saeko
2026-05-31 22:53:16
2631文字
Public
 

ペーパーラリー企画

ペーパーラリー企画に参加させていただきました。
とても素敵な企画をありがとうございます。

【ポートエルピスにて】 合言葉:ポートエルピス


 暖かな陽射しの名残を含んだ風が、頬をやさしく撫でていく。目を閉じ、その心地よさに身を委ねれば、時間の感覚が曖昧になった。 
 空が、赤と紺のグラデーションに染まるなか、明るい星の欠片が少しずつ瞬き始め、マジックアワーと呼ばれる時間帯が訪れる。現実と夢が交差する刻。だから、少しだけ、胸のうちにある願いを零した。 
……――夢でもいいから、会えないかな」
 ポートエルピスに車を走らせたのも。灯台のデッキに足を向けたのも。無意識だったはずの想いを、いまさら、誤魔化せなかったから。
 六分街から離れている場所を選んだきっかけは、いまアキラの心を占めている相手――浅羽悠真の影響だった。
 黄色い鉢巻を風に靡かせながら、優しい眼差しで未来を話してくれた悠真が特別にしている場所は、アキラにとっても居心地のいい場所のひとつになっていた。
(悠真は、どんな思いでここにいたんだろう)
 紺から藍色へとゆるやかに。けれど確実に夜が訪れ始める。
 悠々と飛ぶカモメの鳴き声や、浅瀬で釣りをする者たちの談笑など、昼間はそれなりに生の気配に包まれている場所も、夜になれば静かな場所へと姿を変える。
 あまり遅くならないうちに帰らないと、妹に心配をかけてしまう。瞳の違和感と身体の不調。リンがアキラの体調を気に掛けることを知っているので、なるべく不安要素は取り除きたい。
 けれど、いまはどうしても気持ちを切り替えられなかった。
 瞬く星が増える夜空を見上げ、小さな息を吐き出す。意味もなく沈みそうになる気分をどうにか維持しようと目を閉じ、視界から光を消した。
「やあ、アキラくん。偶然だね」
 こつりとした足音と、誰かの気配が近づいたかと思うと、聴きたかった声がアキラの名を呼ぶ。
 意識を引き戻すと共に、声が聞こえた方へ視線を投げかけた。 
――これは、随分と都合のいい夢だな」
 思わず零れた言葉に、悠真が小さく笑った。
「それは、こっちの台詞だよ」
 悠真がアキラの隣へ、当たり前のように身体を寄せる。覗き込むような仕草で顔を近づけ、悠真が瞳にアキラを映し出す。ゆるく細められた目元と、熱を溶かしたような琥珀色の瞳が、ひどく柔らかかった。
「毎日、真面目に働いている僕に神様がサプライズしてくれたのかも。こういうご褒美って、本当にあるんだね。なんか、残業するのも悪くないって思えるなぁ」
 ホロウでの被害は、日常のなかで当たり前のように起こっている。
 悠真が話せる範囲で掻い摘んでくれる業務の話に、アキラは耳を傾けた。
 緩やかな口調だが、疲労の色は確かに滲んでいて。
「疲れてないって言ったら、正直、嘘になるよ。でも」
 言いながらも、悠真がどこか嬉しそうに目を細める。
「一番の特効薬が僕にはあるからさ、頑張れちゃうんだよね。しかも、効果抜群だし」
 それが何なのか。気づかないほど鈍くはない。
「だったら、たくさんあげないといけないな」
 与えられるなら、いくらでも、と。
――なんだか、本当に都合のいい夢を見ているみたいなんだけど」
 先ほどのアキラの台詞を、悠真が返す。
「それで幸せな気分になれるのなら、ずっと見続けてもいいんじゃないかな。特に今日は、長い夢を見たい気分なんだ」
 むしろそれは、アキラの本音であり、彼が気に入っているこの場所を選んだのも、そのためだ。 
 もしかすると会えるかもしれない。そう思いながら足を運んだのは事実だ。
「じゃあ、二人で一緒に見ようか」
 居心地のいい場所で夢が見られるのも、ご褒美のひとつだと、悠真が目元を和らげた。 
 悠真の横顔を見つめる。少し前にアキラが目を向けたように、悠真も星が散りばめられた空へ視線を投げかけた。
「幸せな夢を、居心地のいいところで見れる。考えてみたら、すごく贅沢なことなんだよね」
 しばらく、二人で黙って風の音を聞いた。
 沈黙が流れているけれど、不思議と苦しくない。隣に誰かがいるだけで、こんなにも心がほどけるのかと、アキラは遅れて知る。
――ここに来るとね」
 悠真が、空を見たまま小さく笑う。
「少しだけ、強がるのをやめられるんだ」
 身体が先に変わっていく感覚に、前は心が追いつかなかったから――と、悠真は静かに言った。
 患っている病気のこと。残されている時間の短さ。あとどれくらい『人』でいられるのだろうかという、明確なその長さを知るのは怖いが同時に覚悟ができるのだと、落ち着いた声で悠真が話す。
「でも、人であることを投げ出したりはしないし、最後まで頑張ってみるけどね」
 悠真が頸を左手で覆う。チョーカーで隠されているのは、彼の人生の爪痕だ。 
「それに、いまはあんたがいるからさ」
 ひとりだけど、独りではないから、と。
 含まれたニュアンスの違いと意図。きっとアキラなら正しくそれを読み取ってくれるだろうと、悠真が確信めいた微笑みを見せた。
「あー……、ごめんね。僕ばっかり話しちゃって。そろそろ帰ろうか」
 さすがに戻らないとリンちゃんが心配するよと、家族を気にかけてくれるところが、悠真らしい。
 ……――それでも、と。
 離れようとした悠真の袖を、自分でも驚くほど弱い力で、気づけば掴んでいた。
 もう少しだけ、ここにいたい。悠真に、隣にいてほしい。そんな言葉にならない本音が、指先に滲んでしまう。
「ねえ、アキラくん」
「なんだい?」
「あんたが、なにに悩んでるのか分からないけど、いまみたいに立ち止まっているときは、僕を呼んでよ。あと、僕に手を伸ばして欲しい」
……」 
「今度は、僕がアキラくんの手を取るから。――ひとりで抱え込まないで」
 手のぬくもり。
 人の体温。
 指先を掴まれ、やがて包み込むように握られる。じんわりと悠真の熱が滲み、離れたくないと、胸の奥に本音を落とす。隣にいる温度を感じていたいと、そう願ってしまう。
 
――君がいて、よかった」

 零れたアキラの声に、熱を溶かした琥珀色の瞳が、やわらかく細められた。
「アキラくんの、その言葉、今日一番のご褒美かも」
 隠しきれない嬉しさを滲ませた声に、アキラもまた、口元をほどかせた。
 もう少しだけ、この夢が続けばいいのに、と。
 彼の嬉しそうな表情を見つめながら、アキラもまた、彼へ静かに微笑みかけた。