小テストを作るために籠っていた数学教師用の準備室。もう一人居る数学教師は職員室で事足りるからとほぼここには近寄らない。なのでここは俺専用の個室のようになっていた。
窓もあって日当たりも良い。使わないのは勿体無いとありがたく使っていたが、この部屋の窓からは部室棟がよく見える。
特に、剣道部がよく見えた。窓を閉め切っているから流石に音や声は聞こえてこないけれど、冨岡が道着姿で竹刀を振るのがよく見える。
合間に視線をやると真剣な顔の冨岡が見える。顔が険しいのは生徒に指導でもしてるからか。涼しげな風貌なのに中身は熱心で熱い男だから。家ではくつろぎすぎてふにゃふにゃのくせに。そう考えたらちょっと笑えた。
見つめすぎたからか、不意に冨岡が顔を上げる。視線が交わる。目が良いから確実に俺に気付いたに違いない。口元だけで笑うと小さく右手をひらひらと振ってきたので俺もひらひらと振り返した。
まァ、これも可愛いっちゃ可愛いのだが、なんか余裕が感じられて面白くない。
付き合いたての頃はこんな余裕なんて無かった。分かりやすく目元を染めて嬉しそうに手を大きく振ってきたりしていた。
「やめろばか」
俺も嬉しかったのに恥ずかしくてついそんな憎まれ口をきいた。お互いに余裕が無かった。
付き合いの長さとときめきは比例すると思う。あの頃感じていた、駆け出して叫び出したくなるような気持ちの高揚感は、ときめきから安心とか安定感に変わってしまったのだろう。残念ながら。
妙にしんみりとしてしまい、すっかり手が止まってしまった。今日中に小テストを仕上げて印刷までしておかなければならないのに疲れているのか。
今夜は湯船に浸かって早めに寝よう。冨岡から視線を外して手元に集中した。
それからしばらく。手元に影が落ちて視線を向けたら目の前に冨岡が立っていた。
集中し過ぎたかと腕時計を確認するが、先ほど冨岡と手を振り合っていた時間からまだそれほど時間が経っていない。
「おい、まだ部活中じゃねェのか」
「うん。休憩中だな」
「なんでここに来たんだよォ。休憩長すぎんだろ。早く戻れ」
「うん」
返事はするくせに冨岡は動こうとしない。
いや、顧問だろ、サボんな。
軽く額を小突いたらその手を取られて引き寄せられた。
「……栄養補給は休憩の基本だろう」
ちゅ、なんて可愛らしい音と共に乾燥してカサついた唇が降りてくる。
「人を栄養ドリンクみてェに」
唇を尖らせたらそこにまたキスされた。
「俺には一番の栄養だからな」
ぎゅっと抱きしめられる。道着がゴワゴワして硬い。少し痛い。
……でも落ち着く。
「不死川」
「んだよォ」
「好きだ」
ばか。今言うな。
落ち着かない。心臓が跳ねてドキドキする。
「不死川が手を振り返すなんて可愛いことするから走ってきてしまった」
人のせいにすんなと怒りたい。でも怒れない。
だって冨岡の腕の中はとてもとても気持ちが良い。怒りなんてすぐに蒸発してしまう。
「……帰ったら一緒に風呂入るか」
「! 入る!」
「なら早く部活終わらせて帰ってこい」
「分かった!」
ぴょん、と音がしそうなくらい冨岡は飛び跳ねて。最後にもう一度、と言って俺の唇にキスをしてきた。
悔しい。
ときめき、ちっとも落ち着かねェじゃねぇかよ。
全力疾走で冨岡は部室棟へ戻ったらしい。白い息を吐いて、もう視線の先に立っている。
それを俺は、また見てしまう。
口をパクパクしてる。なに。
目を凝らす。
『ふ』
『ろ』
ばかだろ。
約束はちゃんと守るっての。
つい吹き出してしまった。
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