ひなげし
2025-12-30 20:54:51
3902文字
Public 狛日
 

酔いの縁に立つ

未機パロ/狛日
第78回狛日版週ドロライ「忘年会」
狛がいると無意識に深酒になってしまう試し行動じみたことをしてしまう日と、そんな日をわかってあげられるのはボクだけなんだとぞくぞくしてる狛の、需要と供給の噛みあった恋人二人の小話。

窓の外は星が瞬き始めていた。
狛枝は深く息を吐き出した。一日終わりの疲労がもったりとのしかかる。ようやく終わった仕事の終わりに物資が少ない中、忘年会をしようだなんて、才能のある人間たちの考えることの気がしれない。ぶつぶつと胸の内で一人ごちながら、早足で廊下を進む。このまま帰ってしまおうか。文句を垂れ流しながらも、それでも一人の人間の影が思考の隅をよぎる。
強い信念を持った笑顔の下に、ほんの少し滲む疲労と寂寥。無自覚な信頼と、視線が合うと甘えるように細められる榛色……
──ああ、もう。やっぱり放っておけない。
狛枝の足が止まる。大きな扉の前だ。未来機関の中では、一番大きな会議室。上位役職者や大型の委員会でよく使われる部屋だ。狛枝には縁遠い部屋の扉は、いつもは固く閉ざされ沈黙しているが、今日ばかりはささやかに喧騒の雰囲気を浮かべている。
重たいスチールのドアを押し、中に入る。光と音が土砂降りの雨のようにぶつかってくる。夜を割くような眩しい室内だった。つま先で何かを蹴る。足元に瓶が転がっていた。思わず眉を寄せる。何を蹴ったのか、もう見なくてもわかる。強いアルコールの匂いが鼻についた。
会議に使う長いテーブルをつなぎ合わせた大きな台にはクロスが敷かれている。油の匂いと、アルコールの匂いはそこからしていた。何本も立つ蓋の空いたビール瓶、揚げ物に、ピザに、輪切りにされた手巻き寿司。まとまりのない料理が雑多に並ぶ。壁際にもテーブルが並べられてあり、その上には色とりどりの液体を注がれた様々なグラスが整然と並んでいた。目が眩みそうだった。
ふいにそばで声がした。
「おう、やっときたか」
振り向けば、派手な髪とつなぎ姿のままの級友が軽く手を挙げていた。
「左右田クン。来てたんだ」
「タダ飯食えっからよ。ちょいともらって作業にまた帰るわ」
「あれ、作業終わってなかったの? こんなところに残ってていいの?」
「あー、帰りてーけどよ」
左右田が困ったように頬を掻く。素早く室内を見回し、狛枝は左右田の視線の先を理解する。人に囲まれ、作ったような笑みを浮かべる同い年の、狛枝の恋人がそこにいた。
「ああ、なるほどね」
「まだ無理はしてねぇと思うけどよ。わりーけど、この後任せていいか?」
「もちろん。左右田クンの頼みなら喜んで」
「あんまいじめんなよ」
「心配しなくても、ボクら意外と仲良くしてるよ。十分ね」
左右田は肩をすくめた。
「どーだか」
「あーあ、相変わらず左右田クンからの信用ないなぁ」
「いや、どう考えても今までのオメーが悪りーだろ」
けけっと、左右田が歯を剥き出して笑う。選ぶ言葉の割に語気は柔らかい。最近できるようになった口先だけのからかいだ。
左右田が紙皿にピザを二枚乗せ、エナジードリンクを一本片手に持って、後手に手を振る。
「じゃあ、あと頼んだぜ」
そう言って、左右田は外に出た。
狛枝は、そっと息を吐き渦中の恋人を見つめる。
有象無象が立てる音の中、日向の表情と動きだけを追う。
日向は、見覚えのない女と、見覚えのある男に囲まれていた。酒の入った赤ら顔をした男が、日向に茶色い瓶を差し出す。日向の肩が跳ねて、迷ったように周囲へ視線を巡らせた。
ぴりっとした感覚が頬を刺す。一瞬だけ、榛色が狛枝に触れた気がした。
ぴりっとした緊張感のあった日向の姿から、それがゆるりと霧散する。注意がおろそかになった日向の空のグラスに、泡を立てるビールがなみなみと注がれていく。許可を出す前に入れられたのか、日向はほんの少し苦い笑みを浮かべた。
「あーあ、あんなに注がれちゃってさ」
ため息を呑み込む。呑み込んだ重いものがずしりと胃に溜まる。頭の中がじわりと痛む。胸に疼くのは、ほんの少しの嫉妬と、心配だ。
長いテーブルの上に並ぶ紅茶を一つ手に取る。酒を手に取る気にはなれなかった。酔えそうにもない。
人が入れ替わり、立ち替わり日向に声をかけていく。その度にビールを注がれたり、ワインを渡されて飲まされたり。勧められて酒をあおる日向の健康的な肌が、だんだんと酒精に上気していく。
狛枝は、薄い紅茶をゆっくりと飲み干した。緩くなり始めた液体が喉をすぎていく。
日向の周りに集まる人間は、この一年日向が丁寧に懸命に、そして一途に積み上げた成果だ。元絶望だ、いわくつきの元予備学科と奇異の目に晒されながらそれでも、彼は自分の内側、外側共に逃げずに戦おうとしていた。その成果だ。
とはいえ、それは喜ばしいだけではないようだ。うっかりアルコール漬けになって、引き際を忘れてしまったのだろう。誰一人拒めず、さらに酒を飲む悪循環を生み始めた日向の姿に、狛枝は重たく息を吐く。
露骨なため息をつくほどに、呆れもする。いっそ重症だ。けれどただ、日向のその悲しいぐらいの愚直さ、そして行き過ぎた無謀な勇気は感嘆に値する。自分には到底できない。
彼の仄かな輝きは好ましい。他者を尊重し貶めず、醜くもがき生きる姿は狛枝の瞳を惹きつけてやまない。
けれど、今この瞬間がほんの少し面白くないのも本当だ。狛枝は、口の中に残った氷を力任せに噛み砕く。手に持った空のグラスを水滴が伝い、床のカーペットを濡らした。
日向の作る人の輪に入ることはしない。それでも、狛枝は壁にもたれて静かに日向を見つめ続けていた。
人の波を縫うように、もう一人の人間が日向に近づいていく。他部署の、先輩だっただろうか。手には汗をかいたビールが握られていて、赤ら顔が機嫌良く日向へと微笑んでいる。一瞬、ほんの僅かに日向の肩が強張った。
──頃合いかもしれない。
狛枝はグラスを置き、ゆっくりと足を踏み出した。
「日向クン」
狛枝が今までずっと見つめ続けていた肩が、ぴくりと震える。日向がゆるりと緩慢に振り返る。酒精に潤んだ瞳とかちあった。
「こまえら?」
日向がぽんやりと瞬きする。
「ここまでだよ」
日向の背に身体を寄せ、腕を脇に通して彼の身体を支える。支えを得た瞬間、日向の身体が限界を訴えるかのようにふらついた。大きく揺れたワイングラスを日向の手から抜き取り、残り少なくなっていた中身を一口で飲み干した。
「まだきぶん、いいだけだぞ」
「せっかく来てくれたのにごめんね。またよろしくね」
口を尖らせる日向を無視して、狛枝は後輩たちへにこりと笑む。恐縮し始めた彼らを置いて、狛枝は日向を連れて人の輪を抜けた。
壁まで歩くと、喧騒も匂いも薄くなる。空っぽのグラスを長いテーブルに置くと、日向がもたれかかってきた。
「日向クン、まだ寝れないよ」
「ねむくない」
「そう。で、日向クン。今日は何杯飲んだかわかってる?」
「んぅ……ご?」
「残念、はずれ。ビールとワインをちゃんぽんして七杯だよ。ボクらいい年してるんだからさ、もうちょっといい飲み方しなよ。美味しくなかったんじゃない?」
「うん」
日向が頷く。その動きはどこか幼い。狛枝の腕の中で年端もいかない児童のようにゆらゆらと不安定に身体を揺すっていた日向は、ふいに動きを止め、にっと笑みを浮かべた。
「でも、こまえら、みてらろ?」
「悪癖。何度も言ったけど、ボクはずっとキミしか見てないよ。キミしか、ね。ボクはキミひとりだけで手一杯」
酒で赤くなった無防備な耳に、そっと息を吹き込む。くすぐったそうに身をすくめた日向の表情が柔らかくなり、安堵を浮かべる。
「うん」
狛枝は日向の腰を抱き寄せ、静かに告げた。
「日向クンが望むなら、いくらでも教えてあげるけど?」
いつものやりとり。
いつもの悪癖。
いつも通りに誘いをかければ、榛色の瞳は喜色に染まり、とろりと蕩けた。深緑色のコートがくいと、引かれて日向が狛枝の肩に懐く。ツンツンとした髪の毛が首筋にあたりくすぐったい。いつもより暖かな身体。ほんの少しの汗と、つんとくる強い酒精の匂い。
言葉なく甘える恋人を、そっと片腕で抱き留める。我慢ばかりしているから爆発してしまうのだ。日頃から甘えられない日向は、狛枝が酒の場にいれば無意識に深酒をしてしまう。狛枝の視線を引くことを期待しているのだろう。これが彼の悪癖だとわかってる。難儀な恋人だ。でも、それでもと狛枝は思う。
それでも、あれは彼の精一杯の甘えなのだろう。おそらく無意識に、わかってもらえなくても仕方のないことなのだと拾ってもらえないことを前提に、彼自身が半分諦めている。自分が言うのもなんだが、ずいぶん哀れな生き方だ。だが、哀れで悲しい存在でなければボクらは出会えていなかった。そんな、日向の幼く柔らかい部分を自分だけが触れて、暴いてやることができる。
ぞくりとした。
背筋を甘い刺激が走る。
傍に寄り添う温もりを強く引き寄せ、喉奥で笑う。愉快だった。酒を一滴も飲んでいないというのに、ふわりとした高揚感が狛枝の背筋を這い登る。
狛枝は息を吐き出し、軽く肩を竦める。
「こまえだ、どうかしたか?」
日向が首を傾げながら、狛枝の瞳を覗き込んだ。
「ああ、なんでもないよ。そろそろ帰ろうか、ボクたちの愛の巣へ、だっけ?」
狛枝は日向の瞳を見つめたまま、彼の手を引いた。潤んだ榛色の瞳は、ちりりと燻る情欲の炎が揺れていた。
会議室の重たい扉を引き、外へ足を踏み出す。
冷たい空気が頬を撫でる。
狛枝は僅かに足を早めた。いつもより数段ほてった熱が離れずに、同じ足音を立ててついてくる。
愉悦と興奮で歪んだ口元から、熱い吐息が溢れる。
まったく、試されて喜んでいるだなんて。
そんな自分も大概だ。