き出した。
「行かないのか?」
「用事があるってことにしといていいぜ」
ひらひらと手を振りながら振り返ることなく去っていく背中に、遠くからそれを見ていたファルカと旅人が顔を見合わせる。ガイアはそんな二人を安心させるかのように二人に近付きいつも通りに話しかけた。自分も飲みたいと旅人に注文をすれば、旅人も再びシェイカーを振ってファルカとガイアを楽しませてくれる。
だがファルカは何も言わずに去っていった背中が向かった方向を見て、少しだけ眉を顰めるのだ。
△▼△▼△
「はぁ
……
」
夜のシールド湖から吹き抜けてくる風に当たり、ローエンはらしくもなく溜息を漏らした。こんな憂鬱な気分で宿舎の自分の部屋へと戻る気にはなれない。久し振りに目の前にしたシールド湖は相変わらず澄み切っていて豊かな水を湛えている。それを見ると少しだけ気分が晴れるような気がした。だが、聞き慣れた足音が耳に届いたと同時にローエンは顔を上げる。隠すことなく近付いてくる気配と足音に心臓が高鳴った。期待してしまう自分が心底嫌で、こんな事だけ動揺してしまう自分を殴りたくなってしまう。
そして、ローエンが察知した通りの人物─ファルカの姿が現れた瞬間に、ローエンは分かっていても目を見開いてしまった。
「おお、いたか。ローエンどうした?」
見慣れてしまった長身が現れ、精悍な顔立ちに優しげな笑みを浮かべて見下ろしてくる姿にまた鼻の奥がツンとした痛みに襲われる。きっとあの歓談の場に自分もいたかった事だろうし、他に気遣うべき部下もいたのかもしれない。それなのに自分の所に来てくれるファルカの存在と選択が何よりも嬉しかった。
「ファルカ、なんでここに?」
「お前の元気がない気がしたからな」
「
……
そんだけ?」
笑いかけてくるファルカが告げた言葉にローエンは裏返った声で問う。自分の元気がなかったから。ただそれだけの理由で、ファルカが好きな賑やかな場から離れて来てくれた。先ほどの痛みなど嘘だったかのように、胸の奥からぽかぽかとした感覚が湧き上がってくる。多幸感に包まれて笑みが浮かんでしまいそうなところを必死に繋ぎ止め、自分の表情があまり見えないようにと俯いた。
それに勘違いをしたのかファルカが顔を覗き込むように優しく語り掛ける。
「他に理由が必要か?」
「ずりぃの
……
」
たとえ一番目ではなかったとしても、こんなに大切にされてしまったならば勘違いするなという方がおかしいとすら思えてきた。優しい声も、肩に触れる優しくて大きな掌も、ローエンの中に存在している分厚い氷を溶かしきるには十分だ。
だからローエンは顔を上げようとした。今ならば言えるような気がした。だが、それより先にファルカが口を開く。
「そういやお前、クリプスのことが好きだったのか?」
「は?」
一瞬、ファルカが何を言っているのか分からなかった。誰が、誰を、好きだと言った?
「いや、あいつのことを話してると俺を避けるだろう? だからなんとなくな」
確かにローエンはクリプスの話題がファルカの口から出る度に避けてきた。それはファルカの口からその名前を聞きたくなかったからだ。自分の知らないファルカを知る人物。自分が生まれる前からファルカを知る人物。それは嫉妬の対象だった。
自分がその席に座れたらどんなに良かったことだろう。年の差を意識することはほとんどないが、このことに関してだけは年の差が忌まわしいとすら思えた。
だから避けてきた。なのにどうしてこんな事になっているのだろう。
「俺
……
」
「言うな言うな。あいつに初恋なんてよく聞く話だしな。だが残念だったな。あいつは俺の想い人なんだ」
「へ
……
?」
その瞬間にローエンは頭が真っ白になった。聞きたくないと防衛本能が働いたのかもしれない。思考も何もかも停止して、ただファルカの言葉が脳内で何度も反響しているような気がした。
誰が誰を好きで、誰が誰の想い人なのか─。
「今じゃ思い出しか残ってないし、実際に恋仲になったわけでもない。でもその思い出ですら渡せないんだ。悪いな」
少しだけ視線を反らして告げるファルカに、ローエンは指先から凍り付いていくような感覚を覚えた。息が上手くできない。こんな話は聞きたくない。それなのに、声を出すことも制止をすることも叶わない。ただその先を聞きたくなくて、苦しくて、目の前が滲んでいくままに任せた。
ファルカはそんなローエンの様子に気付いていないのか、真剣な表情でただひたすらに言葉を紡いでいく。真剣だからこそ気付いていないのかもしれない。自分が部下に想われているなどファルカは考えてもみなかったのかもしれない。けれどローエンにとってはそれが一番苦しかった。
「それにお前はまだ若い。もういない奴のことは忘れて
……
」
「ばっ
……
馬鹿野郎!!」
やっとファルカの視線がローエンに向いたその時、ローエンは衝動に任せてファルカの右頬を思い切り殴りつける。いつもより力は入らなかった。思い切りではあるが、渾身の力ではなく、いつもの彼に比べたら弱々しいものだったはずだ。けれど完全に油断してファルカはその勢いに任せて尻もちをつく。
「ロ、ローエン?」
何が起こっているのか分からないという表情で、呆然と見上げてくるファルカをローエンは睨みつけた。何でこんな想いをしなければならないのだろう。心底そう思いながら、全ての感情を投げ捨てるかのように叫んだ。
「なんでそうなるんだよ! 俺がクリプスさんのこと好きなわけねぇだろ! ほとんど話したこともねぇのに!」
話したこともない遠い人というのがローエンの中のクリプスの存在だ。彼がまだ子供だった頃、同じように子供だったディルックとガイアを連れていた時にすれ違ったことがある。その程度の存在であり、自分の知らないファルカの時間を知る人物だった。
嫉妬し、羨望の目で見ることがあったとしても、そういった好意を抱くような相手ではない。
苦しかった。よりにもよってなんで自分がクリプスのことが好きなことになっているのか。そして最も聞きたくなかったのは、ファルカがかつてどころか今も想っているということだ。知らないままでいたかった。それならば、意味のない希望もまだ持っていることができたのかもしれない。それなのに、その僅かな希望さえも打ち砕かれてしまった。
唇が、手が、震えるて止まらない。どうすればこの感情の渦を止めることができるのかも分からなかった。
もう全ては止められなかった。
「そうなのか? 俺はてっきり
……
」
「俺が好きなのはお前だよ、ファルカ! そんくらい気付け鈍感オヤジ!」
感情の昂りで掠れてしまった声で叫べばファルカは目を見開いてローエンを凝視する。その思ってもみなかったという反応が、信じられないと言いたげな表情が、何よりもローエンを傷つけた。浅く呼吸を繰り返す音が、しんと静まり返った夜の空気の中でやけに響いているような気がした。
「なんで
……
なんで
……
」
ぼろぼろとローエンの双眸から大粒の涙が零れる。もう自分が何を感じているのかも分からないほどに感情の渦は荒れ狂って、ぐちゃぐちゃにその心を傷つけていった。泣き喚いて、ファルカを言葉のままに責めてしまえばこの心は救われるのだろうかとも思う。だが、そんなことで救われるような想いでもないことはローエン自身がよく分かっている。
「お、おい、ローエン? お前
……
泣いてるのか?」
「うるせぇ! ファルカなんか
……
ファルカなん、か
……
っっ
……
」
嫌いだと言おうとした。けれど、どんな理由があったとしてもファルカを嫌いだとは言えなかった。言葉にすることが許せなかった。
だからローエンはその場から逃げるように走り出す。ファルカの手の届かないところへ行かなければならない。ファルカの声の届かないところへ行かなければならない。そして、見えないところで思い切り泣こうと思った。せめて、ファルカの前でこれ以上無様なところを見せたくはなかったのだ。
「まて、ローエン!」
ファルカの声が背後から追ってくるのが分かる。でも逃げなければならない。モンドの風に誰よりも愛された男に捕まらないよう、ローエンはひたすらに全力で走り続けた。
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