絶対者は、呂岳の手塩にかけた時間を、御自らのそれとまるきり等しく、容易くぽいと
棄てられる。その必死も、時間も手間も、支配さえ超えた領域で、まるり娯楽とするのだ。呂岳に命じた、『胡蝶蘭を“今より美しく”する品種改良』とて、結果さえさして、重視しなくて、だのに結果が相応伴わねば容赦せぬ気ままさで。翻弄するを無自覚だったとて、自覚在るとて、たちのわるい酒であるに相違はない。
呂岳が血反吐の手で品種改良に改良を重ねたなんとかの仕上がりは、
主のきまぐれ子猫のゆびが、グランドピアノとたわむれるさまに着想を得た。
――胡蝶蘭の、花のつらなりを、楽譜のそれになぞらえさせてみるか。
思うさえも易くはなかったのに、実行するは余計に難かった。ただ、呂岳の眼になにかを感じたか、あるいは必死に聴くさまに気をよくしたか。恐らくどちらでもあってどちらでもない。気が向いたから、を最大直接の理由に、幸か不幸か、師はまた、鍵盤を自由に跳ねた。同じものは弾かなかったけれど、いずれも即興か譜面があるかも知れぬ状態。加えて、呂岳は、譜面には疎い。それでも、音符のそれを必死で想定して、師のゆびつむぐダンスを思い出して、胡蝶蘭のなか、花の大小の緩急と位置とで、音楽、っぽいなにかを、必死の懸命でなんとか、ひとまず造り上げた。
宮廷の楽師とて、これほどまでには萎縮すまい。これほどまでには、緊張すまい。呂岳にとって幸いなのは、他の芸術家どもと異なり、呂岳においては、その魂がはなから、とうに
主の所有に在ることだった。
主のために芸術かたちづくろうとしたとて、御心失われ得ないどころか、それを求められてさえいることだった。答えは、明快だ。呂岳は、芸術家ではない。科学者として必要とされているでもない。呂岳は、
“呂岳”としてのみ、必要とされているため。それだけが、
事実だ。
跪く呂岳の、改良成果を見て、師は、上機嫌なねこのはなさきでさえその譜面をなぞった。
「ん。トレビアーン」
するりと明朗にぬけるくせ、あまいそれは、この花の香りそのものだ。呂岳は、師の顔を見上げていた。
「いい出来じゃないか。気に入ったよ、呂岳」
そう、師がにこりとしたと、刹那思う認知の神経伝達がされ切るより前に。安堵がひろがるよりもずうっと迅く。その笑みからはすべての温度と色が消えた。ぶわり、と爆ぜるような
圧に、呂岳の反射が目をつむらせる。恐る、恐る。次に目を開いたときにはもう世界が無いかもしれないとさえ、思いながら、それでもそれさえ見ることを選ぶしか召使いには無い。眼前には、にこりと胡蝶蘭のような前髪をゆらす師のほかには、根も土もひとかけらさえ残されず消えた鉢だけぽつり。
「
…へェ? あれ
……」
きょとり、として思わず間の抜けた声の出たが、不平に取られず済んだことに呂岳は安堵すべきだった。
「おや、お探し物は、これかい?」
趙公明のゆびさきから、ぽむ、とちいさく、咲いた花は先刻までのここしばらく、ずうっと、見つめてきたそれだった!
「うん。
素晴らしい芳香だね」
香って、言って、はむり、たわむれるようにゆるりと食んでみせる。
「味わいも、
個性的だ」
愉しむ、それに、呂岳はへたりと、跪いていたままの腰を無様に地に這わせた。
――ああ、このかたは、同族喰いをしたのだ
…
呂岳の聡明が、そう解させた。きっと、今しがたたわむれるかんばせは、先刻よりもずうっと、ずうっとゆっくりなのだろう。
「おや、どうかしたかい」
絶対性に、自身の矮小さを、噛みしめるさえきっと愚かだ。だのにそこにある崇敬が、呂岳の萎縮を、良しとするのだからこまったものだ。
呂岳が改良のもとにしたのは、胡蝶蘭の原種だった。原種でなければ香らないのは、まるで、加水する前の
悪酒だ。加水で、呑みくち、いくらも人あたりよく。いくらも“改良”、されてゆくのに。根っこに、『その酒を口にした』、という事実だけが既成される。原種でなければ香らないのだと、ああ、きっと、いつかは知らぬままで居たかったのだろう。他人事の未来は、掛け合わされた交配種さえもその
香、塗りつぶし、チェック・メイトとするのだ。
ポーンひとつではさしてねばれず、だのに、じっくり
蜜でいたぶられ、支配的がままに、
支配される。こんな香り、知らねばよかったと。きっといつかのためにさえ思うのに、のどだけは、その味をおこがましくも求め、
餓える。
ああ、いかに加水したとてこの酒は、きっと香ることだろうにと。煮え湯のほうがいくらもマシと、思うてもその、選択権はあいにくとこの
生有しない。
祭壇に、原酒の注ぐを、施しそのものと解している。そのためだけにこの
生、存在するのだと、歴史の決定づけた
宿命に、祀り上げられる。
所有物が捧ぐ舞が何よりいびつとて、捧ぐ食がいかにやせていたとて。祭司も省いた直截と贄さえ在れば。それがすべての祭祀を完遂する。完成されたいびつに庭は、ああ、温室だけ、異物とするのだろう。
祭壇を何故、贄に教えたもうた。
原酒を何故、贄と共供えたもうた。
にこりと笑んで見える絶対が、“そこに解など在りもしない”、という解だけをただ、天上にて突きつける。果たして、この偉大なる支配者は実在か? 呂岳の矮小を際立たせる体感でしか、ないのではないかとさえ思うのだ。この絶対性の体感が、見せている崇高なヴィジョンでしかないのではないか、と思わせる。だのに、そこに、“在る”という事実だけがああ、加水とて超して薫るのだ。
花けぶるゆびさきに、手首をからげられれば。へたり込んだ腰も、天上へのエスコートに従うだけの身。それこそが、贄を、神の御元へと祭司なくつれゆく絶対の祭祀だ。
ああ、原酒は、祭壇を気ままに丸呑みしては食み、幾らも咲かせ、香り、食んでまた、いくらも咲かせる。気ままだけを世のことわりに、ああ、花と同じよう、贄を
食むのだ。
花とまるきり同じよう、ピアノをつまびくゆびさきに彩られる。だのに呂岳だけを、花よりその領有に置くこの絶対者は、むごいほどに
きまぐれだ。絶対の美が領有する、その行為が、
呂岳にもそれが適応されるよう思わせる。おこがましさより謙虚な自覚が、贄に、その存在理由を解させる。
領有されし魂は、望まれる舞を、いくらも捧げ続ける。
…その
生の限りには、少なくとも。
fin.
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