ひなげし
2026-02-08 18:16:07
2757文字
Public 狛日
 

希望の話をしよう

未機パロ/狛日 2026.02.08.悪意の証明無配
大雪になって帰れなくなった日向くんと、狛枝とバレンタインデーの話。友達以上恋人未満の駆け引きを楽しんでる二人。

 雪が降っている。
 突然変わった予報によれば、明日の朝まで降り続けるらしい。ぼたぼたと世界を白で染めていく雪に、電車もバスも止まってしまっていた。焦ったような、そして心のどこかで浮かれたようなレポーターの声が頭の中でくるりと回る。
 日向は小さく身体を震わせた。指の先まで冷えていた。貸し切った小さな会議室は、人の気配がなくて落ち着くけれどひどく寒い。時折、風が吹き荒ぶ。雪が窓ガラスを叩き、ガラスが悲鳴を上げた。
 仕事もやることもなくなって、ノートパソコンがついに暖炉のスクリーンセーバーを流し始める。なんだか虚しい。絵に描いた餅だ。
 ツイてない。
 ドアがコンコンと音を立てる。
「どうぞ」
 日向はノートパソコンを閉じて、振り返った。
「やぁ、日向クン」
 背の高い青年が入ってきた。うねるような白い髪の毛に穏やかな薄灰色の瞳が、大きな身体の割にあまり威圧感を与えない。なんやかんやで腐れ縁になってきた狛枝が、白いカップを持ってそこにいた。
「狛枝……帰れてなかったのか?」
「まぁね」
「はは、ツイてなかったな」
 狛枝は日向には答えず、肩をすくめた。
 長い足が数歩で日向の隣まで辿り着く。狛枝は安いパイプ椅子を引き、日向の隣に座った。湯気をあげる白いカップが日向の目の前に置かれる。
日向は隣に並ぶ男の、静かな目を見つめた。この男はいつも唐突だ。
「なんだこれ」
「見たらわからない?」
 狛枝がふぅ、と息を吐く。ほんの少しだけ拗ねた口調だった。
「差し入れだよ。大したものでもないけどね」
……そうか。珍しいこともあるもんだな」
「あんなに雪が降ってることと比べたら、これぐらい普通じゃない?」
「はは、それは比べる相手がおかしいだろ。なんたって数十年ぶりの大雪だって言ってたぞ。ここがこんなに積もってるのなんて初めてだ」
 日向は窓の外を見つめながら、白いカップに手をつけた。
 熱すぎず、陶器に手を張り付けたくなる程のあたたかい温度に、胸の奥がゆるりと解ける。カップを持ち上げると、チョコレート色をした不透明な液体が揺れる。予想外に甘い匂いが鼻の先をくすぐった。一口、口に含む。
 甘い。ホットチョコレートだ。
 濁った灰色を埋め尽くす勢いの白い景色。白いカップに甘い飲み物。シチュエーションも空気も悪くない。だけど、帰りの足がない事実だけが最悪だ。
「はぁ……帰れなくなったな」
「あのさ。日向クンはさっき、ボクにツイてないって言ったけど、別にそうじゃないって言ったらどう思う?」
 狛枝の目が見つめてくる。静かで楽しそうな光が宿っていた。まるでいたずらをする子どものような無邪気さだ。
「なんの冗談だ?」
「これが、ボクにとっては何か有益なことだと思ってるって話だよ」
「こんなに雪が降って寒いし、家に帰れないし、硬い会議室の椅子をかき集めて交互に並べて寝ないといけないのにか?」
「そうだね」
…………正気とは思えないな」
「あは、そう言わないでよ。やることなくて、ぼんやりできるなんてそうそうないことじゃない?」
「だからって、寒くてカチカチの椅子で寝るのはどうなんだ。いい加減身体は大事にしたほうがいいらしいぞ、来年三十なんだから」
「うん」
 もう一口、ホットチョコレートを飲み下す。牛乳の割合が多いのか、喉につっかかることもない。喉と胃があたたまり、そっと吐いた息が白くほわりとあがる。
……おいしい」
「よかった。で、日向クン。この間の返事は?」
 カップを傾けていた手が止まる。
「だから言ったでしょ、ボクにとってはツイてるんだって。この家に帰れないほどの雪も、給湯室に偶然コーヒーが一つもなくて、唯一あったのがこのチョコレートと牛乳だったことも、ボクにとっては都合がよかったんだよね」
 日向はそっと息を吐き出し、努めて冷静に唇を動かす。
「ああ、だからなんだな」
「でも、いっそ清々しいくらいにちょうどいいと思わない? 今日は想いを伝えるにはうってつけの日なんだってさ。ボクには友達や家族、大切な人なんていなかったから、こういう行事にたいして参加したことなんかなかったけどさ。ああ、でも本来は誰かさんの命日らしいけどね」
 視線を上げて、壁時計を見つめる。
 ──二月十四日。
 眉を寄せる。これは差し入れの皮を被った、愛の告白の再演だったってわけだ。
「なぁ、言ってて恥ずかしくないか? 俺は恥ずかしい」
「そうかな。別に恥ずかしくもなんともないけど。一ヶ月待ってあげたんだから、有情じゃない?」
 ふふ、と狛枝の笑みが空気を揺らす。
「ボクはキミがすきだよ。愛してるって言ってもいい」
 一ヶ月前と同じ言葉。同じ温度。同じ穏やかな薄灰が日向を見つめる。指先一つ触れていないのに、優しく触れてくるような視線が肌を撫でていく。小さくじわじわと熱が生まれる。日向は言葉なく、狛枝と見つめあっていた。
 狛枝の吐く言葉は存外一途で、希求する響きを持っていた。それがどうしたって、心地が良くて満たされる。身体の芯が甘く疼く。
 薄灰を見つめたまま、指を握り込む。だってこんなの、今更で。コイツとは色々ありすぎた。情を無碍にされたこともあるし、傷ついたこともある。理性はあからさまなため息を吐いているというのに、結局温度のある言葉一つでほだされてしまうのだ。なんだか悔しい気持ちにもなる。
 ああ、別にお前のこと好きじゃないぞと言えたら、どんなに楽だったか!
 残念ながら俺は素直に俺も好きだと言ってやれるほど、かわいい男ではなかった。
 狼狽を気取られぬように、中身の残った白いカップを狛枝の前に置いた。
……あれ、日向クンもう飲まないの? もしかして、甘すぎた?」
「ちがう。……それ……やる」
 狛枝の曇った顔が、みるみると口元に笑みを浮かべていく。
 ああ、やっちまった。
 胸の内で一人ごち、唇を硬く結ぶ。理性が頭の片隅で呆れたため息を吐き出した。
「あは、やってて恥ずかしくないの」
…………恥ずかしい」
「ボクみたいに普通に言えばいいのに。言ってくれないんだ?」
……今日は、それで勘弁してくれ。俺の負けでいい」
「ふうん、そう。じゃあ、景品でも貰おうかな」
 狛枝が柔らかく微笑む。
 黒い皮手袋をつけていない白い手が、長机の上に投げ出されていた日向の手に重なった。白い手が普段よりも熱を持っている。あたたかくて、心地よい。
「景品って、そういうのじゃないだろ、……たぶん」
 俯いて呟く。小さく、照れの混じったくぐもった声だった。それでも、隣にいる男には届いたのか、満足げな吐息が空気を揺らした。
 窓の外には、まだ降り続ける白い雪がある。