mint6321
2026-05-31 17:30:25
8730文字
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[🌟🥊] Pretty Pretty【Webオンリー展示サンプル】

かわいい男とかわいくない男の話。
とても加筆修正したので比較用に置いておきます。







 俺は、『かわいい』をよく理解している。

 なぜなら俺には、そもそも自分自身がかわいいっていう自覚がある。そりゃもう昔から。思い込みも多少はあるかもしれないが、残念ながら自惚れとかそういう次元の話じゃない。自慢じゃないが、俺は幼い頃からハンサムやらキュートやらプリティやら、ありとあらゆる賛辞の言葉を他人から受け取ってきた。それだけ言われるのだから、まず間違いなく俺はかわいいのだろう。かわいい要因はなんといってもこの、ブロンドの髪と青い瞳だ。俺は古典的な物語における典型的な王子様の標準装備をすべて備えている。そして、父親と母親のいいところを受け継いでいるこの外見は、顔がいいのはもちろんのこと、なんといっても整いすぎていなかった。人間、すべてが完璧なものよりも、ほどよく抜けているほうが愛でやすいのかもしれない。完璧な美形は近寄りがたいが、俺は親しみやすいイケメンといったところか。とまあ、それがすべてかどうかはわからないが、数えきれないほど『かわいい』と言われて過ごしてきたものだから、じゃあ俺はかわいいんだろうな、と幼少時代から生きてきたわけだ。おかげさまで自己肯定感の塊みたいな存在に育ったけど、見た目を何よりも大事にしないといけない、みたいには育たなかった。なぜなら最初から与えられた手札を賞賛されただけで、何ひとつ俺の手柄なんかじゃない。だから見た目を褒められても、かわいくあるためにもっともっと磨かなきゃとは思えなかった。もちろん見た目に一切気を遣わなかったわけじゃないが、どうせ男が『かわいい』のなんて、人生の最初の十数年くらいまでだし。身の回りの男たちを見て、俺はそう高を括っていた。
 だけど、俺が『かわいい』のは幼少時代に限った話じゃなかった。背も伸び切って身体も成長しきって、筋肉も育てて文字通り大きくなったのに、成人して軍に入ってからもなにかとかわいいと言われる始末。スクールボーイだった頃はまだかわいいから仕方ないな、なんて思っていた俺も、これには辟易してしまった。さすがに、さすがにもうかわいくはないだろ。こんな、図体のでかい男に向かって何言ってんだ、って思ったさ、さすがにな。実際のところはナメられていた部分もあったかもしれない。でも、全部が全部冗談というわけでもなさそうだった。結構そういうお誘いもあったし、ガチめの熱い視線を受けていたこともある。好奇心に任せてちょっと火遊びをしたこともある。だから、本当にかわいいのかも、俺、なんて思ったりもするけど。

 でも、俺がかわいいのがたとえ事実だとしても、俺自身が図体のでかい男をかわいいと思う感覚はなかった。絶対に、絶対になかった。



 *

 目の前には、でかい背中を丸めて掌の中にある電子機器とにらめっこしている男がいる。その手の中にあるのはだいぶ前に旅先で買った小さいオモチャのゲーム機で、安価でいろんな種類のゲームが楽しめてしまう優れものだ。暇つぶしに買ったものの、家の隅っこで長いこと埃をかぶっていた。荷物をひっくり返していたらたまたま見つけたので、待ち合わせの場所で遊んでいたら、通りがかりのこの男——エドが釣れた。
 エドはかれこれ一〇分くらい無言でこのゲーム機と戦っている。最初コレで遊んでいた俺に向かって、いい年したオトナがそんなチャチなオモチャで何遊んでんだよ、なんて声をかけてきたのは一五分前のエドだ。じゃあお前がやってみろ、と手渡してみたところ、五分ほどは勝手が分からずいろいろ喚いていたが、五分でコツが飲み込めたのか、それからすっかりとおとなしくなってしまった。もう返してくれそうにない。
 エドのその白金の真っ直ぐな髪は顔の半分を隠していて、手元のモニターがちゃんと見えているのかわからない。それでもシンプルながらも奥の深いゲームに取り憑かれるようにして、エドはチャチなオモチャにのめり込んでいった。オモチャを奪われてしまった俺は、エドが遊んでいる様をオモチャ代わりにして楽しむしかない。でも、それも悪くなかった。いつも思い詰めているような表情を浮かべているエドが、ファイトのときとはまた違う真剣な顔をして、ゲームに集中しているのを間近で眺めているのは意外と悪くない。さっきまでコロコロ表情を変えながら遊んでいたのに、すっかり変化のない真顔ばかりになってしまったのは残念だけど。今ならどれだけエドを観察しても怒られないだろう。
 陳腐な表現だけど、顔がいい男だ、改めてそう思った。黙っていたら近寄りがたい完璧な美形、と言ってもいいんじゃないか? ってくらい。白い肌も、銀色に近い金色の髪も、透き通ってるみたいな青い瞳も、すべての色素が薄くて、世界から浮いている。というか、輝いているように見える。瞼のあたりは皮膚が薄いのか、血色が透けてピンク色をしている。歯並びは良くて、顔の造形は悪くないのに表情はなんか、悪人ヅラ。でも悪人ヅラは意識してやってるのか、集中してるときはその表情を忘れている。で、赤いフードの上着の下は素肌だ。胸元に何かの鳥のモチーフをぶら下げて、引き締まった身体を惜しげもなく曝け出している。悪くはないけどまだ育ちそうだな、なんて内心勝手に筋肉の付き具合を評価していると、すぐ近くにキンバリーが来ていることに気がついた。
「お待たせ! めずらしく早いじゃんルーク! ……ってあれ〜? エドがいる」
 待ち合わせの五分前に現れたのはキンバリーだった。ゲームに熱中しているエドに視線をやるものの、集中しているエドはキンバリーに気づかない。
「なになに、追加ゲスト?」
「いや、そういうわけじゃねえんだけど。ここで待ってたらたまたま」
「ふーん? まあ別に一緒に行っても大丈夫そうな気がするけどね? 三人が四人になっても平気じゃないかな〜」
 ねえねえエド、ご飯一緒に行く? とキンバリーが声を掛けてはじめて、エドは彼女を認識したのかゲーム機から顔を上げた。
「あ?」
「ルークが奢ってくれるって!」
 キンバリーなりの気遣いなのか、勝手に俺の奢りということにされている。待て待て、こちとら給料日前だっつーの。
「いや奢りとは聞いてねえぞ」
「エドのぶんくらいはいいでしょー?」
……ま、エドひとりぶんくらいならな」
  突然目の前に現れたキンバリーの問いかけに、状況を理解したのかエドはいや行かねえ、と首を横に振った。そして持っていたゲーム機をこちらに返そうとしてくる。
「もういいのか? ずいぶんと熱中してたみたいだったけど」
 からかい半分にそう声を掛けると、遊び始める前の自分のセリフを思い出したのか、エドは面白くなさそうな表情を浮かべた。
……意外と悪くなかった」
「素直に面白かったって言えよ!」
 うるせえ、とさらに顔を歪めたエドは、俺の手にゲーム機を突き返してきた。まだ途中だったのか、その画面はポーズをかけられたまま最高得点を示している。待て待て、俺のハイスコアを軽く超えてるんですけど?
「ちょっ、すげえなこのスコア! これちゃんと最後までやれよ、このまま持ってっていいからさ」
「あ? ……別にいいっつの」
 エド自身はそのスコアに特にこだわりはないようで、さっさとこの場から離れようと踵を返そうとしている。その腕を捕まえてこの場に押し留めると、もう一度ゲーム機をエドに差し出した。
「今度俺の勤めてるトレセンにでも持ってきてくれればいいから。な? 場所わかるか?」
「知ってるけどよ、めんどくせぇな……
 口ではそう言いつつもエドはそれを受け取ってくれた。コツが掴めてからはあれだけ熱中していたし、実際のところは悪くない提案だったのだろう。ほんと、かわいくねえな。でもあの調子だと時間を忘れてやってそうだな、あいつ。そんなことを考えながら去り行くエドの背中を眺めていると、突然キンバリーに肘で小突かれた。振り向くと、しらっとした表情のキンバリーがこちらを見つめている。
……なんだよ?」
「べつに〜?」
 そう言って彼女は軽く肩を竦めると、もうすぐ時間だけどあのヒト来ないね〜、と言って話題を変えてしまった。



 *

 エドがトレセンに姿を現したのは、それから二日後の夜のことだった。人があまり来ない時間帯にドアの開く音がして、出入りを確認しようと顔をそっちに向けると、所在なさげに視線を彷徨わせていたエドがそこにいた。エドはすぐ俺の視線に気づいてこちらを見たものの、とくに何を言うでもなく、そこに突っ立ったまま顎を動かす。それで俺を呼んでいるつもりらしい。なんて横柄な態度だ、かわいくねえ——とは思いつつも、呼びつけていたのはこちらだし、面倒くさがっていたわりにちゃんと来たのは評価すべきなのかもしれない。うんうん、えらいえらい。
 よ、と軽く声を掛けるとエドは返事をするように小さく頷いた。どうした? とか、何しに来た? とか、そんな前置きはいらない。エドがわざわざ俺に会いに来る用事なんてひとつしかない。出入り口で動かないエドの近くまで歩み寄ると、エドは無言のまま上着のポケットからゲーム機を差し出した。
「スコア、結局いくつになったんだ?」
……こんくらい」
 ようやく口を開いたエドは、ゲーム機の電源ボタンを押して、こちらに向かって画面を差し出す。そこには俺のハイスコアの二倍くらいの数字が記されていた。こいつ、相当やりこんだな。もはや悔しいを通り越して驚嘆の声しか出ない。
……マジかよ、実はゲームの天才か?」
「ふん、コツがあんだよ」
 素直に褒めると、エドが得意気に笑う。なんだかんだ、このハイスコアを俺に見せたかったんだろう。それにしても、悪人ヅラを作りすぎて口元が歪んでいて、ちっともかわいくない。つられてこっちも笑ってしまった。
「そのコツってやつ、教えてくれよ」
……アンタは仕事中だろ、さっさと戻れよな」
 それ返したしオレはもう帰るぜ、と上着のポケットに手を突っ込んでさっさと去ろうとするのを、腕を引っ捕まえてもう一度引き止める。これもなんだか再放送って感じだ。くるりと至近距離で振り返るその顔はあからさまに不機嫌で、そんで青白くて——きれいだった。目が、透き通ってるみたいに青い。海に落ちたガラス玉みたいな色をしてる。引き込まれるようにその色をもっと近くで覗き込もうとしたところで、ふいと目を逸らされてしまった。
「ンだよ、触んな」
 俺を振り払ったその手が顔の間近を掠めていって、近すぎた、とそこではじめて気づく。一歩後ろに下がって適切な距離に戻ったものの、目の前から逃げていってしまいそうなコイツを、なぜか引き止めたくなってしまった。もう一度あの青が見たいのに、エドの青はこっちを向いてくれない。その上この場から去ろうとしているのがもどかしくて、何も考えずに口を開いた。
「あー……あと一時間くらいで仕事上がるからさ、ちょっと待っててくれよ」
「は?」唐突な提案に、エドは困惑を隠せないでいる。そりゃそうだ、俺たちは普段からサシで会う友人ってわけでもないし、ただゲームを押し付けて貸しただけ、借りただけの間柄でしかないんだから。エドにとっての俺は、敵ではない、たぶんそれくらいの認識でしかなくて、その細くて頼りない糸をどうにか繋げたくて、手繰るように言葉を紡ぐ。
「メシでも食おうぜ。それまでそのへんのマシン使ってていいからさ」
 あれとか最新のやつだぞ? と畳み掛けると、エドは俺の指差した先のマシンを見て足を止めた。先週入ってきたばかりの最新のウェイトマシンに、エドの好奇心がちょっとばかりくすぐられたらしい。
……どうだ?」——魅力的な提案だろ?
「なんだよあれ。ドコ鍛えるやつだ? 使い方わかんねぇよ」
「最初だけ見てやるよ」
 ずっと張り付かれるのも嫌だろうと思ってそう提案したものの、その返事はあまりお気に召さなかったらしい。最初だけかよ、と口を尖らせるので、それ以上は有料コーチングだ、と返してみる。——全然本気じゃなかった。金なんて取るつもりなかったのに、つい、からかうつもりでそんなことを口走ってしまった。ぱちぱちと瞬きを繰り返したエドは、じゃあオレの解説も有料だぜ、とまたかわいくない表情を作って見せる。ほんっと、かわいくないな、お前は。もとの素材はそんなに悪くないのに。
「じゃあ等価交換ってことで、どうだ?」
「メシも奢れよ、金なんて持ってきてねえし」
 それもそうだ。エドはゲーム機を返しにきただけで、俺とメシを食いにきたわけじゃない。俺に集るのは本意ではないのだろう、バツの悪そうな顔をしているのがおかしかった。でも、このゲームについて有料級の解説ができるのも俺にだけだから、俺と話がしたい気持ちが大きい。なんとなくわかるようになってみればエドの行動は単純で、素直さすら感じてしまう。
「わかったわかった。なんでも好きなもの奢ってやるよ」
 両手を上げて降参のポーズをとると、エドは満足気にニッと笑って見せた。ふつうに笑えばいいのに、口元を歪めているせいで笑顔にちょっとクセがある。そのままふつうに笑ったら、きっと、もっと——かわいいのに。残念なやつ。
 マシンの使い方を教えるのはいいが、エドは素肌にジャケットを羽織ったいつもの恰好で、トレーニングするには適さない。「上だけでも着替えてこいよ、Tシャツ貸すからさ」と宥めすかしていると、ふと、こっちを向いているトレーニング中のキンバリーと目が合った。そういえば今日来るって言ってたっけな。目が合って数秒、キンバリーはふいっと顔を逸らしてトレーニングに戻ってしまったものの、何か言いたいことがありそうだった。



 *

「んだよコレ!」
 さっき置いてきたはずの人物の声が背後に迫ってきていて振り返る。そこには憤怒の表情のエドがいた。ロッカールームまで案内して、俺の替えのTシャツを渡してトレーニングエリアに戻ってきた直後のことだった。
 さっきまで着ていたフードのついたジャケットは脱いでいて、いつも胸元にあるネックレスもない。ロッカーに置いてきたのだろう。貸したはずのTシャツはというと、その手に握られたままで、本来の役目を果たせていない。着替える意思はあったものの、着替えなかった。なんでかわからないけど、見ちゃいけないものを見てしまった気分だ。別に、普通の男の半裸でしかないのに。たぶん色が白いせいだな。その白い肌が眩しくて、一瞬顔を顰めてしまったかもしれない。
……なにって、Tシャツだろ? ふつうの」
「これのどこが普通なんだよ!」
 そう言ってエドがひらりと広げたTシャツには、かの著名なレスラーの顔のイラストがプリントされている。ただ、ひとつではない。七色の笑顔が円形に配置されていて、至って普通の、いや、とても良いTシャツだと思うが、どうやらエドのお気に召さなかったらしい。
「こんなん着れるかよ!」
「えー? 俺のお気に入りなのに」
 テメエと一緒にすんな、と息巻いてから、エドは他になんかねえのかよ、と頭を振った。残念ながら今日はロッカーにそれしかない。
「それしかないから諦めて着てこいって」
「っざけんな、ぜってー嫌だね! せめてテメーが着てるそれよこせ」
 そう言うや否や、俺が今着ている青のTシャツに手を伸ばしてくる。これはたしか誕生日に貰ったやつだ。既製のデザインに模した俺のイラストがプリントされてるけど、エド的にこっちはセーフらしい。裾を引っ張る指先はわりと本気なのか、結構力が強い。そんなにそのTシャツ嫌なのか? かわいいのに?
「いやこれ俺が一日着てたやつだって! そっちはちゃんと洗ってあるからさ!」
「百歩譲ってくせーのなら我慢してやるが……こいつは我慢ならねえ」
「そんなに……?」
 そこまで嫌がられると思っていなかったのですこし面食らってしまったものの、エドはどうやら本気のようだ。トレーニングセンターの名物教官の俺が、突然現れた美形の(しかも半裸の)男に脱がされそうになっているこの茶番じみたやりとりが視線を集めないわけがなく、いつの間にかたくさんのトレーニーたちが顛末を見守っている。トレーニングしているフリしてこっちを見ているやつ、完全に手が止まっているやつ。その中には呆れ顔のキンバリーもいる。一刻も早くこの騒ぎをどうにか収めて、この無防備なエドを衆目から引き剥がさなければならない。そんな使命感に駆られた俺は、とりあえず要求を飲むべく大きく頷いた。
「わかったって……そんなに言うなら交換してもいいけどさ、後からくさいとか文句言うなよ?」
「そんな保証はできねえな」
「とりあえずここじゃなんだから、ロッカールーム戻ろうぜ?」
 みんな見てるから、とエドに耳打ちすると、自分たちが注目されてしまっていることに今さら気づいたのか素直に頷いた。頭に血が上ると、周りが見えなくなるらしい。ちょっとはかわいいところもある。
 そんなに嫌だったかこれ? とロッカールームに戻りながら訊ねると、コレ着るくらいなら死んだほうがマシだぜ、なんてガキみたいに大袈裟なことを言う。死ぬ方が嫌だろ、と冷静に突っ込むと、同じくらい嫌だ、と言い直すので、とうとう堪えきれずに笑ってしまった。
「悪かったって」
 たしかに今となってはこういうおもしろいTシャツも好んで着るけど、エドくらいの年頃だと恥ずかしさが勝っちまうかもしれないな。ちゃんとしたコイツの年齢なんて知らないけど、たしか見た目より若い、みたいなことをどこかで聞いた気がする。
 短い通路を抜け、ロッカールームに戻ってくる。夜も更けてきたので帰り支度をしているのが二、三人ほど。人もまばらなロッカールームで、一日中着ていたTシャツを仕方なしに脱ぐ。これから人に貸すために脱ぐと思うとなんとも複雑な気分だ。匂い大丈夫かな、と一応嗅いでみるものの、自分の匂いがするばかりで正直わからない。湿ってはいないものの、さすがにちょっと汗くさい気がする。ロッカーの中にデオドラントスプレーがあった気もするが、これでいいと言ったのはエド自身なので、これ以上俺が気にすることではないだろう。
 ほら、と言って脱ぎたてのTシャツをそのまま手渡そうとすると、ようやくそれがちょっと微妙なことに気づいたのか、めちゃくちゃ嫌そうな顔をされた。——だろ? そうなるだろ? ほーら、言わんこっちゃない。こっちのほうがよっぽど罰ゲームじゃないか?
 顔を顰めたエドは受け取った青いTシャツに顔を寄せて、おそるおそる匂いを嗅いでいる。本人の目の前でやるのは傷つくからやめろって。俺はエドが死んでも着たくないと宣った、赤と白のラグランTシャツにさっさと着替える。こっちは馴染み深い、うちの洗剤の匂いがした。うーむ。このTシャツはたしかにかわいいけど、どちらかといえばおもしろいほうにポイントを振っているかもしれない。
 エドはまだTシャツを着る覚悟ができないのか、そのまま固まっていたので、その背を軽く叩く。手のひらに、しっとりと汗ばんだ肌の感触がした。体温が低いのか、ちょっとだけ冷たい。
「ほら、さっさとそれ着て行こうぜ。最新型のマシンが待ってるぞ」
……はぁ、乗せられてついてくるんじゃなかったぜ」たしかにそうかもしれねえな。
 大きく息を吐いたエドは、意を決したようにTシャツにおそるおそる首を通した。ただ服を着るだけなのに。そんなエドのシリアスな様子があまりにおかしくてつい声を上げて笑うと、エドは中途半端にTシャツを頭から被った状態で拳をまっすぐ突き込んできた。ただ当てる意思はなかったのか、その拳はむなしく空を切る。両手を掲げて降参の意を示すと、エドはようやく諦めたように青いTシャツをするりと身につけた。
 自分の服をエドが着ているのはなんとも不思議な光景だった。なんとなく、自分に近いものになったような気になってしまう。そのせいかどうかは知らないが、なんだかエドがかわいく思えてきた。
……うん。似合ってるんじゃないか?」
「なんか生ぬるくて気持ちわりィ」
 返ってくる言葉は全然かわいくないけど。しょうがないだろ脱ぎたてなんだから。
 Tシャツを交換(?)した俺たちは、それ以上特に会話を交わすこともなくトレーニングエリアに連れ立って戻った。ジムに繋がるドアを開けると、複数人の目が一斉にこちらを向く。それから思い思いに散っていった。Tシャツが無事交換された顛末を見届けて、どうやら気が済んだらしい。

 件の最新型のマシンはおあつらえ向きに空いていて、要らない気を回してくれたのが窺えた。エドに使い方を教えてしばらく見守っている間、なんとなく視線を感じて振り返る。あたりを見回すと、すこし離れたところでレッグロールしていたキンバリーがなんとも言えない顔をしてこちらを見ていた。急ぎの用か? と首を傾げて見せると、彼女は手のひらを上にして、こっちに来い、と強めのジェスチャーで呼んでいる。なにか問題でもあったのかもしれない。エドはすっかり要領を得たのか、こないだと同じ顔でマシンに集中して向き合っている。ちょっと呼ばれたから行ってくるな、と軽く声を掛けてから、まだ変な顔をしたままのキンバリーの元へと向かった。
 ジムにこもる空気が、なんだかいつもよりもぬるい。