燈 ともしび
2026-05-31 21:25:50
1554文字
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ぎゆさね【習慣とお約束とおまけ】

キ学軸。痴話喧嘩と仲直り

 冨岡と喧嘩した。
 本当にくだらないことで。
 
 いつも使っている入浴剤をたまには変えようと思い、別の商品を買って帰ったら
「あれは不死川のお気に入りなのになんで変えるんだ」
 と怒り出したのだ。いや、当人の俺が変えたのだから問題ないだろうと呆れたが、冨岡曰く
「この入浴剤はどちらかというと俺の好みではないか? 風呂は不死川の安らぎの場だから不死川の好きな入浴剤が良かった」
 そうで。
 いや、それガチで恥ずかしいわ。俺もだが、冨岡も俺のことを好き過ぎるだろとしゃがみ込みたくなる。
 ただ、そんなことくらいで、なんて返事をしたら冨岡はすっかり拗ねて寝室にこもってしまった。俺の不死川はそんなことじゃない! と。
 こうなるとこの男は面倒くさい。しばらくの間は何を言っても無視するので放置するしかないのだけれど、その放置時間が長過ぎても更に拗ねるのだ。子どもかよ。アラサーのくせに。
 冨岡がこうやって子どもみたいな態度をとるのは俺にだけだと知っている。俺のことを好きだし、俺が冨岡のことを好きだと自信があるからこんなに色々曝け出してくるのだ。そう思えば少し可愛く思えてくる。俺も大概なので。
 でも今は拗ね小僧をしばし放置して夕飯の下準備をすることにした。飯は大事だし。それにタイミング良く今夜は鮭大根を煮ようと思っていたのだ。拗ね小僧にはもってこいだろう。
 いつも使っている黒いエプロンを付けて支度に取り掛かる。大根の皮を剥いて出汁をとって。キッチンの仕切り扉を開けたままにしてあるのは、もちろんわざとだ。出汁の匂いは飛びやすいからこの匂いで夕飯の予想もつくだろうよ。
 ある程度まで煮たら火を止めて味を染み込ませる。その後に付け合わせもいくつか。アラサー二人は食欲は若者並のままなので和食だと品数と量は多めになってしまう。

 支度が終わり、キッチンの音が消えたので耳を澄ます。寝室からはまだ音がしない。拗ね続行中か。今日はしぶとい。
 それなら次。

 トントントン。ノックは三回。トントン。続けて二回。これは校内で秘密の用事がある時に使おうと決めた二人の合図。するとガタッと中から音がする。
「冨岡ァ」
……
「冨岡さーん」
……

 まだか。仕方ない。

「義勇」
……
「なァ、俺の義勇」

 そこでようやく寝室のドアが開いた。分かりやすい。笑いたい。ここで笑ったら始めからやり直しになるから我慢したけれど。

……その手には乗らない」
「入浴剤の件は悪かったってェ。俺のことを考えてくれてありがとさん。でもあれは良い匂いだと思ったから買ってきたんだぜ」
 ドアの隙間からジト目が見える。まだ目は笑ってない。でも口元はちょっと緩んでる。もう少しか。

「なァ」
「なんだ」
「仲直りしたらちゅーする約束だろ」

 ばん! と壊れるくらいの速さでドアが全開になった。本当、分かりやす。

「あとな、今夜の夕飯は鮭大根だ」
……出汁の良い匂いがしていた」
「だろうなァ。そろそろ味もしみて食べごろだし」
 冨岡に視線を合わせるために顔を覗き込むと目元はうっすら赤いし、何かを耐えるように両手をわきわきと動かしている。
「仲直りしようぜ、義勇。ちゅーするし鮭大根もあるから機嫌直せ」
 言いながら笑ってしまった。言ってる内容はどう考えてもアラサーの喧嘩の仲直りの内容ではない。

……ハグもしたい」
 ポツリと冨岡がそんなことを言うから喜んで両腕を広げる。
「良いぜ。仲直りのちゅーと鮭大根とハグな。たくさんしてやるよォ」
 飛びついてきた冨岡を抱きしめながら、俺はとうとう吹き出してしまって。でも冨岡も笑ってるからこれでおあいこ。
 俺たちの喧嘩なんてそんなもん。