史加
2026-05-31 23:32:23
3100文字
Public 原神(ルカキリ)
 

遣らずの雨にはさせてやれない

ルカキリ/両片想いなふたりの話


※ワンドロライお題「雨」お借りしました(+20min)





 ばたばたと屋根を強く打つ水の音で目が覚める。頬や鼻先に触れる空気のじっとりとした冷たさが、雨の気配を物語っていた。
 数度瞬きを繰り返したあと、フリンズは天井を見つめて細く、長く息を吐き出す。ランプのフェイである自分がランプに入るのではなく、こうして寝台に身を横たえていっときの眠りにつき、朝になって目を覚ますのはまだどうにも慣れない。いつまでこのような状況に甘え続けていられるのだろうと、どこか物寂しい気持ちにもなる。
 身じろいで身体を横に向けると、精悍な男の顔があった。固く閉ざされたまぶたを飾る睫毛は、重力に従い頬に流れる髪と同じ砂金の色をしている。頬に刻まれた傷痕はいつ見ても彼の勇猛さをあらわしていて、フリンズの目には美しく映ってやまない。警戒心を解き払った彼の寝顔はいくぶんかいとけなく見えて、その無防備さがフリンズの胸の奥をじりじりと焼き焦がす。
 先に言っておくと、フリンズと男――ファルカの間には何の関係もない。肉体の関係さえもだ。
 しいていうのなら健全に酒を飲み、立場のことを少し棚に上げて語り合える相手である。良き友人と言えるファルカとはフラッグシップでたまたま出会って飲むことが多く、彼の酒に付き合うとつい夜遅くになってしまうので、そのまま部屋を借りて一夜を過ごすことが増えていた。
 問題は、フラッグシップは宿としての機能に特化した場所ではないため、部屋数が限られているというところにある。運よくふたつ部屋を取れることもあるが、ひとつしか部屋が空いていないことのほうが多く、またファルカもフリンズも酒場の営業時間が過ぎたあとも部屋で飲むことがあるため、どうせどっちかの部屋で飲み直すならいっそふたりでひとつの部屋を借りようという話になった。宿泊代はファルカが持ってくれるというし、ベッドがひとつしかなくてもフリンズはランプに入って眠ればいい。深夜に酒場を出て夜明かしの墓まで帰ることくらいフリンズにはさして負担にもならないのだが、ファルカと過ごす時間は心地の良いものだし、特に断る理由もないからとファルカの提案に応じた。
 そうしてふたりで飲み交わし、ファルカが眠たそうにし始めたら片付けをして眠って、朝になったらそれぞれの拠点に戻るという、なんとも清らかな付き合いをする夜が三度続き。四度目の夜に事故が発生した。泥酔したファルカをベッドに寝かせるとき、ものの区別もつかないほどに酔った彼の腕の中に抱き枕よろしく閉じ込められてしまって、不覚にもそのまま一夜を明かしてしまった。
 何が不覚だったかというと、一度ランプに入ってファルカの腕の中から抜け出すということもせずにフリンズもそのまま眠ってしまったことである。
 翌朝ファルカは己の失態に気付き平謝りしてきたが、よく眠れた様子の彼の顔色を前にフリンズは怒ることなんて出来なかった。フリンズとともにフラッグシップで一泊するとき、ファルカの目の下に隈が出来ていたり、顔色があまり良くなかったりすることには気付いていた。だから咎められるはずもなかったし、それなりに歳を取ったフェイはこれが人間の子の不器用な甘えなのかもしれないと思った。
 どうせいつかはモンドに帰る男だ。まだ越えてはいけない一線を越えていないのだから、いっときの情に身を委ねて甘やかしてやるのも悪くないのかもしれない。
 そう思ってしまって以来、ファルカとフラッグシップに泊まるときは、ひとつのベッドで一緒に眠って朝を迎えるようになっている。
……ファルカさん、朝ですよ」
 雨音に掻き消されてしまいそうなほどの小さな声で、フリンズはファルカを呼んだ。フリンズは今日夜回りの担当で、日中は特にやることもないから急がないが、ファルカは午前のうちに砦に戻らなければならないと聞いている。そろそろ起きて身支度を整え、フラッグシップを出なければならない頃合いだった。
 寝たふりをするときのファルカはわざとらしくいびきをかいてみたりするけれど、熟睡しているときの彼の呼吸はとても静かで、穏やかだ。今も規則正しく上下する胸の動きと、際立って聞こえる雨音が、彼が安心して眠っていることをフリンズへと物語る。その穏やかさに触れると起こすのは気が引けてしまって、そう思う自分の甘さに驚かされる。心を鬼にして起こしてやったほうがいいのは確かで、けれど彼のささやかな安寧をあと少し守れるのは自分だけなのだと思うと、胸の奥を締め付けられるような、そんなくるしささえあった。
……ファルカさん」
 もう一度、今度はわずかに声量を大きくして名を呼び、その頬に触れる。手のひらに伝わる温度は控えめだというのに焼け付くようで、感嘆の息を吐き出しそうになるのを耐えるように唇を引き結んだ。
 残念ながらフリンズは己の気持ちにそこまで鈍くはない。人間とは異なる種族だけれど、同じ心を持つ生きものとして、自らの胸に芽生えたこの甘い痛みの名くらいは知っている。
 だがその名を明らかにするつもりはない。いずれこの地を去り故郷へと帰る男から同じ想いを返してほしいとも思わない。ただこの限られた時間に与えられたゆるしが尊く愛おしい。この愛おしさを生涯胸に刻んで生きる権利さえ残してもらえれば十分で、あとはぜいたくを言うのなら、ファルカがナド・クライを去り、完全にこの地へ足を運ぶことのなくなるその日まで、フリンズの傍が彼にとって安らぎを得られる場所であり続けられたらと、そう願っている。
 無骨な金属の壁を隔てた向こう側で、止まない雨の音が響いている。胸を圧迫するくるしさを紛らわせようと息を吸えば、ファルカの纏う優しい風と日なたのにおいが肺を満たして、ますますフリンズの心を押し潰す。
 たまらずに息を吐き出した。 抑えきれなくなりそうな感情が言の葉になる前に少しでもこの空気に、雨に溶けて、風に攫われる前にどこかへと流れていってくれるように祈った。
 瞬間、フリンズの身体が温かいものに包み込まれる。
「ッ、」
 息を呑むかすかな音は、全身に走った緊張とともに伝わってしまっただろう。
……なあ、もう少しこのままでいいか」
 寝起きの割にははっきりと芯の通っている声でささやいて、ファルカはフリンズを抱き締める腕に力を込めてくる。ゆるしを得るためのかたちをした言葉を紡いでいるくせに、彼の中ではもう決定事項であるようだった。
 ああ、ずるいひと。
 心の中でフリンズは嘆息して、愚かにもたくましいその背に腕を回す。
 きっとひとつひとつ尋ねていけば、ファルカはすべて答えてくれるだろう。いつからなのかも、どこまでが打算なのかも、これからどうしたいのかも、つまびらかに明かしてフリンズが望まぬよう努めてきた未来を示してくれるに違いない。
 けれど妖精は恋に落ちるより先に男への愛を自覚した。甘酸っぱく、綺麗事で作られた恋などというものの成就より、胸に灯る愛を未来永劫大切にしようと決めていた。だからすぐになんて受け入れられないし、応えられない。
……しょうがないですね。あと少しだけですよ」
 この決意さえも北風に攫われて、きっと有り得ないと見ないようにしていた未来へ連れて行かれるのなら。
 一歩目を踏み出すための覚悟を決めるから、この雨が止むまでの間あと少しだけ待っていてほしい。
 願い、フリンズはファルカの胸に顔を埋めて目を閉じた。
 穏やかな彼の息遣いの向こうで、まだ雨の降る音が響いていた。