燈 ともしび
2026-05-31 11:07:03
4418文字
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ぎゆさね【ひとつ】

ファンタジー 神獣🌊×世話係🍃

 初めて見たとき、正直に言って怖いと思った。
 大きな身体も感情の読めない瞳も、優しく賑やかな家族に囲まれて暮らしてきた自分には得体の知れないものとしか見えなかったのだ。
 でもここで逃げ出す訳にはいかなかった。俺が逃げれば次は玄弥がやらされるだけだ。そんなこと許せない。
「俺は、今日からアンタの世話をするために来た。アンタなんかちーっとも怖くねェぞ!」
 だから、怖さを隠しながら叫んだんだ。本当は情けなく足元が震えていたのに、叫んで恐怖を誤魔化そうとした。

 それなのに、
「足が震えているぞ」
 真っ黒の瞳のままこちらを見られて、ただそれだけを言い返された。
 バレてる。言い返されたということはそういうこと。悔しさと怖さとで思わず涙がこぼれてしまった。
 仕方ない。俺もまだこの時は身体の小さな子どもでしかなかったのだ。隠していたはずの恐怖心を隠し切れていなかったことくらいで泣く、そんな子どもだった。
 さっきまで威勢よく叫んでいた俺が急に泣き出したものだから、向こうは目に見えて狼狽えだした。
 泣いていた俺は見ていなかったが、オロオロと手を出したり引っ込めたり冷や汗をかいたりと落ち着きのない様子だったらしい。
 どうしよう。参った。そんな思いから俺の身体を抱き上げて、自身の胸元に抱き寄せた。
「泣くな」
 一目で分かる上等な布の着物。そこに涙と鼻水でべちょべちょな子どもを抱き寄せたのだ。俺は高価な着物の感触に驚いて更に泣いてしまった。
 どうしよう。無礼として斬られてしまうか食べられてしまうに違いない。どうしよう。
 泣き止ませようと抱き寄せたのに更に泣かせてしまったので、今度はふわふわの尻尾を俺に巻きつけた。それは春になると寝転んで遊ぶ草の感触に似ていたから、俺はようやく泣き止んだ。
「泣くな」
 そうして泣き顔を上げて相手の顔を見た。
 俺より身体が大きいのは怖い。
 でも目があったとき、その目は純粋に俺のことを心配している様子だったから初めて怖くなくなった。
「幼な子に泣かれるのは苦手だ」
 長い爪が俺に当たらないよう気をつけながら涙を拭われる。そこには優しさしかない。
「いきなり泣いてごめん」
 素直に謝ると
「いいよ。出来れば笑っていてくれ。俺のために」
 初めて笑いかけられる。
 その顔は初めて見たときと全然違った。優しくて、温かな笑顔だと思った。
 それが、神獣の義勇と世話係の俺との初めての出会いだった。




 日当たりも土も良いからこの村は作物がよく育つ。飢えることもなく生きていけるのは全て神獣様の加護のおかげ。ずっとそう言われて育ってきた。
 でも神獣様の姿を見れるのはお世話係の子どもだけだった。村の生まれで元気な男児。歳は五歳から十五歳まで。その条件に合う子どもだけが神獣様のお世話係になって側で見守る。世話係になると残された家族には立派な家と食べ物が与えられる。
 うちは父親が亡くなって以来、病気がちな母親と幼い弟、妹と暮らしていた。村の気候が良いおかげで今までは自作した農作物などでなんとか食べ繋いてこれたが、母親の薬と弟や妹の学校のお金までは出せそうになく、そのとき俺はもう七歳になってしまっていたけれど自分から神獣様の世話係に立候補した。
 本当なら五歳を過ぎていた子どもは対象外だったのだが、前任も、その前も二代続けて神獣様から一年経たずに突き返されてしまったらしい。
 理由は分からない。ただ「要らぬ」とそう言われて世話係の子どもたちは帰された。
 これに慌てた村長はなんとか次は最後までお世話出来る者を見つけるのに必死になった。それはそうだろう。神獣様の加護がなければこんな山奥の村などすぐに廃れてしまう。
 そうして条件の合う世話係候補を次々と神獣様の元へ送った。でも全て帰されてしまった。条件の合う子ども全員拒否されてしまったのだ。
 万策尽きた。この村はおしまいだ。
 そこで俺が手を挙げた。多少年齢は過ぎているが当時の俺は小柄だったのでバレない自信もあった。それに俺が世話係になれば母親の薬も立派な家も、弟や妹の学校へ行くお金も用意してやれる。
 どうせ無駄だ。
 でも、もしかしたら。
 大人の間でも意見は割れたが、それでもと最後の望みに縋って俺は神獣様のもとへ送り出された。

 決意したのに初めて見る神獣様の大きさと真っ黒な瞳に怖くなって大泣きしてしまったのだが、俺は何故か神獣様に気に入られたらしい。
 神獣様は泣き出した俺を戸惑いながらも優しく泣き止ませてくれた。そして泣き止んだ後に「ここに居ても良い」と言って貰えた。俺はそれに「はい」と元気に返事をしたのを覚えいる。
 俺は無事に神獣、義勇様の世話係になれたのだ。

 世話係といっても神獣様はほぼ一日中寝ている。だからほとんどやることがない。
 寝ることで神力が貯まって村の元気に繋がるのだと言われたが、俺には単に神獣様が寝坊助なだけにしか思えなかった。
「実弥もたくさん寝るといい」
 そう言われても家では常に働いて動いていたから落ち着かないし、そんなに寝ていたら夜に眠れなくなってしまう。
 なので勝手に神獣様の館を掃除したり、大きな庭の隅に野菜を植えたりした。勝手にやっていても神獣様にはお見通しだったろうが、何も言われなかったので好きにした。
 きっと、というか多分、俺が五歳ではないことも神獣様は分かっていたと思う。でも何も言われなかった。
 村と同じように野菜がたくさんすくすくと育つのでそれで料理を拵えて出すと、人間の食べ物は不要な筈の神獣様は美味しそうに食べてくれるのが嬉しかった。
「実弥は良い子だ」
 そういって笑いながら頭を撫でてもらったりもした。初対面の時は怖くて仕方なかったのに、今は俺もその大きな手に撫でられるのが大好きになっていた。
 眠れない夜は一緒に寝転んで子守唄を歌ったり、母親から聞いた昔話を話して聞かせたりもした。
 神獣様は目を輝かせて聞いてくれたので嬉しかった。お世話、楽しいじゃねェか。そんなことまで思うようになっていた。

 だが、時は流れる。
 このまま止まっていても良かったのに。そう思っても人に時間を止めることは出来ない。
 気付けば俺はもう少しで十五歳になろうとしていた。


 お世話係が十五歳までと決められているのはこの村ではそれが成人の歳だからだ。
 成人になれば村の一員としてしっかり働き、嫁を貰い、子どもを産み育て村を発展させる。そんな役割を担わなければならない。だからお世話係は十五歳までとなっている。
 俺がここにきたのは七歳のときだったが、そこから十五になるのはあっという間だった気がする。
 神獣、義勇様は思っていたよりも子どもっぽくて、そして優しかった。一度も俺を怒ったり怒鳴ったり暴力を振るってきたことがない。
 俺は物事ついてすぐに父親から殴られたり怒鳴られたりしていたので、感情に任せて手を出してこない大人の男は初めてでそれも嬉しかった。父親が事故で死んだ時、ザマアミロと思ったくらいだ。
 だから俺もここではのびのびと楽しく過ごせた。

「実弥はもうすぐ村に帰れるな」
 良かったな。
 明日、十五になる前の夜。義勇様はそういって頭を撫でてくれたけれど、俺はちっとも嬉しくなかった。いつしか俺は義勇様と離れるのが寂しいと思っていたのだ。それは久しぶりに大好きな家族に会える嬉しさよりも勝っていた。
 
 最後の夜。義勇様に請われるまま昔話を話して聞かせた。それは一番のお気に入りで何度も話した物語だ。
 山の神と海の神が出会って結ばれて、そして末永く幸せに暮らした御伽話。本来なら結ばれる筈のない、別々の存在の二人が惹かれあう物語。
「実弥の声で聞くのがとても好きだ」
 いつもそう褒めてくれるから喜んで何度でも話して聞かせた。
 でも今夜は最後まで話せなかった。
 明日になれば俺は村に帰って義勇様とはもう会えないのだ。そう思ったら無意識のうちに泣いてしまって続きが話せなくなった。

「実弥、なんで泣く?」
 義勇様は不思議そうに俺の顔を見て、そして初対面の時のように俺の涙をそっと拭ってくれた。俺も成長したから義勇様に昔ほど威圧感を感じない。
 それどころかもっと触れてほしいとすら思ってしまった。
 でも言える訳がない。俺は単なる人間の世話係。義勇様は神獣。住む世界も生きる時間の長さも全く違うのだ。ずっと一緒に生きてはいけない。
 だから問われても何も言えない。
 好きです、なんて。ずっと側に居たいだなんて言えない。
「実弥が泣くと困る」
 困らせてごめんなァ。
 でも、今夜は泣き止むのは無理そうだ。
 義勇様の胸元へ宥めるために抱きしめられて、俺はこれを一生覚えていようと思った。大好きなひとに抱きしめられる幸せをずっと覚えていようと。
「義勇様」
「うん」
「ありがとうございました。俺は幸せでした」
 それだけが俺が言えた唯一の言葉だった。


 翌朝、義勇様に抱き抱えられて俺は村へと戻ってきた。義勇様の住処へ行く方法は知らない。行く時は村の社から同じように義勇様に抱き抱えられて行ったから、きっと人間の力では行けないのだろうと思う。
 二度と会えない。また泣いてしまいそうになる。
 義勇様は次の世話係にもああやって子守唄や昔話をねだるのだろうか。そして幸せそうに笑って頭を撫でてやるのだろうか。

 嫌だ。それは俺の、俺だけの役目だったのに。

 村の入り口で降ろされて、そっと背中を押された。もう帰って良い、そういう意味なのだろう。
 でも俺は義勇様の手を握ってしまった。
「ずっと義勇様の側に居たいです」
 言ってはいけない言葉。でも気付いたら口から出ていた言葉。
 義勇様は驚いた顔をしていた。
 しまった。困らせてしまった。俺はもう幼な子ではないのに。
 義勇様の手を離す。今の言葉は忘れてください。
 うそ。
 忘れないで。覚えていて。俺のことを。
 泣きながら駆け出した。後ろを振り向かないように。振り向いたら泣いて縋ってしまうから。

 後ろからぎゅっと抱きしめられた。
 ずっと側にあった温もり。義勇様の温もりだ。
……今の言葉は本心だと思って良いのか?」
 抱きしめられて問われた。
 本心だ。本心に決まってる。
 俺は泣きながらも
「お側に居たいです」
 と言った。

「なら、もう遠慮しない。実弥は帰さない。ずっと俺の側に居てくれ」

 もう一度抱き上げられて空に飛んだ。
 戻った筈の村がどんどん小さくなっていく。
 
「実弥だけが側に居れば良い。それで俺は幸せなんだ」
 俺は泣きながら頷いた。
 それは俺の願いでもあったから。