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やまだ
2026-05-31 15:18:31
2729文字
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無双オリジンズ
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黄紫?蓋紫? 紫鸞の顔がいいという話
「影周郎様だわ」
「ねえ、お肉を少し多めに盛ってあげようよ。いつもたくさん召し上がってくださるもの」
「親父さんにばれないうちに皿を出して
……
」
昼下がりの飯屋で調理場からの、あまり隠す気のない囁きが明るい華やぎを纏って黄蓋の耳をくすぐっていった。ちらっと目線をやると、うまそうな湯気で火照った頬をさらにつやめかせた娘たちが忙しく手を動かしながらも笑いあっている。
「影周郎とは恐れ入る」
「いいだろう。強そうで」
「
……
まあ、あのおなごたちはそのような意味で使ってはおらぬようだが」
顎を撫で撫で呟く黄蓋の対面で、紫鸞はもりもりと焼き魚を頬張っている。
この孫呉で周郎、もしくは美周郎と呼ばわれる対象といえば、もちろん周瑜だ。容姿端麗で文武に優れる彼はこれまでよく国を援け、多くの民から慕われている。
そしていつのまにやら影の周郎、と渾名されるようになっていたのがこの紫鸞だ。戦場での武働きすさまじく、孫呉建国以前より孫家や周瑜、もちろん黄蓋とも親交深くはあるものの、普段は主張も影も薄い男だ。どこから尾鰭のついた話が漏れたものかと本人が首を傾げるほどで、さほど興味はなさそうだった。
噂の流出元は戦場で紫鸞を見かけた兵士や周瑜直属の文官たちであろうが、あえて流布を止めなかったのは周瑜だろう、と黄蓋は見ている。彼にとって紫鸞は手放しがたい懐刀で、かつ立場上軽々に口にできない心中を吐露できる貴重な友人だ。周瑜とそれほど近しいのだという話が出回れば、そのぶんほかの勢力の紫鸞を引き抜こうとする気もくじけると踏んだのだろう。
無論、良い意味でばかり使われてはいない。周瑜が自分ではやりたがらない、彼の地位では対応が難しいような汚れ仕事を任されるのが影周郎だと、そう揶揄する声も一時は多かった。ただ最近はそういった類の声に関しては、紫鸞の耳へ入る前に周瑜自らがあらゆる手を尽くして長江へ掃き出している。たまに黄蓋も現場に居合わせることがあった。
「ほかにどのような意味が」
「頬にものを詰めて喋るのは、今はやめておけ紫鸞」
あいにく今の影周郎に普段の涼しげな美貌の名残もないが、それでも若い娘たちにとっては姿が見られるだけで十分すぎるようだ。皿に小山ほども盛りつけられた豚肉の炒め物を楽しそうに紫鸞の前へ置いていく。
「よく噛んで食え。肉も魚も逃げんからな」
「公覆殿は食べないのか」
「おまえの食いっぷりを見ておるだけで腹がくちくなるわ」
食えるときに食い、眠れるときに眠るという習性が染みついているのか、紫鸞は見た目の割によく食べる。孫呉にはその様子を肴に酒を飲む人種がいて、黄蓋もそこに含まれた。
「公瑾のおかげで、この店に来ると腹いっぱい食わせてもらえる」
「周瑜ではなくおまえの手柄だろうに。おなごたちはおまえだから余分に肉を盛ったのだ」
はて、と不思議そうに瞬く紫鸞である。
「
……
影周郎だからだろう?」
黄蓋は酒をつぎ足しながら失笑してしまった。これではあまりにも娘たちに甲斐がないではないか。
「城下の女たちにとって、周郎といえば姿のいい男の代名詞よ。喜べ紫鸞、おまえはあの周瑜と競えるほどの容姿であるようだぞ」
口の中の肉を酒で押し流し、紫鸞は僅かに眉を寄せる。
「そう言われても
……
興味がない。公瑾が容姿も優れているのは俺にもわかるが」
「まあ、おまえはなあ。寝癖のついた頭で堂々と登城する男であるからなあ
……
」
「あなたは?」
「うむ?」
「公覆殿は俺の容姿を好もしいと思うのか」
酒を噴くところだった。すんでで耐えたが背が丸くなる。そんな黄蓋を見ながら紫鸞はまた肉を頬張っていた。
「おい
……
突然なんだ。おかしなことを申すな」
「そういう話ではなかったのか? 公瑾のような美男と比べられるよりは、あなたの意見が聞きたい」
唐突に、黄蓋と紫鸞が座る卓の周囲が賑わいを増したような気になった。
実際は黄蓋たちが黙りこんでいるために相対的に周囲の音をよく拾うようになってしまうだけではあったが、理由がどうあれ落ちつかないのは同じだ。黄蓋の回答を待つ姿勢になってしまった紫鸞へただ肯定を伝えるだけのことが、どうにもうしろめたい。この気ままな、若く美しい影周郎を、ほかの同僚たちよりも近くに置きたがっている自分を黄蓋は自覚していた。どうやら紫鸞がそれを迷惑がっているわけではないらしいということも。
酒を飲む。
娘たちが紫鸞のために山盛りにした肉よりも明確に、いま言葉にすることで変わってしまうものがあるのではないかと思う。それはこの若者の人生の重石になりはしないか。
おのれは重石になりたいと考えてはいないか。
ふっと息を吐き、笑い、黄蓋は不器用におどけて首を竦めた。
「心配せぬでもおまえはよい男よ。周瑜と並べば江東のおなごは皆おまえたちの後をついて歩くだろうな」
紫鸞が一瞬目を伏せた。そうすると目元に凄まじいほどの色めかしさが漂うが、次の瞬間にはすっと視線を上げて浮かべた淡い微笑の奥にすっかり隠される。
「光栄だ」
吐息のような声だ、と感じたのは、黄蓋がそうあってほしいと期待したせいだろう。そうでなくてはならない。紫鸞と自分のあいだにある卓が、この距離が煩わしいなどと思ってはいけない。
ふいに紫鸞の箸が伸び、黄蓋の杯を引きずっていく。見せつけるように芝居がかった指先が杯を握り、口元へ運ぶなりひと息に呷るさまを、脂と酒に濡れた唇をちらりとぬぐう舌の赤さを、黄蓋は彼の望みどおり余さず見守った。
「公覆殿」
親しげに笑う紫鸞を盗み見ていたらしい。調理場で娘たちが短い悲鳴を上げた気配がする。
「叱られなければ際限なく図に乗ってしまう、俺は」
周郎に並び立って遜色ない容姿の若者から取り返した杯へ酒を満たし、静かに口をつける。芳香の向こうに食い入るように黄蓋を見つめる暁天の瞳があった。
「紫鸞」
紫鸞は目で感情を語る。緊張や怯えで揺れる視線を、この雑踏する飯屋で黄蓋だけが正面から浴びている。そう自覚するだけでも酒のためではなく指先が痺れ、そしてそれをきつく握りしめて隠す。
「俺はなあ紫鸞。おまえがたらふく食って満足そうにしているのを見るのが好きなのよ」
「
……
そうか」
僅かに眉を震わせてから苦笑する紫鸞が再び箸を取る。
ぎこちなく豚肉をつまんで頬張る様子を眺める黄蓋もまた、苦笑を浮かべて杯に酒を足す。
杯からあふれてこぼれ落ちるぎりぎりで揺れている酒を、啜って飲み干し我がものにする勇気も、椀に中身を捨てて新しくそそぎ直す覚悟も、そのどちらもまだ黄蓋にはない。
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