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2222(にし)
2026-06-01 23:09:23
8560文字
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7/5新刊サンプル 『同じ釜のメシ』
7/5こへ長プチオンリーで頒布予定のサンプルです。
こへ長と食べ物に関する、3000字程度の短編を6本ほど収録予定です。
※年齢操作有
※未推敲のため、予告なく内容を変更する場合があります。
小平太は甘いものが嫌い? の段
「
……
では、今回も頼む」
「ああ! ありがたくいただくぞ!」
木皿に乗せられた焼きたてのボーロを、小平太はためらいなく手に取った。ほんのりと温もりの残るそれを、大きく齧る。
もぐもぐと咀嚼する小平太の様子を、長次はじっと見つめていた。穴が開くほどの視線を向けられても、小平太は気にする様子もない。やがて、ごくんと喉が上下する。
「⋯⋯うん! いつものことだが、長次のボーロは本当に美味いな!」
「学園長先生に、ご友人への手土産になるものをと仰せつかっている。⋯⋯これをお出ししても、問題ないだろうか」
「問題ないに決まっている!! 許されるなら、私が全部食べてしまいたいくらいだ!」
屈託のない笑顔とともに放たれた言葉に、長次はわずかに表情を緩めた。
長次はボーロを作る時、必ず小平太に試食を頼んでいる。
勝手知ったる同室だからというのもある。それ以上の理由としては、小平太がいつも美味しそうに食べ、うまいと笑ってくれるからだ。普段より甘い、少し焼き過ぎている、といった的確な助言もくれるが、どんな出来だったとしても小平太は長次が渡したものを残したことはない。自分が作ったものを目を細めて味わってくれる存在がいるということは、本当に作り手冥利に尽きる。だから長次は、小平太に試食を頼むのだ。
ある日のこと。
校庭を歩いていた長次は、ふと見覚えのある後ろ姿を見かけた。
(
……
小平太か)
何の気もなく通り過ぎようとして、ふと足が止まった。
小平太の背の陰に、誰かがいる。ちらりと見えた桃色の制服は、くのたまのものだ。気づけば、長次は壁の端に身を潜めていた。
(
……
何をしているんだ、私は)
咄嗟の行動を心の中で叱責しながらも、耳は自然と二人の方へ向く。くのたまは手にした包みを解いて、何かを取り出しているようだった。
「七松先輩! これ、くのいち教室で作ったんです。よかったら召し上がってください!」
「なんだ、これ? 菓子か?」
「はいっ! 七松先輩がたまに召し上がっているのをお見かけして。よろしければどうぞ!」
弾んだ声に、差し出されたであろう甘味。団子か、それとも饅頭か。長次からは、小平太の背しか見えない。小平太がどんな顔をしているか、わからない。
一瞬の間があった。
「わざわざ持ってきてくれたのか? ありがとう!
……
だが、私は甘いものが苦手なのだ。他の奴に渡してやってくれ!」
「そうですか
……
」
くのたまの声音が残念そうに沈むが、すぐに気を取り直したのか、「では他の方に差し上げますね!」と軽く一礼して去っていった。そして小平太も、くのたまとは別方向へ歩いていった。
長次一人だけが、その場に取り残された。頭の中で、小平太がくのたまに発した言葉が何度も繰り返されている。
(──小平太は、甘いものが苦手?)
思考が凍り付いて止まる。
では、今までの試食は。あれは、すべて。
(私は、小平太に苦手なものの試食を強いていた、ということか
……
)
ぐるぐると、自責の念が腹の底で巡る。
どこをどう通って自室に戻ったのか定かではないまま、長次は布団の上に倒れ込んでいた。体も、頭の中も重怠かった。
「長次? どうした、具合でも悪いのか?」
小平太の声がした気がする。だが、うまく応えられない。曖昧に頷いたのか、首を振ったのかもわからない。
そのまま夕餉も取らず、風呂にも入らず、長次はいつの間にか眠りに落ちていた。
(後略)
一年生の焦げ焦げボーロ
校庭を歩く足取りは軽かった。
身に纏う一年生の制服の色のような青空に、程よく乾いた風。授業も一段落つき、委員会活動もない落ち着いた午後。さて、何をして過ごそうかと小平太はのんびりと空を仰いだ。
その時だった。
嗅ぎ慣れないにおいに、くん、と鼻先が動く。
……
焦げ臭い。それも、ただの焦げではない気がした。油か何かが燃えているような、鼻の奥に張り付くにおい。平穏な学園に似つかわしくない、剣呑な気配だ。
顔を上げ、風の向きを確かめると一気に駆け出した。においは強くなる一方で、その行く手には食堂が見えた。裏手に回ると、出窓からもくもくと煙が流れ出ている。
小平太は勢いのまま、勝手口から調理場へと飛び込んだ。
そこにいたのは。
「えっ、長次!?」
顔面蒼白の長次と、今まさに何かを焦がしながら黒い煙を上げる鍋だった。そういえば、食堂のおばちゃんが留守の間に何か作るって言ってたっけ。いや、今はそれよりも。
「小平太、これ、どうしよう⋯⋯!」
長次は完全に動揺していた。手は中途半端に宙に浮いたまま、目は小平太と鍋とかまどを彷徨っている。どう動けばいいか、まるでわからなくなっている様子だ。
鍋の中の何かがぼこぼこと膨れて木蓋を押し上げ、炎が鍋肌を舐めていく。
「火が強すぎるんだ!」
小平太は慌てて火かき棒を掴み、かまどに突っ込んだ。だが、素人の対処でどうにかなる勢いではない。むしろ空気を煽ったせいか、炎はさらに強くなった気さえした。
「うわっ!?」
「どうしよう、どうしよう
……
!」
焦りが焦りを呼び、頭が真っ白になる。
その時、入口の戸ががらりと開いた。
「あらあら大変! どうしたの?」
「おばちゃん!」
現れたのは、食堂のおばちゃんだった。ちょうど買い出しから帰ってきたところなのか、食材のたっぷり詰まった背負子がどさりと土間に投げ出される。
「あの、私、鍋が
……
」
長次の言葉は途中でしぼんでいくが、おばちゃんは狼狽える一年生と鍋と煙を見て、一目で状況を理解したらしい。
「大丈夫よ。中在家くん、七松くん、かまどから離れて」
落ち着いた声に促され、小平太と長次は慌てて一歩下がった。
おばちゃんは迷いなくかまどの前に立つと、積まれていた薪を手際よく崩していく。燃え盛る火の根元から、燃料を断つ。みるみるうちに炎の勢いが弱まり、やがて煙だけがくすぶる状態になった。
「ほら、もう収まった。火は餌がなきゃ大きくならないのよ」
燃えるものが少なくなれば、火の勢いは弱まる。焦った頭ではそんな当然のことすら思い至れず、長次はしゅんと肩を落とした。
「ごめんなさい
……
」
「いいのよ。火事も怪我もなかったらそれで十分」
おばちゃんはにっこりと笑い、それから少しだけ声色を変えた。
「でも、焦げた鍋は自分で洗っておいてね」
「
……
はい」
小さく返事をする長次に、小平太は思わず苦笑した。
井戸のそばで、水の跳ねる音が規則的に響いている。
長次は、無言で鍋を擦り続けていた。真っ黒に煤けた鍋底の焦げを、必死に削り取っているのだ。
その傍らに、長次が作っていた『何か』の残骸があった。
外側は炭のように黒く、ところどころひび割れている。しかし割れ目から覗く内側はどろりと生焼けのまま固まっていない部分もあった。何とも言えない有り様の何か。辺りに漂う焦げたにおいの中に、僅かに感じる甘さ。小平太はしゃがみ込んで、それをじっと見つめた。
「なあ、これ何だ?」
鍋を擦っていた手が止まる。少しの沈黙の後、長次はぽつりと答えた。
「
……
ボーロ」
「ぼーろ?」
「この前、委員長が振る舞ってくださったお菓子
……
」
ああ、と小平太は思い出す。先日、委員会活動から戻ってきた長次が興奮気味に語ってくれた。南蛮書を読み解いた図書委員会委員長が、書かれていた材料と製法で再現したという、甘い菓子。相当に美味かったのだろう、長次は両の頬を押さえて夢心地の顔をしていた。まんじゅうとも団子とも異なるまろやかで優しい甘さがあり、ふんわりと軽い黄色い生地は口の中でとろけるようだった、と。
「もう一度食べたいなって、思ったんだ」
長次はうつむいたまま続ける。
「でも、本は禁書棚にあって私はまだ見られない。委員長に聞くのも、なんとなくできなくて
……
」
だから覚えた、と長次は言った。委員会の上級生の会話から、材料と製法を必死で思い出した。決して多くない小遣いから砂糖を買い、卵や牛乳はどうにか分けてもらって。
──そして、その結果が目の前にある。
「
……
うまく、できなかった」
長次の声は震えていた。ぽたりと鍋に落ちたのは、きっと水ではない。
(後略)
三年生(タイトル未定)
団子は見た目ではわからない。
色も、形も、串の打ち方も、ほとんど同じ。けれど、一口食べれば違いははっきりする。
「んー
……
」
長次は目を瞑り、ゆっくりと咀嚼した。膏薬の貼られた頬がもぐもぐと動く。
「長次、どうだ?」
留三郎が身を乗り出す。仙蔵は腕を組み、伊作は興味津々といった顔で覗き込んでいる。
「さすがに難しいだろう」
文次郎の言葉に、伊作が首を振った。
「でも、長次ならできちゃうかも
……
!」
長次の前には、団子が三本。はた目では同じように見える団子を一本ずつ手渡され、丁寧に味わっていく。歯と歯茎に感じる噛み心地と粘り気。喉に落とすまでの間に、口全体に広がる甘みの質や粉の練り具合を探る。
最後の一口を飲み込み、長次は静かに目を開いた。
「
……
一番初めが峠の団子屋さん。次は堺の、最後は街に最近できたお店の、だと思う」
場がしんと静まり返る。一拍遅れて、わっと歓声が上がった。
「すごいな! 全部当たってるぞ!」
「やはり、長次は味覚が優れているな」
「見た目はほとんど同じなのに、どうしてわかったの?」
口々に上がる声に、長次は少しだけ肩を竦めた。
「甘さと食感。峠の団子屋さんは、甘すぎず団子そのものの味を残してる。堺のお店は甘みが強いけど、少し粉っぽい感じがする。最後のは
……
水が多くて柔らかすぎるから」
「そんなところまでわかるのか
……
」
ぽそぽそと呟かれる説明を聞きながら、文次郎は感嘆の息を漏らした。
「長次、保健委員会に来ない? 君の才能、薬作りや毒見に絶対向いてるよ! ちょうどこの後、委員会活動で毒薬について学ぶことになってて
……
」
「おい伊作、物騒な勧誘はやめろ!」
笑顔で穏やかではないことを言い出す伊作を、留三郎が慌てて制する。笑いがひとしきり起きた後、ふと仙蔵が言った。
「それだけ味がわかるのなら、料理も上手いのだろうな」
その言葉に、長次はわずかに眉を顰めた。
「
……
どうだろう」
歯切れの悪い返事に、四人は顔を見合わせる。
「何かあるのか」
文次郎が言うと、長次は小さく息をついた。
「小平太と、食事当番を共にすることが多くて」
その瞬間、全員の脳裏に同じ映像が浮かんだ。
『小平太、それはまだ入れないで! その前に野菜はしっかり洗わないと
……
!』
『細かいことは気にするな! それより私、腹ぺこなんだ! これなんか、もう食べていいよな!』
『肉は赤いまま食べちゃだめ!!!!!!』
どたばたとしたやり取りに、鍋から立ち上る湯気。半ば奪い合うようにして進む調理。夕飯を作る時に、頻繁に見かける光景だ。
三年ろ組の、中在家長次と七松小平太は同室である。細かいことを気にしない小平太と、マイペースながらも我が強い長次。正反対に見えて何故だかうまくいっている二人だが、時折──特に調理時は、衝突することも多い。
「
……
大変だな」
「だろう」
同情の目線に、長次は肩を落とした。
「だが、小平太のやり方の方が、時に忍びとしては正しいのではないか」
「文次郎!」
仙蔵が咎めるが、文次郎は腕を組んだまま続ける。
「ひとたび任務に出れば満足な食なんて取れない。味の濃淡も、品の多少も選べんのだぞ」
「おい文次、そういうことを言ってるわけじゃねぇだろ!」
「
……
いや、それもそうだ」
突っかかる留三郎を遮り、長次は俯いた。文次郎の言うことは当然だ。いかに早く作り、何でも食べられる方が、生き延びられる可能性が高い。
「でも、せっかく食べる時間があるなら
……
私は美味しいものを食べたいし、美味しいものを食べてほしい、と思う」
長次は、今ここにいない小平太のことを思った。耳を澄ますと、裏山で鍛錬に励んでいる体育委員会の掛け声が遠く聴こえてくる。
学年が上がって、小平太の体育委員会での活動はさらに過酷なものとなっている。体を動かすことが何よりの楽しみである小平太本人は喜んで参加しているものの、さすがに上級生についていくことは骨が折れるらしい。へとへとになって帰ってきて、ぼろ雑巾の如く部屋に転がっていたことなど一度や二度ではない。
長次自身も縄鏢の鍛錬に励んでおり、日々の食べ物が体を構成することを理解し始めていた。
疲れた時こそ美味しいものを食べたい。良い体を作るためにも、美味しく滋養のあるものを食べてもらいたい。
長次が食に拘るのは、こうした側面もあってのことだ。
文次郎は口をへの字に曲げたが、留三郎、伊作、仙蔵は頷いた。
「一理あるな」
「うん、せっかくのご飯だもんね」
は組の二人が同意してくれたところで午後の鐘が鳴り、会話はそこで打ち止めとなった。
(後略)
四年生の焼き魚
水面がきらきらと光っている。夏の日差しが川に差し込み、風が吹くたびに細かい波が広がっては消える。
その川べりに、長次が立っている。
「なあ長次」
呼びかけても長次は振り返らず、じり、と一歩踏み込んだ。澄んだ水の中に、数匹の魚がすいすいと泳いでいるのが見える。
長次が手にしているのは釣り竿ではない。縄鏢だ。縄の先に鋭い金属が付いた、扱いの難しい武器。長次はそれを、水中の魚に向けている。
「それで魚を獲るつもりなのか?」
「
……
鍛錬だから」
短く返ってきた声は、淡々としていた。
鍛錬。長次がそう言うのなら、そうなのだろう。難しい武器を扱うための特訓。長次は一年生の頃から、見様見真似で縄鏢を振り回している。成果が出なくても、顔に二度の大怪我を負っても、長次は縄鏢を決して手放そうとせず、最近になってようやく様になり始めてきたように思う。僅かでもコツを掴もうと、私との手合わせでがむしゃらに打ち込んでくる長次はとても迫力があり、それと向き合うのはとても気持ちの良いものだった。
だが、だからといって魚相手に縄鏢というのは、さすがに無謀すぎる。
水の抵抗、魚の素早さ。どれをとっても不利だ。
「やめておけとは言わないが、効率は最悪だぞ」
「
……
わかっている」
それでもやるのか。
縄が長次の手元で回り始める。十分に速さが乗ったところでばしゃりと投げ入れられ、水面が大きくゆがむ。鏢が命中する前に魚たちはすいと体を翻し、悠々と泳ぎ去っていく。縄を引いて鏢を回収し、長次はまた縄を回す。
呆れ半分、感心半分で眺めていると、後ろから誰かが近づいてきた。
「二人とも、鍛錬か? 精が出るな」
かけられた声に、長次は素早く振り返って礼をした。私も一拍遅れて向き直ると、五年生の若王寺勘兵衛先輩がいた。図書委員会の、長次の一つ上の先輩。
「縄鏢で魚を獲っているのか。なかなか面白いことをしている」
岸辺の丸い砂利を踏みながら近づいてくる若王寺先輩に、長次はばつが悪そうに目線を反らす。
「
……
はい。ですが、当たりません」
「それはそうだろう! 地上にあるものと水中にあるものは、根本的に狙い方が違う。しかも、魚は動き回っている。長次お前、また難しいことをして
……
」
「では、どうすればよいでしょうか」
長次の口元が、僅かに上がったのが見えた。図星をすらすらと言い当てられたら、直属の先輩といえども堪らない。若王寺先輩はそんな長次の態度にも慣れたものなのだろうか。怒ったり窘めたりすることもなく、そのまま話し始めた。
鏢の軌道、水面からの見え方のずれ、縄の使い方。若王寺先輩の言葉に、長次は食い入るように耳を傾けている。
私は少し離れたところでそれを見ていたが、やがて肩を竦めた。
私の得意武器は、苦無。長次は縄鏢、そして若王寺先輩は棍平だ。先に付けられた重りを飛ばして攻撃する武器のことは、近接戦を得意とする私にはわからない。
……
まあ、中距離のことは若王寺先輩の方がお詳しいよな。
そう思って、その場を後にした。
裏山の斜面で塹壕を掘る。このところずっといい天気だったので、土へ苦無を入れるたびにざくりと乾いた音がする。勢い良く土を掘り返すことは、自分の力と向き合えるし無心になれるから好きだ。
しばらくそうしていると、背後で草を踏む気配がした。
「小平太」
塹壕から顔を出すと、長次が立っていた。手には魚籠を携えている。
「長次、それ」
思わず声が漏れた。見間違いではない。駆け寄って見ると、魚籠の口から銀色の尾が幾つも覗いていた。
「こんなに獲れたのか!?」
長次は静かに頷いた。その顔は、ほんのわずかに高揚している。
「若王寺先輩に、コツを教えてもらったから」
「なるほどな
……
」
納得すると同時に、胸の奥が妙にざわついた。
長次の目が、爛々と光っている。何かを掴んだときの顔だ。鏢が初めて的に当たった時。縄をうまく絡ませられた時。長次はいつも目を輝かせて、私に一番に教えてくれた。でも、そんなに興奮すると、塞がりかけた頬の傷がまた開いてしまうんじゃないか。そんな見当違いのことを考えている間に、長次は重そうな魚籠をその場に置いた。懐を探り、ゆっくりと縄鏢を取り出す。
「
……
試してみるか?」
垂らされた鏢が光って、ごくりと生唾を飲んだ。長次からの、遊びの誘いだ。
──結論から言えば。
その日、私は久々に長次に負けた。
(後略)
五年生の兵糧丸
森の中が、喧騒に満ちている。
霧雨が絶え間なく降り続き、木々の葉を叩いてはかすかな音を連ねている。その静けさを、不自然な響きがかき消していた。
ぬかるんだ土を踏みしめる足音。具足が擦れ合い、絶え間なく交わされる怒号。鬱蒼と茂る木々の間を、足軽たちが右へ左へと走り回っている。
「逃がすな! まだ遠くには行っていないはずだ!」
足軽頭と思われる声が、湿った空気を揺らす。
その騒ぎからほんの少し離れた茂みの奥に、二つの影が潜んでいた。
七松小平太と、中在家長次。
忍術学園五年ろ組の二人は、学園と敵対関係にある城の情報網を断つという忍務を課されている。
密書は既に奪った。あとは撤退するだけ、のはずだった。
一瞬の気の緩み。目的を果たした安堵から、わずかな隙が生まれた。うっかり姿を見られて、この始末。大声を上げられ、蜂の巣をつついたように足軽が湧き出してきた。
追撃をいなしてどうにか振り切り、砦の脇にある森へと逃げ込んだ。そして今、こうして息を潜めている。
身を低くしたまま周囲の気配に神経を研ぎ澄ませている小平太の横で、長次も同じように息を殺していた。
暗い空から降り続く雨は止む気配もなく、衣服をじわじわと濡らしていく。群青色の制服が色を濃くして、重く、冷たく肌に張り付いている。
夜闇に紛れるには都合がいい。だが、体温が徐々に奪われていく。
時間の感覚は既に無い。騒ぎが収まるまで、二人はじっと待つしかなかった。
どれほど経っただろうか。
足軽たちの気配が次第に遠のいていく。怒号は減り、足音がばらけていく。
完全に消えたわけではないものの、先程までの緊迫した包囲は確実に緩んでいる。
小平太はわずかに顔を上げ、長次と目を合わせた。
「
……
撒いたか」
「ああ」
ひとまずは危機を脱したらしい。短い言葉を交わし、抑えていた息を同時に吐き出した。浅かった呼吸が深くなり、肺の奥まで空気が行き渡る。
小平太が首と肩を回すと、固まっていた関節がぱきぱきと鳴った。張り詰めていた気が緩むと同時に、腹の虫も大きく鳴いた。
「
…………
」
長次が剣呑な視線を向ける。決して安全が確保されたわけではない。集中しろ。そう言おうとした口が開く前に、長次の腹も低く鳴った。
「長次、何か持ってないか?」
目元と口の端だけで笑って、小平太は小さく呟いた。問いかけの形をとってはいるが、絶対何か持ってるよなという確信を込めて。
期待に満ちた顔に、長次は無言で制服の襟元に手をかけた。草を擦る音すら出さぬよう慎重に、裏地を探っている。ぷつりと糸の切れる音がして、かすかな衣擦れの後、何かが小平太へと差し出される。
長次の手の上には、数粒の兵糧丸があった。
油紙に包んでから縫い込んでいたのだろう、降り続けた雨にも崩れず、丸い形を保っている。小平太は、特に断ることなく一番大きなものをつまんで口に入れた。
「うん
……
少し湿ってるな」
「嫌なら食べなくていい」
長次が手を引く前に、素早くもう二粒取る。
「嫌じゃないぞ! 長次の作ったものなら何でも美味い!」
(後略)
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