開閉の度に涼やかな音が鳴るドアベル。それが取り付けられた円を描く扉の上部。華奢な細工のされた取っ手。窓から覗く惜しみなく布地が使われた衣服。
統一感のある装飾のこじんまりとした店構えの全てが己を拒絶しているように思える。やむなく抵抗感を呑み込んで、黒鋼は扉の持ち手へ手を掛けた。カラカラと鈴の音が鳴る。
「あ、黒様だー」
「……あぁ!?」
温かみのある照明の下、振り返ったファイの動きに合わせて長いスカートの裾が揺れた。その奥では黒鋼の動揺をものともせず、主と魂を同じくした少女が楽しそうに笑っている。
縁あって大企業の社長令嬢、かつ学生であるこの世界の知世と知己を得たのはいい。それにより働きに応じて衣食住の保証がされた、安定した生活を送れている状況にも感謝している。またこの現状に伴い、知世が半ば趣味で営んでいるという洋装店を魔術師が手伝っているのも理解できる。だからといってこんな光景を目にすることになるとは聞いていない。
「なっ、んつー格好してんだおまえは!」
「わー黒りんが怒ったー」
「あらあら」
ファイが着ていたのは、黒を基調とした桜都国でサクラが身に着けていたような給仕服だった。当然女物である。当の本人は全く動じた様子がなく、上機嫌にスカートとフリルのついた白いエプロン、それから背後で結ばれているリボンを揺らしていた。
こちらの反応が正常のはずなのに、平然と会話を続ける二人を見ていると自分一人がおかしいように思えてくる。矜持を取り戻すべく、黒鋼は改めて声を荒げた。
「何やってんだ!」
「お仕事だよー、知世ちゃんの仕立てのお手伝い」
「大変助かっておりますわ」
「こちらこそ助けになれて嬉しいですー」
「男のおまえが着ても仕方ねぇだろうが!」
「まぁ、仕方なくなんてありませんのよ」
「はぁ? どういう……」
「お客さんも男の人だもんねぇ」
「ファイさんとは体型が多少異なりますけれど、依頼いただいた方も男性ですから」
予想外の答えに硬直する黒鋼をよそに、二人は細かな意匠について説明し始めた。衣服のせいで一見すると似合いの主と従者に見える彼女たちは、出会って数日とは思えないほど、呆れるくらいに息が合っている。
首元を覆う黒いレースはどうしても主張する喉仏を隠すため。胸元にリボン付きブローチを配置することで視線を誘導し、より目立ちにくく。肩から二の腕にかけて丸く膨らんだのち絞られた袖は、本来の肩幅を錯視させつつデザイン性にも優れている。また骨ばった手首がなるべく見えぬよう、袖口も通常より長くしているのだという。途中から「いっそ首元と揃えたレースの手袋で、手先ごと覆ってしまうのも一つの手では」と、魔術師と少女が真剣に検討し始めたのには辟易した。
腰の位置を誤魔化すことを目的として、ワンピースの上に身に着けたシンプルなフリルエプロンは切り替え位置に拘っているらしい。長身のファイの踝近くまである、控えめなフリルが付いたロングスカートの裾から覗く足首は、肌色が透けるような薄く黒い布地に覆われていた。「ブーツを合わせるもいいんだけど、足元が重たくなるのは頂けないんだよねぇ」とは魔術師の言である。さっぱりわからん。
身長が際立つのを懸念して、頭部は象徴的なアイコンであるヘッドドレスをあえて避けている。ただ給仕服らしさを損なわないためにも、黒いベロアのリボンを用いて髪の毛を耳より低い位置でまとめているそうだ。
ほとんど理解が及ばない解説を聞き流しながら、黒鋼は今一度ファイを見た。こいつはそもそもそういった主張に乏しい容姿をしているものの、通常男性的な要素を取り繕おうとすると露出自体が少なくなるのだろう。
認めるのは癪だが知世の仕立ての腕は良く、正直なところ違和感がない。見慣れぬ衣服を纏ったファイは、不思議とどこかの国で目にした聖職者に似た禁欲的な印象を抱かせた。
「ありがとうございましたファイさん、これで制作に取り掛かれそうですわ」
「いえいえ」
「そちらはあくまで試作ですけど、よろしければ」
「いらねぇ」
「なんで黒ぴーが答えるのー。ただオレたち一応旅の身だしなぁ……。あっ、でもせっかくだから小狼君とモコナには見せたいかも」
「わざわざ見せんな!」
「でしたら今日はそのままお帰りになって、明日また店に持ってきてくださいな。もちろんそのまま引き取っていただいても構いませんわ」
「はーい、ありがとうございます」
「人の話を聞け……」
魔術師に買い出しの有無を尋ねるべくこの店へ寄っただけだというのに、この数分間でどっと疲労を感じている。最後まで黒鋼の様子を気にすることなく、知世とファイはいくつかの確認を済ませたのちにこやかに手を振り合った。
「……まさかそのまま戻る気か」
「え? うん。近くに帰るだけなのにわざわざ着替えるの面倒臭いし」
こちらを見上げる魔術師の金色は、普段とは違いなにやら複雑に絡み合いながらも先述のリボンによってまとめられていた。よく見るとうっすらと化粧も施しているのか、わずかな違和感を覚える。
「黒ぴーは先に帰ってていいよー」
「…………」
黒鋼は黙って額に手を当てた。無心で進んだ帰り道、いつもより小さい歩幅と隣を歩く聞きなれないヒールの音がいやに気になった。
突飛な格好で帰宅した魔術師に対して、子どもたちの反応は至って好意的だった。モコナは「メイドさんだー」とはしゃぎながら、自分と同じ色の背中側で結ばれたエプロンのリボンにじゃれついている。小狼もまた頭から爪先までじっと見つめたのち、生真面目な顔で頷いた。
「……うん、とても似合っている」
わかってはいたが、こいつも大概天然だ。黒鋼の気も知らず、その後もファイから男性らしい特徴を隠すべく設計された箇所を一つ一つ教えられ、神妙な顔で相槌を打っている。
「じゃあ今日は特別に、メイドさんがみんなの夕食作っちゃおうかなぁ」
「わーい!」
「おれも手伝う」
「ったく、どいつもこいつも気が知れねぇ……」
「とかなんとか言って、黒ぴっぴも結構やる気なんだからー」
揶揄うような声を聞き流して、ベッドの上に広がる布量の多いスカートの中へ手を突っ込んだ。脚を覆う薄い布地をひっかけないよう気をつけながら、身動きのたび覗いていた踝からふくらはぎを伝い、膝を撫で太腿に手を這わせる。そのまま進むと、指先が小さな金具へと行き当たった。
「……ああ、これで固定してんのか」
「ガーターベルトって言うんだよ、オレも初めて付けたけど」
「そりゃそうだろ」
「ソックスガーターっていう男の人が身に着けるのもあるんだよー」
「そうかよ……」
布と肌の境目をなぞりながら投げやりに返答する。
「それにしても知らなかったなぁ、黒様が案外こういうの好きだったなんて」
「……言ってろ」
こいつだからこうなっているのであって、別に衣装そのものや化粧に興味があるわけではない。とはいえ常識外れながら楽しそうに取り組んでいた二人を目にして伝えることでもないだろう。
ほどけた金の髪と黒いリボンが枕の上に広がる。黒鋼は余計なことばかりを話す、普段より色づいた唇をさっさと塞ぐことにした。
件の衣装は汚れることも破れることもなく、作り主の元へ返すことができたとだけ言っておく。
◇
これはあくまで余談である。
また別の国へ渡った際、一行は家族連れなどに向けた気取らない飲食店に入った。メニューを眺めている黒鋼に、向かいに座る子どもたちには聞こえないよう声を潜めたファイが話しかける。
「ここ、黒たんが好きそうな制服のお店だねぇ」
「はぁ?」
黒鋼は顔を上げて周囲を見回した。店内では色こそ明るいが、男女共に比較的クラシカルなデザインの給仕服に身を包んだ従業員が忙しそうに動き回っている。もっとも紅い瞳はそれらを一瞥したあと、興味ないと言わんばかりにメニューへ戻ってしまったが。
「店員の服装なんぞどうでもいいだろうが」
「え? でも黒様……」
「動きにくくないなら気にもならん。……さっさと頼むぞ、何にすんだ」
返事はない。
急に静かになったファイを不審に思った黒鋼が視線を移す。俯いた白い頬がじわじわと赤く色づいていくのを、理由に全く心当たりのない黒鋼は疑問符を浮かべつつ見届けたのだった。
--------------------
「ファイの女装」
リクエストありがとうございました!
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.