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燈 ともしび
2026-05-31 21:20:40
3776文字
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ぎゆさね【merry-go-round】
キ学軸。巡る、運命
「冨岡義勇です」
自己紹介は苦手だ。なんせ俺は中身が空っぽなので特に話すことなどない。自己紹介を、と言われたら己の名前とよろしくお願いしますという挨拶だけを言うようにしている。余計な一言は周囲からの軋轢を生むとの実体験からそうしていたし、姉妹校から転勤になった初日も同じようにした。
けれど、こんな簡素な挨拶でも新しい職場では思わぬ温かな拍手と「これから頼むぞ」「よろしくな」と優しい一声をかけて貰えた。どうやらここは包容力の高い人間が多いらしい。周囲とうまくコミュニケーションが取れず、ずっと対人関係が一番のストレスだったから、そこでようやく深呼吸が出来た。
ただ、一人だけ。俺と意識的に距離をとって接してくる人間がいる。
俺を嫌い距離を取ったり、攻撃的になったりする相手は今までもいた。けれどその態度は過去のそれとは全く違う気がする。挨拶をすれば挨拶を返してくれるし、業務上必要なことで話しかければきちんと返事もしてくれる。でもそこにあらゆる感情を感じない。なんというか『無』なのだ。好意も敵意も嫌悪も全く感じない。
職場の人間と深入りしないようにしているのかと思えば、俺以外の同僚とは飲みに行ったり砕けた口調で雑談をし笑っている姿も見かける。それならこちらも同じように対応すれば良いのだが、何故か俺はその人が気になって仕方がない。
相手は同僚の同性。見た目が女々しいわけでも華奢でもなく、どちらかと言えば筋肉のしっかりついた体格でとても女性には見えない。
話しかけたい。話しかけて欲しい。気になる。気にして欲しい。
……
俺にも笑って欲しい。伊黒先生にはあんなにも優しい顔で笑いかけているのに。
多分、相手が異性ならこの感情の名前をすぐに言えた。今まで気になった相手は全て異性だったから認めるのに時間がかかってしまった。
人は、それを『一目惚れ』だと言うのだ、と。
俺は生まれて初めて同性に惹かれてしまった。ただでさえ同性というだけでハードルが高いのに、そこに『俺に対して無関心』という高い壁まである相手に。
でも、恋心は自分の理性ではどうにもならない。一度認めてしまえば、理由なんて分からずにあとはずるずると深く落ちていくだけだ。
俺は、不死川実弥という人間に惹かれて惚れて、恋という底なし沼に落ちてしまったのだった。
「冨岡先生、先生がよければ今から校内の見回りに行きたいのですが」
「あ、はい。もう行けます」
突然話しかけられ慌てて返事をすると、不死川先生はこちらを振り向きもせずに職員室を出て行くので追いかける。今日は赴任してから初めて不死川先生と二人での見回り当番の日だった。
キメツ学園は敷地が広く、職員室や教室のある棟と部活の部室がある棟が別に建っている。全ての部活の活動時間が終わったら当番の教師二人で両方の棟全てを見回らなくてはならない。これがなかなかに大変なのだが今日ばかりはその大変さに感謝したい。その間は不死川先生がどう思っていようが一緒に居られるのだから。
教室に入り、落ちているものがないか、窓は施錠されているか確認していく。分担する教師もいるが不死川先生は一緒に確認していくタイプらしい。
「大丈夫です」
「はい」
それだけの短い会話でも言葉を交わせる。その度に心臓がとん、と鳴る。本当に俺は不死川先生の事が好きでたまらないのだと実感する。
前を不死川先生が歩くのでその後ろを同じ歩調で歩く。色素の薄い髪の毛がふわふわと揺れる。その柔らかそうな感じが思わず触れたくなってしまって、でも流石にそれはダメだと理性で押し留めて指を硬く握った。『無』だけれど『嫌悪』されてはいないのに、もしここで俺が何かをすればそれは即『嫌悪』に傾いてしまうだろう。それは嫌だった。
教室棟を確認し終え、部活棟へ続く渡り廊下を歩く。今夜は満月だからなんとなく明るい。
「冨岡先生は」
「え」
「なぜこんな時期に移動されたんですか?」
「
……
あ」
「姉妹校とはいえ、あまり教師の移動って見ないんです。しかもこんな年度途中に。なにか理由があるんですか?」
前を向いたまま、不死川先生は質問をしてくる。その内容は鋭くて胸に刺さる。
俺がここに、キメツ学園に移動した理由。それは俺の中身が空っぽになって人とのコミュニケーションがうまく取れなくなった理由でもあった。
自身の容姿が整っているのは学生の頃から自覚はしていた。けれど当時は仲の良い幼馴染もずっと側に居たし、勉強やバイトに明け暮れていたからあまり気にしていなかった。
だが、無事に希望していた教師になり、キメツ学園の姉妹校に着任するとそれは一変した。突然人の好意がオーラのように見えるようになった。
それだけなら良い。そのうち好意だけでなく、悪意まで色を纏い、俺の視界に入り込んでくるようになってしまった。
同僚や生徒から好意を向けられる。恋人を作る気はなかったので断る。すると好意が一変して悪意に変わり俺の周りにまとわりつく。悪意はドロドロと暗く重く、そして俺一人で受け止めるには苛烈だった。職場には心を許していた幼馴染も仲の良い同僚も居ない。ひたすらに耐えることしか出来なかった。
そんな事が何度かあり、とうとう俺は体調を崩して休職寸前まで追い詰められてしまった。
俺の顔は父と母に似ている。姉も似ている。それだけのこと。俺自身の中身が優れているとかそういうことではない。
それなのにこの顔に人は惹きつけられてしまうらしい。俺が望んだことではない。でも好意を向けられ、断れば悪意に変わる。悪意は目に見える影となってこちらに襲いかかってくる。それは精神を削るほどの威力があった。自己肯定感はガリガリと削られて消え去った。他人との距離感が上手に掴めなくなった。
もう無理だと退職届を理事長へ提出すると、姉妹校であるキメツ学園への転勤を打診された。そちらで働いてみて、そこでも駄目なら辞めるのはどうだろうか、と。せっかく夢だった教師になれたのだからと言われ、思考が止まったまま、ここへ転勤した。
ここは初日から空気が違った。何故か呼吸が楽に出来た。何より以前悩まされていた影のようなオーラが見えない。
だから、思い出せた。人を好きになる気持ちを。そして強烈に惹かれて不死川先生を好きになった。
「ここは楽か?」
「え
……
」
過去をどう話したものかと悩んでいたら、不死川先生はいつの間にかこちらを向いていた。
「ここに居る奴らは皆、悩まされてたんだ。影に」
「影」
「そう。冨岡先生も見えてたんだろ。影を。あれが見えるのは
……
鬼を斬った奴らだけだ。鬼の呪いのようなもの、か」
そう言われて呼吸を忘れた。
「キメツ学園は産屋敷理事長がいるからあの影は現れない。だからもう悩むことはねェよ、冨岡ァ。もう大丈夫だ」
その瞬間、目の前にいた不死川先生の格好が違って見えた。傷だらけの腕、学生服のような姿に白い羽織。なにより片手に刀を握っていた。そして俺も同じように学生服のような姿に半々の柄の羽織、刀を握っている。
目の奥が破裂したような衝撃と、その後に流れ込んでくる怒涛の記憶。ふらついたがなんとか踏ん張ってその場に立ち続けた。
「不死川
……
?」
「そう。やっと思い出したかよォ、まぬけ」
「伊黒、宇髄、胡蝶、煉獄、悲鳴嶼さん」
「ここの教師じゃねェが甘露寺もいるぜ。あと生徒に胡蝶妹や時透や竈門兄妹とかもなァ」
「みんな
……
記憶が」
「戻ってる。影に悩まされてここで繋がって、そして記憶が戻ると影が消えた。テメエが最後だ」
なんてことだ。一気に戻った記憶を整理するのに頭がふらふらする。どうやらこのキメツ学園にはあの頃の
……
『鬼殺隊』の仲間が揃っているらしい。
「鬼はこの世にもういねぇよ。でも悪意とかその念みたいなもんが鬼を斬ったことのある奴らにまとわりつくんだ。テメエもだったろ、冨岡」
今までの無表情が嘘だったように不死川はクスクスと楽しそうに笑う。それを見て、また俺の心臓がひとつ鳴る。
思い出した。全て。
だからこそ、あのことも理解した。
「不死川」
「あ?」
「思い出した。全部。だから聞きたいんだが」
「
……
なんだよ」
不死川は笑っていたのにまた警戒モードだった。
「まだ、俺は不死川の恋人だろうか」
鬼と戦ったあと、心を通わせ、二人で暮らし。永遠の眠りにつくその時まで誓い合い、生まれ変わったらまた、と願ったあの想いは。
ああ、だから。だから、俺はこんなにも不死川先生に惹かれたんだ。
組んでいた腕を解き、無表情のまま不死川は俺の目の前まで歩いてくる。それはあの頃と同じ、姿勢が良くて真っ直ぐで。思わず見惚れてしまう歩き方だった。
あと少しで触れ合える。そんな距離まで来た。でもそこまでだった。
「冨岡ァ」
「うん」
不死川は泣きそうな顔をしていた。
「おせえよ」
そう言って俺に抱きつく。それはあの頃何度もした抱擁と同じ。
だから俺はその身体を思いっきり抱きしめた。
「遅くなって悪かった」
力の限り抱きしめて、久しぶりの恋人の温もりを感じて泣いた。
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